神様の箱庭

「はい、おはようございます。今日からついに皆さんも、2年生ですね。今年もよろしくお願いします」

 野中先生の朝の挨拶に耳を傾けながら、自然と漏れ出たため息。クラスの面子だけでなく、どうやら今年は担任まで変わらないらしい。
 ……本当に変わり映えしない、平凡な毎日。

 それに心底げんなりしていたら先生はくるりと向きを変え、教室の入り口の方を向いた。
 その時扉がカラカラと軽快な音を立てて開き、見たことのないひとりの生徒が顔を覗かせ、教室内へと入ってきた。

 ざわつく野郎ども。するとその子はペコリと小さく頭を下げて、はにかむように可憐に微笑んだ。
 小さくお辞儀をした瞬間さらりと揺れた、肩のあたりで綺麗に切り揃えられた艶やかな焦げ茶色の髪。この田舎町では絶対にお目にかかることのない、まるで陶磁器みたいに白く透明感あふれる肌。
 大きな瞳はほんのり緑がかっていて、その周辺を驚くほど長いまつ毛がぐるりと囲んでいる。

「はじめまして、神楽(かぐら) 美依(みより)です。引っ越してきたばかりで知り合いもいないし、このあたりのことも何も分からないので、皆さん仲良くしてくれたら嬉しいです。よろしくお願いします」

 鈴を転がしたような、愛らしい声。それに男連中は、大いに沸き立った。しかしそこで、ふと気付く。……この子が履いてるの、スカートじゃなくね?
 ということはつまり、この可憐な転校生は女子ではなく男子ということになる。
 でもその事実に気が付いたのは、どうやら俺だけじゃなかったらしい。

「え……、ちょっと待って。美少女だと思ったのに、まさか男!?」

 クラスメイトのひとりが、大きな声で叫んだ。すると神楽はちょっと困ったように笑い、その言葉に答えた。

「美少女って……。たしかによく女の子と間違えられるけど」
 
 なんだよ、期待させやがって! とはいえ俺たちが勝手に勘違いし、期待しただけで、彼にはなんの非もないけれど。

 そのままホームルームが始まり、続いて一限がスタートした。
 そしてがっかりムードが漂う中迎えた、休憩時間。そんな中、同じクラスの野郎のひとりで陽キャお馬鹿な沢渡が口火を切った。

「はじめまして、俺は沢渡。神楽君、一目惚れしました。この際男でもいいんで、どうか俺と付き合ってください!」

 やっぱり馬鹿だ。……こいつは、正真正銘の馬鹿だ。
 驚いた様子で、小さく口を開ける神楽。そして次の瞬間彼はプッと噴き出し、クスクスとおかしそうに笑った。

「えっと……、ごめんなさい。君のこと、まだよく知らないし」

 しかし沢渡の発言をきっかけに、男女問わず皆が神楽の周囲に群がった。

「ねぇ、神楽君。どこから引っ越して来たの?」

「ここと同じ、都内だよ。でも小さい頃から体が弱くて、療養のためにおじいちゃんの家で暮らすことになったんだ」

 穏やかな笑みを浮かべたまま、問いにひとつずつ丁寧に答えていく神楽。残念ながら女子ではなかったものの、人当たりが良く優しい雰囲気の彼はあっという間にみんなの心を鷲掴みにしてしまったらしい。……恐るべし、人たらしの才能。

 そのやり取りを遠巻きに見ていた護が、いつものようにあざと可愛くほっぺたを膨らませ、小首をかしげて言った。
 
「たしかに彼、綺麗な顔してるけどさぁ……。僕の方が、可愛くない?」

「ほんとお前は、図々しいな!? でも俺はその自信が、ちょっとうらやましいよ……」

 するとこの会話を聞いていたらしき護の取り巻きのひとりが、慌てた様子で駆け寄ってきた。

「護君のほうが、可愛いよ! 私の推しは、ずっとずっと変わらないからね」

「そんなこと言って、神楽君にさっきまで夢中だったくせに。浮気者ぉ!」

 プンスカと、拗ねる護。……ほんと毎度のことながら、よくやるよ。
 ちょっと呆れながら、雪翔と顔を見合わせる。
 すると雪翔は、困ったように笑って肩をすくめて見せた。

