よく晴れた十月の或る日。この日は年に一度の体育祭だ。
俺はクラスごとに分けられたテントの下に上原と並び、うちわを扇いでいた。
「あっち~……。普通に夏だよなこれ。もうすぐ十一月とか信じられない」
「いや無理。こんな日に体育祭とかどうかしてるって」
「じゃあ南場、職員室にそれ言いに行ってきてよ」
「俺が行ったらマジで中止になって、女の子達が困っちゃうからなぁ」
「間違いないわ」
いつもの冷静なツッコミがないところからしても、上原も暑さで頭をやられてしまっているらしい。
せっかくのボケが不発に終わって消化不良だ。
同級生がグラウンドを駆けていく様子をぼうっと眺めていると、不意に上原がきょろきょろと辺りを見渡した。
「ていうか今日南場ひとり? 珍しいな、相方は?」
「金光ならそこ」
俺はテントの外にいる人だかりにうちわを向けた。
数人の女子が列を成しているその先には、ひとりひとりと写真を撮る金光の姿がある。
「おお、なんかアイドルの特典会みたいになってる」
「だるいよなぁ」
ずっとそばにいるから感覚が麻痺していたけど、並外れたルックスと人当たりの良さから、金光を神格化する女子は多いらしい。
現に今も金光という一般人と写真を撮っただけで、悲鳴のような声すら聞こえてくる。
「いいの南場、あれ放っておいて」
「別にそのうち適当に切り上げて帰ってくるだろ」
「……? そうじゃなくてさ」
上原はきょとんと首を傾げた。
「俺が言いたいのは、女の子独り占めされてるけどいいのかってことなんだけど」
「別に、んなことどうでもいいけど」
「どうでもいい……!?」
俺の返事を聞くなり、上原が「あの南場が……っ!?」と声を裏返らせながら椅子から立ち上がる。
俺はその芝居染みた言動に飽き飽きしながら、「うるせー」と冷静にその膝を叩いた。
「熱でもあったりする?」
「ねえわ。失礼なヤツだな」
「だって不気味だろ。あの南場が女子に興味を示さないなんて」
確かに以前までの俺ならば、悔しさを前面に出しながら何かにつけて金光に張り合っていたかもしれない。
だけど今は違う。
「もうそういうのやめたの。誰彼構わず遊ぶ気にはなれないっつうか……」
ずっと女の子をとっかえひっかえしながら遊んでいたのは、誰と遊んでも心が満たされなかったからだ。
一時は楽しくたってすぐに心の器が空っぽになって、別の女の子を求めていた。
こうして客観的に自分の心境を振り返ることができるようになって、初めて以前までの自分の行動の浅はかさに気づく。
「やっぱ熱あるだろ。ちょっとデコ貸せよ」
「うわだる。ねえって言ってんだろ」
「なんの話?」
上原に額を狙われそうになるのを防ぎながら取っ組み合いをしていると、頭上から金光の声がした。
「お、噂をすれば」
上原と同時に金光の方を見上げる。
金光はにこやかに微笑んだまま、静かに俺と上原の身体を引き剥がした。
「おつかれ、モテモテだったね。金光はアイドルにでもなった方がいいんじゃない?」
「上原ありがとう。いや俺なんて全然。南場ほどじゃないよ」
「あはは、だってよ南場。さっきからおまえと一緒にいたけど、おまえのところになんて誰一人来なかったけどな」
「あれ、そうだったの?」
「……っ、おまえらァ……っ!」
黙って聞いていればすぐこれだ。この二人が揃うと、大体話題は俺をからかう方向に運ばれる。
ガルガルと威嚇する俺をスルーしながら、上原と金光は会話を続けていく。
「金光はなに出るんだっけ」
「俺は南場と二人三脚」
「あ、そうじゃん。世にも面白い二人三脚。A組総出で応援するって決めてるから頑張れよ」
「マジやめろ。見せもんじゃねえんだよ!」
体育大会の種目は希望制で、去年の俺はリレーを選んだ。
