森へ足を踏み入れれば、時空が切り替わったかのように空間が歪む。葉の茂った背の高い木々が、月明かりを覆い隠してしまい、森はうんと暗く、懐中電灯の灯りだけが頼りだ。
「祠まで行けばいいんだな?」
「貴様、早く辿りつきたいなら、この森では純夜に合わせろと言ったじゃろうが!」
少しでも先を急ごうとした光輝が兎神さまに叱られていた。
「一緒に行こうね」
「はーい」
光輝は兎神さまにはベーっとして悪態をついたのに、純夜には素直に従った。
二人の協力が鍵なのに、これじゃあ、先が思いやられるなあ。
純夜は内心、心配と不安で悶々としていた。
「兎神町は流星の災いがあってから、色んなよそ者が押し寄せ、良くも悪くも町をかき乱したもんで、よそ者に厳しくなってのう」
兎神町の人はよそ者に限らず、流星の被害について、負の遺産と誰も口を割らなかった。だからこそ、純夜はずっと知らなかったのだ。
「もしも今度なにごとか、起こったとしても、町外へ避難できそうにないんじゃ」
「なんで父さん、町会に言わねぇのかと思ったけど」と光輝がつぶやく。
「そうじゃ。貴様の父親は、そういう町の事情も汲んで、口をつぐむことにしたんじゃろうな」
祠の前にたどり着く。祠の周辺は草が刈り込まれ、落ち葉が払われ、やはりキレイに掃除されていた。
そして、祠に供えられた夜光石の数々。純夜たちが、〝光を当てた夜光石を供えれば願いが叶う〟といううわさの流布に、一役買った成果だ。
「じゃがな、我を思ってくれる者たちのため、今度こそ、我はやってみせるぞよ!」
兎神さまは僕の生まれるずっと前から、兎神町の神さまとして、この町を見守ってきたのだろう。だからこそ、あのとき、兎神町を守れなかったこと、きっと、悔しくて歯がゆかったにちがいない。
純夜は「うん、やりましょう」とこぶしを突き上げる。
「いいか? 夜光石を祠の周りに並べるのじゃ。終わったら、光輝を前に、純夜がそのうしろに。それで純夜が祠に座れば我が守ってやれる」
「祠に座る……わかりました」
神聖な場所におしりをつくというのは、純夜には非常に気が引け、顔を引きつらせたが、背に腹はかえられない。
夜光石を祠を囲うようにして並べ、位置につく。
「我が放てと言ったら、光輝は空に向けて両手を掲げ、光を放つ。純夜は光輝にしっかりとしがみついて、目をつむるのじゃぞ?」
「うぃーっす」
「は、い! わかりました!」
祠の前に座るとひんやりとして、純夜は体を震わせた。すぐに彼は光輝に抱きついて暖を取ろうとする。
「抱きつくの早くねえか?」
「……ごめん」
「細かいことはいいのじゃ!」
息を呑んで、合図を待つ。純夜には星の瞬きは一切、見えない。
真っ暗な森で、光輝の呼吸音、呼吸で上下する体、彼の体温しか分からない。
「今じゃ、放て!」
純夜は慌てて目を閉じる。光輝の肩が動く。遅れて、森が拓けるような強風が吹き荒れる。
まぶたの裏まで光で焼きつくされそうだ。
純夜は光輝の背中にしがみつきながら、その背に額をくっつけ、目を覆うようにした。
暴風が吹くなか、遠く、上空で、轟音が鳴り響く。
「やったか!?」
「まだじゃ、続けよ!」
光輝と兎神さま、二人の声がする。安堵を覚えつつも、純夜は吹き飛ばされそうになり、光輝に必死にしがみついて耐えた。
やがて、十一月に季節外れの花火の音が響く。
「おわ、」
「気を抜くな、反動が来るぞ!」
刹那、背後で轟音が鳴り響き、背中の支えがなくなる。祠が砕け散り、二人は後方に吹き飛ばされた。
どこまでも、どこまでも、果てしなく飛ばされていき、ようやくどこかに着地できたと感じた瞬間、純夜は意識を失った。
真っ暗な夜空に星の瞬き。一つ、二つ、三つ、光っては次々と消えていく。
行かないで。願いは届かない。
最後の一つが消えて、暗黒が訪れたとき、純夜は目を覚ました。
「助かった……?」
純夜の腹の上に、光輝の頭がある。
「兎神さま……」
純夜の頭のうしろには。
衝撃で潰れてしまった、うさぎのぬいぐるみの姿があった。
「そんな、兎神さま……!」
「あ、れ? やったのか……?」
光輝が目を覚ます。彼は空を見上げた。
