翌朝、伍は鳥のさえずりで目を覚ました。
「寝過ごした!」
伍は、実家時代の習慣で飛び起きる。
(……あ、もう実家じゃないんだった。けど)
伍はベッドから出て、手早く身支度を済ませ、部屋を出た。
向かう先は厨房だ。
(高価な薬湯風呂、豪華なお食事、お召し物に立派なお部屋。たった一晩で、一生かけてもお返ししきれないほどの物を頂いてしまった。せめて、少しでもお返ししなければ)
軍の施設らしく、厨房は広い。だというのに、隅々まで清掃が行き届いている。千代子の仕事だろう。
(まずはお米を仕込もう。それから副菜と汁物の下ごしらえを。主菜は、千代子様がいらしてからご意見を伺ったほうがよいかしら)
実家で『穢れ』扱いされてきた伍だが、実は毎日料理をしていた。
伍が出した物は冬姫が『穢らわしい』と言って床にぶちまけてしまうので、仕上げと配膳だけは女中たちがやっていた。
つまり、誰よりも早く起きて下準備をする仕事は、伍一人に押し付けられていたのだ。
冬姫に支配されているとはいえ、あの女中たちも大概だった。
(……いえ、人様のことをそのように思っては駄目よ、伍)
伍はテキパキと仕事を進めていく。
洋風造りであるため実家の土間とはずいぶん勝手が違ったが、米を炊くのは竈門だし、お料理道具は一式揃っている。
唯一悩んだのは水だったが、昨晩、千代子に『蛇口』の存在を教えてもらっていたことを思い出した。
おっかなびっくり蛇口をひねってみると、勢いよく水が出てきて驚く伍なのだった。
米を洗い、水に浸す。
それから、竈門の火起こしに取り掛かった。
「伍様!?」
米が炊けはじめ、副菜と汁物の包丁仕事がすっかり終わったころ、千代子が現れた。
千代子はたいそう慌てた様子で、
「これは私の仕事です! 伍様はまだ休んでいてください」
と言った。
「す、すみませんっ。勝手なことをしてしまって……」
叱られたのだと思い、伍は小さくなった。
考えてもみれば、無断でお米や薪、野菜、水などを使ってしまったのだ。
やるにしても、千代子に伺いを立ててからすべきだった。
「いえ、そうではなくて。そうではなくてですね」
千代子がうんうんとうなっている。
「お手伝いくださったことは、とてもうれしく思っております。念のため重ねて申し上げますが、これは建前や世辞ではなく、混じりっけなしの本心です。見たところ仕事はとても丁寧ですし、厨房もとても大切に使っていただいています。迷惑などとは露とも思っていませんので、その点はどうかご安心ください。ですが――」
千代子が首をひねった末に、ひねり出すように言う。
「伍様は、未来の奥様。奥様に炊事をやらせるわけにはまいりません」
「で、ですが……」
我知らず、伍は震えていた。
「置いていただく以上は、何かのお役に立てないと……す、捨てられないように……」
「…………」
千代子の目に、哀れみと慈しみの色が浮かんだ。
優しく頭を撫でてくれる。
「心配せずとも、坊っちゃんは伍様を捨てたりはしませんよ」
「は、はい……でも」
「けれどもまぁ、それで伍様のお気が楽になるのなら、一緒にお料理しましょうか。坊っちゃんに手料理を振る舞ってあげましょう!」
「――っ!」
伍は顔を上げる。
「はいっ」
「そうそう、その笑顔です。そのお顔を大事にしましょう」
「わたくし、今、笑っていましたか?」
「はい。とても可愛いらしかったですよ」
「か、可愛い……」
ということで、料理再開。
「主菜は目玉焼きにしましょう。ターンオーバーです」
「め、目玉!? 何の目玉を焼くんですか!? それに、たーん……何ぃ?」
「あはは。日本ではまだ馴染みのないお料理ですよね。目玉焼きとは、玉子焼きのことです。だし巻きよりもずっとお手軽ですが」
「卵? 失礼ですが、鮮度は大丈夫なので?」
「それがびっくり、大丈夫なのですよ! ぱぱーんっ、アイスボックス!」
千代子が、壁に備え付けられている鉄製の棚を開いた。
「わっ、わっ、中がひんやりしています! これは?」
「氷庫――アイスボックスです。氷を入れておくことで、中を低温に保っておける代物で。この中に入れておけば、卵やお肉、お魚ですら何日も保つのですよ」
「何日も!? なんて便利な!」
文明開化がもたらす便利さに、瞠目する伍である。
「さて、目玉焼きに取り掛かりましょう。伍様は菜箸とボールを用意してください。」
「すみません、ボールとは?」
「鉄製のお椀。下処理用の調理器具です。確か下の棚の――」
「これですか?」
「そうそう! 初めての台所なのに、よく見つけられましたね」
「い、いえ。『千代子様ならここに置くかな』と考えていたら、自然と見つけることができまして」
「ふふっ。つまり、私たちは相性抜群ということですね」
「っ! はいっ」
伍は、楽しい。
今までは『怒られないように』『人目につかないように』とそればかりを考え、背を丸めて生きてきた。
それが今は堂々と歩き、生き生きと働くことができる!
