シンカスル悪夢

シンカスル悪夢②

目を開けている時と閉じている時に見える景色に相違無いくらいの漆黒の闇の中にいるのだと気付く…
 
 
肌にネットリとまとわりつくような湿度の高い空気が不快感をさらに増していた。
 

 
そんな中…何も見えないけれど鼓膜を静かにユサユサと小さく小さく揺らす音が聞こえる。
 
 
「………声が…聞こえる。 
誰か……泣いて…いる。
 
恐らくは…子供の声だ。」 

 
直観的にそう感じられた。

 
空耳なんかじゃない。


 
間違いない!


 
確かに…聞こえた。
 
 
「向うからだ。」
 


 
彼は声が聞こえた方向へと闇の中で泳ぐように進み出すのであった。
 
 
進み続ける度に明らかに空気と言うのか…大気と言うのか…その質量が重くなっていく。
 
 
ズシリ…ズシリと…彼にのしかかってくる。
 

 
そんな空気を強引に掻き分けて…どれほどの時間を進み続けたのだろう。


 
 
真っ黒な闇の中に…一筋の光が見えた!



 
針先でツンと刺して開けられた穴のように…とても小さな穴ではあったが彼にとっては心の拠り所となる大きな希望の光であった。 

 
その小さな光に向かい…すでに疲労感に満ちている身体を奮い立たせて進むペースをさらに上げたのであった。
 

 
「はぁはぁはぁ……。」
 
 

………息が上がる。

 
 
身体中の筋肉が軋み…乳酸が蓄積し過ぎて、気怠さは頂点に達していた。
 


 
「ふぅ…ふぅ…ふぅ……」
 


 
汗がドクドクと噴き出して滝のように流れていくのを感じる。
 
 

息継ぎも…ままならない。 


 
もうダメだ…と絶望感に打ち拉がれて…彼が諦めかけた時。



………奇跡が起きた! 
 



小さな光が差し込んでいた部分が闇を飲み込むようにして…みるみる広がっていくのであった。
 
 

光は…まるで洪水のように空をうねり、舞い踊るのではないか。

 
 
「…な、なんだ!
 
今度は何が起こるんだ!」
 
 
見たことの無い…美しく幻想的な光景に恐ろしささえ感じてしまう。
 
 
あっという間、突然過ぎるくらいに呆気なく消え失せた闇。
 
 
それは…暗がりにすっかり慣れてしまっていた彼の目の前が真っ白になるくらいに輝いて見えたのである。

 
 
さすがに眩しさから思わずクッと目を瞑り…明るさに慣れるのを待つと、ゆっくりと目を開けてみるのだった。
 
 
 
………………………!?
 
 
 
異質な空間である事には変わり無い。
 
 
日差しの厳しい真夏の真昼のような…あまりにも綺麗過ぎる青空がとってつけたみたいで気持ち悪かった。
 

真夏ようだか暑くない…


青空の色もペンキを塗ったみたいにわざとらしい…



それらが不気味さを醸し出していた。 



またしても…何処かは、やはり分からないが凡そ一般的な日本人がイメージする平均的な公園をこれみよがしに具現化した様な建造物や遊具がのっぺりとしているガランとした空虚な空間にポツンとこれ見よがしに並べられていた…



  
「あれは砂場だ。
 
あっちには滑り台に…シーソー。
 
むこうには…ブランコに、ジャングルジムだ。」
 
 
彼は電車の車掌か工事現場のガードマンみたいに指差し確認しながら…ボソボソと呟いてみた。
 
 
自分自身の記憶を呼び起こすように。
 
 
そんな公園の端に…古タイヤと長い土管を組み合わせて作ったアスレチックがあった。
 
 
タイヤの穴に土管を通した遊具は…山に積み重ねられていて登ったり、土管のトンネルを潜ったりするのだろうと推測できた。
 
 
子供達の好奇心を刺激する遊具だと感じられた。
 
 
彼は…童心にかえり、なんだか気になったので遊具の傍まで歩を進めると土管のトンネルの一つを屈んで、ツイと覗いてみると……!?



