いつだって、私は貴方だけを見つめているのに。
なぜ、どうして気づかないふりをするの?
寂しいよ。貴方の隣は、私だけの場所なのに。
瑠璃色の空を見上げて、貴方のことを思いだす。
雪の降る日は、その白い指先を。
葉桜の揺れる春には、その優しい声を。
結婚するとまで、貴方は誓ってくれたのに。
だって私のお腹には、貴方との子供が宿ってる。
永遠の愛を誓いながら、何度も愛し合ったから。
真心を込めて、この手紙を贈ります。
思いだして。どうか私の想いに気がついて。
「……なにこれ?」
眉をひそめて首を傾げる。
ラブレター、であることに間違いはなさそうだが。さっぱり意味が分からない。
愛斗は眉をハの字にさせて、少女が走り去っていった方へ目を向けた。
WからKへ──Wというのは、おそらく彼女のイニシャルだろう。愛斗の名字は『栗坂』でKと一致するが、手紙の内容とはまったくの無関係だ。心当たりすらない。
彼女は愛斗の下駄箱を、誰かのものと間違えてしまったのではないだろうか。
「なぁんだ、つまんない」
風船のように膨らんでいた気持ちが、一気に萎んでいくのを感じる。故意ではないにしろ、他人宛ての手紙を勝手に読んでしまったこともバツが悪い。
なんにせよこのどこか酔っ払ったような文章は、愛斗をただイタズラに困惑させた。
「……あの子、赤ちゃんがいるってことなのかな」
これに書かれていることが事実なら、彼女には付き合っている人がいて、お腹には赤ちゃんがいる、ということになる。けれど相手の男性は彼女から離れてしまった。
理由は分からないけれど、ざっくりと読み取れるのはそれだけだ。
「どうしたらいいんだこれ? 返さなきゃマズイよね?」
「なにを?」
「わあッ!?」
思わず手紙を握りしめ、身体を大きく跳ねさせる。
背後に喜逸が立っていた。学生鞄を肩に引っ掛けるような持ち方をして、スラックスのポケットに片手を突っ込み、不思議そうな表情で愛斗を見下ろしている。
昼まではきっちりと締められていたはずのネクタイが、わずかに緩んで首元のボタンが外されていた。
「び、ビックリしたぁ……」
そう言いながら、とっさに手紙をブレザーのポケットにねじ込んだ。
喜逸は特に何か気にした風もなく、「帰るよ」と言って歩きだしてしまう。
慌てて靴を履きかえた愛斗が隣に並ぶと、その歩幅が自然と緩んで足並みが揃ったことに気がついた。
いつもの光景。今まで一度だって、気にしたことはなかったけれど。
(合わせてくれてるんだ。喜逸の歩幅、ボクのとぜんぜん違うのに)
たまに意地悪なことを言ったりもするけれど、喜逸は小さな頃からずっと愛斗のそばにいて、いつも大事にしてくれていた。愛斗はそれを当たり前のように思っていたが、本当はとても贅沢なことなのかもしれない。
だってきっと、こんなふうに喜逸に大切にされたいと思っている女の子が、この学校には大勢いるのだから。
――貴方の隣は、私だけの場所なのに。
ふと、手紙の一文が頭をよぎる。
Kの隣には、今ごろ彼女とは別の誰かがいるのだろうか。それでも一途に想いを馳せて、彼女はKを待ち続けているのだ。
もしかしたら、似ているのかもしれないと思った。
喜逸の隣を歩きたい女の子は沢山いるのに、いつも自分が独占している。なかには羨み、悲しんでいる子だっているかもしれない。今までそんなこと、考えたことすらなかったが。
たまには貸してやれという早苗の皮肉を思いだして、それからふと──
(K……菊川、喜逸……)
名字も名前も、喜逸のイニシャルは『K』だ。
一瞬だけドキリとして、それからすぐにそんなバカなと思い直す。いくらなんでも考えすぎだろう。
(とにかくこの手紙は返さなきゃ。でも顔が見えたのは一瞬だったし……)
ピンクブラウンの長い髪。そして純白のリボン。ほんの一瞬だけ見えた表情で印象に残ったのは、右目の泣きぼくろだけだった。手がかりはそれだけで、学年すら分からない。
