きみの呼ぶ声がする

 金光の家を出てから、すぐにでも怪異に襲われることを覚悟していた。
 だけど俺の予想に反して、恐ろしいほどに何も起きない。
 それどころか、ずっと感じていた嫌な気配は嘘みたいに消え去って、俺の周囲は不気味なほどに静かになった。
 やっぱり金光が怪異を使って俺をわざと襲わせていたのだろうか……。
 そんなことが可能だとは思えないが、今俺が金光のそばにいなくても無事に過ごせているという事実がその証明だろう。
 ひとりぼっちになった部屋で、久しぶりに自分のベッドに横たわった。
 ずっとそばにいたから、金光がいない空間に慣れない。
 無意識に探してしまう自分が恨めしい。
 アイツは俺を裏切っていたのに……。
 それなのにどうして、心にぽっかり穴が開いたみたいな気持ちになるんだろう。


「そのつまんね~みたいな顔、なんとかしてもらえない?」
 俺の顔を覗き込みながら、上原が苦々しく顔を歪めた。
「せっかく南場の大好きな合コンの誘いが舞い込んできたから、無理言って南場のことも誘ってあげたのに」
「……サンキュー」
「うーん、全然嬉しそうじゃないな?」
 ずっと騒がしいファミレスの店内にいて、嫌気が差していたところだったのだ。見かねた上原に外に連れ出されて助かった。
 静かな夜風が肌を撫でて心地いい。店の前でしゃがみ込む俺の横に、溜息を吐きながら同じように上原が座った。
「南場どの子が好み? 俺は一番左に座ってたボブの子」
「あー……特にいねえわ」
 合コンなんて話を聞けば、今までの俺だったら飛び跳ねて喜んでいたことだろう。
 女の子にもガツガツ話しかけて、いい感じになった子と連絡先を交換して──それがあの頃の俺の生き甲斐だった。
 だけど全部薄っぺらく感じてしまう。
 よく知りもしない女の子と意味もない会話を重ねることって、こんなに疲れることだったっけ?
「……なんだよ、じろじろ人のこと見て」
「本当に大丈夫? おまえ南場だよな?」
「はあ? 相変わらず絶妙に他人をイラつかせるのがうまいよな、おまえも金光も──」
 その名前を口にしてから、しまったと思った。
 考えないようにしていたのに。
 無意識に名前を出してしまうほど、当たり前の存在になっていることを突き付けられる。
「……やっぱり」
 不自然に言葉を詰まらせた俺に気付いた上原が、何かを見透かすようにじっと俺を見た。
「おまえ、金光となんかあったんだろ。ずっとスマホちらちら気にしてるし、女の子が並んでるのに食い付かないし」
「……ちげーし。うるせえ、放っとけ」
「なにがあったか知らんけど、せっかく来たんだから切り替えて楽しめよ。気分転換にでもなればいいな」
 気分転換か……。
 昨日の夜金光の家を出てから、もう少しで二十四時間が経とうとしている。
 だけど忘れるどころか、金光のことを思い出してはモヤモヤするばかりだ。
 今頃何してるんだろう。
 あんなことを言っていたけど、何の連絡もないし、俺がいなくたって変わらず過ごしているのだろう。だって金光だし。
「あ、戻ってきたぁ。遅いから帰っちゃったかと思ったよ」
「南場が体調悪そうだったから風に当たってたんだ」
「え~大丈夫?」
 俺ばっかりぐるぐる悩んでいても癪だ。
 上原の言う通り、気を紛らわすにはもってこいの場かもしれない。
 俺達が席に戻ると、さっき上原が好みだと言っていたボブの女の子と目が合った。
「ねえねえ、二人ってK高なんだよね?」
「うん、そうだよ~」
 上原が答える。
「じゃああれ知ってる? 三十年前にあった転落事故の話」
「…………え?」
 予想だにしなかった発言に、ぼんやりとしていた頭が一瞬で覚めた。
「うちのパパが、当時自殺しちゃった子と同級生でね、度々思い出したように昔の話をしてくるんだよね。もう参っちゃってさ……」
「っ、それってどんな話!?」
 ずっと黙り込んでいた俺が突然身を乗り出したせいで、女の子はびくっと肩を揺らした。
「え、えーと……パパから聞いた話だから、合ってるかとかわかんないんだけど、聞きたい?」
 すかさず俺が頷く。それを確認すると、ボブの子は声をひそめて語り始めた。
「その女の子には、当時付き合ってた男の子がいたみたいなの。だけど実はその彼氏、めちゃくちゃ女癖悪かったらしくて……二股されてたって知った女の子が、絶望して飛び降りちゃったっていうのが真相らしいんだよね。しかもかなり酷い振られ方したみたい」
「酷いって……?」
「みんなの前で笑い者にされちゃったんだって。それで当てつけみたいに、授業中に自分の教室の窓から見えるところで飛び降りたらしいの。その教室には鏡があって、それ以来苦しんだ顔をしたその子の姿が映るようになったとかなんとか……」
 ボブの子はその後、「パパは違うクラスだったらしいから、その現場は見てないらしいんだけど」と続けた。
 ずっと不思議だったのだ。
 時代も違えばなんの接点もない俺が、どうして執拗に狙われているのか。
 今の話を聞く限り、その女子生徒が付き合ってたという彼氏の特徴がなんとなく俺に当てはまる。もしかしたら、二股をしていたという彼氏に似た男を選んで襲っているのではないか?
 そういえば旧校舎で襲いかかられる前に、怪異は妙なことを俺に聞いてきた。
 ──きみにとって、『好き』ってどんなもの?