「星が少なくなってる」
「うん……でも、兎神さまが」
光輝がその場にあぐらをかく。彼は純夜の肩を抱きこんだ。
潰れて生地が痛んでしまった、うさぎのぬいぐるみ、兎神さまを抱え、純夜は涙を流した。
兎神町を再びの流星の災厄から救うことができた。けれども。
町の守り神、兎神さまの祠は壊れてしまった。兎神さまが乗り移っていた、もふこみゅーるも、純夜をかばってほろぼろになり、兎神さまは力を使い切ったのか、もう一言も発してはくれず。
よころびをともに分かち合えず、失意を抱えながら、二人は帰路につく。
まずは、光輝の家に。彼の父親に泣いて抱きしめられる。光輝は居心地が悪そうにしていた。
「じゃあ、光輝、また」
「俺も純夜の家までついてく」
「でも、夜遅いし、疲れたでしょ……?」
「純夜の家に泊まればいいじゃん」
「まぁ、構わないけど」と純夜は疲労で頭が回らず、これ以上の説得をあきらめた。
「それ、もふ公、純夜のお兄さんなら直せるんじゃね?」
「でも、大事にしてたのにこんないきなりヒドい感じにしちゃって、すみ兄になんて言えば……」
「大事にしてたけど、うっかり転んで踏んじゃったって言えばいいだろ」
純夜の口角が自然と上がる。
「なんかそれ、僕らしいな」
家の前にたどり着く。重かった純夜の足取りは少しだけ軽くなっていた。
扉をそっと開ける。リビングに明かりが点いていた。
「ただいま……」
「おかえり!」
今まで純夜が聞いたことのない大きな声で、代依が言った。彼が駆け寄ってきて、玄関先で二人を強く抱きしめる。
「本当に、無事でよかった……っ!」
「よい兄。心配かけてごめんなさい」
「心配かけました」
ぎゅうと抱き寄せられる。
「二人とも、大人を頼らないで、まったく、もう!」
二人は怒られる覚悟で身構える。
「すごく成長したね……!」
チグハグな態度で褒められ、二人は苦笑した。
「あの、よい兄。もふこみゅーるが、僕がドジ踏みして転んじゃって、ぼろぼろになっちゃったんだけど、直してもらえないかな?」
ぼろぼろになってしまった、うさぎのぬいぐるみを純夜がおずおずと差し出すと、「わー! 大変! もふこみゅーる、大ケガ!」と代依が慌てる。
「でも、なんとか植毛したり、繕ったりで直せると思うよ」
「ほんと!? よかった!」
「もふこみゅーるは預かっておくから、二人とも、今日はおやすみ」
「煌くんも今日は泊まっていってね」と代依が二人から離れ、リビングに戻り、そのまま二階へと上がっていった。
「疲れたな」
「うん」
疲労こんぱいで二人はふらふらしながら、二階へ上がる。二人は部屋に入り、何も考えず、二人でベッドに直行し、突っ伏した。
「このもふもふ、染みるな」
「わかる」
顔だけを布団に押しつけ、中味のない会話をしながら、ベッドに二人して上がった。
布団をかぶって、彼らは寄り添う。
なんか、どこからか、声がするような。
「ここまできて、最後のイチャイチャが見れないだと!? なんて仕打ち!」
「もしかして、兎神さま……?」
「いーよ。兎神の依り代、直してもらわなきゃだし」
「この薄情者ども! 末代まで呪ってやるぅッ!」
「いいか! 二人で夜の森に行くんじゃないぞ! 死ぬからな!」と、どこからか、兎神さまの叫ぶ声がする。
「ふふ。兎神さま、生涯、見守ってくれるらしいよ? よかったね! これで僕ら、安泰だ」
「あとで祠、直してやればチャラだろ」
光輝が笑った。
触れた先から、お互いの体温が移り、混ざり合って温くなっていく。
眠くてまぶたが落ちる。目を閉じると、唇に柔らかいものが触れた。
そういえば夏祭りの夢で、こんなことあったっけ。そんな夢の話をしたら、光輝が夢にやきもちを焼く気がして。
純夜はじんわりと口先から移される、ぬくもりと柔らかい感触に心躍らせながらも、大好きな匂いに包まれて、幸せなまどろみに浸る。
ふわふわとした気持ちになっても、思い浮かぶのは、まぶしくて届かない陽光みたいな君の笑顔と、足が速くて先へどんどん行けてしまう君。
足が遅くて、君にとうてい追いつけやしない僕は。
足を伸ばして、甘えるように絡めた。ふふ、この距離なら。
