彼ではない彼を、私は知っている――――。
不快なほど鮮明な時計の音が、脳裏の奥深くで響き渡った。
その乾いた音に重なるように、見たことのないはずの彼――アルノーシュの姿が、断片的でありながら生々しく、次々とフラッシュバックしてくる。
告白を受け入れたあと、照れたようにはにかむ彼。
ユリアンとa出かけた姿を見られて、わずかに拗ねた仕草を見せる彼。
ライルと昼食をとっているところへ、当たり前のように同じ席に座る彼。
エリオに渡した菓子を、子どものように欲しがる彼。
クレイン先生に頼まれた教材を運ぶ私に気づき、何も言わずに手を貸してくれる彼。
浮かび上がるのは、アルノーシュの姿だけではなかった。
ユリアンから告白され、それを受け入れた記憶。
ライルにお姫様のように抱き上げられた記憶。
校舎裏でエリオと甘い空気に包まれた記憶。
クレイン先生と街を歩き、まるで恋人のように過ごした記憶。
――違う。
そんな出来事、私は一度も経験していない。
なのに、触れた指先の温度まで、確かに思い出せてしまうのはなぜなのだろう。
時計の音が、ひときわ強く耳の奥で鳴り響いた。
その瞬間、視界の端がわずかに暗く沈み、温室に満ちていた花の匂いが遠のいていく。
まるで自分だけが、別の水の中へ沈み込んでいくような感覚に、胸の奥がひやりと冷えた。
私の頭の中を、覚えのない記憶が走馬灯のように駆け抜けていく。
何度も、何度も繰り返してきた――。
何度も選び、何度も振り、
何度も、何度も、何度も――――。
息が浅くなる。
立っているはずなのに、足場が揺らいでいる気がする。
幾度も反復される世界の中で、私は終わりのない選択の山を見ていた。
どんな場面でも、どんな瞬間でも、必ず顔を出す選択肢。
その存在が、容赦なく私の心にのしかかってくる。
どの道を選んでも、たとえ無意味だと思う道を進んだとしても、最後には必ず誰かと強制的に結ばれる。
皆のことが嫌いなわけではない。
けれど私は、何をしても愛想を振りまき、誰とでも仲良くしようとしてしまう。
そんな自分から、どうしても逃れられない。
自分の意思とは無関係に、出来事は問答無用で進んでいく。
まるで見えない糸に操られた人形のように、私は動かされていた。
そう思った瞬間、背筋に冷たいものが走る。
もしそれが本当なら――私は、いったい何なのだろうか。
その積み重ねに、少しずつ違和感を覚え、
自分の行動そのものに疑問を抱くようになり、
気づけばそれらは、澱のように無意識の底へ沈んでいった。
みんなのことが好きなのに苦しくて、
アルノ殿下が好きなのに辛くて、
好きな人に向かって笑いたいはずなのに、
張り付いた笑顔しか作れなくて。
私は、本当に私なのだろうか。
私の選択は、本当に私自身が考え、選び取ったものなのだろうか。
そんな心の澱は、
よどんで濁り、私にまとわりつき、
手も足も身体も思考も、すべてを絡め取っていく。
私が何かを選ぶことで、誰かが嫌な思いをしてほしくないと願っているのに、そのために悩み抜いて選んだはずの選択で、なぜか誰も傷ついていない。
私が何を選ぼうと、誰を選ぼうと、皆は明るく爽やかに受け入れてくれる。
その光景を見ていると、私という存在はなくてもよかったのではないか――そんな思いが、胸の奥に忍び寄る。
皆も、私でなくてもよかったのではないだろうか。
張り付いた笑顔の、表面だけの私がいれば、それで十分だったのではないだろうか。
私の中身など、最初から必要とされていなかったのではないだろうか。
胸の奥が、ひやりと冷える。
そんな考えを抱いた自分が、いちばん怖い。
思いたくもないのに。
それでも、そう考えてしまう私は――いったい何なのだろう。
怒涛のように押し寄せた記憶の余波は、簡単には収まらなかった。胸のざわめきは消えず、頭の中は霧がかかったように揺れている。
すべてを細部まで覚えているわけではない。
けれど、「二学年の四月から三月末までの一年間」という大まかな流れだけは、確かに残っている。