 
彼の目には美しく煌びやかな夜景が見えていた。
 
 
ちょっと前まで彼が居た何も見えない気味の悪い暗闇では無く…素敵な恋人と過ごしたくなるロマンチックな夜空である。


 
 
それは…明らかに人の手によって造られた輝きであった。
 
 

「これって…何処かで見たことがあるよな。」

 
 
その夜景に見事なライトアップで浮かび上がる象徴的な西洋式の巨城のシルエットを見ると…忽ち、ピーンと答えに思い当たる。
 


 
「そうか!!
 
…東京ファニーズランドだ。」
 
 
いまや日本を…否、世界を代表するテーマパーク型のリゾート遊園地である。
 
 

「なんで…土管のトンネルなんかに繋がっているんだ!?」
 
 
やはり…常識の範疇を超えた世界である事に間違いは無いだろうし、かと言って夢であるならば、これくらいは当然なのかも知れないと思い始めていた。
 
 
「そうだ…反対側の穴からは何が見えるのだろうか?」
 
 
ふと…疑問に思い、好奇心からワクワクする。



彼は反対側に回りこんで覗いてみたのであった。
 

 
「あれ……なんだ…何も見えないな」

 
 
何も見えていない訳では無く、至極当然に見えるだろう真昼の公園の様子が見えるだけだったからだ。
 
 
『助けて~!
 
誰か…助けてぇぇ~!』
 
 
土管のトンネルで繋がっていると思われるファニーズランドから子供の声がする。
 
 
身の危険を知らせる必死な声である。
 


 
「助けなくちゃいけない」 
 
使命感にも似た正義感が…即座に行動に表れていたのだった。
 

 
彼には助けなくてはいけない理由など何も無かったハズである。
 
 

誰しもが二の足を踏む状況で躊躇いもなく行動に移れたのは、彼の夢に起因していたのかも知れなかった。


 
彼は…土管のトンネルに飛び込むようにして、ファニーズランドから聞こえた悲鳴を上げる子供のいる場所へと急いだ…
 
 
トンネルが繋がっている場所は…月は煌めき、星が瞬くファニーズランドの上空であった。
 
 

「うぁぁ…ち、ちょっと、ちょっと、ひょっとしなくても、この高さから落ちたら死ぬよな…!?」
 

 
ノープランで飛び込んだものだから命綱無しのバンジージャンプは彼の意思に反して決行された。



トンネルが滑り台みたいに急勾配で無ければ戻る事ができたかも………なんて後悔していた。
 


 
そんな事を考えている瞬間にも…見る間に地面との距離は迫ってくるのだった。
 
 
急行の電車を駅のホームから眺めるみたいにビュウビュウと流れていく景色の中で…彼が目の端で捉えたアトラクションの一つに最後の望みを懸ける。



彼は空中を平泳ぎみたいに器用に…わっせ、わっせと掻き分けて移動していたのだった。
 
 
幸いな事に着地点よろしくライトアップされた…そのアトラクション目がけて決死のダイブをしたのだった。
 
 
「頼む…予想通りになってくれ~!」
 

 
予想が外れたら…なんて考えたくもない。





彼の祈りは…………
 



 
 
……………………………!?



 
 
…………届いた!
 
 

マシュマロのオバケみたいな巨大なキャラクター達の人形が幾つも幾つも立ち並ぶアトラクション。
 
 
彼は…その中のおっとりした優しい表情のハチミツ大好きなクマさんの腹部に弾丸のように突き刺さりながら飛び込むのであった。
 
 

そんな癒し系なクマさんの人形は…予想を遥かに超える弾力性と柔軟性に富んだ素材で造られていた為に、幸いにも無傷で着地できた事は予想外であり嬉しい誤算でもあった。
 
 


「うひゃぁ~!

マジで死ぬかと思った。」
 


 
勢い余ってズドーンと揺れ動き、突入した方向へ倒れてしまった人形から…はふはふと息継ぎしながら脱出し、彼は心から…そう安堵の言葉と溜め息を漏らした。
 
 

「こんな事している場合じゃ無いんだ。
 
あの悲鳴が聞こえた方向へ行かなくては。」
 

 
…かと言って様々なエリアに区分けされた都市のような遊園地の中から手掛かりすらなしに助けを求めていた子供を探すなんて至難の業である。
 
 
砂漠で無くした指輪を探すくらいに大変な事であろう。
 
 
「落ち着け…思い出せ、思い出すんだ。
 
あの子の悲鳴が聞こえた方向は場所は…………」
 
 
まず、あのシンボル的な巨城が見えた………


次に…悲鳴は…


確か……東の方向から聞こえたような気がする。
 
 
以前、家族や修学旅行で訪れた時の記憶をドタバタと駆け巡ってみる。
 
 

最後の一つとなったパズルのピースをはめ込むみたいに再構築され、鮮明に記憶が甦ったのである!
 

