さらに数日後。
夜会当日は、朝から大変だった。
伍は千代子率いるメイド隊によって風呂へ叩き込まれ、全身を徹底的に磨き上げられ、髪を何度も洗ってもらった。
風呂にはバラの花が浮かべられており、まるでおとぎ話の世界のようだった。
メイド隊にしっかり手入れされた伍の髪は、歩くとバラの香りがした。
特上の風呂、
特上の香油、
特上の化粧。
『自分にはもったいない』と夢心地だった伍だが、楽しいことばかりではなかった。
『コルセット』という名の、あの悪魔のような下着……。
『伍様、息を吐いてくださいっ。いきますよ!』
『ぐええっ』
我慢強い伍でさえ、みっともない悲鳴が出た。
あれは、レッドドラゴンなどよりもよほど恐ろしいものだった。
だが、それさえ乗り切れば、あとはご褒美の時間。
伍は、キラキラと輝く真紅のドレスを着せてもらった。鹿鳴館で貴婦人などが着るような、一級品の夜会服だ。
それに合わせるのはデウスから贈ってもらった紅玉のイヤリングと、大粒の真珠のネックレス。
伍は、これが現実だと受け入れるのに、ずいぶんと時間がかかった。
なぜって、ほんの二週間前まで、伍はツギハギだらけの擦り切れた木綿の着物を着ていたのだ。
そんな自分が今、目もくらむほど高価で豪華絢爛な衣装に身を包んでいるのである。
「ささ、できましたよ、伍様」
そうして、今。
伍は自室の姿見の前に立って、呆然としている。
「こ、これが……わたくし?」
信じられなかった。
この世のものとは思えないほどの美女が、そこに立っていたからだ。
真紅のドレスは、電灯に照らされてキラキラと輝いている。
大粒の真珠も負けていない。
耳に輝く大きな紅玉は、伍を美しく彩ると同時に、伍に『旦那様に守っていただいている』という安心感を与えた。
流行りの半上げの髪がドレスの肩口にかかっていて、赤と黒の対比がまた美しい。
そして何より美しいのが、顔だ。
(自分で自分の顔に驚くのも、おかしな話だけれど)
健康的な肉付きを取り戻し、かつツヤツヤとした肌。
綺麗な二重まぶた、すっかり隈の消えた目元。
朱の入った唇。
伏せがちだった目は今や自信を取り戻し、鏡に映る自分の顔を正視している。
(なんて綺麗な……でも、考えても見れば当然の話)
なぜなら、自分はあの、おぞましくも美しい姉と同じ顔をしているのだから。
「どうですか、伍様?」
千代子が尋ねてきた。
千代子率いるメイド隊が、『やりきった』という顔で微笑んでいる。
「すごいですっ。本当に、ありがとうございます!」
「これはもう、完全勝利間違いなしでしょう」
千代子がジャンケンのチョキを出した。
「チョキ?」
「これは、勝利のVサインです。リリス様直伝の、阿ノ九多羅家特有の勝利宣言です」
「勝利宣言!」
「では、私たちはこれで。坊っちゃんを呼んできます。いっぱい褒めてもらってくださいね」
千代子たちメイド隊がニマニマしながら退散していった。
伍は、恥ずかしい。
ほどなくして、デウスが入ってきた。
「旦那様っ」
二十歳の姿をしたデウスは、黒の燕尾服を見事に着こなしていた。
上質な生地が魅せる漆黒の艶が、デウスの金髪の美しさをいっそう際立たせている。
伍はしばし、デウスの悪魔的な美丈夫ぶりに目を奪われた。
だが、それはデウスも同じのようだった。
デウスは伍の顔を見て、全身を上から下までじっくりと見て、それから伍の顔に視線を戻した。
デウスの顔が、みるみるうちに真っ赤になっていく。
「へ、変でしょうか?」
「変じゃないっ」
興奮からか、デウスの声がうわずっている。
「綺麗だ、伍。すごく、すごく綺麗だ。あぁもう、語彙が浮かばない。【オン・アハラシャノウ――」
「ちょちょちょっ、そんなことのために脳に負担をかけないでくださいっ」
術をかけようとするデウスの手を、伍が握った。
デウスが雷に撃たれたみたいにビクリとなり、飛び退いた。
「……旦那様?」
「ち、違うんだ。その、伍があまりにも可愛くて、あまりにも美しくて、でも、触れたら壊れてしまうような気がして」
