きみの呼ぶ声がする

「まーた南場と一緒かあ。これで三年連続だな」
「残念そうにすんなよ、最悪だなおまえ」
 校舎前に大きく貼りだされたクラス名簿を見て、俺と上原はそれぞれ声を上げた。
 月日は流れて、俺達は三年生になった。
 校内には満開の桜が至るところで咲き乱れている。
「だって面白みないんだもん。南場いると南場とつるむことになるし」
「イヤなら離れりゃいいだろうが!」
 相変わらず失礼なヤツ。でもそんな上原とも、もう三年目の付き合いになるのか……。
 三年目ともなると上原の失礼さにも慣れてきていいものだが、どうしてこんなにイラつくんだろう。
 まぁこんな俺とも仲良くしてくれるだけありがたいけど。
 しみじみしていると、突然肩にずしっと重みが走った。
「いてえよ上原」
「……俺だけど」
 聞き馴染みのある声がして、弾かれたように振り向けば、背後にいたのは金光だった。
 普段通りの爽やかな顔をして微笑んでいる……ように見えるが、その目の奥にはっきりと怒りが滲んでいるのを、俺は気づいてしまった。
「上原じゃなくてごめんね?」
 ほらやっぱり。なんか変な勘違いしてるし……。
 俺はひとつ嘆息してから、金光の背後に回り込んで、ひょいっとその背中に飛び乗った。
 金光はなにも言わずに俺の身体がずり落ちないように支えてくれる。俺はそのまま前方のクラス名簿を指さした。
「おら見ろよ金光。おまえも同じクラスだぞ、よかったな」
「え、本当?」
「おー。嬉しいよな? だから機嫌直せよ」
 俺がそう言うと、金光の表情が少しだけ和らぐのがみえた。
 放っておくとすぐ嫉妬するメンヘラ金光の扱いにもだいぶ慣れたものだ。
 今だって俺を背中に乗せているおかげで満足そうにしている。
「お、金光~、終業式ぶり。……あれ、髪切った?」
「よく気付いたね。襟足をちょっと切っただけなんだけど。どう?」
「いいね~。爽やかに磨きがかかってる。これはまた女子が黙ってないんじゃない?」
 上原はそう言うと、「なあ、南場?」と俺に同意を求めてきた。
 金光の周りの女子が騒がしいのは健在だ。ただ、前よりも告白してくる人数は明らかに減ったように思う。
 それは俺がいつも金光の隣で、こっそり牽制してるからなんだけど……。
「つか金光も同じクラスか。これで三人とも三年連続だなー。頼むから授業中にチラチラ見つめ合うのだけはやめてくれよ? 去年マジで鬱陶しかったんだからな」
「今更クレーム言ってくんなよ。てか見つめ合ってたわけじゃなくて、金光が俺のこと見てくるから視線返してやってただけ!」
「って言ってますけど、どうなの金光?」
「おかしいな。俺もなんかやたら視線感じるなと思って見たら、大体南場が熱心に俺の方見てるんだよね」
「はいコイツの言ってること嘘でーす、上原騙されんな?」
「……はあ、結局今年もこのバカップルに板挟みになるのか。イヤだなあ……」
 上原はそう言ってがくりと項垂れている。
 俺はようやく背中から降りると、金光と顔を見合わせて笑った。
「そういえば南場、後輩に告られて超丁寧に振ったって有名だけど本当?」
「……噂が回んのが早すぎて怖いんだけど」
 視線の先で、上原は信じられないといった顔をしている。
「しかも二年のめっちゃ可愛い子らしいじゃん。ちょっと前の南場だったらつまみ食いしてたよな」
「関係ねえし。好きでもないのに付き合ったら相手に失礼だろ」
 俺がそう言えば、上原は「すげえ、南場じゃないみたい」と目を輝かせている。
 呆れつつ隣の金光に視線を移した俺は、その目が殺気を放っていることに気がついた。
 やばい、地雷踏んだ……!