しかも、
「面取りまで完璧とは。伍様の包丁仕事は素晴らしいですね」
「伍様、本当に手際がよい。初めてとは思えません」
千代子がたびたび褒めてくれるのだ。
(うれしい、楽しい!)
気がつくと、すべての調理が完了していた。
結局、千代子以外のメイドは現れなかった。
「あの、ここで働いているのは、千代子様お一人なのですか?」
「朝はそうですね。昼になったら、急に人が増えますよ」
(あ、そうか。アヤカシは主に夜に出るから)
「ですから、明日からはもっと遅くまで寝ていていただいても構いませんよ。坊っちゃんも朝は弱いですし」
「あ、あの……もしかして、ご迷惑でしたか?」
「お気になさらず。坊っちゃんは成長期ですから、もっと早起きすべきなのです」
(あれほど背がお高いのに、まだ伸びるのね。デウス様、すごい)
「ちょうどよい機会ですから、叩き起こしてきましょう」
千代子が腕まくりをしながら寮棟のほうへ歩き出す。
が、くるりと振り向いて、
「その間に、配膳をお願いできますか?」
「はいっ」
分担作業だ。
つまり、『千代子の代わりに調理を任せてもらっている』のではなく、伍を頼ってもらえたのだ。
千代子の役に立てて、伍はうれしかった。
◆ ◇ ◆ ◇
「寝過ごした!」
伍は、実家時代の習慣で飛び起きる。
(……あ、もう実家じゃないんだった。けど)
伍はベッドから出て、手早く身支度を済ませ、部屋を出た。
向かう先は厨房だ。
(高価な薬湯風呂、豪華なお食事、お召し物に立派なお部屋。たった一晩で、一生かけてもお返ししきれないほどの物を頂いてしまった。せめて、少しでもお返ししなければ)
軍の施設らしく、厨房は広い。だというのに、隅々まで清掃が行き届いている。千代子の仕事だろう。
(まずはお米を仕込もう。それから副菜と汁物の下ごしらえを。主菜は、千代子様がいらしてからご意見を伺ったほうがよいかしら)
実家で『穢れ』扱いされてきた伍だが、実は毎日料理をしていた。
伍が出した物は冬姫が『穢らわしい』と言って床にぶちまけてしまうので、仕上げと配膳だけは女中たちがやっていた。
つまり、誰よりも早く起きて下準備をする仕事は、伍一人に押し付けられていたのだ。
冬姫に支配されているとはいえ、あの女中たちも大概だった。
(……いえ、人様のことをそのように思っては駄目よ、伍)
伍はテキパキと仕事を進めていく。
洋風造りであるため実家の土間とはずいぶん勝手が違ったが、米を炊くのは竈門だし、お料理道具は一式揃っている。
唯一悩んだのは水だったが、昨晩、千代子に『蛇口』の存在を教えてもらっていたことを思い出した。
おっかなびっくり蛇口をひねってみると、勢いよく水が出てきて驚く伍なのだった。
米を洗い、水に浸す。
それから、竈門の火起こしに取り掛かった。
「伍様!?」
米が炊けはじめ、副菜と汁物の包丁仕事がすっかり終わったころ、千代子が現れた。
千代子はたいそう慌てた様子で、
「これは私の仕事です! 伍様はまだ休んでいてください」
と言った。
「す、すみませんっ。勝手なことをしてしまって……」
叱られたのだと思い、伍は小さくなった。
考えてもみれば、無断でお米や薪、野菜、水などを使ってしまったのだ。
やるにしても、千代子に伺いを立ててからすべきだった。
「いえ、そうではなくて。そうではなくてですね」
千代子がうんうんとうなっている。
「お手伝いくださったことは、とてもうれしく思っております。念のため重ねて申し上げますが、これは建前や世辞ではなく、混じりっけなしの本心です。見たところ仕事はとても丁寧ですし、厨房もとても大切に使っていただいています。迷惑などとは露とも思っていませんので、その点はどうかご安心ください。ですが――」
