青春のプレリュード

夏本番が近づき太陽の日差しが強くなった週末。
お祭りの活気と熱気に包まれた広場で、俺は呆然とステージを見上げていた。
数十人いる中できらめく楽器に負けないくらい、あいつ自身が輝き、そこだけスポットライトが当たっているようだ。
スライドを操る逞しい腕、真剣な眼差し、そして空間を震わせるように響く、力強くも繊細な音色。
耳に音が通る度、胸の奥がぎゅうと締め付けられるように痛む。
どうしてこんなに苦しいんだろう。自分の感情の正体が、余計に分からなくなってしまった。
演奏会が終わり、前田からは「来てくれてありがとう、片付けて楽器あるからそのまま家帰るわ」と連絡があった。
人混みに流されるようにしてぼーっと帰り道を歩いていると、不意に声をかけられた。
「あれ、青井くん?」
「……久下さん…?」
私服姿の久下さんが、ラムネの瓶を手にしたまま不思議そうに俺を見ていた。
「前田くんの演奏、聴きにきたんだ? 凄かったよね、彼」
「うん。凄かった……凄すぎて、なんか、よく分かんなくなっちゃった…へへっ」
胸に渦巻くモヤモヤを隠しきれず、俺はぽろぽろと本音を零してしまった。
「…あれ?なんだろ」
訳もわからず泣いている俺を、久下さんは優しく、どこか呆れたような目で見つめる。
「青井くん。あなた本当に、自分の気持ちに鈍感なんだね」
「え?」
「それ、ただの嫉妬でも、憧れでもないよ。……前田くんが他の誰かに見つかっちゃうのが、嫌なんでしょ?」
「っ、それは……!」

【前田は俺の専属トレーナーだから!!】

部室で叫んだ自分の声が脳裏に蘇る。
あの時なぜか感じた独占欲。
前田に触れられるたびに、なぜか激しく鳴り響いていた鼓動。
「好きな人の特別な場所に、自分だけがいたいって思うの、変なことじゃないよ」
――好きな人。
久下さんの言葉が、澱んでいた霧を一瞬で吹き飛ばした。
そっか。俺は、前田のことが。
「久下さん、ありがと! 俺、ちょっと行くわ!」
「えっ、ちょ、青井くん!?」
引き止める声を背に、俺は全力で走り出していた。
お祭りの喧騒が遠ざかっていく。
走って、走って、息が切れても足は止まらない。頭の中はもう、前田のことだけでいっぱいだった。

***

ハァ、ハァ、と激しく肩を上下させながら、マンションのインターホンを鳴らす。
画面に映った前田は、驚いたように目を見開いた後、すぐにロックを解除してくれた。
エレベーターを待つ時間すらもどかしく、部屋の前に着くと同時にドアが開く。
「青井? お前、もう帰ってきたの」
「前田…っ!」
まだ長髪を括ったままの前田の胸ぐらを、俺は勢いよく掴んだ。
「は、話がある! 聞け!」
「おう…どうしたんだよ、そんな息切らして」
「俺、お前のことが好きだ! トレーナーとしてじゃなくて、男として、恋愛として、お前が好きなんだ!!」
単細胞な俺には、小洒落た告白の言葉なんて思いつかなかった。
ただ、胸の奥から溢れ出た感情を、そのまま大声でぶつけることしかできない。
言いきった瞬間、急に恥ずかしさが押し寄せてきて、俺は前田の胸元に顔を伏せた。
静かな空間で、自分の鼓動が耳を貫く。
拒絶される恐怖に心臓がバカみたいに跳ねる中、前田の大きな手が、そっと俺の背中に回された。
「…ハッキリとは、分からないんだ」
前田の低い声が、俺の耳元で響く。
「今まで男を好きになったことねぇし、ちゃんと付き合った事もねぇし」
「…うん」
「でも…今の俺の頭の中、ほとんどお前で埋め尽くされてる。ボーン吹いてる時も、家にいる時も、青井のことばっか考えてる。お前が他の奴と仲良くしてっと、イライラするし」
前田の腕に、ギュッと力がこもる。
「これが恋愛感情なのかはまだ分かんないけど……お前以外の奴を、この家に招くつもりも、飯作るつもりもねぇし、誰かに取られなくもない」
ゆっくりと、前田の手が俺の頬へと移動する。引き上げられるようにして視線が交わった。
名前を呼ぼうと口を開いた時、言葉になる前に塞がれた。
重ねられた前田の唇は、驚くほど柔らかくて、温かい。
吸い込まれるような感覚に、俺はギュッと目をつむり、あいつのTシャツを強く握りしめた。

「お前単細胞のクセにずるいとこあるよな」
「…なんだよずるいって」
「うーん、こうやって俺にしがみついて、上目遣いして…あざといってやつ?」
「…お前にしかしねぇよ」
「そーゆーとこだよ」
前田は俺の頭を愛おしそうにくしゃくしゃに撫で、そのまま大きな手でフェイスラインを滑り、顎をクイッと上に上向かせる。親指の腹で俺の唇をゆっくりなぞった。
「…お前、もう俺のモノ?」
「モノじゃねぇし、お前じゃない」
「春斗は俺のモノな」
「だから…モノじゃー」

言い切る前に、今度は深く、深く、口を塞がれた。
さっきの優しいキスとは、まるで違っていた。
こじ開けるように割り込んできた前田の舌が、俺の口内を隅々まで愛撫していく。
強引なのに優しくて、逃げることなんて許さないみたいに、俺の舌を絡め取っては何度も吸い上げられる。
容赦なく奪われる呼吸と、脳を溶かすような甘い水音。
体中の水分がすべて前田に持っていかれそうな感覚に、膝の力がガクンと抜けた。倒れそうになった身体を、前田の太い腕が腰を壊しそうなほど強く抱き寄せ、自分の身体へと密着させる。
「…前田」
「前田じゃない」
「…奏汰」
「なに?」
「…大好き」
潤んだ瞳で見つめると、奏汰は一瞬だけ呆気に取られたように目を丸くし、それからふっと可笑しそうに口元を緩めた。
「なんなんだよ…1回リミット外れると溢れ出るタイプ?」
「…だって拒絶されるかもって思ってたから」
本音を零して、もう一度胸に顔を埋める。
奏汰は少しだけ優しい溜息をつくと、俺の背中を大きな手でぽんぽんとあやし、引き剥がすように俺の頬を包み込んだ。
「あー…。そうだな、このでろんでろんになった顔を他の人に見られたくないって思ったから、俺もお前の事好きなんだろうな」
「…なっ!適当かよ!俺はちゃんと言ったのに!」
「はいはい、春斗は俺の事大・大・大好きだもんね」
「そうだけど!そう言われるとムカつく!」
ムキになる俺の額に、奏汰が落としたのは、さっきとは違う羽のような軽いキスだった。
「…とりあえず今日は家に帰らないってお母さんに連絡して」
「えっ?なんで?」
「うーん。初夜?」
「なっ…!!」
からかうような、けれど底知れない熱を孕んだ瞳に射抜かれ、俺は本日何度目かも分からない悲鳴を心の中で上げた。

俺の顔と同じくらい真っ赤に染った夕日が静かに落ちていく。
窓の外では、夜の街の明かりが静かに瞬いている。
俺たちのプレリュードはここまで。
二人の新しい協奏曲が始まりを告げている。