四季神家の【五】女は年下夢魔軍神に溺愛される

 時は再び遡る。
 (いつつ)が覚醒を果たした直後まで。




   ◆   ◇   ◆   ◇




「……は?」

 四季(しき)(じん)家の四女、冬神の巫女の冬姫(ふゆき)は、呆然となった。
 古井戸の重い石蓋が、軽々と空に舞い上がったからだ。

「ひっ」

 石蓋が目の前に落ちてきて、冬姫は尻もちをついてしまった。

 生意気にも、(いつつ)は未だにあの櫛を探し続けているようだった。
 だから、少しばかり心を折ってやろう……そう考えた冬姫は、伍をムカデ入りの古井戸に閉じ込めてやることにした。
 ほんのおふざけのつもりだったのだ。
 それが、

「い、いったい何なの!? どうしてこんなことになってるの!?」

 今、目の前には、伍がいる。
 いかなる巫術か、フワフワと宙を漂っている。
 虚ろな目をした伍が、古井戸の前に降り立った。そのとたん、伍の足元から草木が生い茂りはじめた。
 伍が、枯れ木に手をついた。そのとたん、枯れ木が満開の花で覆われた。
 みるみるうちに、庭全土が草木で覆われはじめる。
 草が冬姫の足に絡みつく。
 虐めに加担した女中たちが、身を寄せ合って震えている。

「何……何なの、その膨大な霊力は!? く、くそぉっ、冬神様の巫女はアタシなのよ!?」

 冬姫は冬神直伝の巫術――【万象凍土】を使った。
 足元の草木が凍りつき、枯れはじめる。が、あとからあとから草木が生い茂っていく。
 冬姫は冬神の術をまったく扱いきれていない。生来の精神的惰弱さゆえに、厳しい修行から逃げ続けてきたからである。
 だから、十八にもなって未だ『修行中の身』なのだ。

「こうなったら……っ」

 冬姫は『奥の手』を使った。
 彼女の性根と霊力を含んだ空気が、腐臭を帯びはじめる。

「アンタは伍! 忌み子の五女なのよ! 余り物らしく、死んでしまいなさい!」

 冬姫はその空気を伍にぶつけた。
 が、突風が吹き、空気を押し戻されてしまった。

「うっ……おえぇっ、げぇっ」

 腐臭をまともに吸い込んでしまい、冬姫はその場で吐いた。
 そうしている間にも、伍の巫術は広がっていく。
 芽吹きの巫術が母屋に達し、畳という畳から花が咲きはじめた。
 柱という柱が成長し、屋根瓦を吹き飛ばして大樹となる。
 冬姫が三年間をかけて自分色に染め上げてきた家が、伍の色で上書きされていく。冬姫はそれが、どうしても許せない。

「何事だ、これは!?」

 そこに現れたのは、父だ。
 これ幸いと、冬姫は父に泣きつく。

「お、お父様、伍が乱暴するの。お願い、早く伍を止めてちょうだい」

 いつもの父ならば、冬姫の『お願い』を聞き入れてくれるはずだった。
 なのに、

「伍……? あれが、伍なのか!? あの、神々しいまでの巨大な霊力の持ち主が!?」

 冬姫の予想に反して、父が目を輝かせた。

「はっ、はははははっ! 今からでも遅くはない。やはり、冬神様の巫女を取り替えて――」
「お父様ぁっ!」

 全力の、『奥の手』。
 腐臭をたっぷりと吸い込んだ父が、虚ろな目をして立ち尽くす。

「ねぇお父様、お願いだから伍を止めて。見てよ、あれ。自分の霊力を全然制御できていないじゃない。あんな化け物、蔵に閉じ込めてしまうべきよ」
「……冬姫の言うとおりだな」

 父がゆっくりと、伍に近づいていく。
 突風が何度も父を襲ったが、さすがは名家の当主、防護の結界術で風をいなした。
 父の指先が伍の額に触れた。すると、伍が崩れ落ちた。




