「さて、話はこの地図に戻る」
デウスが神戸港を指し示す。
「神戸港には、日夜多数の輸入品や到来人がやって来る。西洋アヤカシたちは、そんな物や人に取り憑いて、神戸にこっそり侵攻しようとしているんだ」
「そ、そんなっ」
「安心しろ。西洋アヤカシに好き勝手させないために、俺たち第七旅団がいる。旅団の隊員たちが物や人を検疫し、港や街を警邏することで、西洋アヤカシの浸透を防いでいる」
「第七旅団の皆様のおかげで、神戸の平和は保たれているのですね」
「今まではそうだったんだ。だが……」
大人たちの表情が暗くなる。
「三ヵ月前、状況が一変した。海の向こうから、悪しき赤竜こと『レッドドラゴン』が現れたんだ」
「れっどどらごん?」
「乙種悪魔――つまり、神戸の滅亡すらありえる災害級の強敵だ」
「そんな……」
「俺たちは、レッドドラゴンから神戸を守ることには成功した。だが、奴を倒しきれなかったんだ。奴は逃げのび、淡路島の離島に立てこもってしまった」
「えっ、淡路島の方々は大丈夫なのですか!?」
「伍は優しいな。安心しろ、大丈夫だ。日本が誇る最強結界――【鎖国結界】で守られているからな。だが、海上はそうもいかない。結果、レッドドラゴンが淡路島・神戸港間の海上輸送を脅かすようになってしまった」
「それでは、淡路島の方々が餓えてしまいますっ」
「いや、淡路島は豊かな土壌を有する土地だから、自給自足が可能だ」
「ほっ……それはよかったです」
「だが、問題がある。大問題がな」
デウスが眉間にシワを寄せる。
「大問題……? それは?」
「カネボウの紡績製品が輸出できずにいることだ」
「カネボウ?」
「鐘淵紡績株式会社。世界屈指の紡績企業であり、日本の外貨獲得の要。つまるところ、日本の生命線だ」
「…………? 申し訳ございません、わたくしにはよく分かりません」
「悪い、少し難しかったな」
デウスが再び、頭をなでてくれた。
伍は、心地よい。
「日本には、莫大な借金があるんだ。日露戦役時代、日本は超大国ロシア相手によく戦い、ついには勝利をつかみ取った。だがその勝利は多額の借金あってのものだったんだ。陸軍将兵のために銃砲や弾薬を用意するのにも、海軍のために艦艇を購入するのにも、とんでもない量のお金が必要だった。
イギリス、アメリカ、フランス、ドイツ……日本は世界中から借金した。その返済が滞ってしまったら、日本は清やオスマントルコの二の舞だ。『借金のカタ』として神戸を始めとする五大港は九十九年間租借され、鉄道その他の様々な利権は列強各国にむしり取られることになるだろう。
つまり、国家主権の喪失だ。特にイギリスは、金がある相手には優しいが、金のない相手には血も涙もないからな」
「こっかしゅけん……?」
「早い話が、日本が滅ぶということさ」
「大変じゃないですか!」
「大変なんだよ。はぁ……」
伍は胸が締めつけられる。
(中将様とはいっても、まだ二十歳そこそこ。そんな若さでそれほどの重責を背負っておられるなんて……少しでもお力になれないかしら!?)
「大丈夫ですよ、坊っちゃん」
伊ノ上少将がデウスの背中をバシンッと叩いた。
「要は、レッドドラゴンを倒してしまえばよいのですから。そのために、伍様にお越しいただいたのでしょう?」
「巌!」
デウスが慌てた様子で、
「その話はまだ――」
「いずれは話さねばならんでしょうに」
「だとしても、だ! 伍はまだ、ここへ連れてこられて二日と経っていないんだぞ!?」
「経っているではありませんか」
「経っていない。まだ二十四時間経っていない」
「あっはっはっ! 刻みますなぁ、坊っちゃん」
「笑い事ではないんだぞ、まったく……伍」
デウスが伍に向き直った。
「あとで、話がある。大事な、大事な話なんだ」
「は、はい」
伍はなんだか不安になる。
『心配せずとも、坊っちゃんは伍様を捨てたりはしませんよ』
(千代子様は、そうおっしゃってくださった。けれどわたくしは未だ、同じお言葉をデウス様からは頂けていない。もし、『大事な話』というのがそのことに関するお話だったら?)
伍の中で、不安が膨らんでいく。
(そもそも、デウス様はなぜ、わたくしをお選びくださったのだろう? なぜ、こんなわたくしに優しくしてくださるのだろう?)