 
「確か…あの方向は…ニューフロンティア・ワールド・トレインがあるスペースエリアのハズだ!?」
 
 
彼は…思い出した記憶を頼りに駆け出した!
 
 
近未来と科学技術の進歩した世界をテーマにしたアトラクションが豊富なエリアで子供から親の世代まで人気があり、このランド内に置いても…一、二を競う混雑と待ち時間の長さを誇っている。
 
 
「誰もいない…ガランとしているだけで随分と印象が変わって見えるものなんだな。」
 
 
本当に自分が…ここで楽しく過ごしたのだろうか?…と疑いたくなる程に真っ暗な闇に覆われていて廃墟のような不気味さを感じていたのだった。
 
 
そんな不安や迷いをかき消すように助けを求めいた子供に大きな声で呼び掛けていたのだった。
 
 
「おーい…誰か、いないのか!
 
聞こえていたら…返事をしてくれー!
 
君を助けに来たんだ!
 
安心して大丈夫だから。
 
聞こえていたら返事をしてくれー!」
 
 
彼の声だけが…嘘のように静まり返った園内に虚しく響き渡る。
 

 
《……おやおやぁ?
 
貴方…此処まで辿り着くなんて大したモノですねぇ!
 
無限廻牢(むげんかいろう)まではフラフラと迷い込む馬鹿もいるんですがねぇ! 
此処は私だけのお楽しみの場所なんですが仕方ないですねぇ。
 
一緒に楽しみますか?》
 
 
そう言って…彼に声を掛けてきたのは少し風変わりなピエロであった。
 
 
風船のように真ん丸な身体、背もそれほど高くは無かった。
 
 
印象的なつばの大きなシルクハットに独創的な燕尾服である。
 
 
骸骨の頭部が飾られたステッキがピエロの印象をさらに脳裏に焼き付けてしまうのであった!
 
 
漆黒の道化師とでも呼びたくなる黒一色な出で立ちである!
 
 
肥えあげた二重あごの口元は絶えず…くしゃくしゃと皺を作り上げ、薄気味悪い笑みを浮かべていたのである。
 

 
そんな事よりも…さらに彼を驚かせたのは、そのピエロが空中をフヨフヨと浮かんでいたからであった。
 
 
ピエロは彼の右斜め一メートルくらい上から見下ろすように、再び…声を掛けてきた!
 
 
《貴方…どうやって此処まで辿り着きました?
 
教えて頂けませんかねぇ! 
ええ…ぜひとも。
 
御礼は貴方の望みを叶えて差し上げると言う事で。 

ホーッホッホッホッホ!》 
 
彼がピエロを見失ったかと思うと、いつの間にか背後に回り込み…ニタリと気味悪く微笑んでみせた。
 


 
「あんた、何者だ……… 
そうだ…この辺で子供を見掛けなかったか?」
 
 
ピエロから…ザリザリと距離を取るようにして後退りながら恐々と彼がそう訊ねると………
 
 
 
《う~む、残念ながら見掛けてませんねぇ。
 
それはそうと…次こそ、私の質問に答えて貰えませんかねぇ!》
 
 
ピエロは、また…いつの間にか背後から声を掛けてくるのであった!
 
 
彼は…不気味さを感じながらも答える事にした。
 
 
「気が付いたら、いつの間にか真っ白で何もない場所に居たんだ。
 
そうしたら、次は、真っ黒なところに流されて………
そこを抜けたら、真っ青な空が印象的な空間に公園みたい遊具が置いてあって………

古タイヤと土管を使って造られていた遊具が…このファニーズランドへと繋がっていた訳なんだよ。
 
簡単に説明すると…こんな感じかな?
 
しかし、何が…なんだか理解出来て無いってのが正直なところかな?」
 
 
彼は小首を傾げながら…後ろ頭をポリポリと掻き、眼球をクルクルと回し…思い出したところから口に出していた。
 


 

《フォフォフォホッホ!
 