   ◆   ◇   ◆   ◇




 次に気がついたとき、(いつつ)は薄暗い蔵の中に転がされていた。
 起き上がる。
 高窓の外は、暗い。夜なのだ。

「……え?」

 夜なのに、『薄暗い』で済んでいる。
 なぜかというと、

『おっ、ようやく起きたか』

 手の平に収まるくらいの小さな座敷童子が、伍のそばで薄っすらと光を放っていたからだ。

「あなた様は、もしかして(さかい)様?」
『そのとーり。聡い娘だな。さすがは俺様に仕える五女だ』
「は、はぁ」
『それにしても、信じらんねぇ。あいつら、実の家族を蔵に閉じ込めるなんてよぉ。しかも、水も飯も寝具も、樋箱すらないと来た。犬猫相手ですら、餌くらいは与えるってぇのに』
「い、いえ……わたくしが悪いんです。私は忌み子、五女ですから」
『何言ってんだ。四季(しき)(じん)家の五女は、この境様に仕えるれっきとした巫女なんだぜ。胸を張れぃ、胸を』
「は、はい!」

 伍は頑張って胸を張ろうとするが、日頃から肩をすぼめてうつむいているので、へっぴり腰の変な姿勢になってしまうのだった。

『あー……その、悪かったな』

 急に、境が謝った。
 伍は仰天する。

「えっ!?」
『お前さんを助けてやるつもりが、かえって立場を悪くさせちまったらしい』
「い、いえいえっ、境様は悪くありません!」
『お前さんはよい子だなぁ』

 と言って、頭を撫でようとしてくる境。
 だが、境は半透明の霊体であるため、伍に触れることはできなかった。
 境が、少し残念そうな、伍を憐れみ慈しむような目をした。

『…………。せめて、住み心地はよくしてやるからな。伍、【石つぶて】を使ってみろ』

【石つぶて】は文字どおり石のつぶてを創造してアヤカシにぶつける攻撃巫術だ。

「そ、そんな高等巫術、わたくしには使えません」

 それほどの術が使えるのなら、伍は『役立たず』などと呼ばれて女中扱いされることもなかっただろう。
 伍は【霊視】が可能な程度の霊力は生まれ持っていたが、退魔師になれるほどの力は持ち合わせていなかった。

『今のお前さんなら、使える。ただし、できるだけゆっくりとな』
「は、はぁ。【石つぶて】」

 半信半疑ながらも、伍は詠唱した。
 すると、伍の手の平から石の塊が出てきた。

「わっわっ、本当に出てきました!」
『俺様が補助してやる』

 境が石の塊に手をかざすと、みるみるうちに石が成形されていき、お椀の形になった。

『続いて、【水球】。次に【火球】』
「は、はい」

 言われるがまま唱えると、あっという間に白湯が完成した。

「あ、温かい」
『飲んでいいぞ。混じりっけなしの真水だ』
「あ、ありがとうございます!」

 湯のような贅沢など、この三年の間、一度ももらったことがない伍である。
 ゆっくり飲むと、体が内側から温まり、冷えていた心もほぐれていった。

『次は蔵の掃除だな。【突風】で埃や虫を巻き上げ、高窓から外に放り出してやれ。それが済んだら、【火球】多めの【水球】を【突風】で噴出させることで床や壁の汚れを洗い流し、【火球】少なめの【突風】で乾かすんだ』
「は、はい。わわっ、すごいすごい!」

 神業めいた細かい制御の術の数々。天才術師と誉れ高い長女・春香ですら、これほどの芸当は無理だろう。
 まるで神業だ。いや、事実、神の御業なのだ。
 境の補助があるからこそできる業ではあるものの、手足のように自由に巫術を使うことができて、伍は大興奮だ。

(い、いえ、驕っては駄目よ、伍。これはあくまで、境様のお力なのだから)
『本当に謙虚な娘だなぁ、伍は』
(心を読まれた!?)
『あぁ、すまんすまん。今後は読まないように気をつけるとしよう』

 さらりと連発される神業。
 やはり境は、まぎれもなく神なのだ。




   ◆   ◇   ◆   ◇




 その後、伍は大きな湯船と熱々のお湯を用意してもらい、肩まで湯に浸かった。
 三年振りのお風呂は泣きたくなるほど気持ちよくて、身も心も清められるのだった。




   ◆   ◇   ◆   ◇




『さて、お前さんはこれから、霊力操作術を学ばなきゃならねぇ』

 甘い桃を食しながら、(いつつ)(さかい)の話を聞く。
 桃は境が用意してくれた物だ。
 伍が言われるがまま【豊穣】の巫術を使ったところ、蔵の外の木が高窓の中まで枝を伸ばし、その先に桃を実らせてくれたのだ。

