四季神家の【五】女は年下夢魔軍神に溺愛される

「お父様がお呼びよ。立ちなさい」
「……はい」

 姉・冬姫(ふゆき)に促され、(いつつ)は立ち上がった。
 冬姫について行く。

(よかった……)

 冬姫が暴行を加えてこなかったことに、伍は安堵していた。
 痛みを恐れていたわけではない。
 先ほどから射殺すような目で冬姫を見つめる境の、その殺意が暴発しなかったことにホッとしているのだ。
 冬姫は生来、霊力総量が少ない。
 そんな冬姫が境の姿を視ることができないのは、不幸中の幸いと言えた。

 伍は、冬姫に虐げられている。
 が、伍は冬姫の不幸や死を望んではいない。
 伍にとって、冬姫は血を分けた姉妹であり、何より大好きだった母の忘れ形見だからである。

『こんな女、ぶっ殺しちまえばいいのによぅ。お前さんを餓死させようとしたんだぜ?』

 境が伍にしか聴こえない声で、語りかけてくる。

(境様、どうか堪えて)

 伍は思考で応えた。

『まぁ、他ならぬ伍がそう言うのなら、我慢するが。それよりお前さん、大丈夫か?』
(な、何とか。今にも吐きそうではありますけれど)

 伍は目下、追い詰められている。
 何に追い詰められているのかと言うと、境の膨大な霊力に、だ。




『ぎゅってやって、ぎゅーん! だ』
「ぎゅってやって……? ええとええと……」
『考えるんじゃねぇ、感じろ! 肉体と霊体――体内霊脈を同一視するんだ』
「考えるな……考えるな……うぅっ、霊体って何ぃ……?」




 この三日三晩、伍は霊力操作術の修行に明け暮れた。
 が、境の指導は高等すぎて――あるいは現時人の伍からすれば異次元すぎて――まるで理解ができなかった。
 結果、試行錯誤の果て、何の成果も得られないまま貴重な三日を浪費してしまったのだ。

 そうして今や、伍の丹田には爆発寸前の膨大な霊力が溜め込まれている。
 今や、伍の目には自身が光り輝いて視えている。抑えきれない量の霊力が、今にも四肢を破裂させんとしているのだ。
 この霊力を暴走覚悟で放出するか、もしくは秘術たる霊力操作術を会得して余剰霊力を圧縮・管理するしか伍の生き残る道はない。

『もういい、伍。お前さんには我慢する義理なんざねぇ。その溜まった霊力を思う存分放出して、このいけ好かない姉をやっつけちまえ』
(そ、そうはいきませんっ!)
『なんでだよ!? あぁもう、だったらせめて、霊力だけでも放出しろ。このままじゃ、お前さんの丹田が破裂しちまう!』
(でも……でもっ、そんなことをしてしまったら、わたくしはきっと、この家を破壊してしまいます!)
『何を気にすることがある!? 十数年に渡ってお前さんを虐げ続けてきた家だろうが』
(それでも……それでも、母との思い出が詰まった、大切な家なんです!)
『――――……。母親との思い出、か』

 伍の壮絶な覚悟と迷いを前に、境が黙り込んでしまった。
 そうしているうちに、伍は父の書斎へと連れていかれた。
 父が一通の手紙を掲げた。

阿ノ九多羅(あのくたら)家ご当主、阿ノ九多羅デウスからの縁談だ」
(縁談!? 誰の? 冬姫お姉様とわたくしがこの場に呼ばれたわけは?)

 伍は否応なく、父の話に集中せざるをえなくなる。

「護国十家の筆頭たる阿ノ九多羅家のご当主デウス様が、我が家の『末女』との婚約をご希望なさっておられる」

 四季神家は、『恥』である伍の存在を世間に対して隠している。
 つまり、四季神家の末女とは――

「冬姫、お前の縁談だ」




 一文字(いちもんじ)
   二双(ふたまた)
     三ツ目、
       四季神(しきじん)
         五里(ごり)
           六九六(むくろ)
             七宝(しっぽう)
               八岐(やつくび)
                 阿ノ九多羅、
                   十月(じゅうげつ)
 護国十家(ごこくじっけ)の一等一位。




(阿ノ九多羅家と言えば、平安時代から続く日本最強の退魔家。冬姫お姉様が選ばれるのも、当然。でも、ならば、なぜわたくしはこの場に呼ばれたの?)

