末永くお鈍いもふしてあげます

 大泣きしていた一年生が、最後まで走りきり、転ばないでゴールできたのを共によろこんだあと。
 純夜はスタートラインに立っていた。脇は応援する観客たちで埋め尽くされている。
 開始前から熱狂する観戦者。期待のこもった、ハードル走最下位の一年生のまなざし。一位を取ると言った手前、引くに引けない大一番。
 上手くできないからって。周りからたくさん責められてきたわけじゃないけれど。いつもできない子のレッテルを貼られ続けるのは、うんざりだった。
 息を詰めて、飛べ。
 花火が打ち上がる音。スタートだ。細い白線のなかを駆ける。畦道から落ちて散々鍛えた、幅の感覚。
 もも上げの結果の、飛び上がり。
 刹那、ふわりと舞い上がる。軽い。足って、こんなにも軽いんだっけ。
 見える。花火の光が。つかむ、その先を。
 目の前の光に向かって、必死に手を伸ばし続けていたら、ゴールテープを切っていた。
 この僕が?
 身体が浮遊しきって、着地できない。足が変に曲がった。
 ああ、転ぶ。なんでいつも僕はこんな大事なところで。
「おめでとう!」
 勢いよく抱きついてきて、傾く体を抱きとめたのは、光輝だった。
「すみくん、おめでとう!」
 号泣しながら走ってくる兄、代依。
「納期の仕事を終わらせて、疾風神速さんに発送を頼んだらついでって送ってもらったんだ」
 隣に幼なじみ、その反対隣に兄。優勝をよろこんでくれる大切な二人。まさに両手に花だ。
 士気が上がりに上がった白組は、昼休憩のあとも勢い衰えることなく、玉入れ、綱引き、騎馬戦も勝ち抜き、見事、総合優勝を果たした。
「見たか、三年生の底力を」
 総合優勝、個人戦、二位だったらしい、メガネくんが誇らしげにのたまう。どこの組かは知らないが、彼も意外と体力無尽蔵タイプなのかもしれない。
「純夜」
 ふと、純夜は光輝に呼ばれた。反省会が終わり、勝利の余韻に浸りながらダラダラしていた純夜は、ふらりと彼に近づいていった。
 耳寄せてと身ぶり手ぶりされる。純夜は彼に耳を貸した。
「足、大丈夫か?」
 心臓が音を立てて跳ね上がった。やっぱりお見通しだったかというあきらめと、またヘマをやらかした恥ずかしさやら悔しさやらで、純夜は泣きだしてしまった。
「保健室、行くぞ」
 ひょいっと抱き上げられ、教室のざわめきが止まった。ついでに純夜の涙も引っこむ。
「保健室、行ってくる」
 光輝はそう力強く宣言して、純夜を易々と抱えて教室を出ていく。
「え、待って、下ろして」
 純夜は「大丈夫、足痛くない」と必死に訴えた。
「ダメ。暴れんな」
 光輝が言うことを聞いてくれない。眉間にシワが寄っている。目が怖い。彼はもしや怒ってる?
「なんで、怒ってるの」
「怒ってない」
 怒ってないと言うがなおも、光輝は純夜を下ろさない。いったいどこへ連れて行こうというのか。
 保健室はとうに過ぎた。今日は空いてない、給食室の扉の前。
 光輝がようやく純夜を下ろした。光輝がその場にひざまずくように座りこむ。
「ハイタッチの手、出して」
 純夜もかがんで、手を差し向ける。その手に、光輝の手がゆっくりと重なっていく。
 互いに顔を近づけ合い、額と額がぶつかった。
 こらえるような呼吸のわずかな音。上下する胸。しかめられた眉。体温や呼吸、リズムを確かめるような間。
 ああ、そうか。これは。
「おまじない、かけてほしかったの?」
 くっつく頭がゆっくりと上下して動いた。
「泣かせたから、おかしくなりそうで」
「ごめん。僕もおかしくなった」
 くすりと笑う。なんだ、光輝も同じか。
「なんだよ」
「光輝、仏頂面、珍しいなって」
 幼い頃、光輝の表情はずっと固かった。純夜と手を繋いでいる間だけは、少しだけ、表情をほころばせたが、すぐに元に戻ってしまうの繰り返し。
 恐れ知らずの純夜は、光輝の凝り固まった表情筋をほぐそうと、指で顔中を押し伸ばしていた。
 幼いときからやってきた儀式みたく、純夜は光輝のほおを両手で包みこんで、むぎゅむぎゅと押した。
「顔がヘコむ。やめてくれ」
「元が固いんだから大丈夫」
 光輝の表情が緩んだ。純夜は満足して手を離そうとする。
 離れていこうとする手を今度は光輝が包みこんで止めた。
「もう少しこのまま」
 誰かがここを通りやしないだろうか。心配したクラスメイトが追ってこないだろうか。種々の不安を抱えながらも、時は静かにゆっくりと過ぎていった。