 俺は慌てて上原の制服の裾を引っ張って、ひそひそと耳打ちをした。
「コイツの前でそういう話するのやめて。とんでもなく面倒臭いことになるから!」
「えー? 金光ってそういうの気にしなそうじゃん?」
「この世でコイツより気にしないヤツいないから!!」
「でも笑ってるよ。なあ金光?」
 怖いもの知らずの上原がわざわざ金光に話題を振るので、俺は内心でやめてくれと叫んだ。
 金光は静かに俺達の方に視線を向ける。
 にこやかな笑みを浮かべているが、その目はしっかりと本音を物語っている。
「……上原、ちょっと南場借りていい?」
「え、いいけど。始業式までには戻ってこいよ」
「わかったよ」
 金光はにこにこと笑いながら、俺の手に自分の指を絡めた。
 一体どうなってしまうんだ俺は……。
 教室に向かう生徒達とは真逆の方角に金光が進んでいくので、ハラハラとした気持ちで隣を歩いた。



「ここからだとよく見えるね」
 屋上の柵に手を掛けながら金光が視線を向けた先には、旧校舎の跡地がある。
 俺はその隣に並んで、同じように眼下に広がる景色を見下ろした。
 更地になったそこは、もうただの工事跡でしかなくて、あの不気味さはどこにも残っていない。
 俺と金光が鏡の中に閉じ込められるという事件があった後、旧校舎に関する怪奇現象はぴたりと収まった。
 あれだけ難航していた旧校舎の取り壊しもとんとん拍子で進んでいき、年度末に工事は終了したらしい。
 これで本当に終わったんだ……。
 長いような短いような一か月半だった。
 だけどあの出来事がなかったら、俺はきっとさらに最低な人間になっていたように思う。
「次なにが建つんだろうなぁ、ここ」
「新しい校舎建てるかもとか体育館建て替えるとか、いろいろ言われてるよね」
「どうせならカラオケとかゲーセンとかできねえかな」
「そんなことになったら、ますます南場が勉強しなくなっちゃうね」
 「もう高三なのに」と言って金光はクスクスと笑った。
「……なあ、さっきのまだ怒ってんの?」
 その笑顔を覗き込みながら問い掛けてみる。
「怒ってないよ」
「嘘つけ。あのとき目力で人殺せそうだったぞ」
「そんなに? 抑えてたつもりだったけどな」
 金光はさらっとそんなことを言った。
 ってことはやっぱり、怒ってたってことじゃんか……。
 別にやましいことをしているわけではないから問題はないんだけど、女子の話題は禁止だって後で上原にもう一度釘を刺しておこう。
「てかじゃあ何で連れてきたの。てっきり怒られんのかと思ってたのに」
 意味もなく屋上なんかに来るわけがない。
 人気の少ないところに連れてこられたのには、なにか意味があるはずだ。
 金光は俺の方に顔を向けると、じっとまっすぐに目を合わせてきた。
「触っていい?」
「えっ……ここ学校だけど……」
 突然の突拍子もない発言に、思いがけずに赤面してしまう。
 狼狽える俺にきょとんとした顔を浮かべた金光だったが、俺の心を読んだのだろう。
 その顔にみるみるうちに楽しそうな笑顔が広がっていく。
「っはは、違うよ。そういう意味じゃない。ごめんね、エロいこと想像させちゃったね」
「〜〜っ、し、してねえわバカっ‼︎」
 これじゃまるで俺がいかがわしいことを期待しているみたいだ。
 まったくもってそういうわけじゃない……とは言い切れないけど!
 俺をからかってひとしきり笑った金光は、やがて制服のポケットからなにかを取り出した。
 俺の背後に回ると、「触るね」と声を掛けられる。首元にひんやりとした感触が当たった。
「──うん、いい感じ」
「……ネックレス?」
 金光の声を合図に視線を落とすと、俺の胸元にネックレスが下げられていた。
 小ぶりのひし型のフレームの中央には、ワインレッドの色をした石がはめこまれている。
「これって金光の……ではないよな。おまえの紫だったし」
「俺のネックレスに寄せて作ってもらったんだ。この石の色、南場っぽくない?」
「マジで? 俺赤が一番好きなんだよね」
「俺のと違って魔除けの効果はないんだけど、お揃いで付けたいなと思って」
「ふーん。……まぁもらってやってもいいけど?」
 嬉しさが込み上げるままに、ふっと微笑みながらそう言えば、金光から「ありがとう」と返ってきた。
 俺のために用意してくれたのか……。
 なんだか恋人の証みたいで胸がくすぐったい。