『お前さんの丹田は、俺様の霊力を受け止めきれるほど大きくはない。今は散々発散したあとだから大丈夫だが、数日もすれば丹田に霊力が溜まっていき、やがて破裂してしまうだろう』
「は、破裂!?」
『だから、そうならないために霊力操作術を覚えるか、姑息な手段としては定期的に霊力を発散させる必要がある』
「発散と言うと、先ほど使わせていただいた巫術では不十分ということですか?」
『まったく足らねぇな』

 境と出会った直後のことは、記憶が曖昧だ。
 だが、枯れ木を満開にしてしまったり、庭中を草だらけにしてしまったのは何となく覚えている。
 それに、畳に花が咲き、瓦屋根を突き破った木々が天を衝く様子も。
 あの規模の霊力放出を定期的に行わなければならないらしい。

「そんな、これ以上お家にご迷惑をおかけするわけには……」
『こんな仕打ちを受けてもなお「お家のご迷惑」とは、伍は筋金入りのお人好しだな』
「そ、そうでしょうか?」

 境はそう言ってくれるが、『家を掃除にすること』を己の仕事と自負している伍にとって、自ら家を汚してしまったことは自己嫌悪の種である。

『とはいえ、不慣れな体であの規模の巫術を連発するのは、長期的に見たら丹田と体内霊脈を傷つけちまう。何とかして、無理なく霊力を発散できる方法を見つけねぇとだな』

 フワフワと宙を漂っていた境が、バツが悪そうな顔をした。

『いや、すまねぇ。俺様の誤算だった。本当言うとな、四季神家の娘なら霊力操作術くらい修めてて当然だと思ってたんだ』
「も、申し訳ございません……」

 伍は小さくなる。
 が、四季の神々などの媒体を介して術を発動させる通常の巫術とは異なり、『霊力操作術』は超が付くほどの高等技術なのだ。
 上の姉たちも、父でさえ修めてはいないはず。
 霊力操作術が使えれば、脚力だけで空に舞い上がり、膂力だけで山を崩すことすら可能なのだという。
 果ては不老不死にすら届きうるのだとか。

『あぁいや、伍が悪いんじゃなくてだな……現時の術師がこんなに弱っちいとは思ってなかったんだ』
「よ、弱っちい……」
『冬神の巫女や四季神家の当主もそうだが、ひでぇ有様だぜ。平安の世じゃ、霊力操作術なんざガキでも使えていたのによぉ。現時の大人術師が平安の子供術師と死合ったら、鎧袖(がいしゅう)一触(いっしょく)にされるだろうな』
「なんてこと……」

 平安時代と言えば、安倍晴明や弘法大師空海の時代だ。
 護国十家が成った、まさに退魔師全盛期の時代。

『ま、そう心配するな。俺様がきっと何とかしてやる!』




   ◆   ◇   ◆   ◇




 冬姫は伍を蔵に閉じ込めることに成功した。
 それから数日、冬姫は女中たちが蔵へ水と食事を差し入れるのを妨害し続けた。
 冬姫は半ば本気で、伍を餓死させるつもりだったのだ。

(ありえない……冬神の巫女たるアタシよりも伍のほうが優れているなんて、そんなこと絶対にあってはならない! アンタは冷たい蔵の中で死んでしまいなさい、伍!)

 そんなある日、冬姫は父が庭で立ち尽くしているのを見かけた。
 父が手紙らしきものを手にし、伍が満開にさせた木を見上げている。
 もう何年も前から花を咲かせなくなっていたはずの、桜の木を。

「……あぁ、冬姫か。ちょうどよかった。伍と一緒に書斎へ来なさい」
「なっ、どうしてアタシがあんな忌み子なんかと――」
阿ノ九多羅(あのくたら)家からの、手紙だ」

 冬姫の抗議などまるで聴こえていない様子で、父がつぶやいた。

「四季神家の末娘を嫁に迎えたい、とな」




   ◆   ◇   ◆   ◇




 冬姫(ふゆき)はワクワクしていた。
 久しぶりに(いつつ)に会えるからだ。

 冬姫は、同年代の令嬢たちに比べて忙しい。
 冬神の巫女として、お琴に華道にダンスにピアノといった淑女の嗜みはもちろん、薙刀、合気道といった武の心得まで求められているからだ。
 そのうえ、本業たる『冬神の巫女』としての修行が、とびきり厳しい。
 だから、冬姫は日々、膨大な量の鬱憤を抱えている。
 そんな溜まりに溜まった鬱憤を晴らすための唯一の『癒し』が、伍の存在だったのだ。

(冷や汗を浮かべるあの子の顔。ブルブルと震える小さな背中。早く見たいわ! もう、三日も見ていないのだもの!)