「ふふっ。触れたくらいで壊れたりはしませんよ」
伍が再び、デウスの手を握る。
今度は握り返してくれた。
「でも、お化粧が崩れると困るので、霊力の受け渡しは控えましょうね」
「伍っ」
「うふふっ。その分、夜会のあとでたっぷり補給しましょうね」
「このっ。俺が弱っているからって、ここぞとばかりに意地悪を……はぁ、ようやく少し落ち着いた」
デウスが、真正面から伍を見据えてきた。
「分かっていると思うが、今夜、四季神冬姫と対決することになる。気を強く持ってくれ」
「……っ。はい」
伍は覚悟を決めた。
「そのうえで、事前に伍に共有しておきたい情報がある。――千代子」
「はいはい」
千代子が再び部屋に入ってきた。
「見せ合いっこは堪能できましたか、坊っちゃん?」
「千代子っ」
「はいはいはいはい。こちら、調査結果です」
千代子がテーブルの上に広げたのは、
「……四季神家の間取り図?」
「そのとおりだ」
間取りの至る所――というよりほぼ全体が、墨で黒く塗られている。
その墨が、伍には不吉なものに思われた。
「この墨は?」
「【洗脳】呪術の残滓が検出された地点を塗ったものだ」
「せんのう……【洗脳】呪術ですって!?」
「四季神冬姫が、【洗脳】呪術を使っているんだ。それも、常習的に」
「【洗脳】で他人の心を操るのは、法律で固く禁じられているはずです。確か、退魔師取締法で」
「そのとおりだ、伍は賢いな。そう、魔取法第二二二条違反。極刑もありうる重罪だ。冬姫は【洗脳】を混ぜた空気を、四季神家の住人に日常的に吸わせていたんだ。あいつの【洗脳】が混じった空気は、霊感を持つ者にはひどい臭いがしたはずだ」
「――ッ!?」
伍の中で、長年に渡って感じ続けてきた違和感のあれこれが、絵合わせのようにパチリパチリとはまっていった。
『……臭い』
一週間前、デパートメントストアで冬姫と対峙したときに、デウスが言った言葉だ。
あのときすでに、デウスは気づきはじめていたのだ。
「すまなかったな、伍。お前には、確たる証拠を手にしてから伝えるべきだと思ったんだ」
「井戸水にも高濃度の【洗脳】が溶け込まされていましたよ」
と、千代子の補足。
『愚図が食後の大事な時間を台無しにしてくれたから、アタシが代わりにお茶を入れにきてあげたのよ。感謝なさい』
『お茶を淹れてきます。大事なお話をするんですもの。お茶くらいないと』
『お父様、お茶です』
『伍を、処刑してくださらない?』
「――……」
伍は、寒気が止まらない。
あの姉は、使用人たちのみならず、実の父をすら操っていたのだ。
それも、空気、水、お茶といった生活に必須のものに【洗脳】呪術を染み込ませて。
「……あれ? 千代子様、どうやってお調べになったんですか? まさか、夜な夜な四季神邸へ押し入ったとか?」
「四季神冬姫は贅沢好きですから。出入りの呉服商に扮して家にお邪魔し、冬姫が商品に夢中になっている間に『厠を貸して』と席を外すだけのことです」
「ま、まさか千代子様が変装を!?」
「ふっふっふっ。実は私、阿ノ九多羅家直属の凄腕スパイでもあるんですよ」
Vサインの千代子。
伍は頼もしいやら滑稽やら、引きつり笑いが止まらない。
「伍、お前が度々感じていたであろう『臭い』は、けっしてお前の勘違いなんかじゃなかったんだ。冬姫はお前を虐げるために、お前だけは【洗脳】の対象から外していた。だから、お前だけが臭いを嗅いでいたんだ。つまり――」
『やはり、わたくしは忌み子……この臭いとともに、腐り落ちていくさだめなのね』
「呪いじゃなかったんだ。お前は、忌み子なんかじゃなかったんだよ!」
「っ……!」
伍は、目頭が熱くなった。
「忌み子というのは、冬姫が勝手に言っていたことに過ぎなかったんだ。より正確に言うなら、最初に言い出したのはお前の父だ。だが、お前の母の助命嘆願以降は、お前の父がお前を『忌み子』と呼ぶことはなかったそうだ。歴代の女中たちに聞き回った話だから、情報の確度は高い。
