きみの呼ぶ声がする

「おい金光っ、ちゃんと見張ってるよなぁ⁉︎」
 声を掛けると、「大丈夫だよー」という間延びした声が浴室の外から返ってきた。
 金光の家に泊まり込み始めて、早くも一週間が経とうとしている。
 俺は今、絶賛入浴の真っ只中だ。
「南場がひとりで風呂に入れないなんて言っても、誰にも信じてもらえないだろうなぁ」
 風呂を出た後に俺の髪を乾かしながら、金光がそう言ってクスクスと笑った。
 ドライヤーの風を受け、髪をわしゃわしゃと掻き混ぜられながら、俺は頭上をキッと睨み付ける。
「ぜっってー言うんじゃねえぞ。つーかひとりで入れないんじゃなくて、ひとりで入ったら危険だから入らねえの! わかったか!」
「はいはい、そういうことにしとこうか」
「あァ!? なんだその態度っ、バカにしてんのかっ!」
「してないよ。それより前向いてくれない? 髪乾かしづらいよ」
 金光に窘められた俺は、むすっと口を尖らせながら渋々正面を向いた。
 
「なぁ、なんでこんなにチョコミントあんの」
 冷凍庫を開けた俺は、中にぎっしりと詰められているアイスを見て仰天した。
 金光は苦手だと言っていたはずなのに、そのどれもがチョコミント味だ。
「南場好きでしょ?」
「いやいや……確かに好きとは言ったけどさ」
 それにしてもやりすぎな気がするけど……。
 普通、自分の家なのに、自分が食べられないアイスで冷凍庫を埋めたりするか?
 違和感はそれだけじゃない。俺はキッチンをぐるりと見渡した。
 俺用のコップ、俺用の食器やカトラリー、俺が好きだと言ったお菓子……。
 当たり前のように俺の物が金光の家に並んでいて、気のせいじゃなければ、日に日に増えていっているような気がする。
 なんかやたら用意がいいけど、もしかして俺ってめちゃくちゃ歓迎されてる?
「ひっ」
 きょろきょろと辺りを見渡していた俺は、ふと小窓の外で何かが動いたような気がして、思いがけず肩を上げた。
「どうした?」
「いや、多分気のせい。ただの風……だと思う」
 小さなことにも過敏に反応してしまうから、息をしているだけでも疲労が溜まる。
 ふうと息を吐くと、後ろから手が伸びてきて、冷凍庫の扉が閉められた。
「俺の部屋で食べようよ。行こう」
「おー……」
 俺の返事を確認すると、金光は満足そうに微笑んだ。
 なんか金光って、前からこんな感じだっけ?
 すっかり以前までの金光を忘れかけてしまうぐらいには、今のこのゲロ甘な金光に慣れてしまった。
 部屋に戻ってアイスを食べ終えると、金光とスマホゲームで対戦をした。
 意外と金光はアホみたいに強くて、十回戦って俺は一回も勝つことができなかった。
 そんなことをしていたらあっという間に寝る時間になって、消灯してベッドに潜り込む。
 「おやすみ」と言葉を交わしてから数分が経ったが、珍しく俺は寝付けずにいた。
 そわそわとして落ち着かない。修学旅行の夜って、こんな気分だったような気がする。
 なんとなくベッドを抜け出して、隣で布団を敷いて寝ている金光のそばでしゃがみ込んでみる。
 静かに目を閉じる金光の寝顔を眺めながら、規則正しい呼吸の音に耳をそばだてた。
 ……なんか、コイツといると平和だな。
 怪異は見えたとしても、金光といれば襲われる心配もない。
 だからなのか最近、金光といるのが一番落ち着く。
「寝れないの?」
 ぼうっとしていたら突然声を掛けられたので、「うわっ」と声を上げてしまった。
 いつのまにか目を開けていた金光が、俺の顔をじっと見ている。
「び、びび、びびった……びびらせんじゃねえよ……!」
「こっちの台詞だよ。気配を感じるからなにかと思えば……」
 金光はそこで言葉を区切ると、ゆるりと口角を上げた。
「一緒に寝る?」
「アホなこと言うな」
「なんだ、オバケが怖くなったのかと思ったのに」
「残念ながら俺は寝ようと思えば三秒で寝れるんです~」
 クスクスとこぼれる笑い声が室内を満たす。
 俺は立ち上がると、「起こして悪かったな」と言い残してベッドに戻った。
「今度こそ、おやすみ」
 被った布団の外側から、金光の声が聞こえてくる。
 ベッドに潜っても、いつもみたいな眠気はやっぱり来なかった。どこか上の空で、ふわふわとした気分が抜けない。
 言えばよかったかもしれない。もう少し話してから寝ようって。