 偉大なる冬神の巫女である自分が忌み子ごときを迎えに行かなければならない、というのは癪だが、父の言いつけとあらば面目も立つ。
 蔵へ小走りに向かう道すがら、冬姫は他ならぬ自分が伍を餓死に追い込みつつあることを思い出した。

(本当に死んでいたら、どうしましょう。これからの楽しみがなくなってしまうわ)

 冬姫は伍の苦悩する顔に対しては興味があるが、伍そのものについてはとんと関心がないのだ。
 自分が半ば以上本気で伍の死を願っていたことすら忘れ果てているほどに。
 冬姫には『物事をちゃんと考える』という習慣がなく、その場その場の感情的利益だけで生きている。
 十八年間、ずっとそうやって生きてきた。
『奥の手』で母を追い込み、父や女中たちを意のままに操れるようになった三年前からは、その傾向がより顕著になった。

(最善の結果は、伍が瀕死で生きていること。飢餓と糞尿の臭いで気が狂い、爪が剥がれるまで扉を掻きむしっていたりしたら……あぁっ)

 見たい。
 見て、臭い伍の頭を足蹴にして、それから優しい言葉を投げかけてやりたい。

(次善は、死んでいることね。いえ、あの得体の知れない力についてお父様が興味を抱いていることを思えば、むしろこっちが最善。死んでくれているほうがアタシの立場は安定する)

 伍を死なせてしまっていたら、父は怒るだろうか?
 だが、そのときは女中たちに罪を押し付けてしまえばいい。
『奥の手』を使って、体のいい女中――あの新米女中のせいにでもすればいい。
 あの女中は首になり、次の職を探すのも苦労し、縁談にも支障が出るだろうが、知ったことではない。

(ま、どちらにせよ、開けてみれば分かることね)

 蔵の前に着いた。
 冬姫は蔵の鍵を開け、扉を開いた。
 そうして、目を真ん丸にした。なぜなら、

「なっ、なっ、なっ……」

 蔵の中に、予想外の光景が広がっていたからだ。
 期待に反して、蔵の中は臭くも不潔でもなかった。それどころか、伍を放り込んだときよりもむしろ清潔になっていた。
 壁はピカピカ。床には塵一つ落ちていない。
 蔵の中はほのかに明るく、そして適度に温かい。
 上質な香木の香りが適度に焚かれていて、何とも住み心地のよい空間となっている。

 いや、そんなことより、伍だ。
 伍は餓えた様子もなく、落ち着いていて、フカフカな藁の上でゆったりと正座していた。
 着ている着物も、なぜだか数日前より小綺麗に見える。

(なっ、伍のくせに――)

 冬姫は一瞬で沸騰しそうになった。が、

(あら、でも何だかずいぶん調子が悪そうね)

 よく見てみると、伍は顔を上気させ、額にびっしりと冷や汗を浮かべていた。
 やはり、三日に及ぶ絶食絶水、そして先の見えない監禁地獄は堪えたらしい。
 気をよくした冬姫は、伍に暴行を加えるのを控えた。伍に死なれては困るからである。

(……いえ)

 違う。
 冬姫は、かろうじて感づいていたのだ。冬姫に対して致死量の殺意を向ける、『何者か』の気配に。

(狂った祟り神か、犬畜生の霊か。あの子を守護する化け物が何者か知らないけれど、今は大人しくしておいたほうがよさそうね)




   ◆   ◇   ◆   ◇




「お父様がお呼びよ。立ちなさい」
「……はい」

 姉・冬姫(ふゆき)に促され、(いつつ)は立ち上がった。
 冬姫について行く。

(よかった……)

 冬姫が暴行を加えてこなかったことに、伍は安堵していた。
 痛みを恐れていたわけではない。
 先ほどから射殺すような目で冬姫を見つめる境の、その殺意が暴発しなかったことにホッとしているのだ。
 冬姫は生来、霊力総量が少ない。
 そんな冬姫が境の姿を視ることができないのは、不幸中の幸いと言えた。