「顔色が悪い。昼間のこと、まだ気にしてる?」
「へ?」
どうしようかと考えながら歩いていた愛斗は、顔を上げると喜逸を見た。気遣わしげにこちらを見る瞳が、夕日を吸い込みながら揺れている。
一瞬、彼に相談してみようかと思った。だけど結局、愛斗はなにも言えなかった。
子供じゃないのだし、こんなことまでいちいち頼ってなんかいられない。そこまで大袈裟な問題とも思えなかった。
(まぁいいや。そのうち会えるでしょ、きっと)
同じ学校の生徒だということは分かっているのだ。顔を合わす機会はあるだろう。そのとき人違いだと言って返せばいい。
愛斗は気をとりなおすと首を横に振って笑った。
「ねぇ喜逸、ボクお腹空いちゃった! なんか食べて帰んない?」
いつも通りの笑顔を見て、喜逸はホッとしたように息をつき、「いいよ」と言った。
「喜逸のおごりだからな。そしたら、お昼のことは許してあげなくもない」
「それならお安い御用だよ」
「へへ、やった! ボク肉まんがいいな。カレーまん、ピザまん、あんまん……うーん、どうしよう? 迷っちゃうなぁ」
肉まんでいっぱいになっている愛斗の頭を、喜逸の大きな手がくしゃりと撫でた。
「愛斗」
「んー、なに?」
「なにかあったらすぐ言って。守るっていうのは、本当だから」
細められた瞳が優しい。昔から見慣れているものであるはずなのに、愛斗の胸はギュッというおかしな音を立てながら締めつけられてしまった。
(……変なの。なんでこんなに恥ずかしくなるんだろ)
どこからかまた視線を感じたような気がしたけれど、愛斗はあえてそれを無視してやった。だって胸が苦しくて、顔が熱くて、それどころではなかったから。
だからちっとも気づかなかった。
大きく茂るケヤキの下で、一連の出来事をすべて見ていたあのメガネの男子生徒が、複雑そうに眉を寄せていたことに。
なぜ、どうして気づかないふりをするの?
寂しいよ。貴方の隣は、私だけの場所なのに。
瑠璃色の空を見上げて、貴方のことを思いだす。
雪の降る日は、その白い指先を。
葉桜の揺れる春には、その優しい声を。
結婚するとまで、貴方は誓ってくれたのに。
だって私のお腹には、貴方との子供が宿ってる。
永遠の愛を誓いながら、何度も愛し合ったから。
真心を込めて、この手紙を贈ります。
思いだして。どうか私の想いに気がついて。
「……なにこれ?」
眉をひそめて首を傾げる。
ラブレター、であることに間違いはなさそうだが。さっぱり意味が分からない。
愛斗は眉をハの字にさせて、少女が走り去っていった方へ目を向けた。
WからKへ──Wというのは、おそらく彼女のイニシャルだろう。愛斗の名字は『栗坂』でKと一致するが、手紙の内容とはまったくの無関係だ。心当たりすらない。
彼女は愛斗の下駄箱を、誰かのものと間違えてしまったのではないだろうか。
「なぁんだ、つまんない」
風船のように膨らんでいた気持ちが、一気に萎んでいくのを感じる。故意ではないにしろ、他人宛ての手紙を勝手に読んでしまったこともバツが悪い。
なんにせよこのどこか酔っ払ったような文章は、愛斗をただイタズラに困惑させた。
「……あの子、赤ちゃんがいるってことなのかな」
これに書かれていることが事実なら、彼女には付き合っている人がいて、お腹には赤ちゃんがいる、ということになる。けれど相手の男性は彼女から離れてしまった。
理由は分からないけれど、ざっくりと読み取れるのはそれだけだ。
「どうしたらいいんだこれ? 返さなきゃマズイよね?」
「なにを?」
「わあッ!?」
思わず手紙を握りしめ、身体を大きく跳ねさせる。
背後に喜逸が立っていた。学生鞄を肩に引っ掛けるような持ち方をして、スラックスのポケットに片手を突っ込み、不思議そうな表情で愛斗を見下ろしている。
