きみの呼ぶ声がする

 緊急手術の後しばらく集中治療室で経過観察になったものの、金光の容体は安定し、数日後には一般病棟へ移された。
 命に別状がなくて本当によかった。
 経過を辿る間、俺はずっと生きた心地がしなかった。
 このまま金光がいなくなるのではないか。そう思うだけで、なにも手につかなかった。
 面会ができない間も、俺は毎日のように病院に通った。
 ──そして今日、ようやく金光本人と会うことができる。
「……失礼します」
 緊張しながら声を掛けると、声が上擦ってしまった。
 昨日の夜からずっとそわそわして落ち着かなかったのだ。
 中から「どうぞ」と懐かしい声が聞こえてくる。余計に鼓動は速くなるのを感じた。
 ゆっくりと病室の扉を開くと、金光はベッドの上で上半身を起こしていた。
「久しぶり」
「……おー」
 やばい、久々だからか何言ったらいいかわかんない。
 ガチガチに手足が固まって、俺はギクシャクとした動きのまま中に入って扉を閉めた。
 入口付近で立ち尽くしていると、ぷっと吹き出す声がした。
「どうしたの。隣おいでよ」
「笑ってんじゃねえぞ金光テメー……!」
「うん、あはは、笑ってないよ」
「思いっきり嘘こいてんじゃねえ」
 普段通りの金光に俺も調子を取り戻して、ズカズカと病室の中に入っていく。ベッドの横に置かれた丸椅子にどかっと腰を下ろした。
 金光は病院の貸し出しっぽい前開きのパジャマを身に纏っている。
 いつもはきちんと整えられている髪は、珍しく少し乱れていた。
「ちょっと痩せた? ちゃんと食べてる?」
「うん、食ってる」
「南場ただでさえ細いんだから、面倒臭がって抜いたらだめだよ」
 おまえが心配で食う気にならなかっただけなんだけど……。
 そんなことを打ち明けるのは気が引けたので、口に出すのはやめておいた。
「もうヘーキなの?」
「うん。まだちょっと痛いけど、全然大丈夫。そのうち退院できるだろうって」
「よかった。……ごめんな、俺のせいで」
 二度も庇わせてしまった。
 罪悪感と申し訳なさで俯く俺の頭に、金光の腕が伸びてくる。
「南場が無事でよかった」
 優しく頭を往復する手のひらに、目の奥が熱くなった。
「……もう、危ない目に遭いに行くのはやめてくれ」
 失うかもと思ったとき、目の前が真っ白になった。
 震える手で必死に救急車を呼んだ。電話越しに言われている言葉すらろくに理解できなくて、どんどん血の気が引いていく金光の顔を見ながら、絶望という単語の意味を知った。
「金光がいないのにどうやって笑えばいいのかわかんねえよ、俺」
 誰といても満たされなかった俺の心は、いつしか金光でいっぱいになっていたみたいだ。
 じわじわと視界がぼやけてきて、ハッとした俺は慌てて瞼をごしごしと擦る。
「……わかったよ。わかったから泣かないで南場」
「泣いてねえしっ、目にゴミが入っただけ!」
「ティッシュいる?」
「ああどうも!」
 ヤケクソに言い捨てながら、金光の手からティッシュを奪い取る。
 目尻を雑に拭いた後に、チーンと鼻までかんでやった。
「……それよりそろそろ教えろよ」
 ゴミ箱に丸めたティッシュを捨ててから、再び金光に視線を向ける。
「なにを?」
「おまえがどうして俺に対してそんなにクソメンヘラになってんのかってことだよ!」
「メ、メンヘラ……?」
 金光は心外だ、と言わんばかりの顔で唖然としている。
 俺を誰にも渡したくないだとか、金光なしじゃ生きていけないようにしたいだとか、あんなに重いことを言っておいて無自覚だったらしい。
「……そうだな、なにから話そうか」
 金光はベッドの背もたれに背中を預けながら、懐かしむような様子で目を細めた。
「俺と南場って、一年のときから同じクラスだったよね」
「ああうん、ついでに上原もな」
「そうそう。で、俺の南場への第一印象はぶっちゃけ、女癖の悪いチャラ男って感じだった」
「…………」
 まさか冒頭から俺に対する悪口が飛んでくるとは思わなかった。
 予想外の攻撃に口を閉ざした俺は、真顔のまま金光を睨み付ける。
 そんな俺を見て、金光はクスクスと笑った。
「一番苦手なタイプだし、なるべく距離を置こうと思ってた。でも南場、なにかと俺に張り合ってきただろ?」
「そりゃおまえがいけ好かないぐらいモテるから……」
「面倒臭いのに絡まれたなって、正直うんざりしてた」
 そんなことを言いつつも、金光はどこか嬉しそうだ。
「でもあるとき、南場が俺に言ったんだ。『おまえ目が笑ってなくて怖い』って」
 金光が肩を竦めた。
「俺、前に話したよね。小さいころは怪異が見えたことをペラペラ周囲に喋って、気味悪がられたって」
「……ああ」
「そんな経験があったから、それ以来何が見えても動じないようにしようって決めてるんだ」
「だからいつも笑ってんのか」
「うん。実際、人当たりいいって周りには評判いいんだけど……南場にだけは見抜かれた」
 意外だと思った。
 あんなに奇妙なぐらいずっと笑ってんのに、誰もコイツの違和感に気付かなかったのか?
