痛みで目醒めたのは幾度目か。神経はすでに活性し、全身の皮膚が汗ばんでいた。脚の組織が引き伸ばされる。膝の関節が無理やり外されるような加重。苦悶が喉をこじ開ける音が、まるで自分の声ではないかのように暗闇にこぼれて行く。
眠りから浮上しかかった暗闇の中で、覚醒を掴もうと目を見開いた。そうすれば解放されると思ったからだ。
すると視界に、大きな気配が覆い被さっているのを見た。僕は影の名前を呼ぼうとした。それを知っている気がしたからである。しかし、潰された喉笛はそれを許さず、喘鳴となって消えた。
気配と目が合っている。それの目がどこにあるのかは分からない。けれども、確かに見つめ合っている。恐怖が身体中を震わせ、意識が再び遠のいていく。
落ちてはいけないと、なんとか空気にしがみついて身体を起こすと、覆い被さっていた何かは霧散し、痛みも引いて行った。荒い呼吸だけが残され、僕は深く息を吸って呼吸の手綱を捉え、首が回るのを確かめる。
窓の外から波の音がする。
携帯電話のデジタル時計を見る。午前二時十五分。
僕はベッドから出て、窓を開けて外を見た。漆黒から染み出した、透明な冷気が流れ込む。通りに人影は無い。地の果てまで田園が埋め尽くしている。
僕の家は住宅街にあるはずだった。窓の外に広がっているはずのない風景がそこにあった。僕はしばらく呆然と外を眺めていた。身体は静かに冷却されて行った。
我に返り、壁の時計を見る。午前二時十五分。
窓を閉めて電気をつけると、虹彩が急激に収縮して目が痛む。一切の音はない。夜はきっといつもこんなものだ。と、僕は自分に言い聞かせる。
両手のひらを広げて眺めた。なんだかいつもよりもつるんとして、大きく見える。ような、気がする。しかし、昼間についた傷が生々しく潤んでいることが、確かにこれが僕の手のひらであることを証明していた。傷の縁から、しわのひとつひとつを目でたどり、薄い指紋を識別しようと目を凝らした。指先のそれはわずかに渦巻いているように見えた。そう見えると何だか指先がむず痒いような気がして、僕は慌てて拳を握り、今度はスウェットパンツの裾をたくし上げ、先ほどまで痛んでいた脚を見た。何も代わりはないように見えた。
時計を見る。午前二時十五分。
脊椎に沿う産毛が逆立つような感覚があった。僕はそのまま携帯電話を開き、電話帳で鳴海の名前を探すと、発信ボタンを押した。
波の音などに気づかなければよかった。明かりをつけず、そのまま再び眠っていればよかったのだ。僕は目頭がツンと痺れるのを感じながら、永遠にも思われるような電子音の反復の向こうに必死に耳を澄ました。
呼び出し音が止み、静寂が開く。
「鳴海」
僕は咄嗟に、虚空に呼びかけた。
『智紀?』
声が応えた途端、引き攣っていた涙腺が緩む。涙はすんでのところで瞼に留まる。
「うん」
『誰かと思った』
「こんな時間にごめん」
『こんな時間って?』
鳴海の声が言う。僕は壁の時計を見ようとしたが、まだ両針が二時十五分を指していることを確かめたくなかったので、ただ溜まった唾液を嚥下した。
なぜ鳴海は、そんなことを聞き返したのだろうか。
けれども僕は藁にも縋る思いだった。弱々しい回線が鳴海の声を繋ぎ止めているだけでも幾分か幸福だったのだ。咳払いをして、僕は朦朧としていなければとても言わなかったであろうことまで口走った。
「頼みたいことがある」
『何?』と鳴海は言った。
「今度、僕と一緒に寝てほしい」
『何言ってんの?』
彼の呆れたような声も、無理もない。彼がいつもの動揺した時のように、片眉を神経質に釣り上げている表情がありありと目に浮かぶ。
「お前にしか頼めない」
僕は、でまかせのその言葉を自ら反芻した。よく考えてみればそれは確かに、正しかった。誰と触れ合いながら眠れば最も安らかに眠れるだろうか、そう考えた時、いまの僕には、鳴海しかいないような気がする。たとえ時折夜に僕を苛むあの痛みにまた襲われたとして、彼の手が僕を引き上げてくれるはずだ。それに次こそ、徐々に増幅するそれがついに僕を泣かせてしまうかもしれない。その情けない姿を晒してもいいと思えるのは鳴海だけだ。否、本当はそれらもすべて言い訳にすぎないのかもしれない。僕は彼に手を繋いで寝て欲しいのだ。
『分かった。今度ね』
と、携帯電話の向こうで鳴海は言った。
僕はそれだけで今日の残りの夜をやり過ごせるような気がした。
