きみの呼ぶ声がする

 金光の家に泊まり始めて早くも三日が経った。
 相変わらず俺は気を抜けば怪異に襲われかけるし、依然として金光から離れられそうにない。
 そんな状況でいれば、そりゃあ女の子と喋りたい欲も溜まってくるわけで──。
「南場くんって最近仲良いよねぇ、金光くんと」
 ひそひそ声で話しかけられて、俺は内心胸を高鳴らせた。視線の先には、クラスのマドンナのマナミちゃんがいる。
 英語の授業のペアワークの最中、早々に課題を終えた俺と隣の席のマナミちゃんは、雑談に花を咲かせていた。
「仲悪いと思ってたからびっくりした。いっつも一緒にいることない?」
「あー……まぁ、成り行きで?」
「もう可愛いって噂で持ち切りなんだよぉ〜。二人ともタイプ違うイケメンだから、一緒にいると絵になるんだよねぇ」
 腕を組んでうんうんと頷くマナミちゃんの顔は、どことなく誇らしげだ。
 金光の話題なんかぶっちゃけどうだっていい。
 俺は久しぶりに感じる女子の可憐さに釘付けだった。
 やっぱり女の子が好きだ……!
 柔らかそうだし、鈴を転がしたような声をしているし、なにより癒される。
「そんなことよりマナミちゃん、放課後空いてたりする~?」
「放課後? なんかあるの?」
「カラオケでも行かない? 俺と金光と、あと女子ひとり誰か呼んでさ!」
「え、いいよぉ〜! 楽しそう! 誰か誘ってみるね!」
 よっしゃ、と心の中でガッツポーズをせずにはいられない。
 久しぶりに女の子と遊べる……!
 ここ数日、強制的に女の子断ちをさせられていたせいか、いつも以上にありがたみを感じる。
 だけどまだ問題は残っている。
 あの男を説得しなければならないということだ。
「──……ってことで、どう? 放課後行けるよな?」
 事の顛末を端折りながら告げると、金光はみるみるうちに眉間にしわを寄せていった。
「……なにそれ?」
「だから、カラオケ! 女子と! ダブルデートするってこと!」
「なんで?」
 案の定金光の反応は渋い。
 来るもの拒まず去る者追わず、基本的に楽しければオールオッケーな恋愛スタイルの俺と違って、想像通り金光は慎重派らしい。
 女の子からの告白はすべて丁重にお断りするという奇行からも、なんとなくそんな気はしていたが……。
「最近ずっと金光としかいなかったし、お互いたまには女の子と遊びたいじゃん?」
「そうなんだ?」
「は~~?? おまえそれでも本当に男なわけ? マナミちゃんとクミちゃんよ? クラスのツートップの女子が遊んでくれるって言ってんだぜ?」
 いくら金光が嫌がろうが、俺はこの機を逃すわけにはいかない。
 その一心で食い下がると、金光はそんな俺を無言のままじっと見下ろしていた。
 無機質な瞳からは、なにを考えているのかさっぱり読めない。
「……別にいいよ。南場が行きたいなら」
 勝った!
 今度こそ俺は力強くガッツポーズをして、よくやったという意味を込めて金光の肩をぽんぽんと叩く。
「よっしゃ。じゃあ放課後な、教室で待ってろよ!」
 明るく声を掛けたが、金光からリアクションが来ることはなかった。
 じとりとした目が責めるように俺に視線を送っていたような気がしたけど、気付かないふりをしてその場を去ることにした。