たった一年。
ただ一度きりのはずの二学年。
それなのに、いくつもの同じ四季、同じ時間の既視感が重なっていく。
今まで自然に返していたはずの表情を、何度も意識的に作ってきたような気がしてならない。
『これは本当に、一度きりだった?』
その疑問は、返事のないまま胸の奥に沈んでいく。
けれど完全に沈みきることはなく、じわじわと波紋を広げ続ける。
横に佇み、静かな目で私を見つめるもう一人の自分。その存在が、次第に輪郭を強めていく。
さっきまでは、ただ隣にいるだけだった。
けれど今は、確かにこちらを見ている。
無表情のはずなのに、どこか疲れたような、哀しげな目をしている気がした。
今、ここにいる私は――どちらの私なのだろう。
世界の音が、ほんの一瞬だけ遠のく。
それでも、押し寄せる記憶は止まらない。
混乱しているはずなのに、呼び起こされる会話ははっきり理解でき、絶えず途切れることなく場面は流れていく。
その中の私は、笑顔で返すべき場面では笑顔を作り、少し拗ねた表情が正解ならその顔を貼り付ける。
本当の心は、隣にいる無表情の私のはずなのに。
表の私は、いつも“作られた笑顔”を外せない。
理解できない感情が苦しくて、何度も抗おうとした。
それでも結局、提示される選択肢から逃れることはできなかった。
心が窒息しそうになり、胸の奥に溜まった澱に飲み込まれそうになりながらも、私は必死に踏みとどまった。
はっきりと記憶しているわけではない。
ただ、横にいるもう一人の私が苦しそうな顔をしている選択は、私にとっても、そして周囲にとっても、辛い結果を招くことが多かった――そんな感覚だけは、確かに残っている。
だから私は、できるだけ“横の私が表情を変えない選択”を選ぶようにした。
それは、逃げだったのかもしれない。
それでも、他に方法を知らなかった。
それでも、ほとんどの選択肢に、横の私は反応した。
だから私は、できるだけ選択肢そのものを選ばないようにした。提示された道とは異なる行動を、可能な限り取ろうとした。
それが正しかったのかどうかは、今も分からない。
ただ――あのときの私は、必死だったのだ。
喉が焼けるように痛く、うまく息が吸えない夜があった。
胸が締めつけられ、浅い呼吸を繰り返すたびに、自分の存在が薄れていくような感覚に襲われた。
誰の顔も浮かぶのに、誰の名前も呼べない。
助けを求める言葉さえ喉に引っかかり、私はただ天井を見つめ続けていた。
静寂だけが、やけに重かった。
呼吸の音すら、聞こえなかった。
そのとき初めて、「選ばない」という言葉が、静かに胸の奥へ落ちてきたのだ。
選ぶから苦しいのなら。
選ぶたびに傷つくのなら。
――いっそ、選ばなければいいのではないか、と。
そして前回――私はようやく「全員を振る」という、精一杯、自分で考えた選択に辿り着いた。
気が狂いそうなほど膨大な選択肢の中で、これまで私は振られることはあっても、「私が誰も選ばない」という結末は一度もなかったと思う。
常に誰かを選び、誰かを失い、そのたびに笑顔を貼り付けてきた。
だからこそ、その選択は私にとって初めての反抗であり、初めての意志だった。
こうして私は、これまで選ばなかった選択や行動に、自分のすべての想いと運命を託したのだ。
かくして――季節は巡った。
その果てに、一度も訪れなかった進級という現実を、今の私は初めて体感している。
それは夢でも幻想でもなく、確かな現実として、私の前に広がっていた。
――その事実を、私は思い出した。
壁に身体を預けるように倒れ込むリリアーナを、アルノーシュはそっと抱き留める。
腕の中に伝わる体温が思ったより冷たく感じ、胸の奥がひやりとした。
彼女の肩や背中の重みを感じながら、張り詰めた表情や、小さく震える指先にまで目を配る。
その瞳には純粋な心配だけでなく、拭いきれない胸騒ぎと戸惑いが入り混じっている。
アルノーシュは呼吸を整え、リリアーナが落ち着くまで静かに支え続けた。
『具合が悪そうだ。胸元のボタンを外そう』