有形無形にかかわらず、伍はデウスからたくさんのものをもらった。
伍は、『自分にはそんなに厚遇してもらえるほどの価値などない』と考えている。
だから、デウスが優しくしてくれればくれるほど、一抹の不安がチクリチクリと胸を刺すのだ。
(……いえ、本当は分かっている。目を背けては駄目よ、伍。『そのために』と伊ノ上少将様はおっしゃった。『レッドドラゴンを倒すために』と。きっと、今夜のいくさで境様の無量の霊力が必要になるんだわ。だとすると――)
伍の顔から血の気が引いていく。
(レッドドラゴンを祓うことに成功したそのとき、わたくしはお役御免になってしまう! わたくしはきっと、四季神家に戻されてしまう……役目を終えたわたくしを、こんな貧相で無愛想な忌み子を、いつまでもお家に置いておく理由がないもの)
そのとき、部屋に年若い兵士が飛び込んできた。
「伝令! 伝令です!」
伝令兵がデウスに紙片を手渡す。
紙片を読んだデウスが、獰猛な笑みを浮かべた。
「十月大将閣下がやってくださった!」
「中将閣下、内容をお聞きしても?」
伊ノ上少将の問いに、デウスがうなずく。
「一時間前、淡路島の離島――その最後の一つに、【鎖国結界】が敷設されたんだ。数週間に及ぶ大規模作戦を、大将閣下がついに達成なさったのさ。これにより、レッドドラゴンは潜伏場所を完全に失った。破れかぶれになった奴は、高確率でここへ襲撃にくるだろう」
「おおいくさですな! 直ちに全連隊を戦闘配置につかせます!」
第七旅団長室が沸く。
その熱狂が、伍は少し怖い。
「あ、あの……デウス様?」
「伍、今夜、神戸で大規模な戦闘が発生する。だが、安心しろ。この建物には強力な結界が張られている。レッドドラゴンのブレスの直撃を受けたって、びくともしないからな」
「わたくしのことはよいのです。ですが、デウス様は?」
「俺は、最前線でレッドドラゴンと戦う。なぁに、心配するな。そのための準備は、もう整っている。伍、お前はこの家で、安心して待っていればいい」
デウスの言う『大事な話』、
自身の今後、
デウスの安否。
様々な不安が、伍の心をかき乱すのだった。
◆ ◇ ◆ ◇
デウスが神戸港を指し示す。
「神戸港には、日夜多数の輸入品や到来人がやって来る。西洋アヤカシたちは、そんな物や人に取り憑いて、神戸にこっそり侵攻しようとしているんだ」
「そ、そんなっ」
「安心しろ。西洋アヤカシに好き勝手させないために、俺たち第七旅団がいる。旅団の隊員たちが物や人を検疫し、港や街を警邏することで、西洋アヤカシの浸透を防いでいる」
「第七旅団の皆様のおかげで、神戸の平和は保たれているのですね」
「今まではそうだったんだ。だが……」
大人たちの表情が暗くなる。
「三ヵ月前、状況が一変した。海の向こうから、悪しき赤竜こと『レッドドラゴン』が現れたんだ」
「れっどどらごん?」
「乙種悪魔――つまり、神戸の滅亡すらありえる災害級の強敵だ」
「そんな……」
「俺たちは、レッドドラゴンから神戸を守ることには成功した。だが、奴を倒しきれなかったんだ。奴は逃げのび、淡路島の離島に立てこもってしまった」
「えっ、淡路島の方々は大丈夫なのですか!?」
「伍は優しいな。安心しろ、大丈夫だ。日本が誇る最強結界――【鎖国結界】で守られているからな。だが、海上はそうもいかない。結果、レッドドラゴンが淡路島・神戸港間の海上輸送を脅かすようになってしまった」
「それでは、淡路島の方々が餓えてしまいますっ」
「いや、淡路島は豊かな土壌を有する土地だから、自給自足が可能だ」
「ほっ……それはよかったです」
「だが、問題がある。大問題がな」
デウスが眉間にシワを寄せる。
「大問題……? それは?」
「カネボウの紡績製品が輸出できずにいることだ」
「カネボウ?」
「鐘淵紡績株式会社。世界屈指の紡績企業であり、日本の外貨獲得の要。つまるところ、日本の生命線だ」
「…………? 申し訳ございません、わたくしにはよく分かりません」
「悪い、少し難しかったな」
デウスが再び、頭をなでてくれた。
伍は、心地よい。
「日本には、莫大な借金があるんだ。日露戦役時代、日本は超大国ロシア相手によく戦い、ついには勝利をつかみ取った。だがその勝利は多額の借金あってのものだったんだ。陸軍将兵のために銃砲や弾薬を用意するのにも、海軍のために艦艇を購入するのにも、とんでもない量のお金が必要だった。
イギリス、アメリカ、フランス、ドイツ……日本は世界中から借金した。その返済が滞ってしまったら、日本は清やオスマントルコの二の舞だ。『借金のカタ』として神戸を始めとする五大港は九十九年間租借され、鉄道その他の様々な利権は列強各国にむしり取られることになるだろう。
つまり、国家主権の喪失だ。特にイギリスは、金がある相手には優しいが、金のない相手には血も涙もないからな」
「こっかしゅけん……?」
「早い話が、日本が滅ぶということさ」
「大変じゃないですか!」
「大変なんだよ。はぁ……」
伍は胸が締めつけられる。
(中将様とはいっても、まだ二十歳そこそこ。そんな若さでそれほどの重責を背負っておられるなんて……少しでもお力になれないかしら!?)
