きみの呼ぶ声がする


「資料室の鍵?」
 放課後の職員室。
 いつものように資料室の鍵を借りようと声を掛けると、担任はなぜか不思議そうな顔をしていた。
「いいけど……最近よく借りにくるけど、なんかあるのか?」
「ちょっと調べたいことがあって」
「ふーん。あそこはかなり古い時代のものも残ってるからなあ、南場が勉強熱心になって嬉しいぞ」
 どうやら変な勘違いをされているらしい。
 俺としてはいい印象を与えられて一石二鳥だから、特に訂正はしないでおいた。
「熱心といえば、金光もよく借りに来てたな。おまえら仲良いんだろ?」
「……金光が?」
 不意を衝かれた俺は、思わずそう聞き返した。金光の部屋で見つけた旧校舎にまつわるノート。あの中に貼られていた記事はおそらく、すべて資料室で集めたものだろうとは踏んでいた。
「それいつからっ!?」
「え……えーっと、そうだな……確か半年前ぐらい……?」
「半年前……?」
 しかし返ってきた言葉は、俺を絶望させるには十分なものだった。
 そんなに前から調べていたのか……?
 俺が怪異に追いかけ回されるようになったのは一か月半ほど前のことだ。
 これで確信した。
 やっぱり金光は、旧校舎で俺と遭遇するより前に、何らかの情報を事前に掴んでいたんだ。
 問題はそれを何のために調べていたのかということ。
 まだ〈ターゲットは南場〉というあの言葉の意味だって謎なままだ。
 他になにかないだろうか。
 どんな些細なことでもいい。旧校舎について情報を得られる方法があるとすれば──。


『おう南場。いきなり電話なんかしてきてどうしたよ』
「さっきメッセで送っただろ。いいからはやくしろよ」
 挨拶もそこそこに俺がそう言えば、電話越しに上原が『はあ~!?』と絶叫した。
 俺は今、金光の部屋のベッドの上で両膝を抱えながらスマホを耳に当てている。
『さっきったって十秒前ぐらいだろ。まだ写真の確認できてないけど』
「時間がねえから今すぐ見てくんね?」
『はあ……相変わらずおまえって横暴だよなあ』
 『そんなんだから女の子にすぐ振られるんだぞ』と、いつものくどくどとしたお説教が聞こえてくる。
 ブツブツ言いながらも上原はきっと写真を選んでくれているはずなので、俺は素直に相槌を打っておいた。
 ずっと金光と一緒に行動している俺にとって、一日のうちで金光と離れているのは互いの風呂かトイレのときぐらいだ。
 今は金光が入浴中という絶好のチャンス。その隙をついて、上原に頼みごとをした次第だ。
『──はい。半年前の五月から今までで、旧校舎が写ってる写真は一応ぜんぶ送ったよ』
「さんきゅ。恩に着るわ」
『でもこんなものなにに使うの? 遊び半分で首つっこんで、オバケに襲われたりすんなよ~』
 通話を切ると、俺は早速届いた写真を確認した。
 写真部の上原は、よく活動の一環として放課後に校内写真を撮り歩いている。
 その中に旧校舎の写真があれば、もしかしたら俺の欲しい情報が手に入るかもしれないと思ったのだが──。
「……いた」
 その姿を見つけた俺は、思わず声を漏らした。
 やっぱり、俺の予想通りだ。
 十数枚送られてきた中の一枚。そこには金光が旧校舎から出てくる写真が写っている。日付は担任が言っていたように、半年ほど前のものだった。
「やっぱりアイツ、前から調べてたんだ……」
 真相に近付くにつれて、徐々に心が曇り始めるのがわかる。
 知りたくない。
 だってぜんぶ知ってしまったら、傷付くような予感がしている。
「あれ、これ……」
 俺は上原から送られてきた、最後の一枚に目を留めた。
 写真には、旧校舎の窓から外の裏庭を見下ろしているらしい金光の横顔が写っている。
 その視線の先には──。
「……俺だ」
 渡り廊下を友人と歩く、俺の姿があった。
 この頃は今みたいに一緒にいることはなかったし、仲が良いわけでもなかった。
 顔を合わせれば俺が金光を煽って、それに金光が煽り返して──そんな浅い関係性だったのに。
〈ターゲットは南場〉
 ノートに書かれていたあの一文が脳裏をよぎる。
 まさかずっと、金光は俺のことを──。
「──なに見てるの?」
 突然上から声が降ってきて、ぞくっと背筋が凍る。
 顔を上げれば、いつのまにか金光がすぐそばに立っていた。
 彼の顔にはいつも通りの笑みが貼り付いている。その笑顔すら、今の俺には不気味に思えて仕方がなかった。
 誤魔化そうと思えばいくらだってできる。
 なにも知らないふりをしたまま、身の安全のためにやり過ごすことだって。
 だけど、もう限界だった。
 これ以上抱えていたら、嫌でも金光を疑ってしまうと思った。 
「……これはどういうことだよ」
 俺は静かにベッドから降りると、さっきまで見ていた写真を金光の眼前に突き付けた。
 金光は特に驚くこともなく、黙って写真を見つめている。
「おまえは俺が怪異に誘われて旧校舎に行ったあの日より前から、なにか知ってたんだろ? だけど後ろめたいことがあるから、ずっと俺の前では知らないふりをしてた」