『不安そうだ。このまま抱きしめて介抱しよう』
頭の奥で、場違いな選択肢がこだまするが、私はそれらを意識的に無視した。
――少なくとも、私は、そんなことを考える人間じゃない。
「リリアーナ、大丈夫か」
選択肢を振り払い、力なく身を預ける彼女の肩を支えながら、できるだけ落ち着いた声で問いかける。
その声に気づいたリリアーナは、顔を上げないまま、かすれた声で答えた。
「……今の、言葉……。アルノ殿下が、選んでほしかったって言う言葉を……前にも……聞いたことがあるの」
その発言に、私は目を見開いた。
先ほど思わず零れ落ちた言葉は、自分でもなぜ口にしたのか分からない。間違いなく、初めて口にしたはずのものだった。
それなのに、リリアーナは「前にも聞いた」と言う。
「あなたとは違うのに、でも同じ……。あの温室で、私があなたを選ばなかったときに、あなたが口にした言葉と同じ……なの……」
その一言は、鋭い刃のように私の胸を貫いた。
同時に、頭の奥で鳴り続けていた時計の音が、さらに鋭く、激しく響き渡る。
耳の奥からこめかみへ、そして後頭部へと、細い針が突き抜けていくような痛みが走る。
その痛みは一瞬で全身を駆け巡り、意識の縁を揺さぶった。
まるで見えない糸で結びつけられているかのように、その激痛はユリアン、ライル、エリオ、クレインの四人にも伝播する。
視界がわずかにかすみ、時間が引き伸ばされたように感じられた。同じ瞬間、同じ痛みを彼らも共有していた。
それと並行して、私自身が知らないはずの記憶が脳裏に蘇る。
自分であって、自分ではない誰かの行動と言葉。
――そうだ。確かに、ここで“私ではない私”が、何度もリリアーナに告げたのだ。
頭の奥に、あの温室の光景が鮮明に蘇る。
言葉を紡いだ自分の声。彼女の揺れる瞳。触れた手の感触。
すべてが一気に胸へ押し寄せ、心が大きくざわめく。
私は息を呑み、言葉の重みに震えながら、その記憶の中の自分が告げた一言を思い出す。
「――本当は、選んでほしかった」と。
不快なほど鮮明な時計の音が、脳裏の奥深くで響き渡った。
その乾いた音に重なるように、見たことのないはずの彼――アルノーシュの姿が、断片的でありながら生々しく、次々とフラッシュバックしてくる。
告白を受け入れたあと、照れたようにはにかむ彼。
ユリアンとa出かけた姿を見られて、わずかに拗ねた仕草を見せる彼。
ライルと昼食をとっているところへ、当たり前のように同じ席に座る彼。
エリオに渡した菓子を、子どものように欲しがる彼。
クレイン先生に頼まれた教材を運ぶ私に気づき、何も言わずに手を貸してくれる彼。
浮かび上がるのは、アルノーシュの姿だけではなかった。
ユリアンから告白され、それを受け入れた記憶。
ライルにお姫様のように抱き上げられた記憶。
校舎裏でエリオと甘い空気に包まれた記憶。
クレイン先生と街を歩き、まるで恋人のように過ごした記憶。
――違う。
そんな出来事、私は一度も経験していない。
なのに、触れた指先の温度まで、確かに思い出せてしまうのはなぜなのだろう。
時計の音が、ひときわ強く耳の奥で鳴り響いた。
その瞬間、視界の端がわずかに暗く沈み、温室に満ちていた花の匂いが遠のいていく。
まるで自分だけが、別の水の中へ沈み込んでいくような感覚に、胸の奥がひやりと冷えた。
私の頭の中を、覚えのない記憶が走馬灯のように駆け抜けていく。
何度も、何度も繰り返してきた――。
何度も選び、何度も振り、
何度も、何度も、何度も――――。
息が浅くなる。
立っているはずなのに、足場が揺らいでいる気がする。
幾度も反復される世界の中で、私は終わりのない選択の山を見ていた。
どんな場面でも、どんな瞬間でも、必ず顔を出す選択肢。
その存在が、容赦なく私の心にのしかかってくる。
どの道を選んでも、たとえ無意味だと思う道を進んだとしても、最後には必ず誰かと強制的に結ばれる。
皆のことが嫌いなわけではない。
けれど私は、何をしても愛想を振りまき、誰とでも仲良くしようとしてしまう。