 果たして、最良の縁談話を言い渡された冬姫は――、

「お断りよ」

 と首を振った。

「えっ!?」

 伍は仰天する。
 帝国最強の家との婚姻など、退魔家の娘として最上の誉れだと思っていたからだ。

「はーっ」

 冬姫の、いらだたしげな、そしてこれ見よがしなため息。

「退魔界隈で最も有名なお家のことですもの。修行中の身であるアタシでも知っています。ご当主様なんて言うけれど、実際は十歳のガキなんでしょう?」
(え、若干十歳!?)

 世間に疎い――というより、父や冬姫によって世間とのつながりを徹底的に絶たれている伍にとって、それは初耳だった。

「前当主は追放。次期当主は出奔。残された十歳児が当主をしているものの、お家は没落寸前。かつては護国十家最強だなんて言われていたけれど、今や泥舟もいいところだわ。しかも、その当主は『婚約者候補の生き血をすする吸血鬼』と言われているそうじゃないの。死にに行くようなものよ」

 冬姫が嗜虐心に満ち満ちた目で、伍を見やる。

「私じゃなくて伍を嫁がせればいいじゃない」
「いいや」

 だが、父は冬姫の提案を却下した。
 冬姫が目を見開く。
 伍も正直驚いた。いつもの父ならば、姉のお願いを聞き入れるはずだったからだ。

「なんでよ!? そもそもアタシは、冬神様の巫女の修行で忙しいのに――」
「冬神様の巫女業は、伍が引き継ぐ」

「「えっ」」

 父が伍を見やる。その目は、優しい。
 伍は十八年間、この父に徹底的に無視されてきた。そもそも、伍を生まれてすぐ殺そうとしたのもこの父だ。
 そんな父が今、慈愛に満ちた目で自分を見ているのだ。伍は『いけない』と思いつつも、寒気を抑えられない。
 境など、今にも絞め殺さんばかりの目で父を睨みつけている。

「それほどの霊力があれば、伍は素晴らしい巫女になれるはずだ。上の娘たちをも凌ぐ巫女となり、四季神家を十家最強の家に押し上げてくれるだろう。我が家は陛下の覚えもめでたくなり、国家を意のままに動かすことすら可能になる!」

 伍は、怖い。
 父の目が、欲望で爛々(らんらん)と輝いているからだ。
 そして、姉が鬼の形相で伍を睨みつけてくるからだ。

「だから冬姫、お前は阿ノ九多羅家に嫁げ」
「い、嫌よっ。お願いお父様、考え直して」

 ――ぶわっ

(あぁ、まただ)

 例の、水が腐ったような臭い。
 悪いことが起こる、予兆だ。

(お父様はお姉様のお願いを拒まない。お姉様はこの家に残り、代わりにわたくしが阿ノ九多羅家へ嫁に出されることになる)

『没落寸前の泥舟』
『当主は十歳』
『婚約者候補の生き血をすする吸血鬼』

 冬姫の言葉の数々が、伍を気落ちさせる。

(阿ノ九多羅家ご当主様……どんなに恐ろしいお方なのだろう? でも、これも五女として生まれた者のさだめなのかもしれない)

 伍は今までと同じように、自分の呪われたさだめを受け入れようと――

「駄目だ」

 意外にも、父が反対した。

「阿ノ九多羅家に嫁ぐのは冬姫、お前だ」
「そんなっ、どうして!?」

 嫌な臭いがいっそう強くなる。
 だが、父は頑として姉の願いを受け入れない。

「これは、四季神家のためなのだ」
「…………」

 冬姫が立ち上がった。

「おい冬姫、どこへ行く?」
「お茶を淹れてきます。大事なお話をするんですもの。お茶くらいないと」
「あ、あぁ、そうだな。お前が淹れてくれるお茶は美味いからな」

 姉が去り、伍は父と二人きりになってしまった。

「伍、わしの大切な娘よ」

 父がすり寄ってきた。

「今まで父らしいこともしてやれず、すまなかったな」
「ひっ……」

 父が伍の手を握ってきた。
 生まれたばかりの伍の首を、絞め殺そうとした手だ。

「だが、これからはいつも一緒だ。冬神様も、お前のことをきっと受け入れてくれるだろう。何も心配することはない。きっと素晴らしい未来が――」

 ――たんっ

 と、冬姫が湯呑みを父の前に置いた。

「お父様、お茶です」
「あ、あぁ。頂こう。これが最後になるだろうからな」

 父が茶に口をつけた。そのとたん、父の表情から覇気が失われた。
 冬姫が微笑む。

「ねぇお父様、もう一度聞くわね。考え直してくださらない? 冬神様の巫女を取り替えるなんて考えは、改めるべきよ」
「…………。…………。そうだな。わしが間違っていた」
「ありがとう、お父様っ。それでね、もう一つお願い事があるのだけれど」
「…………。なんだ?」




