バトンタッチ

 先頭を切ってゴールした選手が雄叫びを上げた瞬間、歓声が湧き上がりテレビカメラが笑顔を浮かべる選手にズームを当てる。画面下には選手名と所属校のテロップが出され、成績の欄には紛れもなく【男子リレー400m1着】と書かれていた。
「……あいつ、やりやがったのか」
「なんかズルしてんじゃね?」
「ははっ、負け惜しみはやめろや」
「おまえだって散々悪口言ってたじゃねぇか!」
 人気ファミレス店「サイゼ」ことサイコ・ゼラニウムのテレビ横にあるボックス席で陣取っていた、三人の男子高校生の視線はテレビ画面に釘付けになっていた。ひとりは両耳にピアスをつけ、ひとりは着崩した制服を着て、もうひとりは髪を茶色に染めている。
 先日三人がこの店で偶然再会した、同じ中学校出身の元陸上部チームメイトが連れていた同級生。テレビ画面には「柊シン」と彼の名前が書かれており、確かにあの日再会した同級生が呼んでいた連れの彼と同じ名前だった。
 三人が見ているのは先日行われたインターハイ決勝の録画映像で、この店の常連として来ていた森海高校の生徒を労うためか『祝☆優勝!森海高校陸上部』と書かれた垂れ幕まで装飾されている。
「ふん…あいつは今でも諦めが悪いな」
「いやしかし1位ってフツーにすごくね?」
「別に哉明が1位取った訳じゃないだろ。柊ってヤローとチムメンの足が早かっただけだ」
 負け惜しみを言うように苦々しい顔でピアスの男子が呟くと、残る二人が押し黙った。制服を着崩した男子が「本当にそれだけか?」と言葉を返し、皿に残ったフライドポテトを指先で摘んで口に運ぶ。
「…オレたちの中で1番勝ちに拘ってたのは哉明だった。だけどアイツのせいで走れなくなって…廃部になったのも悔しいけど、オレは哉明と一緒に組んだチームが解散になったのがすげぇ辛かったな」
「おい、まさか今更陸上やろうってんじゃ」
「んー…今からでも…遅くはないと思う。まだ2年だろ、俺たち」
「はぁ?椿まで何言ってんだ…」
 茶髪の青年に向かってピアスの男子が呆れたようにグラスの中身を呷ると、深い溜息をついた。

 中学生だった当時、陸上に賭けていたのは哉明だけではなく、彼らも間違いなく『テッペン』を目指していた。今は茶髪に髪を染めている椿寛也(つばきひろや)も、ピアスを着けている土谷樹(つちやいつき)も、制服を改造し着崩している水無瀬葵(みなせあおい)も元々は陸上に打ち込む元気で真面目な少年だった。辛い練習にも新たなコーチによる折檻にも何とか耐え、チームが完成するまであと少しという頃。誰よりも早く夢が折れてしまったのは、皆を引っ張っていた哉明だった。哉明自身の肉体的な損傷が激しかったのは確かで、それ自体は全面的に学校側に落ち度がある。しかしチームの要でもあった彼が欠けてしまってから、残った三人は何もかも上手くいかなくなってしまった。
 他の部員が次々と去り、部員が減少して顧問不在となった陸上部は廃部に追い込まれてしまう。哉明は人目を避けるように転校し、三人と連絡を取らなくなった。残された彼らが哉明に何を言おうと、焼け石に水なのは目に見えて明らかであったのは確かだろう。どのような言葉を掛けて良いのかも分からなかった。
 三人は不完全燃焼のまま、陸上競技でのスポーツ特待生にもなれず、やるせないまま地元の高校を受験した。一心に打ち込めるものを失い、勉強も何もかもが嫌になって二年が過ぎようとしていた。
 しかし、その状況が変わりつつある。