「南場先輩~」
 廊下で声を掛けられて振り向くと、数人の女子が立っていた。
 以前よく遊んでいた後輩達だ。
「今日空いてますか〜? 久しぶりに遊びません?」
 まさかの誘いに、俺の気分は急上昇……するはずだった。
 ここ数日、自分の気持ちが明確に変わり始めていることに、俺自身が一番戸惑っている。
 以前までの俺ならば二つ返事でオッケーするはずのこんな場面ですら、単純に頷く気分にはなれない。
「あー、えっと」
「ごめん、南場は用事があるから」
 俺が言いかけた返事を、後ろから金光の声が遮った。
 腹の前に腕が回ってきて、金光にしては強引に後ろに引き寄せられる。
 後輩達が「また誘いますね~!」と手を振って去っていくのを、俺は呆気に取られながら見送った。
「おい金光、なに勝手なことしてんのっ!」
 ハッとして顔だけ振り向く。
 金光は俺を後ろから抱き寄せたまま、にこりと微笑んだ。
「まさかオッケーするつもりだったとか言わないよね?」
「おまえに関係ねえだろ、バーーカっ!」
「南場はいま俺から離れられないのに。この前のカラオケのこと、もう忘れちゃった?」
「……っ」
 口元は笑っているのに、金光の目の奥は笑っていない。
 それに気づいて少しだけどきっとした。
 カラオケでの一件は忘れるはずもない。何せ俺は生まれて初めて、女の子より金光と一緒にいたかった、なんて思ってしまったからだ。
「……断るつもりだった」
 俺がそっぽを向きながら言葉をこぼすと、「え?」と金光が聞き返す声がした。
「おまえの言う通りだよっ! 金光から離れられないのは自分でもわかってるし……」
 言いながらちらっと視線を向けると、金光は珍しく目を丸くしているようだった。
「それに最近、金光といるのも悪くないかなってなんか思い始めたっていうか……前より意地悪言ってこないし、仲良くしてやってもいいかなって思ってる」
 若干ぶっきらぼうに言い捨てた言葉は、紛れもない俺の本音だ。
 少し前までは金光のことなんか超絶苦手な部類の人間だったはずなのに、いつのまにか俺は金光と過ごす時間を自ら欲するようになっている。
 単にそばにいると怪異が寄ってこなくて安心するというのもあるけど、やっぱり理由はそれだけじゃないように思う。
 だけど今の俺にはよくわからなかった。
「……なんか言えよ。恥ずいだろ」
「……」
「はぁ?」
 金光に視線を向けた俺は、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
 嘘だろ……。目を擦ってみるが、見間違いじゃないようだ。
 気まずそうに顔を背ける金光の顔は、ほんのりと赤く染まっている。
「まさかおまえ……照れてんの?」
 あの飄々とした金光が、俺の言葉ひとつでこんなに狼狽えるなんて傑作だ。
 腹を抱えて笑っていると、金光はじとりと恨めしそうに俺のことを睨み付けた。
「南場ってデリカシーないよね」
「でりかしーだかデリバリーだか知らんけど、金光が俺に褒められて照れてんのは事実な?」
「デリカシーって言葉も知らないのか……南場ってどうやってこの高校入ったの?」
「うるせえなっ! 英語なんかできなくても入れんだよバーカっ!」
 俺がべーっと舌を出すと、「英語とかそういうレベルの語彙力ではないような……」と苦笑されて癪だった。
 それにしても意外だ。
 なんかちょっと可愛いっていうか、ちゃんと人間らしい部分もあるんだってわかって、見方が変わったかも。
 こんな金光、多分他の誰も見たことがないと思ったら、ちょっと気分がよかった。
「南場〜ちょっといいか」
 余韻で笑いを堪えていると、後ろから担任の声が聞こえた。
「数学の課題、あと出してないのおまえだけだぞ」
「えっ、どれ?」
「先週配ったプリント。昨日までって言ったんだが」
「うわ……まってなくしたかも」
「まったく……今から渡すから放課後までに出せよ」
「あーい。金光も来いよ……あれ、金光?」
 手刀で頭を軽く打たれ、じんじんと痛む頭を抑えながら振り返るが、いつのまにか金光はいなくなっている。
「おい南場、早くしろー」
「でも……」
 自分から金光が俺のそばを離れるはずないのに、どうしたんだろう。
 金光がいてくれないと胸がざわざわして落ち着かない。また怪異に襲われるかもしれないし……。
 渋々歩き出そうとしたところで、曲がり角のところに金光の姿を見つけた。
「せんせーごめん、ちょっと待ってて!」
 俺はそう言い残すと、金光のもとに勢いよく駆け出した。
 近くに寄ってみると、金光と向かい合うようにして、女子が立っていることに気がついた。
 呼び止められたのだろうか。
 緊張した面持ちで金光に話しかける女の子の姿は、だけどとても幸せそうな顔をしている。
 それを目撃した瞬間に、再び胸がざわつくのを感じた。
「金光」
「……あ、南場」
 後ろから声を掛けると、金光がゆっくりと振り返った。
 俺はその腕を乱暴に掴むと、力任せに自分の元に引き寄せる。
「ごめん、コイツ借りる!」
「えっ……」
 女の子が残念そうな表情をしていたのが去り際に見えた。
 俺は金光の腕を掴んだまま、彼女から引き離すように廊下を走った。
「南場?」
 名前を呼ばれてハッと我に返る。
 振り向けば、金光はぽかんとした表情で俺を見つめていた。
「あっ、えーと……」
 ……何やってんだろ、俺。
 金光にそばにいてほしかったのは事実だけど、こんなに強引に連れてこなくてもよかったのに。
 でも何故か俺を放って女の子と一緒にいる金光を見たら、無性に苛立って仕方がなかった。
「せ、先生に呼ばれて行かなきゃいけないから、金光にも来てもらおうと思って」
「そういうことか。いいよ、行こう」
 事情を話せば、金光はあっさりと受け入れてくれた。
 ほっと胸を撫で下ろす一方で、自分の中でなにかが変わり始めているような気がしてならなかった。