今年は緩く大縄跳びだけでいっか、なんて思っていたのに、何故かクラスメイトに唆され、金光と二人三脚をすることになってしまったのだ。
「まあまあ、そう怒らずに。そうだ、南場も金光とのツーショット撮ってあげるよ」
「はあ? なんで俺が」
「写真部のエースに撮ってもらえるなんて光栄だろ~? それに金光が将来アイドルになったら箔が付くかも」
いやアイドル志望なんて一言も聞いたことないけど。
相変わらずの適当な言葉に呆れてしまうが、こうなってしまえば上原を止められる者はいない。
「いくよー」
上原が何やら高そうなカメラを構える。合図と共に金光が俺に顔を近づけた。
カシャッとシャッター音が鳴る瞬間に、こつんと頭がぶつかった。
「痛ぇんだけど」
「ごめん、強く当たりすぎた」
実際はそんなに痛くなかったけど。
そんな風に言ってしまったのは、単なる照れ隠しだ。
「あれ?」
不意に写真を確認していた上原がそんな声を上げるので、俺と金光は揃って視線を向けた。
「なんか南場の後ろ変じゃない?」
「は? どこが……」
画面を見せられた俺は、目を見張った。
俺の肩の辺りに、はっきりと黒い人のような形が写っていたのだ。
「う、うわーーっ!! け、消せすぐっ!!」
「これって心霊写真ってやつ?」
「え、なになに~?」
俺の叫び声と、上原の『心霊写真』というワードによって、わらわらと近くにいたクラスメイト達が集まってくる。
写真ひとつすらまともに撮らせてもらえないなんて……。
自らの置かれた境遇に嫌気が差して肩を落としていると、「てかさあ」と誰かが声を上げた。
「心霊写真といえば、誰か旧校舎の噂聞いたことある?」
「旧校舎……?」
その単語を聞くなり、俺は反射的に顔を上げた。
「なあ、それ詳しくっ」
「え、いいけど……」
近くにいた男子生徒声を掛ける。俺の勢いに圧倒されているっぽいが、なりふりなど構っていられない。
旧校舎の噂。それはきっと、今俺を苦しめている怪異に何かしら関連しているに違いない。
「三十年前に旧校舎で転落事故があったの知ってる?」
「いや、聞いたことない」
「そのときひとりの女の子が亡くなっちゃったんだよ。表向きは事故ってことにしてるんだけど、実は自殺らしいんだよね」
彼は声をひそめながら、言葉を続けた。
「それ以来旧校舎で怪奇現象が起きるようになって、学校側は何度も取り壊そうとしたけど、そのたびに工事関係者が不運に見舞われて工事が中止になっちゃったらしくて……だから立ち入り禁止のまま、今も残されてるんだよ」
自分の学校でそんなことがあったなんて、なにひとつ知らなかった。
やっぱりあの旧校舎は呪われてるのだろうか。
俺がどうして呪いの対象にされたのか、さっぱり理由はわからないけど……。
「でね、ここからが本題。最近旧校舎付近で、変な声が聞こえるらしいんだ」
「声……?」
「誰かを呼んでるっぽい声らしいけど、何言ってるのかは誰にもわからないんだって」
それってもしかして俺を呼んでいるんじゃ……?
心当たりしかない俺は、さっきの心霊写真を思い出して背筋が凍る。
「そういえば昔名前を呼ばれたとか言って旧校舎に向かっていった男子が、そのまま帰ってこなかったみたいな話聞いたことない?」
「あーそれ知ってる! 立ち入り禁止の札が立てられるようになったのってそれからなんだろ?」
「何人か行方不明になってるって……」
その後もクラスメイト達の話を聞いた感じ、俺以外にも怪異に憑りつかれた人は過去にいたみたいだった。
ただその中で無事だった人はひとりもいないらしい。
呪いを解く手掛かりを知りたくて聞いたのに、逆に恐怖に怯えることになってしまった。
俺に付き纏っている怪異は、きっと旧校舎で亡くなったという女子生徒なのだろう。
彼女がどうして俺を恨んでいるのか、それさえわかれば解決の糸口が掴めるんじゃ……?
