四季神家の【五】女は年下夢魔軍神に溺愛される

 取り上げられた瞬間から、その娘は『要らない子』だった。
 代々四人の娘を生み、春神・夏神・秋神・冬神の巫女として仕えさせてきた退魔の名家・四季(しき)(じん)家。
 その五女として、その娘は生まれた。四番目が、双子だったのだ。
 取り上げられた順番だけで五女となった彼女は、仕えるべき神を持たず、まるで犬猫のように檻の中で育てられた。

 春神に愛されし天才退魔師、長女・春香。
 夏神の友、次女・夏美。
 秋神の忠実なるしもべ、三女・秋穂。
 そして、冬神に仕えるべく修行中の四女・冬姫(ふゆき)
 四季の名を冠した美しき四姉妹は、今日も世間の注目を集めている。
 四季神たちは四姉妹の祈りを通じて、治水・天候操作・豊穣・退魔など様々な恩恵を大日本帝国に与えている。

 ……一方。
 この物語の主人公は、単なる五女――『(いつつ)』と名付けられた。
 伍は世間からその存在を秘匿され、冷たい屋根裏で育てられた。
 愛を知らず、温かさを知らず、息をひそめて生きてきた。
 そんな彼女に転機が訪れたのは、十八の晩秋のこと。




   ◆   ◇   ◆   ◇




 大正二年、晩秋。

「穢らわしいっ」

 冬姫(ふゆき)が湯呑みを投げつけてきた。
 (いつつ)はよけなかった。よけるとかえって冬姫を怒らせてしまうことを、身をもって知っているからだ。
 茶が着物にかかり、熱い飛沫が伍の頬を濡らしたが、伍は悲鳴を堪えた。

「アンタみたいな忌み子が入れたお茶なんて飲んだら、穢れが伝染(うつ)っちゃうでしょ」

 伍を罵倒するのは、双子の姉・冬姫だ。

「も、申し訳ございません……」

 伍は平伏し、消え入りそうな声で謝罪する。
 体が震える。冷や汗が止まらない。
 居間には父もいる。が、父は新聞紙に視線を落としたまま、何も言ってはくれない。

 伍は、最初からこうなることが分かっていた。
 だが、お茶を持ってこなかったらこなかったで、『気が利かない』と折檻される。
 他の女中たちが持ってきてくれれば済む話なのだが、女中たちは冬姫の支配下にあるため、頼れない。
 冬姫は定期的に、こういうことをする。
 伍をどうにもならない袋小路に追い込んで、いたぶるのだ。
 家中総出で伍をいたぶって、楽しんでいるのだ。

(いいえ。そんなふうに考えては駄目よ、伍)

 伍は自分に言い聞かせる。

(わたくしは忌み子。生かしていただいているだけでも、ありがたいことなのだから。これで、冬姫お姉様のお気が少しでも晴れるのなら……お家のお役に立つことができるのなら、本望よ)

「……失礼いたします」

 伍は湯呑を拾い上げ、部屋を辞した。

 ――出涸らし巫女サマが、今日も空回っていらっしゃるわよ。
 ――あんな忌み子を家に置いておかなければならないなんて、お館様と冬姫様も災難ね。

 廊下で女中たちとすれ違うたび、クスクス笑いが伍の心を刺す。

 伍はいったん自室――屋根裏部屋に寄り、着物の染み抜きをした。
 冬姫が持っている絹の柄物の数々とは対象的に、伍が持っているのは薄っぺらな木綿の一着のみ。
 ツギハギだらけだが、何とか使い続けるしかない。

(今年の冬も、こたえるでしょうね……)

 急いで台所に戻ると、そこに冬姫がいた。

「この愚図、どこをほっつき歩いていたの?」
「も、申し訳ございません……」
「愚図が食後の大事な時間を台無しにしてくれたから、アタシが代わりにお茶を入れにきてあげたのよ。感謝なさい」
「はい」

 冬姫が茶筒を開くが、

「あら、茶葉が切れてるじゃない」

 まだ一回分はあったであろう茶筒を、冬姫が投げ捨てた。
 茶葉が土間に散らばる。
 片付けるのはもちろん、伍の役目である。

「替えの茶葉はどこにあるのよ」

 冬姫が棚という棚を開け放ち、中のものを地面にぶちまけはじめた。
 土間には何人もの女中たちがいる。
 彼女たちが冬姫に場所を教えれば済む話なのに、女中たちは知らんぷり。
 伍が動くのを待っているのだ。

