『薫! 願いだから、目を覚まして……! 薫!!」
遠くで母親の、泣き叫ぶ声が聞こえた気がした。
その声に反応し、重たいまぶたをゆっくりと上げる。
最初に視界に入ってきたのは、涙でぐずぐずに濡れた母親の顔。
真っ暗な森の中。木々達が風になびき、ザザザと音を立てて揺れる。
彼女は俺の体を抱き締めたまま、震える声で告げた。
「……薫? 皆さん、ありがとうございます! 薫が。……薫が、意識を取り戻しました!」
わぁと沸き上がる、歓声。
それに驚き、少しだけ体を起こして、周囲の様子をそっとうかがう。
すると俺を探してくれていたのであろうたくさんの大人が俺達の周囲を、ぐるりと囲むようにして立っているのに気付いた。
ポタポタと顔に降って来た、お母さんの涙。
それがなんだかおかしくて、クスクスと笑った。
「お母さんったら、大袈裟だなぁ。ちょっとの間いなかっただけなのに」
すると母親は、怪訝そうに眉根を寄せた。
他の人達も同じように、不思議そうに顔を見合わせている。
何かおかしなことを、言っただろうか?
俺があのお兄さんと一緒にいたのは、ほんのわずかな時間のはずなのに。
「大袈裟じゃないわよ、薫! あなたもう、一週間も行方不明になっていたのよ!?」
その言葉にぎょっとして、思わず目を見開いた。
だけど母親はそれには気付くことなく、山の頂にある小さな祠に向かい手を合わせた。
「あぁ、比良坂様。ありがとうございます。……この子が無事で、本当に良かった」
……いったい、どういう事だ?
だけどこの状況を見る限り、お母さんも町の人達も、ふざけているとはとてもじゃないが思えなかった。
でも実際俺がいなかった時間は、そう長くはないはずだ。
それこそニ時間も、過ぎてはいないに違いない。
お兄さんにもらった落雁しか食べていないのにお腹だってほとんど空いていないし、体が少しだけだるい感じはするものの、起き上がれない程じゃない。
たくさんの疑問符が、頭に浮かんでは消えていく。
しかし母親に、優しく頭を撫でられて。
……そのまま俺の意識は、再び暗い闇の中へと沈んでいった。
***
「よし、完璧! めちゃくちゃイケメンなのでは……?」
鏡の前に立ち、身だしなみをチェックしながらひとりボソッと悦に入る。
するとその場面をうっかり目撃してしまったらしき妹の栞が、呆れたように言った。
「お兄ちゃん……。そういうの、外ではマジでやめなよ? たしかにお兄ちゃんもそこそこイケてるかもしれないけど、本当のイケメンっていうのは……。あ、ちょうど今日もお迎えに来てくれたんじゃない? 目の保養してこよっと!」
そのままくるりと方向を変えて、玄関に向かう栞。
せっかくそれまでいい気分だったのを台無しにされ、仏頂面のまま俺もそれに続いた。
「おはよう、栞ちゃん。それに、薫。今日は寝坊、しなかったんだな。えらい、えらい」
玄関の扉を開けた先で自転車のハンドルを支えるようにして立っていた男の名は、東堂 雪翔。
艶のある、まっすぐな濡れ羽色の髪。切れ長で黒目がちな瞳と、スラリとした長身。そして同性とは思えないくらい白くて、向こう側が透けて見えそうな肌。
中々テレビでもお目にかかることのない、美青年。
これがついさっき栞が本当のイケメンと絶賛していた、俺の幼なじみである。
「おはよう。でも、当たり前だろ? 今日から、高2になるんだ。しかもクラス替え当日だぞ、さすがに寝坊なんかするわけないじゃん。それとな、雪翔。……えらいえらいは、やめろ。ガキ扱い、すんな!」
俺の頭に伸ばされた、きれいな指先。そのまま頭を撫でられそうになったものだから、ワックスを使って整えたばかりの髪が乱されるのを恐れてその手をひょいと避けた。
楽しそうに、クスリと笑う雪翔。
……こいつと俺は同じ年のはずなのに、だだ漏れる色気がすごい。
「ごめん、ついクセで。んー……。けどさ、薫。入学式って言っても、メンバーは中学の時とまったく一緒じゃない? なのに、そんなに気合入れる意味ある?」
「それは、言わない約束でしょうが! もしかしたらめちゃクソ可愛い女の子が、転入してくるかもしれないじゃん!!」
涙目のまま、大きな声で訴えた。
すると雪翔は、やれやれとでも言うように軽く肩をすくめた。
