伍はようやく、デウスのたくましい腕から解放された。
今はデウスの隣に座りつつ、窓の外の景色を眺めている。
馬車が揺れるたび、肩が触れ合ってドキリとする。
対面に座ればよいものを、デウスが頑なに伍の隣に座るのだ。
「あれは、秋穂お姉様が豊穣を祈った稲」
ガラス窓の外には、黄金色の稲が大量の実りを身につけて頭を垂れている。
四季神家が誇る、広大な田園の風景だ。
四季神家は、神戸港の東、兵庫県武庫郡住吉村の山の手に居を構えている。
この一帯は神戸でも指折りの豪農地帯。
四季神家が拓き、育て、維持し続けてきた一大穀倉地帯だ。
代々、三女たる秋神の巫女が【豊穣】の巫術で収穫量を維持し続けてきた土地でもある。
黄金の土地を抜けると、やがて西国街道に至る。
土埃舞い上がる街道は、海沿いを走っている。
生まれてこの方、一度も家から出してもらったことのなかった伍は、海の光景に釘付けになった。
察したデウスが対面の座席に移り、伍に思うまま海を見物させた。
――パカラッパカラッ……
気がつくと、馬の蹄の音が変わっていた。
未舗装の街道が、いつの間にか石畳の舗装路に変わっていたのだ。
「もうすぐ、港だ」
デウスが言った。
「え?」
伍が振り向いたとたん、
――ガタンッ
と、馬車が何かに乗り上げた。
「橋だ。生田川の橋。この先は、外国人居留地。つまり、神戸港だ」
景色が一変した。
瓦屋根の木造家屋が消え、レンガ造りのモダンな洋風建築の立ち並ぶ町並みに。
街道はガス灯で照らし出されている。
そう、夕方前に出発した馬車は、もう日暮れ前の道を走っているのだ。
「えっえっ、夜なのに光ってます! それもたくさん! あれはいったい!?」
「あははっ。あれは、ガスという比較的新しい技術による明かりだ。いずれ、あらゆる国民が暗闇を恐れずに済む時代が来る」
「こくみん……?」
「あぁ、そうか。伍からすれば、『国家』や『国民』という概念すら、真新しいんだな」
そうこうしているうちに、馬車が停まった。
夜にもかかわらず、煌々と明かりの立ち込める不思議な街――神戸外国人居留地。
そのほぼド真ん中に位置する三十七番街、阿ノ九多羅邸の前に。
デウスにヱスコートされて下車した伍は、阿ノ九多羅邸を見上げた。
「ここが、阿ノ九多羅家のお屋敷……」
無骨な建物だった。
それは、伍が知る『家』――木造平屋――とはまるで違っていた。
堅牢なレンガ造りの、天を衝くような五階建て。
鉄格子で鎧われたガラス窓の数々や、入口に飾られた国旗や大日本帝国陸軍旗から感じられる雰囲気は、
(家というにはあまりにも……)
「物々しいだろう?」
「あ、その、えっと」
図星を指され、伍は慌てた。
(人様のお宅を指して『物々しい』と感じるなんて、失礼よね……?)
だが、デウスに気を悪くした様子はなさそうだ。
「いいんだ。それもそのはずで、ここはもともと第七旅団の拠点だったんだ。それを、両親が自宅に改造してしまったのさ」
「ぐ、軍の施設をご自宅に改造!?」
軍、と口にしてようやく、伍はデウスが軍服姿であることに気づいた。
「デウス様は、チンダイ様だったのですね」
「鎮台? 大正の世では、俺たちは『軍人』と自称している」
「そ、そうなのですね。世間知らずで……すみません」
「いや、いいんだ。むしろ、『土地の鎮め』と呼んでもらえるほうが、退魔師冥利に尽きる」
「そういうものなのですか?」
伍はデウスを見上げる。
濃紺色の肋骨服に、同色の軍袴。
金糸の飾緒がガス灯の明かりに照らされて、キラキラと輝いている。
「気になることがあるのなら、遠慮なく聞け。俺たちには夫婦になるんだからな」
「ふ、夫婦……!」
金糸のモール以上に輝いているのは、他ならぬデウスの美しい金髪。
凛々しい軍服や異国情緒あふれる街並みも相まって、まるで異人の貴公子のようだ。
しかも、デウスは父よりもずっと背が高い。
伍は身の丈五尺弱(一五〇センチ)なのだが、それよりも頭一つ分、いや、それ以上の高さを誇っている。
まさに『美丈夫』という言葉が当てはまるお方だ。
(こんなにも素敵なお方が、本当にわたくしなんかの夫に?)