 でも、それと金光が俺にメンヘラなことに、どんな関係があるのだろう。
「ただの頭の弱いチャラ男だと思ってたのに、意外と他人のこと見てるんだなって驚いたよ」
「ふーん、それで?」
「……ふはっ。南場、ニヤついてるの隠せてないよ」
「なんでもいいだろ、はやく続き言えっ!」
 答え合わせをしているのも楽しいが、せっかちな俺ははやく答えが聞きたくて仕方がない。
 そわそわとする俺を見て、金光の方こそニヤついた顔を隠し切れていない。
「それからなんか目で追うようになって、構ってほしくてわざと意地悪なこと言って気を引こうとしたり、女子と一緒にいるところを見て不愉快な気持ちになったり、ひとりで勝手に南場に振り回されてた」
「……そうしてメンヘラが出来上がったと?」
「その、メンヘラっていうのやめてくれるかな。溺愛してるって言い直してくれない?」
 金光が苦笑する。
 変なところで見栄を張ろうとする姿に、思わず吹き出してしまった。
「溺愛なんて可愛いモンじゃなくね? 今更猫被んなよ。おまえのことなんてとっくに見抜いてんだからな」
「そうだね。確かに俺は、南場のことになると制御が効かなくなるかも。……なんでかわかる?」
「あ? そんなの俺のことが……」
 言いかけた俺の口を、金光の手のひらによって塞がれる。
 驚いて目を丸くしていると、視線が絡まった。
「ストップ。やっぱり俺から言わせて」
 いきなり真剣な目をするからずるい。
 ドキドキと心臓が太鼓を叩いているみたいにうるさい。
 金光の手が俺の口から離れて、ベッドの上に戻される。それが合図だった。
「……南場が好きです。俺と、友達になってくれませんか?」
 高揚感は前半までがピークだった。後半で急降下。
 金光の言葉の後、数秒かけて俺は言われた意味をゆっくり咀嚼した。
「はあ……? なんでそうなんの。あんなに熱く愛を語っといて友達はねえだろ。一気に萎えたわ」
「いや、だって……俺は南場を独り占めして一生囲いたいとか最低なこと思っちゃったし、大それた申し出をする資格ないだろ」
 金光の言いたいことはなんとなくわかる。
 だけどそんなことを気にしていいのは、あくまで一方通行の想いの場合だけだ。
 相手も同じ気持ちを抱いているなら、まったく問題ないはずだ。
 もちろん金光は気づいてないんだろうけど。
「友達じゃイヤなんだけど。俺も金光のこと好きだし」
 俺がしれっとそう言えば、案の定金光は目を見張ったまま固まってしまった。
 初めて見るようなアホ面がツボに入って、腹を抱えて笑ってしまう。
「……南場、悪いけどそういう冗談言うのやめてくれる?」
「あははっ、動揺してやんの」
「ねえ、俺真面目に言ってるんだけど」
「俺だってずっと大真面目だよ」
 俺は椅子から腰を浮かせると、ベッドに座っている金光に上体を寄せた。
 いつかのように胸倉を軽く掴んで、自分の方に寄せる。
 それから、その唇に自分の唇を触れさせた。
「俺は金光の特別になりたい。金光が余計なこと考える暇ないぐらい、ずっとそばにいるから」
 初めて触れた薄い唇は、ひんやりとして少しかさついていた。
 そっと唇を離して額同士を軽くぶつけると、近すぎる距離で視線が交わる。
「……びっくりして記憶飛んだから、もう一回していい?」
「はあ? なに言って──」
 聞き返そうとした俺の言葉は、最後まで言わせてもらうことができなかった。
 今度は金光の方から唇を重ねられたかと思えば、後頭部に手が差し込まれて、もっととねだるように引き寄せられる。
 俺がした優しいキスとは違う、呼吸ごと奪うようなねちっこいキスに、酸素不足で頭がくらくらしてくる。
 不意に瞼を開くと熱っぽい瞳が俺を射抜いていたので、慌てて再び目を閉じた。
「本当に大丈夫? 俺、恋人になったら手加減できないと思うけど」
「……だろうなァ!」
 散々唇を重ねられた後でようやく解放された俺は、真っ赤な顔で叫ぶように言い返した。
 愛が重いのはなんとなく認識していたが、まさかこんなにしつこいとは思わなかった。
 確かめるように何度も角度を変えて啄まれて、短時間で唇が腫れてしまったような気がする。
「たくさん触りたいし、南場のいろんな顔が見たい」
「キショいこと言うなバカ!」
「いた……南場、俺一応病人なんだけど」
「知るか! そんだけ元気なら大丈夫だろ!」
 吠えるように言い放つと、俺は再び勢いよく椅子に腰掛けた。
 顔がまだ熱い。ぱたぱたと手で扇いでいると、「南場」と名前を呼ばれた。
「好きだよ。俺の恋人になってくれる?」
「……順番がちげーよ、バーカ」
 俺が口を尖らせながら「最初からそう言えよな」と返すと、金光は心底嬉しそうな様子で目尻を下げた。