「……なんだよ、人の顔じろじろ見て」
 視線を感じて隣を見れば、案の定金光が俺の顔を覗き込んでいた。
「最近、南場変わったよね」
「そうか? どんな風に?」
「笑顔が柔らかくなった。あとよく笑うようになった」
「えー? あんまり自分じゃわかんねえや」
「だからますますモテるんだよ。前より告られる回数増えただろ」
「まあ確かに……」
 自分ではあんまり変わった実感はない。
 そりゃ心境はまるっきり変わったけど、外から見てもわかるほどなのだろうか。
 そんな風に考えていると、金光から無言の圧を感じて呆れてしまう。
 少し目を離したらこうだ。本当に俺の恋人は嫉妬深い。
「でも俺にはメンヘラダーリンがいるから、他の女子にはにじんも興味ないよ」
「俺のことメンヘラって言うのやめてくれる? あとそれを言うなら微塵ね」
「はあ? クソッ、紛らわしいんだよ! いっそ人参でいいだろもう」
「『人参も興味ない』って、それもう意味わかんないから」
 金光がそんなことを言うので、俺達は顔を見合わせて声をあげて笑った。
 もう微塵でも人参でもなんでもいいや。
 好きな人と笑い合えるこの時間が、奇跡に近いものだって知ってるから。
「金光、こっち向いて」
「ん?」
 腕を引くと、金光が優しい顔をして俺の方を振り向く。
 俺は少し背伸びをして、金光に顔を寄せた。
 吐息のかかる距離で動きを止めて、その目をじっと覗き込むように見つめる。
「キスしたい?」
 にやっと笑いながら挑発するように言えば、柔らかい色を宿していた目がすっと細められた。
 俺の作戦勝ちだ。間髪入れずに触れるだけの口付けが降ってきた。
 ふに、と柔らかい唇の感触が一瞬触れて、すぐに離れていく。
「えー……そんだけ?」
 物足りなさを感じて口を尖らせれば、もうおしまいとでも言うように片手で口を覆われてしまった。
「すぐ俺のこと煽んないで。止まらなくなるの知ってるだろ」
「はっ、つまんねえ。やっぱヘタレだなおまえ」
「ヘタレとかメンヘラとか、本当好き勝手言ってくれるなぁ。そんな男に自らつかまりにきたのは南場なのに」
「好きになっちゃったんだからしょうがねえだろ。……それに、別に嫌とは言ってないし」
 顔を背けながら小声で付け足した言葉に気分をよくしたらしい金光は、俺の頭をそっと撫でた。
「そんな顔しないで。もうすぐ式も始まるし、そろそろ戻ろ」
「真面目かよ。だるいしこのままサボろうぜ」
「だめ。そろそろ南場も受験生としての自覚を持たないと。俺と同じ大学に行くんじゃなかったの?」
 つい数秒前までキスしていたくせに、もう真面目腐った顔でそんなことを言ってくる。
 そんな金光を見かねた俺は、わざとらしく深い溜息を吐いた。
「なんだよ、朝会ったときからイチャイチャしたそうにしてたくせによお。せーっかくお膳立てしてやったのに」
「まあそれはあながち間違いではないけど。南場は相変わらず俺の心を読んでくるよね」
「わかりやすいんだもん、おまえ」
 そんな金光の心を読めるのは俺だけだと思うと、途端に機嫌がよくなってきた。
「じゃあ今は? なに考えてるかわかる?」
「うわムズ。えーっとね……」
 金光が自分の顔を指さすので、俺はその目をじっと観察する。
 澄んだ瞳の中には俺だけが映っていた。
 柔らかな温度を宿す眼差しと、緩みきった口元。
 前言撤回。こんなだらしない顔を見れば、誰でもすぐにコイツの考えていることがわかるに違いない。
「わかった! 俺のことが好きでもうたまらないみたいな感じだろ」
「……ははっ、正解。でもちょっとだけ惜しいな」
「……あァ?」
 なんだよ、結構自信あったのに。
 むっとしながら見上げていると、金光の口元がそっと俺の耳に寄せられた。
「────……」
「……っ」
 耳に直接吹き込まれた甘い言葉は、俺の心を満たすのに十分だった。
 あっという間に全身に温かいものが広がって、金光と目を合わせた俺は、溢れる思いのままに笑顔を浮かべた。
「なあ、今日金光ん家泊まりに行ってもいい?」
「いいよ。ちょうど昨日南場のためにアイス買い足しておいたんだ」
「味は?」
「もちろんチョコミント。風呂上がりに一緒に食べよう」
「さっすが~。あーあ、はやく学校終わんねえかなぁ」
 金光の隣に並んで、屋上を出て行く。
 あの甘くてすっきりとした味を思い浮かべると、夜がくるのが待ち遠しくなった。