数日後、神戸随一のホテルである『オリヱンタルホテル』の会場控室にて。
「【洗脳】、【洗脳】……」
冬姫は夜会用の酒瓶一本一本に、丹精込めて霊力を流し込んでいた。
「【洗脳】、【洗脳】、【洗脳】っと」
流し込んでいるのは、冬姫の愛だ。
「伍には婚約者がいるのに、アタシにはいないだなんて。そんなの絶対に許せない。男たちを夢中にさせて、アタシに侍らせるの。うまくすれば、デウス様のお心だって勝ち取れるかも。うふっ、うふふ……」
液体や空気に【洗脳】呪術を染み込ませるのは、冬姫の得意技だ。
女中たちは言うに及ばず、あの父にすら通じた術だ。
上の姉たちには効かなかったが……三女が嫁いで出ていってからの五年間、冬姫の人生は絶頂期であり続けた。
唯一目障りだったのは、事あるごとに冬姫をたしなめようとする母だった。
だから冬姫は――。
「【洗脳】……あれ?」
急に、呪術が出てこなくなった。
「冬神様、さっさと出してよ。ホント、愚図なんだから。【洗脳】……えぇ? ちょっと、冬神様ってば。……あれ? この部屋、なんだか寒いわね」
当の冬神は、冬姫の背後にいた。
境と同じく小さな座敷童のような姿をした冬神が、深い深い絶望に包まれた表情で冬姫を見つめていた。
そして、冬姫の頭上には鋭利なつららが浮かんでいた。
冬姫の脳天から顎下までを貫けるに足るつららが。
冬神は、悩んでいた。
『良家の令息たちをたくさん呼びつけて、酒で【洗脳】して冬姫に求婚させる』――冬姫のそんな悪趣味かつ最低最悪な企みを、力尽くでも止めるべきかを。
【洗脳】呪術は禁忌。
露見したら、退魔師法違反で極刑もありえる。
四季神家の評判は地に落ち、家は没落の憂き目に遭うだろう。
冬姫には、冬神の声が届かない。霊力が足りないからだ。
だが、『お告げ』という形で冬姫の夢に現れるという方法なら実現可能だ。
冬神は冬姫をたしなめるため、何度も『お告げ』をしようと試みた。
が、駄目だった。
冬姫に、冬神に対する信仰心が全くないからである。
愛する四季神家のためを思うなら、今ここで冬姫を殺してしまうべきだ――。
冬神は、つららに力を込めた。
だが、
『ふゆかみさま、どうかわたくしをまもってくださいね』
冬神は、幼い少女のことを思い出した。
当時五歳だった雪華――冬姫の母の、無邪気な笑顔を。
そして、
『冬神様、どうか末永く、四季神家を守ってください』
十八となった雪華が結婚式の前夜に見せた、芯の通った笑顔を。
そして、
『冬神様、わたくしの娘たちを、どうか守ってください』
四女と五女を生む前夜の、壮絶な笑顔を。
「ちょっと聞いてるの、冬神様?」
冬神は、つららを消した。
つららを形作っていた水分が【洗脳】を帯び、酒瓶の中のワインと混ざり合う。
「うふふっ。【洗脳】、【洗脳】っと。伍と一緒にいた、あの冴えないガキも蒐集物に加えてやろうかしら。……あれ? そもそもあのガキって何なのかしら? まぁ、親戚とか使用人の子とかでしょうね。ふふふ~んっ」
冬神の静かな怒りにまったく気づかないまま、冬姫は愚かな企みに邁進するのだった。
◆ ◇ ◆ ◇
「【洗脳】、【洗脳】……」
冬姫は夜会用の酒瓶一本一本に、丹精込めて霊力を流し込んでいた。
「【洗脳】、【洗脳】、【洗脳】っと」
流し込んでいるのは、冬姫の愛だ。
「伍には婚約者がいるのに、アタシにはいないだなんて。そんなの絶対に許せない。男たちを夢中にさせて、アタシに侍らせるの。うまくすれば、デウス様のお心だって勝ち取れるかも。うふっ、うふふ……」
液体や空気に【洗脳】呪術を染み込ませるのは、冬姫の得意技だ。
女中たちは言うに及ばず、あの父にすら通じた術だ。
上の姉たちには効かなかったが……三女が嫁いで出ていってからの五年間、冬姫の人生は絶頂期であり続けた。
唯一目障りだったのは、事あるごとに冬姫をたしなめようとする母だった。
だから冬姫は――。
「【洗脳】……あれ?」
急に、呪術が出てこなくなった。
「冬神様、さっさと出してよ。ホント、愚図なんだから。【洗脳】……えぇ? ちょっと、冬神様ってば。……あれ? この部屋、なんだか寒いわね」
当の冬神は、冬姫の背後にいた。
境と同じく小さな座敷童のような姿をした冬神が、深い深い絶望に包まれた表情で冬姫を見つめていた。
そして、冬姫の頭上には鋭利なつららが浮かんでいた。
冬姫の脳天から顎下までを貫けるに足るつららが。
冬神は、悩んでいた。
『良家の令息たちをたくさん呼びつけて、酒で【洗脳】して冬姫に求婚させる』――冬姫のそんな悪趣味かつ最低最悪な企みを、力尽くでも止めるべきかを。
【洗脳】呪術は禁忌。
露見したら、退魔師法違反で極刑もありえる。
四季神家の評判は地に落ち、家は没落の憂き目に遭うだろう。
冬姫には、冬神の声が届かない。霊力が足りないからだ。
だが、『お告げ』という形で冬姫の夢に現れるという方法なら実現可能だ。
冬神は冬姫をたしなめるため、何度も『お告げ』をしようと試みた。
が、駄目だった。
冬姫に、冬神に対する信仰心が全くないからである。
愛する四季神家のためを思うなら、今ここで冬姫を殺してしまうべきだ――。
冬神は、つららに力を込めた。
だが、
『ふゆかみさま、どうかわたくしをまもってくださいね』
冬神は、幼い少女のことを思い出した。
当時五歳だった雪華――冬姫の母の、無邪気な笑顔を。
そして、
『冬神様、どうか末永く、四季神家を守ってください』
十八となった雪華が結婚式の前夜に見せた、芯の通った笑顔を。
そして、
『冬神様、わたくしの娘たちを、どうか守ってください』
四女と五女を生む前夜の、壮絶な笑顔を。
「ちょっと聞いてるの、冬神様?」
冬神は、つららを消した。
つららを形作っていた水分が【洗脳】を帯び、酒瓶の中のワインと混ざり合う。
「うふふっ。【洗脳】、【洗脳】っと。伍と一緒にいた、あの冴えないガキも蒐集物に加えてやろうかしら。……あれ? そもそもあのガキって何なのかしら? まぁ、親戚とか使用人の子とかでしょうね。ふふふ~んっ」
冬神の静かな怒りにまったく気づかないまま、冬姫は愚かな企みに邁進するのだった。
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