そもそも、お前は五女で、つまり第五の神である境様に仕えるべきれっきとした巫女だった。出涸らし巫女なんかじゃなかったんだ」
「そう……だったのですね。大変でしたでしょうに、調べてくださって、本当にありがとうございました。でも……」
声が震える。
「だとしたら、わたくしの人生はいったい何だったのでしょう。冬姫お姉様の思いつきに踊らされ、五年間も自分を責め続けて……」
喜びと悲しみ、安堵と虚しさ、開放感とやるせなさ。
正負の感情が交互に襲いかかってきて、伍は心がぐちゃぐちゃになる。
思わず、涙があふれそうに――
「泣いてはなりません!」
――ピシャリッ
と、千代子にたしなめられた。
「っ!?」
「せっかくのお化粧が崩れてしまいますから」
(あ、そういう……)
「それに」
千代子が伍の手を握ってくれた。
「失ってしまった分、これから何倍も何十倍も幸せになればよいだけの話ではありませんか。考えようによっては、伍様は辛く苦しい五年間を耐え抜いたからこそ、境様に出会い、こうしてデウス坊っちゃんに出逢うことができたとも言えるのですから」
「そう……ですねっ。そのとおりです。冬姫お姉様の『おかげ』で、わたくしは境様に拾い上げていただき、デウス様と出逢うことができたのです。感謝して『やらないと』ですねっ」
「ふふふっ。伍様も阿ノ九多羅家の悪辣さにだいぶ染まってきたようですねぇ」
「そ、そうですか?」
デウスが頭を撫でてくれた。
髪型を崩さないよう慎重に、けれど力強く。
「よい傾向だ。そうだぞ、伍。お前はもう、幸せになっていいんだ。そのための準備は、もう済んだ。お前がどれほど幸せになったのか、冬姫に見せつけに行くぞ」
「っ。はい!」
「最後に、もう一つ」
デウスの顔が憂いを帯びた。
「幸せな気分に水を差すようで悪いが、お前にもう一つ、伝えておかなければならないことがある」
「な、何でしょうか?」
「お前の母の死。その、真相についてだ」
夜会当日は、朝から大変だった。
伍は千代子率いるメイド隊によって風呂へ叩き込まれ、全身を徹底的に磨き上げられ、髪を何度も洗ってもらった。
風呂にはバラの花が浮かべられており、まるでおとぎ話の世界のようだった。
メイド隊にしっかり手入れされた伍の髪は、歩くとバラの香りがした。
特上の風呂、
特上の香油、
特上の化粧。
『自分にはもったいない』と夢心地だった伍だが、楽しいことばかりではなかった。
『コルセット』という名の、あの悪魔のような下着……。
『伍様、息を吐いてくださいっ。いきますよ!』
『ぐええっ』
我慢強い伍でさえ、みっともない悲鳴が出た。
あれは、レッドドラゴンなどよりもよほど恐ろしいものだった。
だが、それさえ乗り切れば、あとはご褒美の時間。
伍は、キラキラと輝く真紅のドレスを着せてもらった。鹿鳴館で貴婦人などが着るような、一級品の夜会服だ。
それに合わせるのはデウスから贈ってもらった紅玉のイヤリングと、大粒の真珠のネックレス。
伍は、これが現実だと受け入れるのに、ずいぶんと時間がかかった。
なぜって、ほんの二週間前まで、伍はツギハギだらけの擦り切れた木綿の着物を着ていたのだ。
そんな自分が今、目もくらむほど高価で豪華絢爛な衣装に身を包んでいるのである。
「ささ、できましたよ、伍様」
そうして、今。
伍は自室の姿見の前に立って、呆然としている。
「こ、これが……わたくし?」
信じられなかった。
この世のものとは思えないほどの美女が、そこに立っていたからだ。
真紅のドレスは、電灯に照らされてキラキラと輝いている。
大粒の真珠も負けていない。
耳に輝く大きな紅玉は、伍を美しく彩ると同時に、伍に『旦那様に守っていただいている』という安心感を与えた。
流行りの半上げの髪がドレスの肩口にかかっていて、赤と黒の対比がまた美しい。
そして何より美しいのが、顔だ。
(自分で自分の顔に驚くのも、おかしな話だけれど)
健康的な肉付きを取り戻し、かつツヤツヤとした肌。