俺は声を掛けようと、金光の方を振り返った。輪から少し離れたところで話を聞いていたらしい金光には、いつもの愛想のいい笑顔は見えない。なにかを考え込むようにじっと一点を見つめている。
その姿はいつもの爽やかな雰囲気とは掛け離れていて、声を掛けるのを躊躇ってしまった。
*
「結べたよ。痛くない?」
互いの足首を紐でひとつに結んだ金光が、俺の方を見上げて言う。「全然ヨユー」と返してやると、金光はゆっくりと立ち上がった。
「二人三脚なんて小学生ぶりだな」
「へえ。俺は人生初だわ」
「じゃあ俺が初めての相手ってことか」
「そうだけど……なんか言い方キショいな」
じとりとした目で金光を見るが、彼は「光栄だなぁ」と嬉しそうに微笑んでいる。
想像してはいたが、思っていたより身体が近い。
肩を組まざるを得ないので肩に腕を回したが、俺よりも金光の方が背が高いせいで、傍から見たらきっと不格好な体勢になっているだろう。
「つか腰に手ぇ回すのやめろや!」
「ええ、こっちのが走りやすいんだけどな」
「くすぐってえの! はやく離せ!」
俺が喚くと、「南場静かにしろー」と外野から野次を飛ばされてしまった。
悔しさを堪えながらぎりぎりと歯軋りする俺を見て、金光は隣で声を出して笑っていた。
競技が始まると、足の不自由を奪われるという初めての感覚に戸惑うばかりだった。
それでも持ち前の運動神経のおかげか、現状はトップを維持できているようだ。
「いい感じ。このまま焦らず行こう」
「おー。まあ俺にかかればこんくらい余裕っつうか」
調子に乗って鼻を鳴らした俺は、小石に躓いて体勢を崩した。
あ、と思ったときには視界が地面に近付いて──。
「大丈夫?」
「……っ」
倒れると思った身体は、横から伸びてきた金光の腕によって抱き止められた。
金光にしがみつくみたいな体勢になっていることに気づいて、かあっと頬が熱くなる。
「っ、へーき。いいから早く行こうぜ」
そのままなんとか一位をキープしたままゴールをすることができて、金光とハイタッチをした。
足首の紐は解かれたのに、まだ心臓がドキドキと鳴っている。
なんだったんだ、今の。
相手は金光だぞ。可愛い女の子でもあるまいし。
「南場」
「あんだよ」
たった今思考を巡らせていた張本人から声を掛けられて、咄嗟にぶっきらぼうに返事をした。
「あの子、ずっと南場のこと見てる」
「は?」
金光が指さした先にいたのは、一ヶ月ほど前に別れた同級生の女子だ。
わかりやすく恨みの込められた目つきで睨み付けられているので、思わず苦笑してしまった。
「あーカヨか……まだ怒ってんのかな。ブロックしたからわかんねえわ」
「なにかあったの?」
「二股がバレてグーパンされて振られたんだよ」
「上原、勝手にベラベラ喋んな」
金光との間からひょこっと顔を覗かせた上原が、ニヤニヤとしながら俺と金光の肩に腕を回した。
「ああ、あのときの」
「そうそう。胸がでかくて小柄の女と連絡先交換したことを『浮気じゃない』って言い張ってた例のやつ」
「今思うと最低だよな」
「おっ、南場にも人並みの良心は残ってたんだ」
「相変わらずおまえは俺をなんだと思ってんだよ……」
だけど上原がそう言うのも無理はない。
カヨと別れた辺りの俺は、我ながら女の子に対して酷い扱いをしていたと思う。殴られたって当然だ。
だけどきっと今更そんなことを謝られたって逆に不愉快だろうし、どうすることもできないな……。
「ごめん南場、ちょっと呼ばれた。行ってくる」
金光はそう言うと、小走りで校舎とは反対方向に駆けていった。向かう先には女子がいるのが見える。
イベントごとになると好きな男子に声を掛けやすいのだろう。すぐにどこかに行ってしまう金光に、やっぱり胸がざわついた。
「やっぱ金光って南場といるときだけ感じ違うよなあ」
昼食をとるために校舎へ戻る道中、隣で上原がからからと笑いながらそう言った。
「違うってなにが?」
「普段は誰にでも当たり障りなく接してるイメージなんだけど、南場の前だと自然な感じするんだよな」