 あれよと言う間にこれまで護を猫っ可愛がりしてきた女子たちが集まり、彼を取り囲む。

「浮気じゃないよ! 私だって、一番はこれからも護君だからね!」

「ほんとにぃ?」

 疑うような視線を、女子たちに向ける護。……しかも瞳を潤ませるという、オプション付き。
 ご機嫌を取るべく、いそいそと鞄からチョコレートを取り出して、護の口に放り込む女子。
 すると機嫌が途端に直ったらしい護はモゴモゴと口を動かしながら、幸せそうににへらと笑った。
 その表情を前に、メロメロになる護の信者たち。
 ……本当に、あざといが過ぎる。

 だけど幼稚園の頃から変わらない感じだから、これが護が素なのは俺だってよく分かっているけれど。

 そうこうしている間に2限の始まりを告げるチャイムが鳴ったから、みんな慌てて席に戻ったのだった。

***

 今日は雪翔も護も生徒会関連の用事があるということだったので、俺はひとりで帰ることに。

「気を付けて帰るんだぞ」

 頭をよしよしと雪翔に撫でられ、その手を振り払う。

「子供扱い、すんな! あと髪が崩れるから、よしよしはやめろ!」

 クスクスと、楽しそうに笑う雪翔。
 そんな彼に向かい、護が言った。

「おーい、雪翔君! 早くしないと、打ち合わせが始まっちゃうよ?」

「うん、今行く」

 くるりと向きを変え、護の方に駆け足で向かう雪翔。
 夕日の光が、ふたりを照らす。それを見て、今さらながらなんて綺麗なんだろうと思った。
 まるで一枚の絵画のように美しい、雪翔と護。
 そこにいつもは自分が混ざっているというのが、なんとなく不思議な気がした。

 いつもは三人でワイワイと騒ぎながら帰ることが多いのだが、生徒会の副会長である雪翔と、その補佐役の護が打ち合わせなどですぐに帰れない時は、こうして俺はひとりで帰宅することになる。
 
 とはいえこの年になると、いつも一緒の仲良し三人組というのは、もしかしたらちょっと異質なのかもしれない。
 別に彼らといるのが不快なわけではないし、一緒にいるのはもちろん楽しいけれど、こうしてひとりで帰る時間は少し新鮮な気がする。

 帰り道の途中、ふらりと立ち寄った本屋。
 するとそこで、後ろから声を掛けられた。

「あれ? 君たしか、同じクラスの人だよね?」

 その声に反応し、後ろを振り向く。
 するとそこには、本を手に笑顔で立つ神楽の姿があった。

「やっぱり! 名前は……。えっと、たしかまだ聞いてなかったよね?」
 
「あぁ、うん。八十川(やそかわ) 薫。みんなには、薫とか薫君って呼ばれてる」

 すると神楽は、ふわりと微笑んだ。

「そっか。薫君ね、覚えた」

 そのあまりにも愛らしい仕草に、心臓がドクンと跳ねた。……無駄に。

 だってこれが女子であれば、ベタながらもここから恋が始まるなどという展開もあり得たかもしれないのだ。
 だけど彼は男子だし、他人の趣味嗜好を否定するつもりはないが、とりあえず俺にそういう趣味はない。

「本、好きなの?」
 
 たくさんの文庫本を重ねて手にしているのを目にしたから、会話をここで終わらせるのも不自然かと思いなんとなく聞いた。
 すると神楽はちょっと困ったように笑い、穏やかな口調で答えた。

「うん。……家で過ごすことが、多かったから」

 そういえば彼は身体が弱く、そのため療養のために平坂町に越してきたと言っていた。
 だからなんとなく気まずくなり、そっかとだけ短く答えた。

「うん」
 
 それから神楽は少しうつむき、長い髪を耳にかけた。
 見るからに柔らかそうな、まっすぐな髪がさらりと揺れる。
 その美しい所作に、思わず見とれた。