末永くお鈍いもふしてあげます

 翌朝にはすっかり熱が下がり、純夜は自分が少しだけ体が大丈夫になったのを実感し、うんと伸びをした。
 また寝よう。そう彼が布団に潜りこみかけたとき、ノック音もなくドアが開いた。
「おう。起きたか」
「なんで!?」
 「お兄さん、今、缶詰なんだろ?」とプレートを片手に持ち、もう片方に水筒を持ちながら、光輝は足で器用に扉を閉める。
「いーじゃん。だって、純夜、なんも食べないつもりだっただろ?」
「う、それは」
 図星である。兄は忙しく、自分の面倒ばかり見られない。
 熱が下がっただけで、体はだるいし、やる気も起きず、純夜は一日ぐらい空腹で過ごそう、と考えていたところだった。
「なんか、お兄さん、寝てて動かなかったし」
「てことは、光輝、泊まったの!?」
「もちろん。今日まで学校休みだし、いいだろ」
 「それに一日帰らないぐらいで心配されねえから大丈夫」と光輝はズカズカと部屋に入ってくる。
「そういう問題じゃ……」
 帰らないで心配されないなんてどういうことだ。そういえば。
 光輝の家族のこと、あまり知らない。小さい頃、施設で会ったときは、父親に手を引かれていた。
 両親のことを知らない僕は、親というものが分からず、光輝が手を繋いでいた人が彼の父親だと知るまで、だいぶ時間がかかった。
 子どもは、父親と母親の間に生まれるもの。だから、光輝にもいるはずだ、母親が。
 しかし、彼は母親の話は一度もしたことがなかった。
「大丈夫か。遠い目してるけど」
 「本当に熱下がったのか?」と光輝の気づかわしげな声が、純夜の思考を止めた。
 親の話をすれば、自分の両親の話をしなければならなくなる。両親は兄と僕を産んだこと。もういないこと。これしか僕が知る情報はない。
 悲しくて、つまらない、短い話だ。
「親って、こんな感じなのかなって」
 おかゆを口に運んでもらいながら、純夜はうっかり口を滑らせてしまった。
 (すく)った米が、ぼとりと床に落ちた。
「シュッサンって、命がけらしくてさ」
 「俺は男だから知らないんだけど」と光輝がティッシュを手に取り、汚れた床を掃除する。
「母さんは死んで、父さんは赤子の俺を連れて都会から、母さんの故郷、兎神町に引っ越した」
 「都会じゃ、なんでもビュンビュン速くて、ゆっくり子育て、ゆとりっての? が難しいらしくて」と光輝はぽつりぽつりと家族の話を口にした。
「ここの人たち、みんな優しいもんね」
 親を失い、路頭に迷うはずだった金屯(かなとん)兄弟は町で手厚く保護され、不自由なく育ってきた。純夜が親という概念を知らなくてもよいほど幸せに。
「父さんはべんきょーばっかで全然だけどな」
 「家にいると、息が詰まる」と光輝が弱音をはくので、純夜はおかゆを口に含みながら、目を丸くした。
「俺のせいなのに、な」
 弱々しくつぶやかれた言葉に、純夜はどう返していいのか、考えこむ。
 光輝のせいじゃない。お父さんだって忙しいだけで、光輝のこと、大切に思ってるよ。僕だって、僕だって──。
「病人の前でする話じゃなかった。今はしっかり食べてたっぷり寝て、早く治せよ」
 おかゆの器は空になっていた。光輝が買ってきたのか、家になかったはずのプリンを手にして、彼はフタを開けて、「食べるか?」と差し出してくる。
「いい。もう開けちゃったんだから、光輝が食べて」
「いーよ。ラップして冷蔵庫、閉まっておくから」
「いいの。食べて」
 昨日、体育祭の打ち上げでたらふくおいしいものを食べるはずだったのだから。
「光輝が食べてるところ見てると元気出るから」
 「そ、そうか?」と光輝は怪訝な顔をしながらも、スプーンでプリンを(すく)いとって口に放りこんだ。
「うま」
「よかった」
 「プリン食べるの見届けたら寝ろよ?」と彼がスプーンでかきこもうとするので、純夜は「もったいないから、ちゃんと味わってよ」と苦笑した。
 あま、おいし、うんめ。純夜はひざを抱え、頰杖をつきながら、光輝の食レポを楽しんだ。
 プリンを食べ終わっても何かと世話を焼こうとするので、あまり一緒にいると風邪がうつるから、ゆっくりしっかり寝たいから。色んな理由をつけて、純夜は光輝を部屋から追い出した。
 扉が閉まる。彼は天井を眺める。一人になれば、止まっていた思考が動き出す。
 光輝の家族の話。短くて、悲しくて、今も心に居座りつづける重し。彼にとって家族の話は、幸せなだけの重さではない。
 変なこと、聞いちゃった。
 プリンでごまかそうとした自分を純夜は恥じて、布団のなかでひざを抱えこむ。
 仲のいい幼なじみだから、誰よりも近くにいる。けれども、距離感を測りまちがえてはいけない。
 幼なじみだからって、何でも話せるわけじゃない。仲がなければただの他人同士だ。
 謝ればよかった。言いづらいこと、聞いてごめんって。
 たったその一言が思いつかなかった自分はやはり、幼なじみという関係性に甘えすぎている。そうとしか考えられず、純夜は一人、唇を噛んだ。