そんな自分から、どうしても逃れられない。
自分の意思とは無関係に、出来事は問答無用で進んでいく。
まるで見えない糸に操られた人形のように、私は動かされていた。
そう思った瞬間、背筋に冷たいものが走る。
もしそれが本当なら――私は、いったい何なのだろうか。
その積み重ねに、少しずつ違和感を覚え、
自分の行動そのものに疑問を抱くようになり、
気づけばそれらは、澱のように無意識の底へ沈んでいった。
みんなのことが好きなのに苦しくて、
アルノ殿下が好きなのに辛くて、
好きな人に向かって笑いたいはずなのに、
張り付いた笑顔しか作れなくて。
私は、本当に私なのだろうか。
私の選択は、本当に私自身が考え、選び取ったものなのだろうか。
そんな心の澱は、
よどんで濁り、私にまとわりつき、
手も足も身体も思考も、すべてを絡め取っていく。
私が何かを選ぶことで、誰かが嫌な思いをしてほしくないと願っているのに、そのために悩み抜いて選んだはずの選択で、なぜか誰も傷ついていない。
私が何を選ぼうと、誰を選ぼうと、皆は明るく爽やかに受け入れてくれる。
その光景を見ていると、私という存在はなくてもよかったのではないか――そんな思いが、胸の奥に忍び寄る。
皆も、私でなくてもよかったのではないだろうか。
張り付いた笑顔の、表面だけの私がいれば、それで十分だったのではないだろうか。
私の中身など、最初から必要とされていなかったのではないだろうか。
胸の奥が、ひやりと冷える。
そんな考えを抱いた自分が、いちばん怖い。
思いたくもないのに。
それでも、そう考えてしまう私は――いったい何なのだろう。
怒涛のように押し寄せた記憶の余波は、簡単には収まらなかった。胸のざわめきは消えず、頭の中は霧がかかったように揺れている。
すべてを細部まで覚えているわけではない。
けれど、「二学年の四月から三月末までの一年間」という大まかな流れだけは、確かに残っている。
たった一年。
ただ一度きりのはずの二学年。
それなのに、いくつもの同じ四季、同じ時間の既視感が重なっていく。
今まで自然に返していたはずの表情を、何度も意識的に作ってきたような気がしてならない。
『これは本当に、一度きりだった?』
その疑問は、返事のないまま胸の奥に沈んでいく。
けれど完全に沈みきることはなく、じわじわと波紋を広げ続ける。
横に佇み、静かな目で私を見つめるもう一人の自分。その存在が、次第に輪郭を強めていく。
さっきまでは、ただ隣にいるだけだった。
けれど今は、確かにこちらを見ている。
無表情のはずなのに、どこか疲れたような、哀しげな目をしている気がした。
今、ここにいる私は――どちらの私なのだろう。
世界の音が、ほんの一瞬だけ遠のく。
それでも、押し寄せる記憶は止まらない。
混乱しているはずなのに、呼び起こされる会話ははっきり理解でき、絶えず途切れることなく場面は流れていく。
その中の私は、笑顔で返すべき場面では笑顔を作り、少し拗ねた表情が正解ならその顔を貼り付ける。
本当の心は、隣にいる無表情の私のはずなのに。
表の私は、いつも“作られた笑顔”を外せない。
理解できない感情が苦しくて、何度も抗おうとした。
それでも結局、提示される選択肢から逃れることはできなかった。
心が窒息しそうになり、胸の奥に溜まった澱に飲み込まれそうになりながらも、私は必死に踏みとどまった。
はっきりと記憶しているわけではない。
ただ、横にいるもう一人の私が苦しそうな顔をしている選択は、私にとっても、そして周囲にとっても、辛い結果を招くことが多かった――そんな感覚だけは、確かに残っている。
だから私は、できるだけ“横の私が表情を変えない選択”を選ぶようにした。
それは、逃げだったのかもしれない。
それでも、他に方法を知らなかった。
それでも、ほとんどの選択肢に、横の私は反応した。
だから私は、できるだけ選択肢そのものを選ばないようにした。提示された道とは異なる行動を、可能な限り取ろうとした。
