四季神家の【五】女は年下夢魔軍神に溺愛される

(こんなとき、お母様がいてくれれば……)

 冬姫(ふゆき)が去ったあと、一人で台所を片付けながら、(いつつ)は思い悩んでいた。
 広大な四季神家の掃除はすべて、伍の仕事だ。
 伍は眠る時間を削って働いているが、片付くどころかますます散らかり、汚れるばかり。
 冬姫がわざと汚すからだ。
 冬姫が行為を改めるか、もしくは女中たちを掃除に当ててくれれば、事態は改善するのに。
 生来、献身的で自罰的な伍は、四季神家にこれだけ虐げられていてもなお、自分の仕事を満足に果たせずにいることを悔やんでいた。

 母が生きていたころは、母が冬姫を諭したり、女中たちを差配してくれていた。
 さらにそれより以前、上の姉たちが家にいたころは、冬姫も今ほど横暴ではなかった。
 だが、上の姉たちはみな嫁いでしまい、何より四季神の巫女として全国を忙しく飛び回っているので、文を書くのもはばかられる。

(いえ、そもそも何を相談するというの? わたくしは、忌み子。生まれるべきではなかった、五女。今の扱いこそが、本来の姿だというのに)

『ごめんね、伍……』

 伍は、母の優しい声を思い出す。

『ちゃんとした子として生んであげられなくて、ごめんなさい。あなたを巫女にしてあげることはできない。けれど、せめて私だけは、あなたの味方ですからね』

 伍は本来、生まれてすぐに殺されるはずだった。父がその決めたのだ。
 だが、母が必死に抵抗してくれたのだそうだ。
 結果、伍は世間から隠される形で生存を許された。
 だが、ちゃんとした名を与えられることまでは許されなかった。
 結果、伍は単なる五女――『(いつつ)』と名付けられた。

『ごめんね、伍。いいえ、御幸(みゆき)。私の可愛い娘』

 だから母は、二人きりのときにこっそりと、伍のことを別の名で呼んでくれた。
 つらい身の上でも、せめて最低限の幸あれ……そのような願いを込めて、『御幸』と。
 また、取り上げられる順番が違ったら冬神の巫女になっていたかもしれない伍のために、『深雪(みゆき)』という意味も忍ばせていた。

 伍は、優しい母が大好きだった。
 娘扱いされず、女中として幼いころから働かされていたが、母がいるからつらくはなかった。
 だが、それももう……。

 伍は屋根裏の自室に戻り、ひびの入った鏡を覗き込む。
 この箱鏡台は、ありとあらゆるものを冬姫に奪われたり壊されたりしてきた中で、

『あんまりにもみすぼらしいから、要らない』

 という理由で伍の手元に残された大事な財産なのだ。

 鏡に映るのは、母譲りの目鼻立ちがはっきりとした顔立ち。
 あの恐ろしくも美しい姉・冬姫と同じ顔だ。
 だが、長年の重労働と寝不足と栄養失調のせいで、頬はこけ、目の下にはひどい隈が広がっている。
 髪もボサボサだ。先ほど冬姫に頬を張られて転んだときに、髪が解けたのだ。

(せめて、身だしなみだけでも……)

 伍は箱鏡台の引き出しから櫛を取り出す。
 母がこっそりと贈ってくれた、伍の宝物である。
 伍は薄暗い部屋の中、櫛に刻まれた『御幸』の文字をなぞる。
 母との思い出があるからこそ、伍は今もこの家で頑張れているのだ。

「こんな古臭いの、要らない!」

 髪を整えていると、下から冬姫の声が聴こえてきた。

「ねぇお父様、流行りの薔薇やチューリップの柄物が欲しいのだけれど」

 降りてみると、冬姫が廊下へ着物を投げ捨てているところだった。
 上等な絹で仕立てられた、矢絣柄や花柄の着物。伍が欲しくても絶対に手の届かない代物の数々だ。

「馬鹿を言うな、冬姫。すでに、他の護国十家から借金をしているような有様なのだぞ。それらの服で我慢しなさい」

 珍しく、父が冬姫を諭している。

「借金なんて踏み倒してしまえばいいのよ。他の九家なんて、どこも役立たずばかりなんだから。護国も豊穣も、我が四季神家に頼りっきりなんでしょう? ほら、没落著しい家があるじゃない。確か九番目の、阿ノ九多羅(あのくたら)って家」
「冬姫、いい加減、我がままを言うのは――」
「お願いっ、お父様」

 ――ぶわっ

 再び、例の嫌な臭いが伍の鼻を突いた。

「……分かった。今度、買ってやろう」

 父がそう言って、去っていった。

(あぁ、これでまた借金が増えてしまうのね。お金のことは女のわたくしには分からないけれど、よくないということだけは分かるわ)

 投げ捨てられた着物を畳もうと、伍はしゃがみ込む。
 すると、懐から名入りの櫛が転がり落ちてきた。
 慌てて降りてきたので、持ってきてしまったのだ。

「なぁに、その櫛?」
「ひっ……」

 恐る恐る顔を上げてみれば、冬姫が鬼の形相で伍を見下ろしていた。

「ずいぶんと上等な櫛じゃない。出涸らしのアンタにはもったいないくらいね」

 冬姫が櫛を拾い上げる。
 伍は、怖くて声も出せない。

「この名前……御幸? あぁ、お母様がアンタのことをこっそり呼んでいた、あの?」

 冬姫が大きく振りかぶり、櫛を――母の形見を床に叩きつけた。

「あぁっ」

 櫛が欠けた。
 冬姫がさらに、櫛を踏みにじる。

「何を勘違いしているの、伍? アンタは伍、名無しの五女! 仕えるべき神を持たない出涸らし。本来、生まれてくるはずじゃなかった忌み子なのよ。それが、こんな人間の振りみたいなことをして、気持ち悪いったらないわ」

 冬姫が櫛を拾い上げ、庭の池に投げ捨てた。

「……何、その目?」
「い、いえっ……申し訳ありません」

 こうして伍は、母との最後のつながりすら失ってしまったのだった。




   ◆   ◇   ◆   ◇