「そうかぁ?」
「前はわざと南場を怒らせるようなこと言って喧嘩になってたイメージだけど、今の金光からはとにかく甘やかしたいって心の声が聞こえてくるんだよね」
「あー確かに……喧嘩は減った気する」
上原に言われて腑に落ちた。以前までと変わったのは俺だけではない。
金光も金光で、俺に対する態度はまるっきり違う。
いつもすました顔してたから、あんなに気の抜けた笑い方をするヤツだとは思わなかったし。
でもそれも俺の前でだけなのか……。
なんで俺なのかは意味わかんねえけど、自分だけが特別っていうのは悪くないかも。
「あれ? 教室戻んねえの?」
「ちょっと忘れ物してさ。ついてきてくんない?」
「おっけー」
上原は俺の返事を聞くと、「ごめんな」といつも通りの笑顔で笑った。
ぞろぞろと二年生が教室に戻る中、上原と俺はぐんぐんと階段を上っていく。
やってきたのは三階の端にある、滅多に使われることのない倉庫だった。
「ゲホッ、埃っぽ……。なあおまえ、なに忘れたの?」
先に教室に入っていった上原に問いかける。
だけど彼はなぜか俺に背中を向けたまま黙り込んでいる。
「本当にこんな所に忘れモンなんて──」
言いかけた言葉は最後まで言い切ることができなかった。
突然俺に掴みかかってきた上原が、そのまま身体をドアに押し付けてきたからだ。
「……っ、いってえ、なにすんだよっ!」
訳が分からず声を荒げると、ずっと俯いていた上原が顔を上げた。
その瞬間に俺は気づいてしまった。メガネの奥で、白目が赤く染まっていることに。
【ドウシテ笑ッタノ?】
「は……?」
【ドウシテ?】
「う、上原……?」
みるみるうちに背筋が凍りついていくのがわかった。
上原が口を動かしているのに、聞こえてくる声は上原のものじゃない。
機械で合成されたようなおどろおどろしい声。その声には確かに聞き覚えがあった。
コイツは上原じゃない。
旧校舎で俺を襲ったアイツだ……!
【好キッテ言ッタクセニ。ゼンブ嘘ダッタンダ】
しかし気づいたってもう遅い。上原に取り憑いた怪異は、真っ先に俺の首に手を伸ばしてくる。
物凄い力で締め付けられて、呼吸がままならなくなる。
「お、落ち着けって……、人違い、だ……っ」
【嘘ダ嘘ダ嘘ダ嘘ダ嘘ダ。オ魔エラノ言葉ナン禍モウ信ジナイ】
苦しくて、言われている言葉の理解が追い付かない。
首を締め上げるその手を必死に外そうともがくが、びくともしなかった。
【……ミツ……カネミツ……】
「かね……みつ……?」
突然聞き慣れた単語が耳に入ってきて、思わず閉じかけた瞼を開く。
どうして今、金光の名前を──。
「……っ」
俺はなけなしの力を振り絞ると、上原の股間めがけて足を蹴り上げた。
怪異相手でも股間を蹴られれば痛いらしい。ぱっと手が離れて、股を抑えて後退っている。
今がチャンスだ。
俺は後ろ手で扉を開くと、一目散に教室を飛び出した。
「……はっ、……はあ……っ」
物凄いスピードで階段を駆け下りていると、踊り場で誰かにぶつかった。
「南場、よかった。ちょうど探してたんだ」
金光は俺の姿に気づくなり、ほっとしたように表情を綻ばせる。
その顔を見た瞬間にぐっとなにかが込み上げてきて、恥も外聞もなく抱き着いた。
「南場……?」
「いてて……あっ、南場と金光いた!」
階段の上から上原の声がして、ハッとした俺は金光から身体を離した。
まだ首を絞められた感覚が残っていて、心臓が大きく跳ねる。
青ざめた顔で見上げると、上原は股間を抑えたままいつもの顔で笑っていた。
「俺、南場と一緒に教室に向かってたんじゃなかった? 気づいたら変な倉庫にいたんだけど……」
「……俺が忘れ物して、ついてきてもらってたんだ」
逡巡した挙句に俺が答えると、上原は「あ、そうなんだ」と納得してくれたようだった。
やっぱりあのときの上原は上原じゃなかった。
憑依できるなんて聞いていない。……というか、きっと前まではできなかったはずだ。