 唯一、最近入ったばかりの新米女中がオロオロとしていた。
 彼女は先輩たちの顔色を伺いつつ、冬姫に進言すべきかどうか悩んでいる様子だ。
 彼女の額には、薄っすらと冷や汗が浮かんでいる。
 見るに見かねた伍が、棚の一つを開いた。

「あ、あの、冬姫お姉様、茶葉はここに」

 運悪く、伍の肩が冬姫にぶつかってしまった。

「近寄らないでよ、穢らわしい忌み子がっ」

 逆上した冬姫が、伍の頬を張った。
 伍は茶葉で足を滑らせ、転んだ。
 その派手な転び方が冬姫の癇に障ったらしく、冬姫が伍の頭を踏みつけようとした。

「お、お嬢様っ」

 新米が冬姫を止めようとする。

「……何?」

 冬姫が新米を睨みつける。

「あぁ、なるほど。あなた、新参者ね? 道理で『馴染んで』いないはずだわ」

 冬姫が怪しく微笑んだ。
 次の瞬間、

 ――ぶわっ

 と、嫌な臭いが伍の鼻を突いた。
 生臭い、水が腐ったような臭いが。
 だが、冬姫も、女中たちも、その臭いには気づいていない様子だ。

(あぁ、まただ)

 そのとたん、新米の伍に対する目が、憐れむような色から蔑むようなそれに変わった。

「そうですわね。こんな忌み子、捨て置くべきですわ」

 ――クスクス
   ――クスクス

 この臭いは、伍の不幸の象徴なのだ。
 嫌なことが起こるとき、何かを失うとき、伍はいつもこの臭いを感じていた。
 特に、三年前――母が亡くなる前夜には、その臭いを強く感じた覚えがある。

(やはり、わたくしは忌み子……この臭いとともに、腐り落ちていくさだめなのね)




   ◆   ◇   ◆   ◇




(こんなとき、お母様がいてくれれば……)

 冬姫(ふゆき)が去ったあと、一人で台所を片付けながら、(いつつ)は思い悩んでいた。
 広大な四季神家の掃除はすべて、伍の仕事だ。
 伍は眠る時間を削って働いているが、片付くどころかますます散らかり、汚れるばかり。
 冬姫がわざと汚すからだ。
 冬姫が行為を改めるか、もしくは女中たちを掃除に当ててくれれば、事態は改善するのに。
 生来、献身的で自罰的な伍は、四季神家にこれだけ虐げられていてもなお、自分の仕事を満足に果たせずにいることを悔やんでいた。

 母が生きていたころは、母が冬姫を諭したり、女中たちを差配してくれていた。
 さらにそれより以前、上の姉たちが家にいたころは、冬姫も今ほど横暴ではなかった。
 だが、上の姉たちはみな嫁いでしまい、何より四季神の巫女として全国を忙しく飛び回っているので、文を書くのもはばかられる。

(いえ、そもそも何を相談するというの? わたくしは、忌み子。生まれるべきではなかった、五女。今の扱いこそが、本来の姿だというのに)

『ごめんね、伍……』

 伍は、母の優しい声を思い出す。

『ちゃんとした子として生んであげられなくて、ごめんなさい。あなたを巫女にしてあげることはできない。けれど、せめて私だけは、あなたの味方ですからね』

 伍は本来、生まれてすぐに殺されるはずだった。父がその決めたのだ。
 だが、母が必死に抵抗してくれたのだそうだ。
 結果、伍は世間から隠される形で生存を許された。
 だが、ちゃんとした名を与えられることまでは許されなかった。
 結果、伍は単なる五女――『(いつつ)』と名付けられた。

『ごめんね、伍。いいえ、御幸(みゆき)。私の可愛い娘』

 だから母は、二人きりのときにこっそりと、伍のことを別の名で呼んでくれた。
 つらい身の上でも、せめて最低限の幸あれ……そのような願いを込めて、『御幸』と。
 また、取り上げられる順番が違ったら冬神の巫女になっていたかもしれない伍のために、『深雪(みゆき)』という意味も忍ばせていた。

 伍は、優しい母が大好きだった。
 娘扱いされず、女中として幼いころから働かされていたが、母がいるからつらくはなかった。
 だが、それももう……。

 伍は屋根裏の自室に戻り、ひびの入った鏡を覗き込む。
 この箱鏡台は、ありとあらゆるものを冬姫に奪われたり壊されたりしてきた中で、

『あんまりにもみすぼらしいから、要らない』

 という理由で伍の手元に残された大事な財産なのだ。

 鏡に映るのは、母譲りの目鼻立ちがはっきりとした顔立ち。
 あの恐ろしくも美しい姉・冬姫と同じ顔だ。
 だが、長年の重労働と寝不足と栄養失調のせいで、頬はこけ、目の下にはひどい隈が広がっている。
 髪もボサボサだ。先ほど冬姫に頬を張られて転んだときに、髪が解けたのだ。