「ほら、何かないのか、伍?」
伍はデウスに抱き寄せられた。
「え、えっと」
幸せや不安でいっぱいいっぱいになってしまった伍は思わず、聞いてはいけないことを聞いてしまった。
「そ、そのっ、『阿ノ九多羅家ご当主様は吸血鬼』というおウワサは、本当なのでしょうか!?」
「…………」
デウスが顔をそらした。
(し、しまった。わたくしったら、とんでもない失言を。お気を悪くさせてしまったかしら……)
この世の終わりのような心地でデウスの顔を見上げてみると、
「……ぷっ、ぷぷっ」
伍の予想に反し、デウスは笑いを堪えていた。
「いや、すまんすまん。そのウワサは、俺の政敵が流している悪質なプロパガンダさ。だが、事実無根というわけでもない」
「とおっしゃいますと……?」
「ほら、吸われただろう?」
デウスの指先が伍の唇に触れた。
「血ではなく霊力だが」
『しかも、その当主は「婚約者候補の生き血をすする吸血鬼」と言われているそうじゃないの』
(ま、まさか、他の女性にもみさかいなしに!?)
「いやいや。してない、してないぞ」
「なっ、デウス様も心が読めるので!?」
「伍の表情が分かりやすいだけだ」
デウスがニヤリと笑ってみせる。
「安心しろ。唇にしたのはお前が初めてだよ、伍」
――ぼっ
と顔が熱くなる伍である。
「さぁ、中に入ろう」
デウスが伍の手を取った。
「ようこそ、阿ノ九多羅家へ」
今はデウスの隣に座りつつ、窓の外の景色を眺めている。
馬車が揺れるたび、肩が触れ合ってドキリとする。
対面に座ればよいものを、デウスが頑なに伍の隣に座るのだ。
「あれは、秋穂お姉様が豊穣を祈った稲」
ガラス窓の外には、黄金色の稲が大量の実りを身につけて頭を垂れている。
四季神家が誇る、広大な田園の風景だ。
四季神家は、神戸港の東、兵庫県武庫郡住吉村の山の手に居を構えている。
この一帯は神戸でも指折りの豪農地帯。
四季神家が拓き、育て、維持し続けてきた一大穀倉地帯だ。
代々、三女たる秋神の巫女が【豊穣】の巫術で収穫量を維持し続けてきた土地でもある。
黄金の土地を抜けると、やがて西国街道に至る。
土埃舞い上がる街道は、海沿いを走っている。
生まれてこの方、一度も家から出してもらったことのなかった伍は、海の光景に釘付けになった。
察したデウスが対面の座席に移り、伍に思うまま海を見物させた。
――パカラッパカラッ……
気がつくと、馬の蹄の音が変わっていた。
未舗装の街道が、いつの間にか石畳の舗装路に変わっていたのだ。
「もうすぐ、港だ」
デウスが言った。
「え?」
伍が振り向いたとたん、
――ガタンッ
と、馬車が何かに乗り上げた。
「橋だ。生田川の橋。この先は、外国人居留地。つまり、神戸港だ」
景色が一変した。
瓦屋根の木造家屋が消え、レンガ造りのモダンな洋風建築の立ち並ぶ町並みに。
街道はガス灯で照らし出されている。
そう、夕方前に出発した馬車は、もう日暮れ前の道を走っているのだ。
「えっえっ、夜なのに光ってます! それもたくさん! あれはいったい!?」
「あははっ。あれは、ガスという比較的新しい技術による明かりだ。いずれ、あらゆる国民が暗闇を恐れずに済む時代が来る」
「こくみん……?」
「あぁ、そうか。伍からすれば、『国家』や『国民』という概念すら、真新しいんだな」
そうこうしているうちに、馬車が停まった。
夜にもかかわらず、煌々と明かりの立ち込める不思議な街――神戸外国人居留地。
そのほぼド真ん中に位置する三十七番街、阿ノ九多羅邸の前に。
デウスにヱスコートされて下車した伍は、阿ノ九多羅邸を見上げた。
「ここが、阿ノ九多羅家のお屋敷……」
無骨な建物だった。
それは、伍が知る『家』――木造平屋――とはまるで違っていた。
堅牢なレンガ造りの、天を衝くような五階建て。
鉄格子で鎧われたガラス窓の数々や、入口に飾られた国旗や大日本帝国陸軍旗から感じられる雰囲気は、
(家というにはあまりにも……)
「物々しいだろう?」
「あ、その、えっと」
図星を指され、伍は慌てた。
(人様のお宅を指して『物々しい』と感じるなんて、失礼よね……?)