なるほど…なるほどねぇ! 
アイツの遊び場から来たんですねぇ。
 
それじゃ…貴方の望みを叶えて差し上げましょう!》 
 
そう言って…ステッキを地面にコツンと叩きつける。

…と、今まで月明かりの淡い光のみが頼りであったスペースエリアの各所のアトラクションと街灯にパッと明かりが灯るのであった。
 
 
夜目に慣れていた彼は顔をくしゃりと歪ませていた。
 
 
「うわッ!

な、何が起きたんだ。」
 
 
《少し暗くて足元が不安でしたでしょう?
 
ですから、こうして灯りをね。
 
さぁ…それじゃ、ここは楽しい場所ですから。
 
そろそろ始めましょうかねぇ!
 
ホッホッホッホッ!!
 
イッツァ…ショー…タイム!》
 
 
ピエロはウインクしながら指をパチンとカスタネットみたいな音を立てて鳴らしたのであった。
 


 
《マジックショーはお好きかねぇ!》
 
 
アコーディオンやシンバルやパーカッションの賑やかで楽しげな音楽が何処からともなく聞こえてくる。
 

 
「な…な、何なんだ!」
 
 
キョロキョロと辺りを見回してみても誰もいない! 
 

それどころか…音楽が流れてくる方向すら解らない。 


 
《ハイ、注目ゥ~ッ!
 
取り出したる…このハンカチ!》
 
 
ピエロがそう言ってくる前に彼はすでに驚いていた!

 
 
それはピエロが仰々しく、シルクハットを脱ぎ、深々とお辞儀をすると持っていたステッキを逆さまにし、その中に放り込むとステッキは煙のように消え失せてしまった!
 



 
続け様に…胸元からハンカチを素早く取り出して空中に放り投げると癇癪玉みたいに乾いた破裂音と共に弾ける。
 
 
弾けたハンカチは瞬時に赤いピンポン玉に変わっていた!
 
 
《パンと弾けて玉になる。
 
お次は…二つに増えてしまう!》
 
 
ピエロが器用に変えたピンポン玉を指の間へ…するりと潜らせると、瞬時にピンポン玉は二つに増えてしまうのであった!
 
 
そんな様子を彼は童心に還った様な瞳で食い入るように見つめていた。
 
 
最早、彼の頭の中からは助けを求めていた子供の事など忘れてしまっていた!
 


 
ピエロが次から次へと指の隙間をピンポン玉で埋めていく…それは両手いっぱいに八個まで増えていた。
 
 
《ほ~ら…二つが三つへ、三つが四つへ…どんどん増えて行きますよぉ!
 
そして…こんなにたくさん増えた玉をこうして両手でギュッと押さえつけ握りしめると…あ~ら、不思議!!
 
ホッホッホ!

こんな~でっかくなっちゃいます!》
 
 
両手いっぱいにしていたピンポン玉をおむすびでも握るみたいにギュッと押さえつけると…それを空中に放り投げた!
 
 
それは…たちどころに軽四の自動車がすっぽりと納まるくらいの巨大なピンポン玉に変化してしまった!
 


 
「えっ、ええっ!?」
 
 
彼は驚嘆の声を上げるだけであった!
 
 
《この中に貴方の探し物が入っているかも知れませんねぇ!》
 
 
ピエロが…そう愉しそうに言葉尻を弾ませて言うや否や…赤く巨大なピンポン玉はくす玉みたいに真ん中から割れていくのであった。
 
 
その中からは青い水玉模様のパジャマ姿の小学生低学年くらいの男の子が泣きじゃくりながら立ち尽くしていた……
 
 
《オ~ッホッホッホッホッ!!
 
貴方の望みは叶いましたかな?
 
今までのは…ほんの余興ですよ!
 
今度は私が存分に楽しませて貰いましょうかねぇ!》 
 

 
もう一度…丁寧に深々とピエロが会釈をすると、シルクハットの中からギラギラと輝く鋭利なナイフを取り出してみせた。
 
 
パジャマ姿の男の子は我を取り戻したかのように泣きじゃくる声を止めて叫んでいた。
 
 
『…逃げて~ッ!
 