だってもしできるのなら、もっと早くに何度もタイミングはあったはずなのに。
「南場? なにかあった?」
思考を巡らせていると、俺の異変を感じ取ったのか、すかさず金光が声を掛けてくる。
「……なんでもない」
怪異も変化している。それはきっと、よくない方向に。
残された時間は少ないのかもしれない。
鬼ごっこも永遠には続かない。逃げ回るだけじゃなく、俺にできることは何があるだろう。
俺はクラスごとに分けられたテントの下に上原と並び、うちわを扇いでいた。
「あっち~……。普通に夏だよなこれ。もうすぐ十一月とか信じられない」
「いや無理。こんな日に体育祭とかどうかしてるって」
「じゃあ南場、職員室にそれ言いに行ってきてよ」
「俺が行ったらマジで中止になって、女の子達が困っちゃうからなぁ」
「間違いないわ」
いつもの冷静なツッコミがないところからしても、上原も暑さで頭をやられてしまっているらしい。
せっかくのボケが不発に終わって消化不良だ。
同級生がグラウンドを駆けていく様子をぼうっと眺めていると、不意に上原がきょろきょろと辺りを見渡した。
「ていうか今日南場ひとり? 珍しいな、相方は?」
「金光ならそこ」
俺はテントの外にいる人だかりにうちわを向けた。
数人の女子が列を成しているその先には、ひとりひとりと写真を撮る金光の姿がある。
「おお、なんかアイドルの特典会みたいになってる」
「だるいよなぁ」
ずっとそばにいるから感覚が麻痺していたけど、並外れたルックスと人当たりの良さから、金光を神格化する女子は多いらしい。
現に今も金光という一般人と写真を撮っただけで、悲鳴のような声すら聞こえてくる。
「いいの南場、あれ放っておいて」
「別にそのうち適当に切り上げて帰ってくるだろ」
「……? そうじゃなくてさ」
上原はきょとんと首を傾げた。
「俺が言いたいのは、女の子独り占めされてるけどいいのかってことなんだけど」
「別に、んなことどうでもいいけど」
「どうでもいい……!?」
俺の返事を聞くなり、上原が「あの南場が……っ!?」と声を裏返らせながら椅子から立ち上がる。
俺はその芝居染みた言動に飽き飽きしながら、「うるせー」と冷静にその膝を叩いた。
「熱でもあったりする?」
「ねえわ。失礼なヤツだな」
「だって不気味だろ。あの南場が女子に興味を示さないなんて」
確かに以前までの俺ならば、悔しさを前面に出しながら何かにつけて金光に張り合っていたかもしれない。
だけど今は違う。
「もうそういうのやめたの。誰彼構わず遊ぶ気にはなれないっつうか……」
ずっと女の子をとっかえひっかえしながら遊んでいたのは、誰と遊んでも心が満たされなかったからだ。
一時は楽しくたってすぐに心の器が空っぽになって、別の女の子を求めていた。
こうして客観的に自分の心境を振り返ることができるようになって、初めて以前までの自分の行動の浅はかさに気づく。
「やっぱ熱あるだろ。ちょっとデコ貸せよ」
「うわだる。ねえって言ってんだろ」
「なんの話?」
上原に額を狙われそうになるのを防ぎながら取っ組み合いをしていると、頭上から金光の声がした。
「お、噂をすれば」
上原と同時に金光の方を見上げる。
金光はにこやかに微笑んだまま、静かに俺と上原の身体を引き剥がした。
「おつかれ、モテモテだったね。金光はアイドルにでもなった方がいいんじゃない?」
「上原ありがとう。いや俺なんて全然。南場ほどじゃないよ」
「あはは、だってよ南場。さっきからおまえと一緒にいたけど、おまえのところになんて誰一人来なかったけどな」
「あれ、そうだったの?」
「……っ、おまえらァ……っ!」
黙って聞いていればすぐこれだ。この二人が揃うと、大体話題は俺をからかう方向に運ばれる。
ガルガルと威嚇する俺をスルーしながら、上原と金光は会話を続けていく。
「金光はなに出るんだっけ」
「俺は南場と二人三脚」
「あ、そうじゃん。世にも面白い二人三脚。A組総出で応援するって決めてるから頑張れよ」