「大丈夫ですよ、坊っちゃん」
伊ノ上少将がデウスの背中をバシンッと叩いた。
「要は、レッドドラゴンを倒してしまえばよいのですから。そのために、伍様にお越しいただいたのでしょう?」
「巌!」
デウスが慌てた様子で、
「その話はまだ――」
「いずれは話さねばならんでしょうに」
「だとしても、だ! 伍はまだ、ここへ連れてこられて二日と経っていないんだぞ!?」
「経っているではありませんか」
「経っていない。まだ二十四時間経っていない」
「あっはっはっ! 刻みますなぁ、坊っちゃん」
「笑い事ではないんだぞ、まったく……伍」
デウスが伍に向き直った。
「あとで、話がある。大事な、大事な話なんだ」
「は、はい」
伍はなんだか不安になる。
『心配せずとも、坊っちゃんは伍様を捨てたりはしませんよ』
(千代子様は、そうおっしゃってくださった。けれどわたくしは未だ、同じお言葉をデウス様からは頂けていない。もし、『大事な話』というのがそのことに関するお話だったら?)
伍の中で、不安が膨らんでいく。
(そもそも、デウス様はなぜ、わたくしをお選びくださったのだろう? なぜ、こんなわたくしに優しくしてくださるのだろう?)
有形無形にかかわらず、伍はデウスからたくさんのものをもらった。
伍は、『自分にはそんなに厚遇してもらえるほどの価値などない』と考えている。
だから、デウスが優しくしてくれればくれるほど、一抹の不安がチクリチクリと胸を刺すのだ。
(……いえ、本当は分かっている。目を背けては駄目よ、伍。『そのために』と伊ノ上少将様はおっしゃった。『レッドドラゴンを倒すために』と。きっと、今夜のいくさで境様の無量の霊力が必要になるんだわ。だとすると――)
伍の顔から血の気が引いていく。
(レッドドラゴンを祓うことに成功したそのとき、わたくしはお役御免になってしまう! わたくしはきっと、四季神家に戻されてしまう……役目を終えたわたくしを、こんな貧相で無愛想な忌み子を、いつまでもお家に置いておく理由がないもの)
そのとき、部屋に年若い兵士が飛び込んできた。
「伝令! 伝令です!」
伝令兵がデウスに紙片を手渡す。
紙片を読んだデウスが、獰猛な笑みを浮かべた。
「十月大将閣下がやってくださった!」
「中将閣下、内容をお聞きしても?」
伊ノ上少将の問いに、デウスがうなずく。
「一時間前、淡路島の離島――その最後の一つに、【鎖国結界】が敷設されたんだ。数週間に及ぶ大規模作戦を、大将閣下がついに達成なさったのさ。これにより、レッドドラゴンは潜伏場所を完全に失った。破れかぶれになった奴は、高確率でここへ襲撃にくるだろう」
「おおいくさですな! 直ちに全連隊を戦闘配置につかせます!」
第七旅団長室が沸く。
その熱狂が、伍は少し怖い。
「あ、あの……デウス様?」
「伍、今夜、神戸で大規模な戦闘が発生する。だが、安心しろ。この建物には強力な結界が張られている。レッドドラゴンのブレスの直撃を受けたって、びくともしないからな」
「わたくしのことはよいのです。ですが、デウス様は?」
「俺は、最前線でレッドドラゴンと戦う。なぁに、心配するな。そのための準備は、もう整っている。伍、お前はこの家で、安心して待っていればいい」
デウスの言う『大事な話』、
自身の今後、
デウスの安否。
様々な不安が、伍の心をかき乱すのだった。
◆ ◇ ◆ ◇