綺麗な二重まぶた、すっかり隈の消えた目元。
朱の入った唇。
伏せがちだった目は今や自信を取り戻し、鏡に映る自分の顔を正視している。
(なんて綺麗な……でも、考えても見れば当然の話)
なぜなら、自分はあの、おぞましくも美しい姉と同じ顔をしているのだから。
「どうですか、伍様?」
千代子が尋ねてきた。
千代子率いるメイド隊が、『やりきった』という顔で微笑んでいる。
「すごいですっ。本当に、ありがとうございます!」
「これはもう、完全勝利間違いなしでしょう」
千代子がジャンケンのチョキを出した。
「チョキ?」
「これは、勝利のVサインです。リリス様直伝の、阿ノ九多羅家特有の勝利宣言です」
「勝利宣言!」
「では、私たちはこれで。坊っちゃんを呼んできます。いっぱい褒めてもらってくださいね」
千代子たちメイド隊がニマニマしながら退散していった。
伍は、恥ずかしい。
ほどなくして、デウスが入ってきた。
「旦那様っ」
二十歳の姿をしたデウスは、黒の燕尾服を見事に着こなしていた。
上質な生地が魅せる漆黒の艶が、デウスの金髪の美しさをいっそう際立たせている。
伍はしばし、デウスの悪魔的な美丈夫ぶりに目を奪われた。
だが、それはデウスも同じのようだった。
デウスは伍の顔を見て、全身を上から下までじっくりと見て、それから伍の顔に視線を戻した。
デウスの顔が、みるみるうちに真っ赤になっていく。
「へ、変でしょうか?」
「変じゃないっ」
興奮からか、デウスの声がうわずっている。
「綺麗だ、伍。すごく、すごく綺麗だ。あぁもう、語彙が浮かばない。【オン・アハラシャノウ――」
「ちょちょちょっ、そんなことのために脳に負担をかけないでくださいっ」
術をかけようとするデウスの手を、伍が握った。
デウスが雷に撃たれたみたいにビクリとなり、飛び退いた。
「……旦那様?」
「ち、違うんだ。その、伍があまりにも可愛くて、あまりにも美しくて、でも、触れたら壊れてしまうような気がして」
「ふふっ。触れたくらいで壊れたりはしませんよ」
伍が再び、デウスの手を握る。
今度は握り返してくれた。
「でも、お化粧が崩れると困るので、霊力の受け渡しは控えましょうね」
「伍っ」
「うふふっ。その分、夜会のあとでたっぷり補給しましょうね」
「このっ。俺が弱っているからって、ここぞとばかりに意地悪を……はぁ、ようやく少し落ち着いた」
デウスが、真正面から伍を見据えてきた。
「分かっていると思うが、今夜、四季神冬姫と対決することになる。気を強く持ってくれ」
「……っ。はい」
伍は覚悟を決めた。
「そのうえで、事前に伍に共有しておきたい情報がある。――千代子」
「はいはい」
千代子が再び部屋に入ってきた。
「見せ合いっこは堪能できましたか、坊っちゃん?」
「千代子っ」
「はいはいはいはい。こちら、調査結果です」
千代子がテーブルの上に広げたのは、
「……四季神家の間取り図?」
「そのとおりだ」
間取りの至る所――というよりほぼ全体が、墨で黒く塗られている。
その墨が、伍には不吉なものに思われた。
「この墨は?」
「【洗脳】呪術の残滓が検出された地点を塗ったものだ」
「せんのう……【洗脳】呪術ですって!?」
「四季神冬姫が、【洗脳】呪術を使っているんだ。それも、常習的に」
「【洗脳】で他人の心を操るのは、法律で固く禁じられているはずです。確か、退魔師取締法で」
「そのとおりだ、伍は賢いな。そう、魔取法第二二二条違反。極刑もありうる重罪だ。冬姫は【洗脳】を混ぜた空気を、四季神家の住人に日常的に吸わせていたんだ。あいつの【洗脳】が混じった空気は、霊感を持つ者にはひどい臭いがしたはずだ」
「――ッ!?」
伍の中で、長年に渡って感じ続けてきた違和感のあれこれが、絵合わせのようにパチリパチリとはまっていった。
『……臭い』
一週間前、デパートメントストアで冬姫と対峙したときに、デウスが言った言葉だ。
あのときすでに、デウスは気づきはじめていたのだ。