「マジやめろ。見せもんじゃねえんだよ!」
体育大会の種目は希望制で、去年の俺はリレーを選んだ。
今年は緩く大縄跳びだけでいっか、なんて思っていたのに、何故かクラスメイトに唆され、金光と二人三脚をすることになってしまったのだ。
「まあまあ、そう怒らずに。そうだ、南場も金光とのツーショット撮ってあげるよ」
「はあ? なんで俺が」
「写真部のエースに撮ってもらえるなんて光栄だろ~? それに金光が将来アイドルになったら箔が付くかも」
いやアイドル志望なんて一言も聞いたことないけど。
相変わらずの適当な言葉に呆れてしまうが、こうなってしまえば上原を止められる者はいない。
「いくよー」
上原が何やら高そうなカメラを構える。合図と共に金光が俺に顔を近づけた。
カシャッとシャッター音が鳴る瞬間に、こつんと頭がぶつかった。
「痛ぇんだけど」
「ごめん、強く当たりすぎた」
実際はそんなに痛くなかったけど。
そんな風に言ってしまったのは、単なる照れ隠しだ。
「あれ?」
不意に写真を確認していた上原がそんな声を上げるので、俺と金光は揃って視線を向けた。
「なんか南場の後ろ変じゃない?」
「は? どこが……」
画面を見せられた俺は、目を見張った。
俺の肩の辺りに、はっきりと黒い人のような形が写っていたのだ。
「う、うわーーっ!! け、消せすぐっ!!」
「これって心霊写真ってやつ?」
「え、なになに~?」
俺の叫び声と、上原の『心霊写真』というワードによって、わらわらと近くにいたクラスメイト達が集まってくる。
写真ひとつすらまともに撮らせてもらえないなんて……。
自らの置かれた境遇に嫌気が差して肩を落としていると、「てかさあ」と誰かが声を上げた。
「心霊写真といえば、誰か旧校舎の噂聞いたことある?」
「旧校舎……?」
その単語を聞くなり、俺は反射的に顔を上げた。
「なあ、それ詳しくっ」
「え、いいけど……」
近くにいた男子生徒声を掛ける。俺の勢いに圧倒されているっぽいが、なりふりなど構っていられない。
旧校舎の噂。それはきっと、今俺を苦しめている怪異に何かしら関連しているに違いない。
「三十年前に旧校舎で転落事故があったの知ってる?」
「いや、聞いたことない」
「そのときひとりの女の子が亡くなっちゃったんだよ。表向きは事故ってことにしてるんだけど、実は自殺らしいんだよね」
彼は声をひそめながら、言葉を続けた。
「それ以来旧校舎で怪奇現象が起きるようになって、学校側は何度も取り壊そうとしたけど、そのたびに工事関係者が不運に見舞われて工事が中止になっちゃったらしくて……だから立ち入り禁止のまま、今も残されてるんだよ」
自分の学校でそんなことがあったなんて、なにひとつ知らなかった。
やっぱりあの旧校舎は呪われてるのだろうか。
俺がどうして呪いの対象にされたのか、さっぱり理由はわからないけど……。
「でね、ここからが本題。最近旧校舎付近で、変な声が聞こえるらしいんだ」
「声……?」
「誰かを呼んでるっぽい声らしいけど、何言ってるのかは誰にもわからないんだって」
それってもしかして俺を呼んでいるんじゃ……?
心当たりしかない俺は、さっきの心霊写真を思い出して背筋が凍る。
「そういえば昔名前を呼ばれたとか言って旧校舎に向かっていった男子が、そのまま帰ってこなかったみたいな話聞いたことない?」
「あーそれ知ってる! 立ち入り禁止の札が立てられるようになったのってそれからなんだろ?」
「何人か行方不明になってるって……」
その後もクラスメイト達の話を聞いた感じ、俺以外にも怪異に憑りつかれた人は過去にいたみたいだった。
ただその中で無事だった人はひとりもいないらしい。
呪いを解く手掛かりを知りたくて聞いたのに、逆に恐怖に怯えることになってしまった。
俺に付き纏っている怪異は、きっと旧校舎で亡くなったという女子生徒なのだろう。
彼女がどうして俺を恨んでいるのか、それさえわかれば解決の糸口が掴めるんじゃ……?
