シンカスル悪夢

シンカスル悪夢⑦
 

中山から崩れ落ちるように床に倒れ込んでいる母親のすすり泣く声が…無情なくらい夜の闇に溶けていくのだった。
 
 
今は…どんなに星空が綺麗だとしても、そのなかにある星々が亡くなっていった人達の魂の輝きにしか思えず、さらに悲しみを煽るだけであった。


 
……………………………。 
 
 
それから…少しばかり後の事。
 
 
マスコミが大人しくなると…次は口コミが大人しくなる。
 
 
そうやって…あの不可解な謎の伝染病の噂など、どこかへ消えてしまっていた頃。
 
 
中山の新たな患者として…彼が訪れた事から…悪夢は色を変え…形を変えて…動き出す。
 
 
凄まじい侵食力で進行していくのだった。
 
 
それは…まるで蟻地獄のように…もがけば、もがく程に『シンカスル』のであった。
 

 
…そのコンクリートの雲を突き破らんばかりの超高層の墓標のストレス。


そして…病から逃れようと都会を離れ、辿り着いた場所。
 
 
 
それは副都心にありながらも閑散とした田舎街のような自然溢れた風景に溶け込んだ外観の小洒落た巨大な建造物。
 
 
その正体は…日本でも屈指の大学病院であった。
 
 

 
虫の羽音すら聞こえてこない…しーんと静まり返った深夜。
 

帝都大学附属病院の精神病棟の一室から…何かに取り憑かれたかのような半狂乱した笑い声が聞こえてくる…
 
 
 
 
『フフフフフフフフフッ! 
 
アハハハハハハハハハッ! 
 
 
なるほど…なるほどな。
 
 
ああ…そうか。
 
 
そうだったのか…
 
 
しかし、しかしだ…俺の身体を蝕むコレは…本当に悪夢の仕業だったのか!?
 
 
夢や幻か……何か、償えとでも悪魔が言うのか… 
 
誰だって、そうだ…
 
……………!? 

俺だって、そうさ…
 
 
まだ…死にたくない!死にたくは無いさ!

…だが、この苦しみから解放されるなら死んでしまった方が楽かもしれない…
 
 
 
今は…ゆっくりと、心安らぐ、穏やかな眠りに就けるなら………と考え苦悩する日々だ。
 
 
アイツが現われるまでは! 
 
アイツさえ…現われなければ…こんな事すら考えた事も無かったのに………』



 
 
 
………翌朝…
 
 
 

 
「聞きました…あの噂。」 
 
「えぇ…例の隔離病棟の患者さんですよね。」
 
 
「そうそう…何かの祟りなんじゃないかって………」
 
 
「あなた達…勤務中に何を話しているの!
 
仕事に戻りなさい!」
 
 
三人の新米ナース達が入院患者の回診途中…嬉々としながら廊下にて、こそこそと内緒の噂話に華を咲かせている。
 
 
そんなところへ婦長の小林が鬼の形相で駆けつけ…叱りつけると彼女等は蜘蛛の子を散らすようにして、どこかに飛んで行くのであった。
 

 
「どうかしました…小林さん。」
 
 
その場を偶然…通りかかった中山が不思議そうな面持ちで声をかける。
 
 
「いえいえ…何でも無いのです。
 
………オホホ。
 
あ、そうでした。
 
二階堂医師から…お電話がありましたよ。
 
用件を伺ったら…折り返し電話して欲しいとだけ言付かっておりますが……? 
久しぶりに声を聞きましたが…お元気そうでしたよ。 
一体どんな用件だったんですかね?
 