「すまなかったな、伍。お前には、確たる証拠を手にしてから伝えるべきだと思ったんだ」
「井戸水にも高濃度の【洗脳】が溶け込まされていましたよ」
と、千代子の補足。
『愚図が食後の大事な時間を台無しにしてくれたから、アタシが代わりにお茶を入れにきてあげたのよ。感謝なさい』
『お茶を淹れてきます。大事なお話をするんですもの。お茶くらいないと』
『お父様、お茶です』
『伍を、処刑してくださらない?』
「――……」
伍は、寒気が止まらない。
あの姉は、使用人たちのみならず、実の父をすら操っていたのだ。
それも、空気、水、お茶といった生活に必須のものに【洗脳】呪術を染み込ませて。
「……あれ? 千代子様、どうやってお調べになったんですか? まさか、夜な夜な四季神邸へ押し入ったとか?」
「四季神冬姫は贅沢好きですから。出入りの呉服商に扮して家にお邪魔し、冬姫が商品に夢中になっている間に『厠を貸して』と席を外すだけのことです」
「ま、まさか千代子様が変装を!?」
「ふっふっふっ。実は私、阿ノ九多羅家直属の凄腕スパイでもあるんですよ」
Vサインの千代子。
伍は頼もしいやら滑稽やら、引きつり笑いが止まらない。
「伍、お前が度々感じていたであろう『臭い』は、けっしてお前の勘違いなんかじゃなかったんだ。冬姫はお前を虐げるために、お前だけは【洗脳】の対象から外していた。だから、お前だけが臭いを嗅いでいたんだ。つまり――」
『やはり、わたくしは忌み子……この臭いとともに、腐り落ちていくさだめなのね』
「呪いじゃなかったんだ。お前は、忌み子なんかじゃなかったんだよ!」
「っ……!」
伍は、目頭が熱くなった。
「忌み子というのは、冬姫が勝手に言っていたことに過ぎなかったんだ。より正確に言うなら、最初に言い出したのはお前の父だ。だが、お前の母の助命嘆願以降は、お前の父がお前を『忌み子』と呼ぶことはなかったそうだ。歴代の女中たちに聞き回った話だから、情報の確度は高い。
そもそも、お前は五女で、つまり第五の神である境様に仕えるべきれっきとした巫女だった。出涸らし巫女なんかじゃなかったんだ」
「そう……だったのですね。大変でしたでしょうに、調べてくださって、本当にありがとうございました。でも……」
声が震える。
「だとしたら、わたくしの人生はいったい何だったのでしょう。冬姫お姉様の思いつきに踊らされ、五年間も自分を責め続けて……」
喜びと悲しみ、安堵と虚しさ、開放感とやるせなさ。
正負の感情が交互に襲いかかってきて、伍は心がぐちゃぐちゃになる。
思わず、涙があふれそうに――
「泣いてはなりません!」
――ピシャリッ
と、千代子にたしなめられた。
「っ!?」
「せっかくのお化粧が崩れてしまいますから」
(あ、そういう……)
「それに」
千代子が伍の手を握ってくれた。
「失ってしまった分、これから何倍も何十倍も幸せになればよいだけの話ではありませんか。考えようによっては、伍様は辛く苦しい五年間を耐え抜いたからこそ、境様に出会い、こうしてデウス坊っちゃんに出逢うことができたとも言えるのですから」
「そう……ですねっ。そのとおりです。冬姫お姉様の『おかげ』で、わたくしは境様に拾い上げていただき、デウス様と出逢うことができたのです。感謝して『やらないと』ですねっ」
「ふふふっ。伍様も阿ノ九多羅家の悪辣さにだいぶ染まってきたようですねぇ」
「そ、そうですか?」
デウスが頭を撫でてくれた。
髪型を崩さないよう慎重に、けれど力強く。
「よい傾向だ。そうだぞ、伍。お前はもう、幸せになっていいんだ。そのための準備は、もう済んだ。お前がどれほど幸せになったのか、冬姫に見せつけに行くぞ」
「っ。はい!」
「最後に、もう一つ」
デウスの顔が憂いを帯びた。
「幸せな気分に水を差すようで悪いが、お前にもう一つ、伝えておかなければならないことがある」
「な、何でしょうか?」
「お前の母の死。その、真相についてだ」