「えっ」と声が降ってきて、純夜はとても気分が良くなった。
「祠まで行けばいいんだな?」
「貴様、早く辿りつきたいなら、この森では純夜に合わせろと言ったじゃろうが!」
少しでも先を急ごうとした光輝が兎神さまに叱られていた。
「一緒に行こうね」
「はーい」
光輝は兎神さまにはベーっとして悪態をついたのに、純夜には素直に従った。
二人の協力が鍵なのに、これじゃあ、先が思いやられるなあ。
純夜は内心、心配と不安で悶々としていた。
「兎神町は流星の災いがあってから、色んなよそ者が押し寄せ、良くも悪くも町をかき乱したもんで、よそ者に厳しくなってのう」
兎神町の人はよそ者に限らず、流星の被害について、負の遺産と誰も口を割らなかった。だからこそ、純夜はずっと知らなかったのだ。
「もしも今度なにごとか、起こったとしても、町外へ避難できそうにないんじゃ」
「なんで父さん、町会に言わねぇのかと思ったけど」と光輝がつぶやく。
「そうじゃ。貴様の父親は、そういう町の事情も汲んで、口をつぐむことにしたんじゃろうな」
祠の前にたどり着く。祠の周辺は草が刈り込まれ、落ち葉が払われ、やはりキレイに掃除されていた。
そして、祠に供えられた夜光石の数々。純夜たちが、〝光を当てた夜光石を供えれば願いが叶う〟といううわさの流布に、一役買った成果だ。
「じゃがな、我を思ってくれる者たちのため、今度こそ、我はやってみせるぞよ!」
兎神さまは僕の生まれるずっと前から、兎神町の神さまとして、この町を見守ってきたのだろう。だからこそ、あのとき、兎神町を守れなかったこと、きっと、悔しくて歯がゆかったにちがいない。
純夜は「うん、やりましょう」とこぶしを突き上げる。
「いいか? 夜光石を祠の周りに並べるのじゃ。終わったら、光輝を前に、純夜がそのうしろに。それで純夜が祠に座れば我が守ってやれる」
「祠に座る……わかりました」
神聖な場所におしりをつくというのは、純夜には非常に気が引け、顔を引きつらせたが、背に腹はかえられない。
夜光石を祠を囲うようにして並べ、位置につく。
「我が放てと言ったら、光輝は空に向けて両手を掲げ、光を放つ。純夜は光輝にしっかりとしがみついて、目をつむるのじゃぞ?」
「うぃーっす」
「は、い! わかりました!」
祠の前に座るとひんやりとして、純夜は体を震わせた。すぐに彼は光輝に抱きついて暖を取ろうとする。
「抱きつくの早くねえか?」
「……ごめん」
「細かいことはいいのじゃ!」
息を呑んで、合図を待つ。純夜には星の瞬きは一切、見えない。
真っ暗な森で、光輝の呼吸音、呼吸で上下する体、彼の体温しか分からない。
「今じゃ、放て!」
純夜は慌てて目を閉じる。光輝の肩が動く。遅れて、森が拓けるような強風が吹き荒れる。
まぶたの裏まで光で焼きつくされそうだ。
純夜は光輝の背中にしがみつきながら、その背に額をくっつけ、目を覆うようにした。
暴風が吹くなか、遠く、上空で、轟音が鳴り響く。
「やったか!?」
「まだじゃ、続けよ!」
光輝と兎神さま、二人の声がする。安堵を覚えつつも、純夜は吹き飛ばされそうになり、光輝に必死にしがみついて耐えた。
やがて、十一月に季節外れの花火の音が響く。
「おわ、」
「気を抜くな、反動が来るぞ!」
刹那、背後で轟音が鳴り響き、背中の支えがなくなる。祠が砕け散り、二人は後方に吹き飛ばされた。
どこまでも、どこまでも、果てしなく飛ばされていき、ようやくどこかに着地できたと感じた瞬間、純夜は意識を失った。
真っ暗な夜空に星の瞬き。一つ、二つ、三つ、光っては次々と消えていく。
行かないで。願いは届かない。
最後の一つが消えて、暗黒が訪れたとき、純夜は目を覚ました。
「助かった……?」
純夜の腹の上に、光輝の頭がある。
「兎神さま……」
純夜の頭のうしろには。
衝撃で潰れてしまった、うさぎのぬいぐるみの姿があった。
「そんな、兎神さま……!」
「あ、れ? やったのか……?」
光輝が目を覚ます。彼は空を見上げた。
「星が少なくなってる」
「うん……でも、兎神さまが」