アハハ…いやですね、私が立ち話しちゃってます。
 
それじゃ…失礼します。」 
 
軽く会釈をして…そそくさと、その場を立ち去る小林をポカンと見つめる中山。
 

 
「二階堂先輩が…わざわざ電話、しかも…こんな時間に。」
 
 
中山は少しばかり…怪訝そうに小首を傾げると、自分の携帯電話が置いてある更衣室へと向かってスタスタと歩き出した。
 

 
さて、それは…帝都大学附属病院の医師達と奇妙な病に悩む患者が出会う所から物語の歯車は動きだすのであった。
 
 
僅かな歪みを含みながら。 
 

今日から彼は…あの患者は、二階堂医師が担当医として診る事になった。


二階堂医師は…あらゆる症状の精神病患者をケアし、独自のリハビリ方法を続けさせる事等で結果を出していた…その斬新な治療からも一目置かれていたエース的な医師である。
 
 
研修医時代からの恩師である院長の竹田から直々に御指名され古巣の病院へと舞い戻って来た訳なのである。
 
 
研修医時代の後輩である…前任の中山からも、ある程度は事情は聞くが…いまだに信じられない。
 
 
そして…この奇妙な症状のクランケ。
 
 
名前は…河村 洋介
 〔かわむら ようすけ〕 
 
 
この精神病棟の中でも他に類の無い症例だ。
 
 
否…こんな症例は世界でだって聞いた事も無い。
 

 
いつだったか…引き継ぎの際に後輩の医師で、先任の担当医である中山医師に、彼の病状について詳しく伺った事がある。
 
 
その時の中山医師との会話のやりとりの中では…こんな話をしていた。
 
 
「あ~…引き継ぎ事項として、二…三、確認しておきたい、中山さん。
 
今度、私が担当する彼について河村さんと言う患者の容体について詳しく知りたいのだが……」  
 
 
何気なく尋ねたつもりの二階堂だったが…先任の中山医師からは素っ気ない返事が返ってくるだけだった。
 

 
「あ~、二階堂医師。
 
申し訳ないのですが…実は私も、あの奇妙な患者の病状については今一つ、よくわかっていないのですよ。」
 
 
そろそろ帰り支度を始める頃合いだったのか、早めに話を切り上げようという感じの態度で…彼は、そう答えた。
 
 
あまり関わりたくない話題のようにも感じられた。


すると…何かしら、私に秘密にしておきたい事か、言いづらい事があるのでは無いかと…直感し、二階堂は質問してみる。
 
 
彼は…昔から、そんな所があるのを知っていたからだ。
 

 
「あの~…中山医師。

それは…どうしてなのかな?」 

 
やはり…黙っていても仕方ないと観念し、医師としての正義感もあり、やおら中山は語りだした。
 
 
 
「はい…私も…初めは…やはり、あのような症状の原因の基本的な所として薬物依存などの副作用を疑いました。
 
しかし…血液や尿検査の結果、何一つ、ソレらしい反応はありませんでした。」 
 
医師としての当たり前の疑問を率直に投げ掛ける二階堂は…こう言った。
 
 
 
「…では、中山医師。

可能性として例えるなら患者は精神の乖離状態にあると…!?」
 
 
それに…反応するように、中山が語る。
 

 
「…ん~?
 
まぁ…いわゆる多重人格ですか?
 
しかし…自らの肉体に生命を断つ程の危害を加える人格なんて聞いた事も無いですよ。
 
…仮に存在したとしても、一人で…自分だけでは不可能だろうと思われる怪我や傷を加えられますか?

あれは人間には無理な怪我や傷なんですよ…」
 
 
質問に質問で返されて困惑する二階堂は…こう答えるしか無かった。
 


 
「そりゃあ…私だって聞いた事も無いよ。」
 
 
 
自棄に素直な返答に驚いて…少し間をあけてから、ぽつりと呟く中山である。 

 
「そうですよね。」
 
 
 
なんだか…匙を投げた感じの冷たい空気を察知して二階堂は食らい付いた。
 
 
「だが…現実に苦しんでいるのだろう?

……患者は!」
 
 
 
その言葉に…カッとなり、つい反論するかのように中山が語気を荒げて、こう言い放つ!
 

 
「り、理解してますッ!

理解してますとも…ですが…ですが…手の施し様が無いんですよ。
 
すみません…。
 
御覧になれば理解して貰えます。
 
きっと…驚かされますよ。
 
えぇ、医師としての……

い、否…一人の人間としての自分の目を疑ってしまいたくもなりますよ。」
 
 
きっと…彼も…そうとう苦戦を強いられたのであろうと肌で感じ取った二階堂はこう言った。
 
 
「そうですか…ありがとうございます!
 
…では、中山医師。
 
私は…明日、彼に会ってみて詳しく診察してみたいと思います。」
 
 
中山は…祈るように、こう答えた。
 
 
「いえ、こちらこそ、どうぞ、彼の事をよろしくお願いします。
 
なんとかして救ってあげたいのです。

二階堂医師…頼みます先輩。」
 


 
そんな…やりとりもあったよな。
 
 
《コツ…コツ…コツ……》 
 
病院内…特に防音対策が万全な隔離病棟の廊下は独特な静寂感に満ちていて、足音さえも隅々にまで響き渡る。
 
 
廊下の窓から外を見れば、不吉な灰色の淀んだ雲から大粒の雨が降り始め、雷までゴロゴロと稲光が走りだしていた。
 
 
まるで…私の診察を拒絶するかのようにだ。