「……」
「アイツ、前におまえの名前を呼んでたんだ。カネミツって……。追いかけ回されてるのは俺のはずなのに、おまえの名前ばかり呼ぶなんておかしいと思ったんだよ。本当は前から何度も遭遇してたんだよな?」
 頭の中で立てていた仮説をすべてぶつける俺に対して、金光は否定も肯定もしない。
 本当はすぐに否定してほしかったし、なにか言い訳があるなら言ってほしかった。
 だけど金光はいつものように微笑んだまま、静かに俺の言葉を聞いている。
「資料室で抜けてた資料もおまえが持ち出したんだろ? この前おまえの部屋で見つけたんだ、スクラップされてるノート。ここからは俺の想像だけど──」
 言いたくない。
 言葉にして、そうだと言われたらどうしようって、そればっかり頭をよぎる。
 俺は太腿の横でぎゅっと拳を握ってから、意を決して顔を上げた。
「おまえはわざと俺を旧校舎に誘導するように仕向けた。……違うか?」
 すべてを見透かすように、まっすぐにその目を見る。
 なにを考えているかわからない金光だけど、意外と瞳には感情が表れていたりするのを俺は知っている。
 だから俺は気づいてしまった。
 金光の瞳から、光がすっかり消え落ちていることに。
「……そうだとしたら?」
 皮肉のように笑いながら、金光が久しぶりに言葉を発した。
 その言葉の意味を理解した瞬間に、かっと頭に血がのぼる。
 衝動のままに、その胸倉を掴み上げた。
「なんでっ、……っ信じてたのに! なんでそんなことしたんだよっ! 俺は……っ」
「落ち着こうよ南場。動揺しすぎだって」
「落ち着けるかっ! おまえはなんのためにっ……! 俺がどんだけ怖かったかわかるかっ!?」
 平凡な毎日を送っていたのに、突然怪異に追われる日常に一変した。
 金光がいなければどこにも行けないし、そばにいてもらわなければ、風呂すら入るのが怖い日だってあった。
 ベッドに入って目を閉じても、天井に何かいるような気配が抜けなかった。
 俺を救ってくれる頼れる存在。金光のことはそう認識していたのに、俺を苦しめていた元凶が金光だったなんて。
「……前に言ったよね。南場を他の誰も見てほしくないし、誰にも渡したくないって」
 俺に掴み上げられているというのに、金光は笑顔を崩さない。
 薄暗い瞳のまま、俺の目を覗き込んだ。
「すべては南場を手に入れるためだよ。南場が俺なしでは生きていけなくなるようにするため」
「は……?」
「俺がいないと南場は怪異に襲われるし、仕方なくでも俺のそばにいるしかない。……ね、作戦成功でしょ?」
 点と点が線で繋がった瞬間だった。
 つまり金光は、俺を自分の思い通りにするために、怪異を利用したのだろう。
 想像していたより最悪だ。俺は怒りを堪え切れずに、ぎりっと歯軋りをした。
「おまえ、歪んでる……!」
「あはは、どうもありがとう」
「褒めてねえよ……全然褒めてない……」
 怒りとショックで、頭がどうにかなりそうだった。
 どこから間違っていたんだろう。
 自分の意思で行動していたと思い込んでいたのに、結局俺は金光の手のひらの上で転がされていただけだったのか?
 ぜんぶ金光に仕組まれた偽物だった?
 俯く俺の手に、そっと金光の手が重ねられる。
「でも南場は実際、俺がいないとダメになっちゃっただろ。俺がいないと安心して毎日を送れない」
「……」
「どれだけ強がったって、結局俺のそばを離れられないんだよ」
「……っ、俺は」
 違う。俺は、俺はそんなつもりで金光に心を許したわけじゃない。
 確かに最初は、金光のそばにいれば怪異に襲われないからって理由でそばにいることを選んだ。
 でも次第に金光と一緒にいることそのものが、俺にとっての幸せになっていたんだ。
 現に今更こんなことを言われても、腹は立っても嫌いになりきれない自分がいる。
 だけど多分、俺と一緒にいることは、金光のためにならない。
「……も、いい。わかった」
 力なくそう言うと、俺は胸倉を掴んでいた手を離した。
 そのままふらふらと部屋の隅に歩いていくと、最初に金光の家に来たときに持ってきたスーツケースを畳の上に広げる。
 片っ端から服や荷物を詰め込んでいると、後ろから金光が俺の肩に手を置いた。
「南場、なにしてるの?」
「出ていく」
「わかってないの? 俺から離れたら南場はすぐに……」
 金光が言い終わるより前に、俺は金光の手を思いっきり振り落とした。
「こんな鳥籠の中みたいな生活強いられるぐらいなら、生きてたって死んでるも同然だろ。怪異だってなんだって、もうどうでもいいよ」
 驚いたように目を丸くする顔が視界に映る。
 最後に見る金光の顔ぐらい、いつもの笑顔がよかったな。
「俺はおまえの操り人形じゃない。おまえの思い通りになんてならない」
 そう言うなり、俺はもう金光のことを振り向くことなく、淡々と家を出る準備を進めていった。
 最後の荷物を詰め込み終わり、スーツケースを閉じる。
 「世話になったな」と言い残して部屋を出る。金光からの返事はなかった。