 伍は、冬姫に虐げられている。
 が、伍は冬姫の不幸や死を望んではいない。
 伍にとって、冬姫は血を分けた姉妹であり、何より大好きだった母の忘れ形見だからである。

『こんな女、ぶっ殺しちまえばいいのによぅ。お前さんを餓死させようとしたんだぜ?』

 境が伍にしか聴こえない声で、語りかけてくる。

(境様、どうか堪えて)

 伍は思考で応えた。

『まぁ、他ならぬ伍がそう言うのなら、我慢するが。それよりお前さん、大丈夫か?』
(な、何とか。今にも吐きそうではありますけれど)

 伍は目下、追い詰められている。
 何に追い詰められているのかと言うと、境の膨大な霊力に、だ。




『ぎゅってやって、ぎゅーん! だ』
「ぎゅってやって……? ええとええと……」
『考えるんじゃねぇ、感じろ! 肉体と霊体――体内霊脈を同一視するんだ』
「考えるな……考えるな……うぅっ、霊体って何ぃ……?」




 この三日三晩、伍は霊力操作術の修行に明け暮れた。
 が、境の指導は高等すぎて――あるいは現時人の伍からすれば異次元すぎて――まるで理解ができなかった。
 結果、試行錯誤の果て、何の成果も得られないまま貴重な三日を浪費してしまったのだ。

 そうして今や、伍の丹田には爆発寸前の膨大な霊力が溜め込まれている。
 今や、伍の目には自身が光り輝いて視えている。抑えきれない量の霊力が、今にも四肢を破裂させんとしているのだ。
 この霊力を暴走覚悟で放出するか、もしくは秘術たる霊力操作術を会得して余剰霊力を圧縮・管理するしか伍の生き残る道はない。

『もういい、伍。お前さんには我慢する義理なんざねぇ。その溜まった霊力を思う存分放出して、このいけ好かない姉をやっつけちまえ』
(そ、そうはいきませんっ!)
『なんでだよ!? あぁもう、だったらせめて、霊力だけでも放出しろ。このままじゃ、お前さんの丹田が破裂しちまう!』
(でも……でもっ、そんなことをしてしまったら、わたくしはきっと、この家を破壊してしまいます!)
『何を気にすることがある!? 十数年に渡ってお前さんを虐げ続けてきた家だろうが』
(それでも……それでも、母との思い出が詰まった、大切な家なんです!)
『――――……。母親との思い出、か』

 伍の壮絶な覚悟と迷いを前に、境が黙り込んでしまった。
 そうしているうちに、伍は父の書斎へと連れていかれた。
 父が一通の手紙を掲げた。

阿ノ九多羅(あのくたら)家ご当主、阿ノ九多羅デウスからの縁談だ」
(縁談!? 誰の? 冬姫お姉様とわたくしがこの場に呼ばれたわけは?)

 伍は否応なく、父の話に集中せざるをえなくなる。

「護国十家の筆頭たる阿ノ九多羅家のご当主デウス様が、我が家の『末女』との婚約をご希望なさっておられる」

 四季神家は、『恥』である伍の存在を世間に対して隠している。
 つまり、四季神家の末女とは――

「冬姫、お前の縁談だ」




 一文字(いちもんじ)
   二双(ふたまた)
     三ツ目、
       四季神(しきじん)
         五里(ごり)
           六九六(むくろ)
             七宝(しっぽう)
               八岐(やつくび)
                 阿ノ九多羅、
                   十月(じゅうげつ)
 護国十家(ごこくじっけ)の一等一位。




(阿ノ九多羅家と言えば、平安時代から続く日本最強の退魔家。冬姫お姉様が選ばれるのも、当然。でも、ならば、なぜわたくしはこの場に呼ばれたの?)

 果たして、最良の縁談話を言い渡された冬姫は――、

「お断りよ」

 と首を振った。

「えっ!?」

 伍は仰天する。
 帝国最強の家との婚姻など、退魔家の娘として最上の誉れだと思っていたからだ。

「はーっ」

 冬姫の、いらだたしげな、そしてこれ見よがしなため息。

「退魔界隈で最も有名なお家のことですもの。修行中の身であるアタシでも知っています。ご当主様なんて言うけれど、実際は十歳のガキなんでしょう?」
(え、若干十歳!?)