「伍を、処刑してくださらない?」




『薄汚ぇ娘だ』

 境が吐き捨てる。

『この娘は、お前さんが怖いのさ』
(こ、怖い? 冬姫お姉様が、わたくしなんかを?)
『自分の立場を揺るがす存在だからな』
(わたくし、そんなつもりなんて……)

「…………。…………。…………」

 父が頭痛を堪えるような顔をしたあと、

「いや、駄目だ。伍の極大霊力は何かに使える。殺してしまうのはもったいない」

 と言った。

「お願いっ、お父様!」

 冬姫が叫んだ。
 次の瞬間、

 ――ぶわぁああああああっ

 と、冬姫の体から真っ白な霧が沸き立った。

(うっ……『あの臭い』だ)

 霧が部屋を満たし、ふすまや畳を濡らす。
 だが、霧の大半は父の口の中に吸い込まれていった。

「そうだな、処刑しよう」

 父が立ち上がった。
 ものすごい力で、伍の腕をつかむ。

「痛っ」

 引きずるような勢いで、父が伍を連れ出す。
 廊下を進み、縁側に出た。
 伍は、庭に投げ捨てられた。

「ぎゃっ」
「誰ぞ、斧を持ってこい。それと、あれを拘束しろ」

 庭もまた、真っ白な霧で覆われていた。
 母屋のあちこちから、女中たちが出てきた。
 みな正気を失っているかのようで、フラフラと歩いている。
 女中たちが伍に絡みつき、伍を組み伏せた。
 伍は、冷たい石の上に仰向けにさせられる。

(……あぁ、また『これ』だ)

 腐臭の漂う中、誰も彼もが姉・冬姫の言うとおりに動く。
 涙で滲む視界の中、父が女中から斧を受け取った。

『伍、伍っ! こんな奴ら、巫術で吹き飛ばしちまえ!』
(吹き飛ばして、それでどうなると? どうせまた、冬姫お姉様の癇癪で同じことが繰り返されるだけです)

 伍の人生は、ずっとずっとずぅっと冬姫に翻弄され続けてきた。
 伍は冬姫のおもちゃにされ続けてきた。
 十数年もそんなふうにされて、伍はいい加減、疲れ果てていた。

(もう十分です。……境様、短い間でしたが、大変お世話になりました)

「いい気味ね、伍」

 伍の顔をのぞき込みながら、冬姫があざ笑った。

「アタシの邪魔をするから、こうなるのよ。アンタは五女。余り物の五女。アンタは、世界の誰からも必要とされていないの。もちろんアタシも、アンタなんか要らない」

 父が、斧を振り上げた。
 伍の首目がけて、振り下ろす!




「要らないのか? ならばその娘、俺がもらってやろう」




 斧が、空中でピタリと止まった。

「……えっ!?」

 伍は驚く。
 家の塀の上に、見知らぬ青年が立っていたからだ。

 青年が、ついっと指先を動かした。
 次の瞬間、父の斧が弾き飛ばされ、地面に転がった。

 青年が、パチンッと指を鳴らした。
 次の瞬間、四季神家を満たしていた臭い霧が晴れた。

「な、何なのだ、この状況は!?」

 ――私たち、何を……
 ――どうして私、出涸らし巫女サマを押さえているの? 記憶がない……

 父や女中たちが正気に戻る。

「あ、アンタ誰よ!?」

 冬姫が青年に向けて怒鳴り散らした。

「俺か? 俺は、阿ノ九多羅(あのくたら)デウス。阿ノ九多羅家の当主さ」

 青年が塀から飛び降りて、伍のそばに歩み寄ってきた。

「そ、そんなはずないわ! 阿ノ九多羅家の当主は十歳のガキのはずよ!?」
「キーキーうるさい女は、好みじゃない」

 洋服が汚れるのも構わず、青年がひざまずき、伍を優しく抱き起こしてくれた。
 さらに、力強く抱き上げられる。

「――――っ!?」

 青年の顔を間近で見て、伍はつかの間、呼吸を忘れた。
 金髪赤眼。
 あらゆる美男子・美丈夫像をも置き去りにする、ゾッとするほど美しい顔立ち。
 歳の頃は、二十歳前後だろうか。
 そんな、この世ならざる美青年が、伍に向けてニッコリと微笑んだ。

四季神(しきじん)(いつつ)、今日からお前は、俺の妻だ」