俺は声を掛けようと、金光の方を振り返った。輪から少し離れたところで話を聞いていたらしい金光には、いつもの愛想のいい笑顔は見えない。なにかを考え込むようにじっと一点を見つめている。
その姿はいつもの爽やかな雰囲気とは掛け離れていて、声を掛けるのを躊躇ってしまった。
*
「結べたよ。痛くない?」
互いの足首を紐でひとつに結んだ金光が、俺の方を見上げて言う。「全然ヨユー」と返してやると、金光はゆっくりと立ち上がった。
「二人三脚なんて小学生ぶりだな」
「へえ。俺は人生初だわ」
「じゃあ俺が初めての相手ってことか」
「そうだけど……なんか言い方キショいな」
じとりとした目で金光を見るが、彼は「光栄だなぁ」と嬉しそうに微笑んでいる。
想像してはいたが、思っていたより身体が近い。
肩を組まざるを得ないので肩に腕を回したが、俺よりも金光の方が背が高いせいで、傍から見たらきっと不格好な体勢になっているだろう。
「つか腰に手ぇ回すのやめろや!」
「ええ、こっちのが走りやすいんだけどな」
「くすぐってえの! はやく離せ!」
俺が喚くと、「南場静かにしろー」と外野から野次を飛ばされてしまった。
悔しさを堪えながらぎりぎりと歯軋りする俺を見て、金光は隣で声を出して笑っていた。
競技が始まると、足の不自由を奪われるという初めての感覚に戸惑うばかりだった。
それでも持ち前の運動神経のおかげか、現状はトップを維持できているようだ。
「いい感じ。このまま焦らず行こう」
「おー。まあ俺にかかればこんくらい余裕っつうか」
調子に乗って鼻を鳴らした俺は、小石に躓いて体勢を崩した。
あ、と思ったときには視界が地面に近付いて──。
「大丈夫?」
「……っ」
倒れると思った身体は、横から伸びてきた金光の腕によって抱き止められた。
金光にしがみつくみたいな体勢になっていることに気づいて、かあっと頬が熱くなる。
「っ、へーき。いいから早く行こうぜ」
そのままなんとか一位をキープしたままゴールをすることができて、金光とハイタッチをした。
足首の紐は解かれたのに、まだ心臓がドキドキと鳴っている。
なんだったんだ、今の。
相手は金光だぞ。可愛い女の子でもあるまいし。
「南場」
「あんだよ」
たった今思考を巡らせていた張本人から声を掛けられて、咄嗟にぶっきらぼうに返事をした。
「あの子、ずっと南場のこと見てる」
「は?」
金光が指さした先にいたのは、一ヶ月ほど前に別れた同級生の女子だ。
わかりやすく恨みの込められた目つきで睨み付けられているので、思わず苦笑してしまった。
「あーカヨか……まだ怒ってんのかな。ブロックしたからわかんねえわ」
「なにかあったの?」
「二股がバレてグーパンされて振られたんだよ」
「上原、勝手にベラベラ喋んな」
金光との間からひょこっと顔を覗かせた上原が、ニヤニヤとしながら俺と金光の肩に腕を回した。
「ああ、あのときの」
「そうそう。胸がでかくて小柄の女と連絡先交換したことを『浮気じゃない』って言い張ってた例のやつ」
「今思うと最低だよな」
「おっ、南場にも人並みの良心は残ってたんだ」
「相変わらずおまえは俺をなんだと思ってんだよ……」
だけど上原がそう言うのも無理はない。
カヨと別れた辺りの俺は、我ながら女の子に対して酷い扱いをしていたと思う。殴られたって当然だ。
だけどきっと今更そんなことを謝られたって逆に不愉快だろうし、どうすることもできないな……。
「ごめん南場、ちょっと呼ばれた。行ってくる」
金光はそう言うと、小走りで校舎とは反対方向に駆けていった。向かう先には女子がいるのが見える。
イベントごとになると好きな男子に声を掛けやすいのだろう。すぐにどこかに行ってしまう金光に、やっぱり胸がざわついた。
「やっぱ金光って南場といるときだけ感じ違うよなあ」
昼食をとるために校舎へ戻る道中、隣で上原がからからと笑いながらそう言った。
「違うってなにが?」
「普段は誰にでも当たり障りなく接してるイメージなんだけど、南場の前だと自然な感じするんだよな」
「そうかぁ?」
「前はわざと南場を怒らせるようなこと言って喧嘩になってたイメージだけど、今の金光からはとにかく甘やかしたいって心の声が聞こえてくるんだよね」