(せめて、身だしなみだけでも……)

 伍は箱鏡台の引き出しから櫛を取り出す。
 母がこっそりと贈ってくれた、伍の宝物である。
 伍は薄暗い部屋の中、櫛に刻まれた『御幸』の文字をなぞる。
 母との思い出があるからこそ、伍は今もこの家で頑張れているのだ。

「こんな古臭いの、要らない!」

 髪を整えていると、下から冬姫の声が聴こえてきた。

「ねぇお父様、流行りの薔薇やチューリップの柄物が欲しいのだけれど」

 降りてみると、冬姫が廊下へ着物を投げ捨てているところだった。
 上等な絹で仕立てられた、矢絣柄や花柄の着物。伍が欲しくても絶対に手の届かない代物の数々だ。

「馬鹿を言うな、冬姫。すでに、他の護国十家から借金をしているような有様なのだぞ。それらの服で我慢しなさい」

 珍しく、父が冬姫を諭している。

「借金なんて踏み倒してしまえばいいのよ。他の九家なんて、どこも役立たずばかりなんだから。護国も豊穣も、我が四季神家に頼りっきりなんでしょう? ほら、没落著しい家があるじゃない。確か九番目の、阿ノ九多羅(あのくたら)って家」
「冬姫、いい加減、我がままを言うのは――」
「お願いっ、お父様」

 ――ぶわっ

 再び、例の嫌な臭いが伍の鼻を突いた。

「……分かった。今度、買ってやろう」

 父がそう言って、去っていった。

(あぁ、これでまた借金が増えてしまうのね。お金のことは女のわたくしには分からないけれど、よくないということだけは分かるわ)

 投げ捨てられた着物を畳もうと、伍はしゃがみ込む。
 すると、懐から名入りの櫛が転がり落ちてきた。
 慌てて降りてきたので、持ってきてしまったのだ。

「なぁに、その櫛?」
「ひっ……」

 恐る恐る顔を上げてみれば、冬姫が鬼の形相で伍を見下ろしていた。

「ずいぶんと上等な櫛じゃない。出涸らしのアンタにはもったいないくらいね」

 冬姫が櫛を拾い上げる。
 伍は、怖くて声も出せない。

「この名前……御幸? あぁ、お母様がアンタのことをこっそり呼んでいた、あの?」

 冬姫が大きく振りかぶり、櫛を――母の形見を床に叩きつけた。

「あぁっ」

 櫛が欠けた。
 冬姫がさらに、櫛を踏みにじる。

「何を勘違いしているの、伍? アンタは伍、名無しの五女! 仕えるべき神を持たない出涸らし。本来、生まれてくるはずじゃなかった忌み子なのよ。それが、こんな人間の振りみたいなことをして、気持ち悪いったらないわ」

 冬姫が櫛を拾い上げ、庭の池に投げ捨てた。

「……何、その目?」
「い、いえっ……申し訳ありません」

 こうして伍は、母との最後のつながりすら失ってしまったのだった。




   ◆   ◇   ◆   ◇




 あれから何度も池をさらったが、櫛を見つけることはできなかった。

「古井戸の掃除をなさい、(いつつ)

 無気力な日々が続いていたある日、伍は冬姫(ふゆき)にそう命じられた。
 その顔には、残忍な笑みが張り付いている。

「……はい」

 嫌な予感がしたが、断れるはずもない。
 十月にしてはずいぶんと寒いその日、伍は一人ではしごを運び、四季神家の敷地の片隅にある古井戸へと降りていった。

「寒い……」

 古井戸の底はいっそう冷え込んだ。
 井戸は完全に乾いている。
 ゴミ捨て場にされているのか、古びた像やら小物やらがうず高く積み上げられている。

(これを、片付ける。どうやって? 何のために? ……いいえ、考えては駄目よ、伍。仕事を、食い扶持を与えてもらえているだけありがたいことなのだから)