「いぇーい! 盛り上がってこ~!」
 マイクを通して合いの手を入れると、マナミちゃんは恥ずかしそうに片手を上げてくれた。
 薄暗いカラオケの個室で、俺の隣には憧れのマナミちゃんが座っている。
「お疲れ様~! マナミちゃんの歌声めっちゃかわいかった!」
「えーありがとぉ。でもあんまり上手く歌えなかった……」
「上手かったって! 特にラスサビの歌い方とか超好きだった、本家そっくりだったし!」
 俺がそう言うと、マナミちゃんは「もう、褒めすぎだよぉ」と言って笑ってくれた。
 そうそうこれこれ。俺に足りてなかったのはこれだよ……!
 久しぶりの女の子との会話に、じーんと心が満たされていくような気分になる。
 こうしていると、まるで普通の生活に戻ったみたいだ。
「あはは、金光くん可愛い~!」
 すぐそばから楽しそうな笑い声が隣から聞こえてきたので、俺は反射的に振り返った。
 少し離れた場所で、金光とクミちゃんが並んで座っている。
 ケタケタと笑うクミちゃんの隣で、金光は微笑みながらなにかを話しかけているようだった。
 なんだよ、なんだかんだ楽しそうじゃん。
 誘ったときはめちゃくちゃ渋ってたくせに。結局アイツだって女の子の方がいいってこと?
 ……俺といるよりも?
「わたし達ちょっと飲み物とってくるね」
「はーい」
 そうこうしているうちに、金光とクミちゃんは揃って部屋を出て行ってしまった。
 なんだか置いてきぼりにされた気分になって心細い。
 それだけじゃなくて、なんか物凄くモヤモヤするのは何でだろう。
「……南場くん?」
「っ、ごめんごめん、ぼーっとしてた!」
 俺はマナミちゃんに向かって無理やり笑顔を作ると、「次なに歌おっかなぁ」と言いながらタブレットに手を伸ばした。
 そのときだった。突然流れていたBGMがプツッと消えて、室内が一瞬で静けさに飲み込まれたのは。
 あれ、と思う間もなく、壁に掛けられたモニターに極彩色の飛沫のようなノイズが走る。
「きゃっ……なにこれ!?」
 スピーカーからは無数の笑い声が響き渡り、隣でマナミちゃんは耳を塞ぎながら青ざめた顔をしている。
 俺はそんな彼女に声をかける余裕もなく、ばくばくと心臓が激しく鳴るのを感じていた。
 油断していた……!
 身体が震えて制御が効かない。逃げなきゃと思うのに、足が縫い留められたみたいに動かない。
 すぐそばから何かが這い寄るような薄気味悪い気配を感じる。
 だめかもしれない。そう思った矢先に、頭上がふっと影で覆われた。
「……っ」
 衝撃を警戒した俺は、固く目を閉じて身を竦める。しかし頭の上に降ってきたのは痛みではなく、宥めるような手のひらの感触だった。
「南場、大丈夫?」
「か、金光……」
 おそるおそる瞼を持ち上げると、目の前にいたのは金光だった。
 頭の上に置かれた手が、まるで安心させるような手つきで、ゆっくりと俺の頭を往復している。
「いま、なんか……」
「もう大丈夫。追い払ったから」
「……そっか」
 俺はほっと息を吐いた。
 金光の顔を見た途端に、一気に力が抜けてしまったみたいだ。
 さっきまで気を張っていたせいか、反動でがくがくと手足が震えて情けない。 
 それに気づいたのか金光は俺の前でしゃがみ込むと、あっという間に俺を背負ってしまった。
「ごめんね、俺達用事ができたから帰るね。ここ『出る』みたいだから、二人も早く帰ったほうがいいよ」
 申し訳なさそうな顔をしてそう言うなり、金光が部屋を出る。
 俺は言葉を発する気力もなく、大人しくその背中に揺られることしかできなかった。



「……」
 金光に背負われたまま、カラオケ店を出て夜の道を歩く。
 途中で近くの街灯がチカチカと点滅するのにさえ、びくっと肩を揺らしてしまった。
 道の先を直視することが怖い。
 今まで何とも思わなかった日常が、少しずつ恐怖に塗り替えられていく。
「俺、ずっとこのままなのかな」
 堪え切れずにぽつりと声を吐き出した。
 金光の頭がわずかに動いて、俺の言葉に耳を傾けてくれているのが伝わる。
 それを確認してから、ぽつぽつと言葉を続けた。
「金光が出て行ってひとりになったとき、超不安だった。情けなくて消えてぇ。ずっとこんな状態で生きていくなんて絶望しかない……」
 あんなに楽しかったはずの女の子との会話だって、金光がいなくなった途端に、急激に白けていくのがわかってしまった。
 俺を置いて出て行く金光を見たら、俺が誘ったくせに、いっそ誘わなければよかったとすら思ってしまった。
 この感情は何だろう。
 わからないけど、きっと好ましいものではないことだけは何となく理解できる。
「俺がいればそれでいいよくない?」
「は……?」
 立ち止まった金光がそんなことを言うので、俺は不意を衝かれてしまった。
「他の人といても南場はもう楽しめないって、これでわかってくれた?」
 背負われているせいで、どんな顔をしているのかはわからない。
 だけどきっと、いつもみたいな意地の悪い顔をしているんだろうということは容易に想像できた。
「……まさか、そのためにわざと誘いに乗ったのかよ」
「これに懲りたらもう女子と遊びたいとか言ったらダメだよ、南場」
「なんだよそれ、どういう意味」
「このまま俺がいないとダメになればいいのに」
 やけに低い声が耳を震わせた。いつもと違う雰囲気に、どきっと心臓が跳ねる。
 ここにいるのは金光のはずなのに、知らない他人のような違和感が胸に広がる。
「……なーんてね」
「は? なに?」
「これで南場の女癖の悪さも治ったらいいなーっていう俺の善意なんだけど、伝わった?」
「意味わかんね……上原みたいなこと言ってんじゃねえよ」
「好き勝手遊んでたら痛い目見るよってことだよ。それよりコンビニ寄ってってもいい? 暑いしアイスでも買って帰ろうよ」
「いいけど。俺はチョコミント一択だからな」
 俺がふんぞり返ってそう言うと、金光は「わかったよ」と言いながらクスクスと笑った。
 ……びっくりした。一瞬、マジのやつかと思った。
 そんなわけないか。
 金光が俺なんかにあんなこと言うわけないもんな。