千代子が首をひねった末に、ひねり出すように言う。
「伍様は、未来の奥様。奥様に炊事をやらせるわけにはまいりません」
「で、ですが……」
我知らず、伍は震えていた。
「置いていただく以上は、何かのお役に立てないと……す、捨てられないように……」
「…………」
千代子の目に、哀れみと慈しみの色が浮かんだ。
優しく頭を撫でてくれる。
「心配せずとも、坊っちゃんは伍様を捨てたりはしませんよ」
「は、はい……でも」
「けれどもまぁ、それで伍様のお気が楽になるのなら、一緒にお料理しましょうか。坊っちゃんに手料理を振る舞ってあげましょう!」
「――っ!」
伍は顔を上げる。
「はいっ」
「そうそう、その笑顔です。そのお顔を大事にしましょう」
「わたくし、今、笑っていましたか?」
「はい。とても可愛いらしかったですよ」
「か、可愛い……」
ということで、料理再開。
「主菜は目玉焼きにしましょう。ターンオーバーです」
「め、目玉!? 何の目玉を焼くんですか!? それに、たーん……何ぃ?」
「あはは。日本ではまだ馴染みのないお料理ですよね。目玉焼きとは、玉子焼きのことです。だし巻きよりもずっとお手軽ですが」
「卵? 失礼ですが、鮮度は大丈夫なので?」
「それがびっくり、大丈夫なのですよ! ぱぱーんっ、アイスボックス!」
千代子が、壁に備え付けられている鉄製の棚を開いた。
「わっ、わっ、中がひんやりしています! これは?」
「氷庫――アイスボックスです。氷を入れておくことで、中を低温に保っておける代物で。この中に入れておけば、卵やお肉、お魚ですら何日も保つのですよ」
「何日も!? なんて便利な!」
文明開化がもたらす便利さに、瞠目する伍である。
「さて、目玉焼きに取り掛かりましょう。伍様は菜箸とボールを用意してください。」
「すみません、ボールとは?」
「鉄製のお椀。下処理用の調理器具です。確か下の棚の――」
「これですか?」
「そうそう! 初めての台所なのに、よく見つけられましたね」
「い、いえ。『千代子様ならここに置くかな』と考えていたら、自然と見つけることができまして」
「ふふっ。つまり、私たちは相性抜群ということですね」
「っ! はいっ」
伍は、楽しい。
今までは『怒られないように』『人目につかないように』とそればかりを考え、背を丸めて生きてきた。
それが今は堂々と歩き、生き生きと働くことができる!
しかも、
「面取りまで完璧とは。伍様の包丁仕事は素晴らしいですね」
「伍様、本当に手際がよい。初めてとは思えません」
千代子がたびたび褒めてくれるのだ。
(うれしい、楽しい!)
気がつくと、すべての調理が完了していた。
結局、千代子以外のメイドは現れなかった。
「あの、ここで働いているのは、千代子様お一人なのですか?」
「朝はそうですね。昼になったら、急に人が増えますよ」
(あ、そうか。アヤカシは主に夜に出るから)
「ですから、明日からはもっと遅くまで寝ていていただいても構いませんよ。坊っちゃんも朝は弱いですし」
「あ、あの……もしかして、ご迷惑でしたか?」
「お気になさらず。坊っちゃんは成長期ですから、もっと早起きすべきなのです」
(あれほど背がお高いのに、まだ伸びるのね。デウス様、すごい)
「ちょうどよい機会ですから、叩き起こしてきましょう」
千代子が腕まくりをしながら寮棟のほうへ歩き出す。
が、くるりと振り向いて、
「その間に、配膳をお願いできますか?」
「はいっ」
分担作業だ。
つまり、『千代子の代わりに調理を任せてもらっている』のではなく、伍を頼ってもらえたのだ。
千代子の役に立てて、伍はうれしかった。
◆ ◇ ◆ ◇