 あのとき俺はなんて答えたっけ。確か……。
 ──消耗品みたいなモンかな。女の子に好きって言ってもらえんのってちょー嬉しいし、一緒にいて楽しいーって思うけど……。
 ──どんだけ燃え上がっても一瞬で冷めるんだよね。好きって言っとけばとりあえず喜んでくれるから、使い捨ての都合のいいツールって感じで使ってるかなぁ。
 ──一途に誰かのことを好きになるとか馬鹿馬鹿しすぎて、そういうヤツら見てると反吐が出るし。
 我ながら最低なことを言ったと思う。怒らせて当然だ。
 あの頃の俺にとっては確かに本音だった。
 だけど今は違う。消耗品なんていう風には思えない。
 むしろどれだけ消えてほしいと願っても、消えてくれない厄介な思いに悩まされているぐらいだ。
「怖い話繋がりで思い出したんだけど、ちょっとこれ聞いてくれない?」
 会話の途中で割り込んできた上原は、そう言うなり鞄の中からカメラを取り出した。
「体育大会のときに回してた動画なんだけど、なんか変なんだよ。ノイズがところどころ入ってて……人の声みたいに聞こえなくもないんだけど、なに言ってるかわかんなくて」
 上原のカメラをみんなで覗き込む。
 そこに映っていたのは、俺と金光が二人三脚をしている映像だった。
【……ミツ……カネミツ……】
 時折不自然に画面が揺れて、そんな声が聞こえてくる。
 それは以前上原が憑依されたときと同じ声だった。あのときも怪異は、金光の名前を繰り返し呟いていた。
「えー、不気味。たしかになんか聞こえるっぽいけど……」
「これ日本語? なに言ってるかさっぱり……」
 俺にはそれがはっきりと聞き取れたけど、俺以外のみんなには、なにを言っているかはわからないみたいだ。
 怪異が恨んでいるのは、クズ彼氏に特徴が似ている俺だ。
 素行のいい金光はもちろん恨まれる要素はひとつもない。
 それなのに彼の名前を呼んでいるということは、やっぱり金光と怪異がひそかに繋がっていたということを示している。
 次々に出てくる確かな証拠を目にするたびに、ズキンと胸が痛む。
 二人三脚をしている俺達の姿は楽しそうで、もう二度とあの時間は戻ってこないんだと思うと、苦しくなった。
「……え?」
「南場どうかした?」
 そのときだった。
 ずっと金光の名前を発していた怪異が、別の言葉を喋ったのだ。
「……っごめん、もう一回今のとこ再生してくれね?」
「? おっけー。えーっと……」
 上原が動画を巻き戻す。
 俺は耳をすまして、その声に神経を集中させた。
【……ネミツ…………ジャマ……】
【…………ナンバ……ルサナイ……】
 その言葉を認識した途端に、心臓が嫌な音を立て始める。
 俺はまさか、とんでもない勘違いをしていたのではないだろうか。
 金光邪魔。南場許さない。
 怪異は確かにそう言っていた。
 繰り返し金光の名前を呼んでいたのは、金光と繋がっていたからではない。
 金光が幾度となく、俺を狙おうと企む怪異の邪魔をしていたからだとしたら?
「……な、南場? なんか顔色悪いけど……」
 上原から声を掛けられるのと、ポケットの中でスマホが震えるのはほとんど同時だった。
 着信の相手は碧さんだった。
「……もしもし、碧さん?」
『おー眞絃。なあ、今涼矢ってそっちいんの?』
「いやいないけど……ってか俺も同じこと聞こうとしてて……」
 どうしてかわからないけど、胸騒ぎがする。
 碧さんの言葉の続きを聞きたいけど、聞きたくないような、妙な気持ちがせめぎ合った。
『涼矢、昨日から帰ってないんだよ。なかなか降りてこないから朝見に行ったら、眞絃も部屋からいなくなってたから、てっきり二人で遊びに行ったんかと思ってたんだけど』
「え……? いや、昨日は俺だけ家に帰ったけど、金光は部屋にいたはず……」
『そうなん? いつのまに出て行ったんかなアイツ』
 碧さんは不思議そうにそう言うと、『まあ大丈夫だとは思うけど、何か連絡きたら教えてくれよ』と言い残して通話を終えた。
 どういうことだ?
 俺が部屋を出た後、金光が追いかけてくる様子はなかったはずだ。
 胸のざわめきを感じて、即座にメッセージアプリから金光の名前を探す。
 あんなに意地になっていたのが嘘のように、躊躇うことなく通話を繋げたが、コール音が虚しく鳴り響くだけだった。
「……ごめん、俺急用できたから帰るわ。悪いけどあと払っといて」
 居ても立っても居られなかった。
 鞄の中から財布を取り出して、適当に千円札を机の上に叩きつける。
 通路に出て行こうとすると、上原に引き留められた。
「まって南場、忘れ物」
「俺の?」
「おう、今南場の財布から落ちたけど」
 上原が俺になにかを手渡す。それはネックレスだった。
「これ、金光の……」
 ひく、と頬が引き攣った。
 華奢なゴールドチェーンの中央に繋げられた、淡い紫色の石。
 それは確かに金光がいつも肌身離さず身に付けているものに違いなかった。
 どうして金光のものが俺の財布に?
 もしかして突然怪異が見えなくなったのは全部、これのおかげだったのか?
 ……じゃあ今、金光は?
 ここにネックレスがあるということは、今金光を守ってくれるものは何もないということになる。
「……っ」
 俺は弾かれたように店を飛び出して、夜道を駆け出した。
 姿の見えない金光、繋がらない通話、外されたネックレス。
 そこから導き出されることはつまり──。
 俺は全力で地面を蹴りながら、どうか無事であってくれ、と必死に祈り続けた。