お兄ちゃんまで殺されちゃうよ~ッ…!!!!』
 
 
小さな身体中から振り絞ったような大きな叫び声を上げる男の子。
 


 
ピエロが不機嫌そうに爪先の丸まった靴をコツコツと鳴らして…男の子に近づくと凄まじい怒りの形相でギュッと荒々しく首根っこを掴み乱暴に持ち上げる。
 
 
《…チッ、余計な事を言いやがる。
 
クソガキが今すぐにでも、その首根っこをへし折ってやろうか。》
 
 
ピエロは男の子に囁くように…不気味なくらいに優しそうに笑ってみせたのだった…
 


 
「おいッ…何してる!!

その子を離せ…死んでしまうだろう!」
 
 
彼は叫びながら訴えた!!
 
 
《ホッホッホ~!
 
悪い子には…お仕置きしないといけないのですけどねぇ!
 
貴方に免じて許して差し上げます!》
 
 
ピエロは掴み上げた男の子をボールを扱うかのように軽々しく粗雑に放り投げた。
 
男の子は彼の方向に弧を描いて宙を舞った。



 
宙を舞う男の子を…彼は急いで受け止める。
 
 
地面すれすれを間一髪のところで救い上げる。
 
 
ずしりと両腕に重みがかかる。
 
 
肩が外れるかと思うくらいの衝撃だったが、しっかりと抱きかかえる事に成功した。
 
 
「おい…大丈夫かい?
 
ぼく…聞こえているかい?」
 
 
白目を剥いて泡を吹いている男の子の頬を軽く叩いて意識を確かめるように呼び掛ける。
 
 

すると………

 
 
『…ケホッ、ケホッ、ゲホッ!!』
 

 
抱きかかえられている彼の腕の中…上体を起こして、息を吹き返した男の子は苦しそうにケホケホと何度も咳き込むのであった。
 

 
彼は少しでも楽になればと思い、男の子の背中をゆっくり優しく撫でて上げるのだった。
 


 
《さぁて…お次は的当てのダーツゲームとジャグリングの楽しい楽しいショーが始まりますよ!》
 
 
苦しそうに咳き込む男の子など目にもくれず、狂気に満ちたピエロがニタニタと楽しそうに笑ってみせた。 
 
《ウィリアム・テルもロビン・フッドも真っ青な芸術的な私の妙技をとくと御堪能あれ!》
 
 
両手をいっぱいにしたナイフをくるくると何事も無かったかのように平然と器用に次から次へとお手玉みたいに投げている。
 
 
股の間を通してみせたり、逆立ちしてみせたりと、ひとしきりアクロバティックな演技が終了すると…わくわくした笑顔で待ちきれなさそうに不気味なウインクする。
 
 
それを合図とばかりに両手にギラリと光るナイフの一つをヒュッと彼らを目掛けて投げつけてきたのであった。
 

 
彼は男の子を抱き抱えたまま…辛うじてナイフを避けてみせた。
 
 
《オッホッホッホッホ!
 
お上手…お上手~…胸のリンゴが貫かれたらゲームオーバーですからねぇ~! 
オ~ッホッホッホッホ!!》 
 
ピエロは嬉々として手を叩いて高笑いをする。
 
 
まるで新しいオモチャを手にした子供のように…はしゃいでいるではないか。
 
 
いつまでもナイフを避け続けるのは非常に難しい問題である。


彼は、狂気に満ちたピエロから…なんとか逃げなくてはと決意する。
 
 
ふと…目の端に写る男の子に異変が起きていた。
 
 
パジャマの間から見える男の子の胸にリンゴのタトゥーが浮かび上がってきた。
 
リンゴのタトゥーはダーツの的のように多重の円の中に得点と思われる数字がいくつも書いてあった。

 
彼は…まさかと思い、自分の胸ぐらを覗いてみると、男の子と同じようにタトゥーが浮かび上がって来ているではないか。
 


現在、置かれている状況が現実か夢か…それさえも理解出来ずにひとりごとのような悪態をつく。
 
 
「畜生…なんなんだよ!
 
厄日だな…今日は!!

そしてオマエは疫病神か? 
それとも…なんだ悪趣味な死神か!?
 
悪酔いのせいでみた悪夢であって欲しいものだよ…まったく。」
 
 
悪態をついたものの彼は男の子の心配そうな顔をみると優しく頭を撫でてやり、こう告げた…
 
 
「大丈夫、君を簡単に死なせたりしない…お兄ちゃんが守ってあげるから。
 
こんな怖いところから早く逃げなくちゃね。」
 
 
男の子は黙ったまま…こくりこくりと何度も頷いてみせる。