 世間に疎い――というより、父や冬姫によって世間とのつながりを徹底的に絶たれている伍にとって、それは初耳だった。

「前当主は追放。次期当主は出奔。残された十歳児が当主をしているものの、お家は没落寸前。かつては護国十家最強だなんて言われていたけれど、今や泥舟もいいところだわ。しかも、その当主は『婚約者候補の生き血をすする吸血鬼』と言われているそうじゃないの。死にに行くようなものよ」

 冬姫が嗜虐心に満ち満ちた目で、伍を見やる。

「私じゃなくて伍を嫁がせればいいじゃない」
「いいや」

 だが、父は冬姫の提案を却下した。
 冬姫が目を見開く。
 伍も正直驚いた。いつもの父ならば、姉のお願いを聞き入れるはずだったからだ。

「なんでよ!? そもそもアタシは、冬神様の巫女の修行で忙しいのに――」
「冬神様の巫女業は、伍が引き継ぐ」

「「えっ」」

 父が伍を見やる。その目は、優しい。
 伍は十八年間、この父に徹底的に無視されてきた。そもそも、伍を生まれてすぐ殺そうとしたのもこの父だ。
 そんな父が今、慈愛に満ちた目で自分を見ているのだ。伍は『いけない』と思いつつも、寒気を抑えられない。
 境など、今にも絞め殺さんばかりの目で父を睨みつけている。

「それほどの霊力があれば、伍は素晴らしい巫女になれるはずだ。上の娘たちをも凌ぐ巫女となり、四季神家を十家最強の家に押し上げてくれるだろう。我が家は陛下の覚えもめでたくなり、国家を意のままに動かすことすら可能になる!」

 伍は、怖い。
 父の目が、欲望で爛々(らんらん)と輝いているからだ。
 そして、姉が鬼の形相で伍を睨みつけてくるからだ。

「だから冬姫、お前は阿ノ九多羅家に嫁げ」
「い、嫌よっ。お願いお父様、考え直して」

 ――ぶわっ

(あぁ、まただ)

 例の、水が腐ったような臭い。
 悪いことが起こる、予兆だ。

(お父様はお姉様のお願いを拒まない。お姉様はこの家に残り、代わりにわたくしが阿ノ九多羅家へ嫁に出されることになる)

『没落寸前の泥舟』
『当主は十歳』
『婚約者候補の生き血をすする吸血鬼』

 冬姫の言葉の数々が、伍を気落ちさせる。

(阿ノ九多羅家ご当主様……どんなに恐ろしいお方なのだろう? でも、これも五女として生まれた者のさだめなのかもしれない)

 伍は今までと同じように、自分の呪われたさだめを受け入れようと――

「駄目だ」

 意外にも、父が反対した。

「阿ノ九多羅家に嫁ぐのは冬姫、お前だ」
「そんなっ、どうして!?」

 嫌な臭いがいっそう強くなる。
 だが、父は頑として姉の願いを受け入れない。

「これは、四季神家のためなのだ」
「…………」

 冬姫が立ち上がった。

「おい冬姫、どこへ行く?」
「お茶を淹れてきます。大事なお話をするんですもの。お茶くらいないと」
「あ、あぁ、そうだな。お前が淹れてくれるお茶は美味いからな」

 姉が去り、伍は父と二人きりになってしまった。

「伍、わしの大切な娘よ」

 父がすり寄ってきた。

「今まで父らしいこともしてやれず、すまなかったな」
「ひっ……」

 父が伍の手を握ってきた。
 生まれたばかりの伍の首を、絞め殺そうとした手だ。

「だが、これからはいつも一緒だ。冬神様も、お前のことをきっと受け入れてくれるだろう。何も心配することはない。きっと素晴らしい未来が――」

 ――たんっ

 と、冬姫が湯呑みを父の前に置いた。

「お父様、お茶です」
「あ、あぁ。頂こう。これが最後になるだろうからな」

 父が茶に口をつけた。そのとたん、父の表情から覇気が失われた。
 冬姫が微笑む。

「ねぇお父様、もう一度聞くわね。考え直してくださらない? 冬神様の巫女を取り替えるなんて考えは、改めるべきよ」
「…………。…………。そうだな。わしが間違っていた」
「ありがとう、お父様っ。それでね、もう一つお願い事があるのだけれど」
「…………。なんだ?」