   ×   ×

 遡ること、半年ほど前。
 三人が哉明とこの店で再会することになったのは、まだ春だと言うのに日差しが強く暑い日だった。
 退屈な授業を寝て過ごした三人は、いつもの様にだらりと過ごすためサイゼへやって来た。特にその店を選んだこだわりや理由はなく、ただ行き場がないからに過ぎなかったのだが、その日何故か別の喫茶店やファミレスは混んでいたり定休日だったりと、ひと席も空いていなかった。
「はーあ、だる」
「なんかつまんねぇよな…こんな時、アイツがいたら」
「もういい加減忘れようぜ。哉明もその方が幸せだろ」
 三人の誰もが哉明と再会できた折には、話したいことが山のようにあった。怪我した足の具合はどうか、新生活に馴染めているのか、何より元気でやっているのか。あの事件後も心配していたが、家はいつの間にか引っ越しており、携帯番号も変わったのか電話しても繋がらず連絡手段がなくなってしまった。しかし偶然にも三人の前に現れた彼は、自分たちの知らない哉明になっていた。見た事のない同級生らしき男子と仲良く談笑し、メニューを分け合い、作戦会議などと話している様子に次第に怒りとやるせなさが募ってしまう。
「…くそっ、なんであいつあんなに笑ってんだよ」
「いつの間にかツレまでできてるしさぁ」
「俺たちがどうなろうと、知ったことじゃないんだろうぜ」
 悪態をつくことしかできず、本来伝えたいことを微塵も伝えられないまま哉明からの『プレゼント』を悔し紛れに頬張った。それはこの店名物のロシアンシュークリームで、中身は激甘生クリームにタバスコが混ざったものと山葵の練り込まれたチョコソースの2種類。そのどちらの味も、かつて四人でこのファミレスの系列店に来た時に半信半疑で笑いながら注文した味だった。
「うっ…くっっそ…!」
「はは…哉明、覚えてたんだな」
「『甘いのが嫌い』って、アイツのことじゃん」
 甘いのに酸っぱ辛いタバスコの風味に噎せ、鼻の奥にくる山葵の刺激に目を潤ませる。しかし三人の涙の原因は、それだけではなかった。ひとり欠け、もう取り戻すことはできなくなってしまっただろうが、変わらない味に懐かしさすら感じたのは確かだった。

 あの時感じた、このままでいいのか?という疑問を払拭するように椿がぽつりと呟く。
「……なぁ、久しぶりに走りに行かねぇ?」
「この格好で?」
「あー…確か家の箪笥にユニフォーム仕舞ってた気がする」
「あのなぁ、もう何年経ってると思ってんだ…着れる訳ないだろ。体操着で十分だ」
 土谷が自分の耳からピアスを外し、葵が制服の上着を脱いで片手で持ち上げた。椿は伸ばし放題の茶髪をヘアゴムでひとつにくくると、卓上に乗った皿から最後のシュークリームを手に取り頬張った。視線の先にあるテレビ画面はインターハイのダイジェスト映像が流れ始め、笑顔の柊シンと櫻井哉明が映っている。
「なぁ、哉明。案外、…悪くなかったぜ」
 ロシアンシュークリームの中に詰まっていた明太子マヨネーズのピリッとした刺激に思わず笑みを浮かべ、会計伝票を指先で摘み席から立ち上がる。
 レジで会計を済ませた三人は店から出ると、大きく伸びをして何処までも澄み渡る青空を見上げる。誰ともなく少し早歩きになり、次の瞬間地面を蹴って飛び出していた。

 ×   ×   ×

 森海高校陸上部がインターハイ男子リレー初優勝を迎え、個人戦でも森海高校が勢ぞろいで表彰回に上ったのは、学校にとっても地域にとっても祭りのような賑わいを齎すこととなった。そんなあの日から、三週間ほど経過したある日のこと。

 哉明は数日前に、シンと共に陸上部顧問とコーチへとある相談をしていた。
 それは哉明がシンのマネージャーを変わらず続けながら、グラウンドに復帰したいという想いだ。
 そして今日、その結果と対面することになっている。
「どうなんだろう…緊張するな」
「大丈夫だって、まだまだこれからだろ」
 陸上部の控え室にやって来たのは、哉明がいつも世話になっている義肢装具士だった。首から『医療従事者』と書かれた札を掛けている。簡単な挨拶の後、彼は両手に持った箱を傍らに置いて蓋を開けた。
「いやぁ、君からこの話がきたことには驚いたよ。注文の品、これでいいかな」
「…はい!」
「おぉ…!かっけぇじゃん!」
 箱の中には、スポーツ競技用の真新しい義足が片脚分だけ横たわっていた。