光輝がその場にあぐらをかく。彼は純夜の肩を抱きこんだ。
潰れて生地が痛んでしまった、うさぎのぬいぐるみ、兎神さまを抱え、純夜は涙を流した。
兎神町を再びの流星の災厄から救うことができた。けれども。
町の守り神、兎神さまの祠は壊れてしまった。兎神さまが乗り移っていた、もふこみゅーるも、純夜をかばってほろぼろになり、兎神さまは力を使い切ったのか、もう一言も発してはくれず。
よころびをともに分かち合えず、失意を抱えながら、二人は帰路につく。
まずは、光輝の家に。彼の父親に泣いて抱きしめられる。光輝は居心地が悪そうにしていた。
「じゃあ、光輝、また」
「俺も純夜の家までついてく」
「でも、夜遅いし、疲れたでしょ……?」
「純夜の家に泊まればいいじゃん」
「まぁ、構わないけど」と純夜は疲労で頭が回らず、これ以上の説得をあきらめた。
「それ、もふ公、純夜のお兄さんなら直せるんじゃね?」
「でも、大事にしてたのにこんないきなりヒドい感じにしちゃって、すみ兄になんて言えば……」
「大事にしてたけど、うっかり転んで踏んじゃったって言えばいいだろ」
純夜の口角が自然と上がる。
「なんかそれ、僕らしいな」
家の前にたどり着く。重かった純夜の足取りは少しだけ軽くなっていた。
扉をそっと開ける。リビングに明かりが点いていた。
「ただいま……」
「おかえり!」
今まで純夜が聞いたことのない大きな声で、代依が言った。彼が駆け寄ってきて、玄関先で二人を強く抱きしめる。
「本当に、無事でよかった……っ!」
「よい兄。心配かけてごめんなさい」
「心配かけました」
ぎゅうと抱き寄せられる。
「二人とも、大人を頼らないで、まったく、もう!」
二人は怒られる覚悟で身構える。
「すごく成長したね……!」
チグハグな態度で褒められ、二人は苦笑した。
「あの、よい兄。もふこみゅーるが、僕がドジ踏みして転んじゃって、ぼろぼろになっちゃったんだけど、直してもらえないかな?」
ぼろぼろになってしまった、うさぎのぬいぐるみを純夜がおずおずと差し出すと、「わー! 大変! もふこみゅーる、大ケガ!」と代依が慌てる。
「でも、なんとか植毛したり、繕ったりで直せると思うよ」
「ほんと!? よかった!」
「もふこみゅーるは預かっておくから、二人とも、今日はおやすみ」
「煌くんも今日は泊まっていってね」と代依が二人から離れ、リビングに戻り、そのまま二階へと上がっていった。
「疲れたな」
「うん」
疲労こんぱいで二人はふらふらしながら、二階へ上がる。二人は部屋に入り、何も考えず、二人でベッドに直行し、突っ伏した。
「このもふもふ、染みるな」
「わかる」
顔だけを布団に押しつけ、中味のない会話をしながら、ベッドに二人して上がった。
布団をかぶって、彼らは寄り添う。
なんか、どこからか、声がするような。
「ここまできて、最後のイチャイチャが見れないだと!? なんて仕打ち!」
「もしかして、兎神さま……?」
「いーよ。兎神の依り代、直してもらわなきゃだし」
「この薄情者ども! 末代まで呪ってやるぅッ!」
「いいか! 二人で夜の森に行くんじゃないぞ! 死ぬからな!」と、どこからか、兎神さまの叫ぶ声がする。
「ふふ。兎神さま、生涯、見守ってくれるらしいよ? よかったね! これで僕ら、安泰だ」
「あとで祠、直してやればチャラだろ」
光輝が笑った。
触れた先から、お互いの体温が移り、混ざり合って温くなっていく。
眠くてまぶたが落ちる。目を閉じると、唇に柔らかいものが触れた。
そういえば夏祭りの夢で、こんなことあったっけ。そんな夢の話をしたら、光輝が夢にやきもちを焼く気がして。
純夜はじんわりと口先から移される、ぬくもりと柔らかい感触に心躍らせながらも、大好きな匂いに包まれて、幸せなまどろみに浸る。
ふわふわとした気持ちになっても、思い浮かぶのは、まぶしくて届かない陽光みたいな君の笑顔と、足が速くて先へどんどん行けてしまう君。
足が遅くて、君にとうてい追いつけやしない僕は。
足を伸ばして、甘えるように絡めた。ふふ、この距離なら。
「えっ」と声が降ってきて、純夜はとても気分が良くなった。
