末永くお鈍いもふしてあげます

 プログラム、ハチマキ、持った、体操着は着た、お弁当、水筒、万一の自習道具よし!
 今日は光輝との待ち合わせがないから……とにかく道中気をつける!
「すみくん!」
 玄関先で、もう家を出ようと靴を突っかけていた純夜を兄が呼んだ。
「ファイト!」
 握りこぶしを見せて、兄はニッと笑った。
「ありがとう! 行ってきます、よい兄」
 今日は光輝と待ち合わせがなく、なんとなく沈んでいた純夜だったが、兄から特大の元気をもらえた気がしていた。
 今日も光の明滅がまぶしい。天は味方したような、さわやかな晴天だ。
 恵まれた気候にのんびりしすぎて遅れないように。水田に落ちないように、転んでケガをしないように。純夜は気をつけすぎて汗だくになりながら、何とか無事、高校にたどり着く。
 朝礼も終わり、準備体操も済み、行進がはじまる。旗手団以外は、応援席で拍手や歓声で出迎えるのが慣例だ。
 しかし、晴天に反して、体育祭は不穏な幕開けとなった。聖火トーチを自作してきた本気のバカにより、教員陣の説教から開幕した。
 説教タイムにより、プログラムの時間が押してしまった。予定がうしろ倒しに崩れていくのは目に見えている。
 教員たちの急かす声が響きわたり、純夜はそわそわした気持ちになる。自分が足を引っ張らないといいなと。
 せっかく、光輝が旗手を務める行進も気がそぞろになってしまい、純夜はゆっくりと落ち着いて見ていられなかった。
 一種目は短距離走。光輝の走りを見るぞ、という純夜の心の準備が整う前に、ピストルが鳴り響き、一瞬で終わってしまう。
 もちろん、光輝がぶっちぎりの一位。
 ずっと見ていなくても、姿を見失わないぐらい、頭一つ抜けている。むしろ、目が追いつかないほどの、電光石火の瞬足だった。
「まあ、次の長距離走。この光速の足を持つ僕に敵うかな?」
 このメガネの人、何組の誰だっけ。光輝に話しかけているようだったが、彼は純夜にピースサインを向けていて、気づいていないようだ。
 かわいそうだが、長年の幼なじみの仲はそうそう割って入れるものじゃないよ。
 純夜も小さくピースを返すと、光輝がガッツポーズを決めてよろこび、飛び跳ねた。
 それぐらいでよろこぶなんて。かわいいやつだな。
 続く長距離走は、短距離走とはちがい、校庭のトラックを何周もするので、一瞬で終わったりはしない。
 はずだが。
 光輝が初速から飛ばしていた。みるみる集団との距離を離していく。
 魔法みたいな走り。彼の魔法に見入られた自分。自分のためだけに走っているわけじゃないのに、かんちがいしそうになる。
 胸が躍り、純夜は目を輝かせる。光輝が走ったあとに、色とりどりの光が棚引いているように見える。
 すごい、すごい。
 ゴール付近が慌ただしくなり、あっという間に、ゴールテープが切られる。
 光輝があふれんばかりの笑顔の首位だ。
「ふっ、さすが未来の聖火ランナー」
 さっきのメガネの男子、息を切らしながら、だいぶ遅れて二着。いったい、君は彼のなにを知っているんだい。
 光輝はクラスメイトに囲まれ、うれしそうだ。純夜は輪の外から、気づかれなくてもいいからと小さく手を振ったが、気づいた光輝がふり返してきた。
 純夜はしばらく、手を振る人形になっていた。次が純夜の運命の決戦。彼は緊張でおかしくなっていた。
「おい、純夜、固まってるぞ」
 光輝にぎゅっと肩を摘ままれ、「かった!」とごりごり揉みほぐされ、「いきなり何すんだ」と純夜は体をよじった。
 メガネくんが「なるほど」とつぶやく声が聞こえた。
 少しの休憩ののち、次はいよいよハードル走。純夜の出番だったのだが。
 スタート時間が迫るなか、ハードルが一つ、足りないと大騒ぎになる。
「昨日、確認したはずです」
 光輝が声を張り上げる。「いや、それが今、確認したら、どうしても足りなくて」と頼りなさげな声が上がる。
「予備もないので、はい。じゃあ、疾風神速さんに頼みます」
 先生がなにを言っているのか、生徒たちは一瞬、理解ができなかった。言葉の意味が分かったあとも、光輝も純夜も、理解が追いつかない。
「毎度。兎神町内最速、神速、それなりサービス。疾風神速です」
 先生が電話をしてから数分もしないで、トラックが駆けつけてきた。先生以外、みな、開いた口が塞がらない。「速人くん、大丈夫ですか?」「せがれは病弱でご迷惑を」「これ、田んぼに落ちてましたので汚れてますが」と二言三言会話をして、疾風神(はやてしん)の父親が走り去っていった。
「これで解決しましたね。さて、ハードルをキレイにしたら、競技を再開しましょう」
 水田に刺さっていたというハードルは、泥に浸かっていたが、この晴天ですぐに乾いた。
 水田に埋まるハードル。また七不思議が増えるなと誰かが口を挟む。
 途端、生徒がひとり、泣き出した。
「絶対、びりっけつになるから嫌だあ」
 純夜の目が、泣くその子を上から下までなぞる。緑服、白ハチマキ。一年生で、共に戦う仲間だ。
「君はこの学校に来て、まだ間もないかもだけど」
 純夜はかがんで、泣く一年生に目線を合わせた。
「僕は三年生にもなっても、ずっとびりっけつだよ」
 「やだ、僕、勝ちたい」とその子は泣きじゃくる。
 何かお守りになるような、不安を和らげるような言葉を。
「お兄さんが一位を取るから、安心して走って」
 「みんなで勝とう」と純夜はその子の両肩を叩く。
「みんなで?」
「そう、みんなで」
 体育祭には、個人と団体の表彰がある。団体は同じ色のハチマキの、チームの総合点で競われる。
 純夜はニッと笑って、額を指さす。それを見て泣きやんだ一年生は「がんばる」と涙を拭った。
「万年最下位の生ける伝説、金屯(かなとん)くんが言うと、とても説得力があった」
「燃えてきたぜ」
 チームが大いに盛り上がり、純夜は大粒の汗を垂らした。