昼まではきっちりと締められていたはずのネクタイが、わずかに緩んで首元のボタンが外されていた。
「び、ビックリしたぁ……」
そう言いながら、とっさに手紙をブレザーのポケットにねじ込んだ。
喜逸は特に何か気にした風もなく、「帰るよ」と言って歩きだしてしまう。
慌てて靴を履きかえた愛斗が隣に並ぶと、その歩幅が自然と緩んで足並みが揃ったことに気がついた。
いつもの光景。今まで一度だって、気にしたことはなかったけれど。
(合わせてくれてるんだ。喜逸の歩幅、ボクのとぜんぜん違うのに)
たまに意地悪なことを言ったりもするけれど、喜逸は小さな頃からずっと愛斗のそばにいて、いつも大事にしてくれていた。愛斗はそれを当たり前のように思っていたが、本当はとても贅沢なことなのかもしれない。
だってきっと、こんなふうに喜逸に大切にされたいと思っている女の子が、この学校には大勢いるのだから。
――貴方の隣は、私だけの場所なのに。
ふと、手紙の一文が頭をよぎる。
Kの隣には、今ごろ彼女とは別の誰かがいるのだろうか。それでも一途に想いを馳せて、彼女はKを待ち続けているのだ。
もしかしたら、似ているのかもしれないと思った。
喜逸の隣を歩きたい女の子は沢山いるのに、いつも自分が独占している。なかには羨み、悲しんでいる子だっているかもしれない。今までそんなこと、考えたことすらなかったが。
たまには貸してやれという早苗の皮肉を思いだして、それからふと──
(K……菊川、喜逸……)
名字も名前も、喜逸のイニシャルは『K』だ。
一瞬だけドキリとして、それからすぐにそんなバカなと思い直す。いくらなんでも考えすぎだろう。
(とにかくこの手紙は返さなきゃ。でも顔が見えたのは一瞬だったし……)
ピンクブラウンの長い髪。そして純白のリボン。ほんの一瞬だけ見えた表情で印象に残ったのは、右目の泣きぼくろだけだった。手がかりはそれだけで、学年すら分からない。
「顔色が悪い。昼間のこと、まだ気にしてる?」
「へ?」
どうしようかと考えながら歩いていた愛斗は、顔を上げると喜逸を見た。気遣わしげにこちらを見る瞳が、夕日を吸い込みながら揺れている。
一瞬、彼に相談してみようかと思った。だけど結局、愛斗はなにも言えなかった。
子供じゃないのだし、こんなことまでいちいち頼ってなんかいられない。そこまで大袈裟な問題とも思えなかった。
(まぁいいや。そのうち会えるでしょ、きっと)
同じ学校の生徒だということは分かっているのだ。顔を合わす機会はあるだろう。そのとき人違いだと言って返せばいい。
愛斗は気をとりなおすと首を横に振って笑った。
「ねぇ喜逸、ボクお腹空いちゃった! なんか食べて帰んない?」
いつも通りの笑顔を見て、喜逸はホッとしたように息をつき、「いいよ」と言った。
「喜逸のおごりだからな。そしたら、お昼のことは許してあげなくもない」
「それならお安い御用だよ」
「へへ、やった! ボク肉まんがいいな。カレーまん、ピザまん、あんまん……うーん、どうしよう? 迷っちゃうなぁ」
肉まんでいっぱいになっている愛斗の頭を、喜逸の大きな手がくしゃりと撫でた。
「愛斗」
「んー、なに?」
「なにかあったらすぐ言って。守るっていうのは、本当だから」
細められた瞳が優しい。昔から見慣れているものであるはずなのに、愛斗の胸はギュッというおかしな音を立てながら締めつけられてしまった。
(……変なの。なんでこんなに恥ずかしくなるんだろ)
どこからかまた視線を感じたような気がしたけれど、愛斗はあえてそれを無視してやった。だって胸が苦しくて、顔が熱くて、それどころではなかったから。
だからちっとも気づかなかった。
大きく茂るケヤキの下で、一連の出来事をすべて見ていたあのメガネの男子生徒が、複雑そうに眉を寄せていたことに。