 そう考えて奮起した伍は、ふと振り返り、はしごがなくなっていることに気づいた。

「えっ!?」

 慌てて見上げると、女中たちがはしごを引き上げているところだった。

「ま、待ってくださいっ。まだ中に人が――」
「あらあら、どうして古井戸の蓋が開いているのかしら?」

 伍の叫びを打ち消すように、冬姫の声が降ってきた。

「獣や虫が入り込んでは困るから、蓋を閉めておきなさい」

 ――分かりました、お嬢様。
   ――獣が入っては大変ですものね。
      ――クスクス
        ――クスクス

 女中たちが、石蓋を閉めてしまった。
 本当に、一部の隙もなく閉じてしまったのだ。重い石蓋を、だ。

「そ、そんな……」

 とたん、真っ暗闇とすさまじい恐怖が伍に襲いかかってきた。

 ――カサカサ
   ――カサカサ

 底冷えする古井戸の底に、何かが潜んでいる。
 その何かが、伍の足の上を走った。

「ひっ」

 細く長い何か。
 虫だ。恐らくは、ムカデのような。
 それも、一匹や二匹ではない。

(まさか……いえ、いくら冬姫お姉様でも、そこまでは)

 ――カサカサ
   ――カサカサ

 耳元でも、音。
 そして、足の上を這い回る複数の感触。
 ムカデには毒がある。
 恐怖と嫌悪感で、伍は気が狂いそうになった。

「出して! 出してください! お願いっ、お願いだからぁっ!」

 伍は叫ぶ。が、石蓋は動かない。
 何か助けになるものはないか。武器になるものは。
 そう思って、伍は遮二無二(しゃにむに)手を伸ばす。
 指先が虫に触れ、泣き叫びそうになる。
 それでも救いを求めて伸ばした指先に、ほのかに温かい何かが触れた。




『てめぇ、四季神家の娘か?』




 触れたのは、古びた石像だった。
 その石像が、ほのかに光を放っていた。

「……え? は、はい」
『ほほう。何番目だ? 長女か、次女か、三女か、四女か、それとも――』
「ご、五女です」
『ほほう!』

 光がいっそう強くなった。
 と同時、伍は腹の奥――へその下にある『丹田(たんでん)』と呼ばれる臓器に、底知れぬ力を感じた。
 力とは、『霊力』のことだ。
 丹田とは、巫女や退魔師のような術師が霊力を生み出す臓器のことである。

『五女か! 俺様は、四季神家を守護する五番目の神――季節の変わり目を司る神、(さかい)様だ。俺様がお前に力を授けてやろう』
「えっ、えっ? それってどういう――」
『ほほう。鎌倉、足利、織豊、徳川、明治と来て大正か。俺様が眠りこけている間に、ずいぶんとまぁ時代が移ろったもんだな』

 伍は理解が追いつかない。
 さっきから、腹の奥が熱い。
 生まれ落ちて十八年。
 ついぞ感じたことのない、強烈な霊力を丹田と全身に感じているのだ。

『俺様はな、お前らが「平安時代」と呼んでいる時代以来、四季神家に忘れ去られていたのさ。他の四神たちはずいぶんと酷使されて霊力がカラッカラのようだが、千年以上も霊力を溜め込んでいる俺様は、違う。さぁ、お前さんに与えられた無量の霊力でもって、お前さんは何を望む?』

(わ、わたくしの望み? 今はとにかく――)

 この、虫と暗闇が支配する空間からの脱却だ。




 そう願った瞬間、奇跡が起こった。
 とてつもない突風が巻き起こり、石蓋を、虫たちを、砂埃を、すべてを吹き飛ばしてしまったのだ。




 四季神(しきじん)(いつつ)、十八歳。
 虐げられ続けてきたこの娘が、生まれて初めて万能感を覚えた、その瞬間だった。








   ◆   ◇   ◆   ◇




 数日後――。

「坊ちゃん」

 メイド長の声に、『今代最強の退魔師』こと阿ノ九多羅(あのくたら)デウスは顔を上げた。
 日本人美形の父と、絶世の西洋人美女の間に生まれた奇跡のような顔が、メイド長の瞳に映る。

「坊っちゃん呼びはやめろ。いつも言っているだろう」
「事実、坊っちゃんではありませんか」
「そうだとしても、だ。まったく……それで?」
「はい」

 メイド長が一枚の写真を取り出した。
 可憐――というにはやや、やつれた女性が写っている写真だ。

「これは?」
「四季神家の末女です。この娘が、数日前に坊っちゃんをもしのぐ霊力総量に目覚めたとの情報を得ました」
「ほう。『人類最強』の父と、『世界最強の魔王』の母を持つ、この俺の霊力総量をか?」
「あくまで、遠距離からの測定に留まる結果ですが。どうされますか?」
「決まっている」

 デウスが立ち上がった。

「会ってみよう。まずは、先触れの手紙を出さねばな」