「もう大丈夫だ」
凛々しい声が聴こえた。声変わり前でありながらも、低く落ち着いた声が。
「旦那様!」
目を開くと、デウスの背中があった。
冬姫から伍を守るために、デウスが割って入ってくれたのだ。
デウスが後ろ手に、伍の丹田に触れた。
とたん、伍は全身がすっと軽くなった。
言語化できない不快感が消え、気持ちが安らいだ。
「よく頑張ったな、伍」
伍は泣きたくなるほど安心した。
(なんてことだろう。わたくしより八つも年下なのに、なんて大きな背中)
「えっ、デウス様ですって!?」
だが、伍の地獄はまだ終わっていなかった。
冬姫がデウスの姿を捜して、キョロキョロとしだしたからだ。
しばらく辺りを捜したあと、冬姫はようやく、目の前に立っている少年のことに気づいたようだ。
「ところで、何、このガキ?」
(そうか。旦那様のお顔には、【認識阻害】の術式が掛かっている。わたくし以外には、平凡な日本男児のお顔に見えるのだったわね。この場は上手く切り抜けるべきね。だって、旦那様が十歳児だとバレてしまった日には――)
阿ノ九多羅家当主にして第七旅団長の阿ノ九多羅デウスが十歳児であることは、国家機密なのだ。
だが、当のデウスは未成熟な精神と怒りのせいで、そのことを忘れかけているようだった。
「何だと!? 礼儀のなっていない奴だな。俺こそが――もがっ」
伍は背後から、デウスの口をふさいだ。
それからデウスの耳元で、
『抑えて、抑えて。今の旦那様は十歳のお姿です』
と囁いた。
デウスがハッとなった様子で、
『そ、そうだった。こいつ口が軽そうだし、バレたら大変だ。グッジョブだぞ、伍』
『ぐっじょ……? が何かは分かりませんが、お役に立てて何よりです』
「ところで、四季神冬姫」
デウスが冬姫を睨み上げる。威厳のある声色で、
「その耳飾りは、阿ノ九多羅家の資産なのだが?」
「なっ、アタシこそが阿ノ九多羅家の婚約者に――デウス様の嫁になるはずだったのよ? だったらこれは、アタシのモノになるべきじゃない」
「何を言っている? 阿ノ九多羅家が、お前のようなふざけた女を娶るはずがないだろう」
「何なのよ、アンタっ。いきなり現れたかと思えば、意味分かんないことばかり言って」
「その耳飾りは阿ノ九多羅家の資産だ、と言っている。巡査を呼ばれたいのか?」
「なっ、なっ、なっ……」
顔を真っ赤にした冬姫が、紅玉の耳飾りを外した。そして、
「要らないわよ、こんな物!」
あろうことか、デウス目がけて投げつけてきた。
「――ッ!」
伍は一瞬、沸騰しかけた。
が、デウスが難なく受け止めたので、怒りを飲み込んだ。
デウスを抱きしめる腕に、力がこもる。
「ぷっ……ふふふっ、無様なものね、伍。アンタ、それじゃまるで子守りじゃないの」
冬姫が笑う。
つられて女中たちも笑い出す。
「いい気味ね、伍。せっかくデパートメントストアにまで出てきているのに、着ているものといえば部屋着のような地味なお着物。まるで、子守りを任された女中ね。そうは思わない?」
――ぶわっ
と、いつもの臭いが強くなった。
――クスクス
――クスクス
女中たちの笑い声。
いや、女中たちだけではない。
店内にいる客たちが、伍とデウスに蔑みの視線を向けている。
――何だあれは、名家のお坊ちゃんが夫婦ごっこか?
――なんと滑稽な。夫婦というより母子だな。
――あれでは、男のほうが成人する頃には、女はいくつになっていることやら。
「……っ」
伍の額に冷や汗が浮かぶ。
(四季神家と同じ空気だ。それに、この臭い。忌み子の呪い。わたくしの人生に、どこまでもつきまとう――あれ? でも、それは冬姫お姉様の思いつきに過ぎなかったのでは?)