だが、デウスに気を悪くした様子はなさそうだ。
「いいんだ。それもそのはずで、ここはもともと第七旅団の拠点だったんだ。それを、両親が自宅に改造してしまったのさ」
「ぐ、軍の施設をご自宅に改造!?」
軍、と口にしてようやく、伍はデウスが軍服姿であることに気づいた。
「デウス様は、チンダイ様だったのですね」
「鎮台? 大正の世では、俺たちは『軍人』と自称している」
「そ、そうなのですね。世間知らずで……すみません」
「いや、いいんだ。むしろ、『土地の鎮め』と呼んでもらえるほうが、退魔師冥利に尽きる」
「そういうものなのですか?」
伍はデウスを見上げる。
濃紺色の肋骨服に、同色の軍袴。
金糸の飾緒がガス灯の明かりに照らされて、キラキラと輝いている。
「気になることがあるのなら、遠慮なく聞け。俺たちには夫婦になるんだからな」
「ふ、夫婦……!」
金糸のモール以上に輝いているのは、他ならぬデウスの美しい金髪。
凛々しい軍服や異国情緒あふれる街並みも相まって、まるで異人の貴公子のようだ。
しかも、デウスは父よりもずっと背が高い。
伍は身の丈五尺弱(一五〇センチ)なのだが、それよりも頭一つ分、いや、それ以上の高さを誇っている。
まさに『美丈夫』という言葉が当てはまるお方だ。
(こんなにも素敵なお方が、本当にわたくしなんかの夫に?)
「ほら、何かないのか、伍?」
伍はデウスに抱き寄せられた。
「え、えっと」
幸せや不安でいっぱいいっぱいになってしまった伍は思わず、聞いてはいけないことを聞いてしまった。
「そ、そのっ、『阿ノ九多羅家ご当主様は吸血鬼』というおウワサは、本当なのでしょうか!?」
「…………」
デウスが顔をそらした。
(し、しまった。わたくしったら、とんでもない失言を。お気を悪くさせてしまったかしら……)
この世の終わりのような心地でデウスの顔を見上げてみると、
「……ぷっ、ぷぷっ」
伍の予想に反し、デウスは笑いを堪えていた。
「いや、すまんすまん。そのウワサは、俺の政敵が流している悪質なプロパガンダさ。だが、事実無根というわけでもない」
「とおっしゃいますと……?」
「ほら、吸われただろう?」
デウスの指先が伍の唇に触れた。
「血ではなく霊力だが」
『しかも、その当主は「婚約者候補の生き血をすする吸血鬼」と言われているそうじゃないの』
(ま、まさか、他の女性にもみさかいなしに!?)
「いやいや。してない、してないぞ」
「なっ、デウス様も心が読めるので!?」
「伍の表情が分かりやすいだけだ」
デウスがニヤリと笑ってみせる。
「安心しろ。唇にしたのはお前が初めてだよ、伍」
――ぼっ
と顔が熱くなる伍である。
「さぁ、中に入ろう」
デウスが伍の手を取った。
「ようこそ、阿ノ九多羅家へ」