東京都の端っこにある、О市平坂町。俺が子供の頃はまだ比良坂村と呼ばれていたが、今からおよそ8年ほど前に市町村が合併され、町に変わった。
とはいえ変わったのは名前だけで、ここがド田舎であることに変わりはない。コンビニまでは、以前と同じで自転車で20分かかる。
雪翔の押す自転車のカゴに、ポイとリュックを放り込む。
高校は入学前に通っていた中学の近くに建っているため、通学路もほぼ変わらない。
高2になったと言っても、本当に変わり映えのしない毎日。
それが俺は、正直ちょっとつまらない。
「おはよう薫君、雪翔君!」
ポンと軽く肩を叩かれ、振り返るとそこには、清将同様俺の腐れ縁とも言えるもうひとりの幼なじみ、柚月 護の姿があった。
少し小柄で、ややクセのある明るい茶色の髪。クルクルとよく動く大きな瞳は、深みのある焦げ茶。
女子たちの愛玩動物的な感じで可愛がられている、
いわゆる可愛い系男子というやつだ。
多少のあざとさを感じなくもないが、それも含めて人気が高い。
そして当の俺はと言うと、そこそこイケメンではあるはずなのだが、こんなにも目立つ二人に挟まれているため霞んでしまうというのが現状である。
「おはよう、護。身長、縮んだ?」
「はぁ!? 縮んでないし! 酷いよ、薫君。雪翔君、薫君がいじめるぅ!」
うるうると瞳を潤ませて、雪翔に訴える護。それを見て、プッと吹き出した。
「冗談じゃん! ……しっかしほんと、変わり映えしない面子だな」
雪翔が自転車を駐輪場に停めるのを待ちながら、キョロキョロと周りを見回してみる。
しかし視界に入ってくるのは、どれもやっぱり見慣れた顔ばかりだ。
「それは、お互い様じゃない? こんな田舎町に、わざわざ引っ越してこようなんて思うやつは中々いないと思うしね」
苦笑する雪翔の言葉に、思わず顔をしかめた。
「それにさ……。変わらないことの、いったい何が悪いの?」
真っすぐに俺を見下ろしたまま、静かな声で聞かれた。そのあまりにも美しい顔に、自然と目が釘付けになる。
思わずゴクリと唾を呑み、言葉を探した。
だけどいい返事が思い浮かばなかったから、なんとなく居心地の悪さを感じて視線をそらした。
その時先に行っていた護が、パタパタと走って戻ってきた。
「また三人とも、同じクラスだって!」
でもにこっと笑う無邪気なその仕草を前に、俺がつい苦虫を噛み潰したような顔になってしまったのも仕方のないことだと思う。
「おい! 俺、自分で見たかったんだけど!?」
すると護はシュンとうなだれて、ごめんねと謝罪の言葉を口にした。
「そのやり取り毎年やってる気がするけど、あんま意味なくない? どうせ今年も、ひとクラスしかないのに」
「気分の問題なんだよ!!」
呆れたように雪翔に言われ、悔しさに任せてダンと大きく足を踏み鳴らして大きな声で叫ぶと、雪翔は腹を抱えて爆笑した。
遠くで母親の、泣き叫ぶ声が聞こえた気がした。
その声に反応し、重たいまぶたをゆっくりと上げる。
最初に視界に入ってきたのは、涙でぐずぐずに濡れた母親の顔。
真っ暗な森の中。木々達が風になびき、ザザザと音を立てて揺れる。
彼女は俺の体を抱き締めたまま、震える声で告げた。
「……薫? 皆さん、ありがとうございます! 薫が。……薫が、意識を取り戻しました!」
わぁと沸き上がる、歓声。
それに驚き、少しだけ体を起こして、周囲の様子をそっとうかがう。
すると俺を探してくれていたのであろうたくさんの大人が俺達の周囲を、ぐるりと囲むようにして立っているのに気付いた。
ポタポタと顔に降って来た、お母さんの涙。
それがなんだかおかしくて、クスクスと笑った。
「お母さんったら、大袈裟だなぁ。ちょっとの間いなかっただけなのに」
すると母親は、怪訝そうに眉根を寄せた。
他の人達も同じように、不思議そうに顔を見合わせている。
何かおかしなことを、言っただろうか?
俺があのお兄さんと一緒にいたのは、ほんのわずかな時間のはずなのに。
「大袈裟じゃないわよ、薫! あなたもう、一週間も行方不明になっていたのよ!?」
その言葉にぎょっとして、思わず目を見開いた。
だけど母親はそれには気付くことなく、山の頂にある小さな祠に向かい手を合わせた。
「あぁ、比良坂様。ありがとうございます。……この子が無事で、本当に良かった」
……いったい、どういう事だ?