それが正しかったのかどうかは、今も分からない。
ただ――あのときの私は、必死だったのだ。
喉が焼けるように痛く、うまく息が吸えない夜があった。
胸が締めつけられ、浅い呼吸を繰り返すたびに、自分の存在が薄れていくような感覚に襲われた。
誰の顔も浮かぶのに、誰の名前も呼べない。
助けを求める言葉さえ喉に引っかかり、私はただ天井を見つめ続けていた。
静寂だけが、やけに重かった。
呼吸の音すら、聞こえなかった。
そのとき初めて、「選ばない」という言葉が、静かに胸の奥へ落ちてきたのだ。
選ぶから苦しいのなら。
選ぶたびに傷つくのなら。
――いっそ、選ばなければいいのではないか、と。
そして前回――私はようやく「全員を振る」という、精一杯、自分で考えた選択に辿り着いた。
気が狂いそうなほど膨大な選択肢の中で、これまで私は振られることはあっても、「私が誰も選ばない」という結末は一度もなかったと思う。
常に誰かを選び、誰かを失い、そのたびに笑顔を貼り付けてきた。
だからこそ、その選択は私にとって初めての反抗であり、初めての意志だった。
こうして私は、これまで選ばなかった選択や行動に、自分のすべての想いと運命を託したのだ。
かくして――季節は巡った。
その果てに、一度も訪れなかった進級という現実を、今の私は初めて体感している。
それは夢でも幻想でもなく、確かな現実として、私の前に広がっていた。
――その事実を、私は思い出した。
壁に身体を預けるように倒れ込むリリアーナを、アルノーシュはそっと抱き留める。
腕の中に伝わる体温が思ったより冷たく感じ、胸の奥がひやりとした。
彼女の肩や背中の重みを感じながら、張り詰めた表情や、小さく震える指先にまで目を配る。
その瞳には純粋な心配だけでなく、拭いきれない胸騒ぎと戸惑いが入り混じっている。
アルノーシュは呼吸を整え、リリアーナが落ち着くまで静かに支え続けた。
『具合が悪そうだ。胸元のボタンを外そう』
『不安そうだ。このまま抱きしめて介抱しよう』
頭の奥で、場違いな選択肢がこだまするが、私はそれらを意識的に無視した。
――少なくとも、私は、そんなことを考える人間じゃない。
「リリアーナ、大丈夫か」
選択肢を振り払い、力なく身を預ける彼女の肩を支えながら、できるだけ落ち着いた声で問いかける。
その声に気づいたリリアーナは、顔を上げないまま、かすれた声で答えた。
「……今の、言葉……。アルノ殿下が、選んでほしかったって言う言葉を……前にも……聞いたことがあるの」
その発言に、私は目を見開いた。
先ほど思わず零れ落ちた言葉は、自分でもなぜ口にしたのか分からない。間違いなく、初めて口にしたはずのものだった。
それなのに、リリアーナは「前にも聞いた」と言う。
「あなたとは違うのに、でも同じ……。あの温室で、私があなたを選ばなかったときに、あなたが口にした言葉と同じ……なの……」
その一言は、鋭い刃のように私の胸を貫いた。
同時に、頭の奥で鳴り続けていた時計の音が、さらに鋭く、激しく響き渡る。
耳の奥からこめかみへ、そして後頭部へと、細い針が突き抜けていくような痛みが走る。
その痛みは一瞬で全身を駆け巡り、意識の縁を揺さぶった。
まるで見えない糸で結びつけられているかのように、その激痛はユリアン、ライル、エリオ、クレインの四人にも伝播する。
視界がわずかにかすみ、時間が引き伸ばされたように感じられた。同じ瞬間、同じ痛みを彼らも共有していた。
それと並行して、私自身が知らないはずの記憶が脳裏に蘇る。
自分であって、自分ではない誰かの行動と言葉。
――そうだ。確かに、ここで“私ではない私”が、何度もリリアーナに告げたのだ。
頭の奥に、あの温室の光景が鮮明に蘇る。
言葉を紡いだ自分の声。彼女の揺れる瞳。触れた手の感触。
すべてが一気に胸へ押し寄せ、心が大きくざわめく。
私は息を呑み、言葉の重みに震えながら、その記憶の中の自分が告げた一言を思い出す。
「――本当は、選んでほしかった」と。