「あー確かに……喧嘩は減った気する」
上原に言われて腑に落ちた。以前までと変わったのは俺だけではない。
金光も金光で、俺に対する態度はまるっきり違う。
いつもすました顔してたから、あんなに気の抜けた笑い方をするヤツだとは思わなかったし。
でもそれも俺の前でだけなのか……。
なんで俺なのかは意味わかんねえけど、自分だけが特別っていうのは悪くないかも。
「あれ? 教室戻んねえの?」
「ちょっと忘れ物してさ。ついてきてくんない?」
「おっけー」
上原は俺の返事を聞くと、「ごめんな」といつも通りの笑顔で笑った。
ぞろぞろと二年生が教室に戻る中、上原と俺はぐんぐんと階段を上っていく。
やってきたのは三階の端にある、滅多に使われることのない倉庫だった。
「ゲホッ、埃っぽ……。なあおまえ、なに忘れたの?」
先に教室に入っていった上原に問いかける。
だけど彼はなぜか俺に背中を向けたまま黙り込んでいる。
「本当にこんな所に忘れモンなんて──」
言いかけた言葉は最後まで言い切ることができなかった。
突然俺に掴みかかってきた上原が、そのまま身体をドアに押し付けてきたからだ。
「……っ、いってえ、なにすんだよっ!」
訳が分からず声を荒げると、ずっと俯いていた上原が顔を上げた。
その瞬間に俺は気づいてしまった。メガネの奥で、白目が赤く染まっていることに。
【ドウシテ笑ッタノ?】
「は……?」
【ドウシテ?】
「う、上原……?」
みるみるうちに背筋が凍りついていくのがわかった。
上原が口を動かしているのに、聞こえてくる声は上原のものじゃない。
機械で合成されたようなおどろおどろしい声。その声には確かに聞き覚えがあった。
コイツは上原じゃない。
旧校舎で俺を襲ったアイツだ……!
【好キッテ言ッタクセニ。ゼンブ嘘ダッタンダ】
しかし気づいたってもう遅い。上原に取り憑いた怪異は、真っ先に俺の首に手を伸ばしてくる。
物凄い力で締め付けられて、呼吸がままならなくなる。
「お、落ち着けって……、人違い、だ……っ」
【嘘ダ嘘ダ嘘ダ嘘ダ嘘ダ。オ魔エラノ言葉ナン禍モウ信ジナイ】
苦しくて、言われている言葉の理解が追い付かない。
首を締め上げるその手を必死に外そうともがくが、びくともしなかった。
【……ミツ……カネミツ……】
「かね……みつ……?」
突然聞き慣れた単語が耳に入ってきて、思わず閉じかけた瞼を開く。
どうして今、金光の名前を──。
「……っ」
俺はなけなしの力を振り絞ると、上原の股間めがけて足を蹴り上げた。
怪異相手でも股間を蹴られれば痛いらしい。ぱっと手が離れて、股を抑えて後退っている。
今がチャンスだ。
俺は後ろ手で扉を開くと、一目散に教室を飛び出した。
「……はっ、……はあ……っ」
物凄いスピードで階段を駆け下りていると、踊り場で誰かにぶつかった。
「南場、よかった。ちょうど探してたんだ」
金光は俺の姿に気づくなり、ほっとしたように表情を綻ばせる。
その顔を見た瞬間にぐっとなにかが込み上げてきて、恥も外聞もなく抱き着いた。
「南場……?」
「いてて……あっ、南場と金光いた!」
階段の上から上原の声がして、ハッとした俺は金光から身体を離した。
まだ首を絞められた感覚が残っていて、心臓が大きく跳ねる。
青ざめた顔で見上げると、上原は股間を抑えたままいつもの顔で笑っていた。
「俺、南場と一緒に教室に向かってたんじゃなかった? 気づいたら変な倉庫にいたんだけど……」
「……俺が忘れ物して、ついてきてもらってたんだ」
逡巡した挙句に俺が答えると、上原は「あ、そうなんだ」と納得してくれたようだった。
やっぱりあのときの上原は上原じゃなかった。
憑依できるなんて聞いていない。……というか、きっと前まではできなかったはずだ。
だってもしできるのなら、もっと早くに何度もタイミングはあったはずなのに。
「南場? なにかあった?」
思考を巡らせていると、俺の異変を感じ取ったのか、すかさず金光が声を掛けてくる。
「……なんでもない」
怪異も変化している。それはきっと、よくない方向に。
残された時間は少ないのかもしれない。
鬼ごっこも永遠には続かない。逃げ回るだけじゃなく、俺にできることは何があるだろう。