「伍を、処刑してくださらない?」




『薄汚ぇ娘だ』

 境が吐き捨てる。

『この娘は、お前さんが怖いのさ』
(こ、怖い? 冬姫お姉様が、わたくしなんかを?)
『自分の立場を揺るがす存在だからな』
(わたくし、そんなつもりなんて……)

「…………。…………。…………」

 父が頭痛を堪えるような顔をしたあと、

「いや、駄目だ。伍の極大霊力は何かに使える。殺してしまうのはもったいない」

 と言った。

「お願いっ、お父様!」

 冬姫が叫んだ。
 次の瞬間、

 ――ぶわぁああああああっ

 と、冬姫の体から真っ白な霧が沸き立った。

(うっ……『あの臭い』だ)

 霧が部屋を満たし、ふすまや畳を濡らす。
 だが、霧の大半は父の口の中に吸い込まれていった。

「そうだな、処刑しよう」

 父が立ち上がった。
 ものすごい力で、伍の腕をつかむ。

「痛っ」

 引きずるような勢いで、父が伍を連れ出す。
 廊下を進み、縁側に出た。
 伍は、庭に投げ捨てられた。

「ぎゃっ」
「誰ぞ、斧を持ってこい。それと、あれを拘束しろ」

 庭もまた、真っ白な霧で覆われていた。
 母屋のあちこちから、女中たちが出てきた。
 みな正気を失っているかのようで、フラフラと歩いている。
 女中たちが伍に絡みつき、伍を組み伏せた。
 伍は、冷たい石の上に仰向けにさせられる。

(……あぁ、また『これ』だ)

 腐臭の漂う中、誰も彼もが姉・冬姫の言うとおりに動く。
 涙で滲む視界の中、父が女中から斧を受け取った。

『伍、伍っ! こんな奴ら、巫術で吹き飛ばしちまえ!』
(吹き飛ばして、それでどうなると? どうせまた、冬姫お姉様の癇癪で同じことが繰り返されるだけです)

 伍の人生は、ずっとずっとずぅっと冬姫に翻弄され続けてきた。
 伍は冬姫のおもちゃにされ続けてきた。
 十数年もそんなふうにされて、伍はいい加減、疲れ果てていた。

(もう十分です。……境様、短い間でしたが、大変お世話になりました)

「いい気味ね、伍」

 伍の顔をのぞき込みながら、冬姫があざ笑った。

「アタシの邪魔をするから、こうなるのよ。アンタは五女。余り物の五女。アンタは、世界の誰からも必要とされていないの。もちろんアタシも、アンタなんか要らない」

 父が、斧を振り上げた。
 伍の首目がけて、振り下ろす!




「要らないのか? ならばその娘、俺がもらってやろう」




 斧が、空中でピタリと止まった。

「……えっ!?」

 伍は驚く。
 家の塀の上に、見知らぬ青年が立っていたからだ。

 青年が、ついっと指先を動かした。
 次の瞬間、父の斧が弾き飛ばされ、地面に転がった。

 青年が、パチンッと指を鳴らした。
 次の瞬間、四季神家を満たしていた臭い霧が晴れた。

「な、何なのだ、この状況は!?」

 ――私たち、何を……
 ――どうして私、出涸らし巫女サマを押さえているの? 記憶がない……

 父や女中たちが正気に戻る。

「あ、アンタ誰よ!?」

 冬姫が青年に向けて怒鳴り散らした。

「俺か? 俺は、阿ノ九多羅(あのくたら)デウス。阿ノ九多羅家の当主さ」

 青年が塀から飛び降りて、伍のそばに歩み寄ってきた。

「そ、そんなはずないわ! 阿ノ九多羅家の当主は十歳のガキのはずよ!?」
「キーキーうるさい女は、好みじゃない」

 洋服が汚れるのも構わず、青年がひざまずき、伍を優しく抱き起こしてくれた。
 さらに、力強く抱き上げられる。

「――――っ!?」

 青年の顔を間近で見て、伍はつかの間、呼吸を忘れた。
 金髪赤眼。
 あらゆる美男子・美丈夫像をも置き去りにする、ゾッとするほど美しい顔立ち。
 歳の頃は、二十歳前後だろうか。
 そんな、この世ならざる美青年が、伍に向けてニッコリと微笑んだ。

四季神(しきじん)(いつつ)、今日からお前は、俺の妻だ」