だけどこの状況を見る限り、お母さんも町の人達も、ふざけているとはとてもじゃないが思えなかった。
でも実際俺がいなかった時間は、そう長くはないはずだ。
それこそニ時間も、過ぎてはいないに違いない。
お兄さんにもらった落雁しか食べていないのにお腹だってほとんど空いていないし、体が少しだけだるい感じはするものの、起き上がれない程じゃない。
たくさんの疑問符が、頭に浮かんでは消えていく。
しかし母親に、優しく頭を撫でられて。
……そのまま俺の意識は、再び暗い闇の中へと沈んでいった。
***
「よし、完璧! めちゃくちゃイケメンなのでは……?」
鏡の前に立ち、身だしなみをチェックしながらひとりボソッと悦に入る。
するとその場面をうっかり目撃してしまったらしき妹の栞が、呆れたように言った。
「お兄ちゃん……。そういうの、外ではマジでやめなよ? たしかにお兄ちゃんもそこそこイケてるかもしれないけど、本当のイケメンっていうのは……。あ、ちょうど今日もお迎えに来てくれたんじゃない? 目の保養してこよっと!」
そのままくるりと方向を変えて、玄関に向かう栞。
せっかくそれまでいい気分だったのを台無しにされ、仏頂面のまま俺もそれに続いた。
「おはよう、栞ちゃん。それに、薫。今日は寝坊、しなかったんだな。えらい、えらい」
玄関の扉を開けた先で自転車のハンドルを支えるようにして立っていた男の名は、東堂 雪翔。
艶のある、まっすぐな濡れ羽色の髪。切れ長で黒目がちな瞳と、スラリとした長身。そして同性とは思えないくらい白くて、向こう側が透けて見えそうな肌。
中々テレビでもお目にかかることのない、美青年。
これがついさっき栞が本当のイケメンと絶賛していた、俺の幼なじみである。
「おはよう。でも、当たり前だろ? 今日から、高2になるんだ。しかもクラス替え当日だぞ、さすがに寝坊なんかするわけないじゃん。それとな、雪翔。……えらいえらいは、やめろ。ガキ扱い、すんな!」
俺の頭に伸ばされた、きれいな指先。そのまま頭を撫でられそうになったものだから、ワックスを使って整えたばかりの髪が乱されるのを恐れてその手をひょいと避けた。
楽しそうに、クスリと笑う雪翔。
……こいつと俺は同じ年のはずなのに、だだ漏れる色気がすごい。
「ごめん、ついクセで。んー……。けどさ、薫。入学式って言っても、メンバーは中学の時とまったく一緒じゃない? なのに、そんなに気合入れる意味ある?」
「それは、言わない約束でしょうが! もしかしたらめちゃクソ可愛い女の子が、転入してくるかもしれないじゃん!!」
涙目のまま、大きな声で訴えた。
すると雪翔は、やれやれとでも言うように軽く肩をすくめた。
東京都の端っこにある、О市平坂町。俺が子供の頃はまだ比良坂村と呼ばれていたが、今からおよそ8年ほど前に市町村が合併され、町に変わった。
とはいえ変わったのは名前だけで、ここがド田舎であることに変わりはない。コンビニまでは、以前と同じで自転車で20分かかる。
雪翔の押す自転車のカゴに、ポイとリュックを放り込む。
高校は入学前に通っていた中学の近くに建っているため、通学路もほぼ変わらない。
高2になったと言っても、本当に変わり映えのしない毎日。
それが俺は、正直ちょっとつまらない。
「おはよう薫君、雪翔君!」
ポンと軽く肩を叩かれ、振り返るとそこには、清将同様俺の腐れ縁とも言えるもうひとりの幼なじみ、柚月 護の姿があった。
少し小柄で、ややクセのある明るい茶色の髪。クルクルとよく動く大きな瞳は、深みのある焦げ茶。
女子たちの愛玩動物的な感じで可愛がられている、
いわゆる可愛い系男子というやつだ。
多少のあざとさを感じなくもないが、それも含めて人気が高い。
そして当の俺はと言うと、そこそこイケメンではあるはずなのだが、こんなにも目立つ二人に挟まれているため霞んでしまうというのが現状である。
「おはよう、護。身長、縮んだ?」
「はぁ!? 縮んでないし! 酷いよ、薫君。雪翔君、薫君がいじめるぅ!」
うるうると瞳を潤ませて、雪翔に訴える護。それを見て、プッと吹き出した。
「冗談じゃん! ……しっかしほんと、変わり映えしない面子だな」
雪翔が自転車を駐輪場に停めるのを待ちながら、キョロキョロと周りを見回してみる。
しかし視界に入ってくるのは、どれもやっぱり見慣れた顔ばかりだ。
「それは、お互い様じゃない? こんな田舎町に、わざわざ引っ越してこようなんて思うやつは中々いないと思うしね」
苦笑する雪翔の言葉に、思わず顔をしかめた。
「それにさ……。変わらないことの、いったい何が悪いの?」
真っすぐに俺を見下ろしたまま、静かな声で聞かれた。そのあまりにも美しい顔に、自然と目が釘付けになる。
思わずゴクリと唾を呑み、言葉を探した。
だけどいい返事が思い浮かばなかったから、なんとなく居心地の悪さを感じて視線をそらした。
その時先に行っていた護が、パタパタと走って戻ってきた。
「また三人とも、同じクラスだって!」
でもにこっと笑う無邪気なその仕草を前に、俺がつい苦虫を噛み潰したような顔になってしまったのも仕方のないことだと思う。
「おい! 俺、自分で見たかったんだけど!?」
すると護はシュンとうなだれて、ごめんねと謝罪の言葉を口にした。
「そのやり取り毎年やってる気がするけど、あんま意味なくない? どうせ今年も、ひとクラスしかないのに」
「気分の問題なんだよ!!」
呆れたように雪翔に言われ、悔しさに任せてダンと大きく足を踏み鳴らして大きな声で叫ぶと、雪翔は腹を抱えて爆笑した。



