四季神家の【五】女は年下夢魔軍神に溺愛される

 あれから何度も池をさらったが、櫛を見つけることはできなかった。

「古井戸の掃除をなさい、(いつつ)

 無気力な日々が続いていたある日、伍は冬姫(ふゆき)にそう命じられた。
 その顔には、残忍な笑みが張り付いている。

「……はい」

 嫌な予感がしたが、断れるはずもない。
 十月にしてはずいぶんと寒いその日、伍は一人ではしごを運び、四季神家の敷地の片隅にある古井戸へと降りていった。

「寒い……」

 古井戸の底はいっそう冷え込んだ。
 井戸は完全に乾いている。
 ゴミ捨て場にされているのか、古びた像やら小物やらがうず高く積み上げられている。

(これを、片付ける。どうやって? 何のために? ……いいえ、考えては駄目よ、伍。仕事を、食い扶持を与えてもらえているだけありがたいことなのだから)

 そう考えて奮起した伍は、ふと振り返り、はしごがなくなっていることに気づいた。

「えっ!?」

 慌てて見上げると、女中たちがはしごを引き上げているところだった。

「ま、待ってくださいっ。まだ中に人が――」
「あらあら、どうして古井戸の蓋が開いているのかしら?」

 伍の叫びを打ち消すように、冬姫の声が降ってきた。

「獣や虫が入り込んでは困るから、蓋を閉めておきなさい」

 ――分かりました、お嬢様。
   ――獣が入っては大変ですものね。
      ――クスクス
        ――クスクス

 女中たちが、石蓋を閉めてしまった。
 本当に、一部の隙もなく閉じてしまったのだ。重い石蓋を、だ。

「そ、そんな……」

 とたん、真っ暗闇とすさまじい恐怖が伍に襲いかかってきた。

 ――カサカサ
   ――カサカサ

 底冷えする古井戸の底に、何かが潜んでいる。
 その何かが、伍の足の上を走った。

「ひっ」

 細く長い何か。
 虫だ。恐らくは、ムカデのような。
 それも、一匹や二匹ではない。

(まさか……いえ、いくら冬姫お姉様でも、そこまでは)

 ――カサカサ
   ――カサカサ

 耳元でも、音。
 そして、足の上を這い回る複数の感触。
 ムカデには毒がある。
 恐怖と嫌悪感で、伍は気が狂いそうになった。

「出して! 出してください! お願いっ、お願いだからぁっ!」

 伍は叫ぶ。が、石蓋は動かない。
 何か助けになるものはないか。武器になるものは。
 そう思って、伍は遮二無二(しゃにむに)手を伸ばす。
 指先が虫に触れ、泣き叫びそうになる。
 それでも救いを求めて伸ばした指先に、ほのかに温かい何かが触れた。




『てめぇ、四季神家の娘か?』




 触れたのは、古びた石像だった。
 その石像が、ほのかに光を放っていた。

「……え? は、はい」
『ほほう。何番目だ? 長女か、次女か、三女か、四女か、それとも――』
「ご、五女です」
『ほほう!』

 光がいっそう強くなった。
 と同時、伍は腹の奥――へその下にある『丹田(たんでん)』と呼ばれる臓器に、底知れぬ力を感じた。
 力とは、『霊力』のことだ。
 丹田とは、巫女や退魔師のような術師が霊力を生み出す臓器のことである。

『五女か! 俺様は、四季神家を守護する五番目の神――季節の変わり目を司る神、(さかい)様だ。俺様がお前に力を授けてやろう』
「えっ、えっ? それってどういう――」
『ほほう。鎌倉、足利、織豊、徳川、明治と来て大正か。俺様が眠りこけている間に、ずいぶんとまぁ時代が移ろったもんだな』

 伍は理解が追いつかない。
 さっきから、腹の奥が熱い。
 生まれ落ちて十八年。
 ついぞ感じたことのない、強烈な霊力を丹田と全身に感じているのだ。

『俺様はな、お前らが「平安時代」と呼んでいる時代以来、四季神家に忘れ去られていたのさ。他の四神たちはずいぶんと酷使されて霊力がカラッカラのようだが、千年以上も霊力を溜め込んでいる俺様は、違う。さぁ、お前さんに与えられた無量の霊力でもって、お前さんは何を望む?』

(わ、わたくしの望み? 今はとにかく――)

 この、虫と暗闇が支配する空間からの脱却だ。




 そう願った瞬間、奇跡が起こった。
 とてつもない突風が巻き起こり、石蓋を、虫たちを、砂埃を、すべてを吹き飛ばしてしまったのだ。




 四季神(しきじん)(いつつ)、十八歳。
 虐げられ続けてきたこの娘が、生まれて初めて万能感を覚えた、その瞬間だった。




   ◆   ◇   ◆   ◇