「……臭い」
そのとき、デウスがそう言った。
伍は、『青天の霹靂か』と思わんばかりの衝撃を受けた。
なぜなら、伍は今まで――この五年もの間ずっとずっとずぅっと、この臭いを『自分しか嗅ぐことのない不吉な臭い』だと認識していたからだ。
「行くぞ、伍」
「は、はいっ」
デウスに手を引かれ、伍は不気味な空間を後にした。
◆ ◇ ◆ ◇
凛々しい声が聴こえた。声変わり前でありながらも、低く落ち着いた声が。
「旦那様!」
目を開くと、デウスの背中があった。
冬姫から伍を守るために、デウスが割って入ってくれたのだ。
デウスが後ろ手に、伍の丹田に触れた。
とたん、伍は全身がすっと軽くなった。
言語化できない不快感が消え、気持ちが安らいだ。
「よく頑張ったな、伍」
伍は泣きたくなるほど安心した。
(なんてことだろう。わたくしより八つも年下なのに、なんて大きな背中)
「えっ、デウス様ですって!?」
だが、伍の地獄はまだ終わっていなかった。
冬姫がデウスの姿を捜して、キョロキョロとしだしたからだ。
しばらく辺りを捜したあと、冬姫はようやく、目の前に立っている少年のことに気づいたようだ。
「ところで、何、このガキ?」
(そうか。旦那様のお顔には、【認識阻害】の術式が掛かっている。わたくし以外には、平凡な日本男児のお顔に見えるのだったわね。この場は上手く切り抜けるべきね。だって、旦那様が十歳児だとバレてしまった日には――)
阿ノ九多羅家当主にして第七旅団長の阿ノ九多羅デウスが十歳児であることは、国家機密なのだ。
だが、当のデウスは未成熟な精神と怒りのせいで、そのことを忘れかけているようだった。
「何だと!? 礼儀のなっていない奴だな。俺こそが――もがっ」
伍は背後から、デウスの口をふさいだ。
それからデウスの耳元で、
『抑えて、抑えて。今の旦那様は十歳のお姿です』
と囁いた。
デウスがハッとなった様子で、
『そ、そうだった。こいつ口が軽そうだし、バレたら大変だ。グッジョブだぞ、伍』
『ぐっじょ……? が何かは分かりませんが、お役に立てて何よりです』
「ところで、四季神冬姫」
デウスが冬姫を睨み上げる。威厳のある声色で、
「その耳飾りは、阿ノ九多羅家の資産なのだが?」
「なっ、アタシこそが阿ノ九多羅家の婚約者に――デウス様の嫁になるはずだったのよ? だったらこれは、アタシのモノになるべきじゃない」
「何を言っている? 阿ノ九多羅家が、お前のようなふざけた女を娶るはずがないだろう」
「何なのよ、アンタっ。いきなり現れたかと思えば、意味分かんないことばかり言って」
「その耳飾りは阿ノ九多羅家の資産だ、と言っている。巡査を呼ばれたいのか?」
「なっ、なっ、なっ……」
顔を真っ赤にした冬姫が、紅玉の耳飾りを外した。そして、
「要らないわよ、こんな物!」
あろうことか、デウス目がけて投げつけてきた。
「――ッ!」
伍は一瞬、沸騰しかけた。
が、デウスが難なく受け止めたので、怒りを飲み込んだ。
デウスを抱きしめる腕に、力がこもる。
「ぷっ……ふふふっ、無様なものね、伍。アンタ、それじゃまるで子守りじゃないの」
冬姫が笑う。
つられて女中たちも笑い出す。
「いい気味ね、伍。せっかくデパートメントストアにまで出てきているのに、着ているものといえば部屋着のような地味なお着物。まるで、子守りを任された女中ね。そうは思わない?」
――ぶわっ
と、いつもの臭いが強くなった。
――クスクス
――クスクス
女中たちの笑い声。
いや、女中たちだけではない。
店内にいる客たちが、伍とデウスに蔑みの視線を向けている。
――何だあれは、名家のお坊ちゃんが夫婦ごっこか?
――なんと滑稽な。夫婦というより母子だな。
――あれでは、男のほうが成人する頃には、女はいくつになっていることやら。
「……っ」
伍の額に冷や汗が浮かぶ。
(四季神家と同じ空気だ。それに、この臭い。忌み子の呪い。わたくしの人生に、どこまでもつきまとう――あれ? でも、それは冬姫お姉様の思いつきに過ぎなかったのでは?)
「……臭い」
そのとき、デウスがそう言った。
伍は、『青天の霹靂か』と思わんばかりの衝撃を受けた。
なぜなら、伍は今まで――この五年もの間ずっとずっとずぅっと、この臭いを『自分しか嗅ぐことのない不吉な臭い』だと認識していたからだ。
「行くぞ、伍」
「は、はいっ」
デウスに手を引かれ、伍は不気味な空間を後にした。
◆ ◇ ◆ ◇



