「あ! 菊川くんおはよう!」
愛斗が心のモヤを処理しきれないでいるうちに、気づけば学校の正門前に到着していた。
喜逸を見つけた女子生徒が嬉しそうに声をかけてくると、その後に続けとばかりに数人の女子が同じように声をあげる。気安く声をかけられずにいる一年生や二年生の女子たちは、チラチラと遠目から頬を染めているだけだ。
校内屈指の色男は、朝から異性にモテモテである。
しょっちゅうラブレターをもらっているし、聞くところによるとファンクラブまで存在しているらしい。
(この子たちもみんな、喜逸のお嫁さんになりたいのかな)
どうしてか、心の中でモヤモヤとした渦が大きくなった。
消化不良のようなやり場のない感情が、愛斗に沈んだ青い息をつかせる。
「ねぇ菊川くん、昨日の授業でちょっと分からないところがあるんだけど……」
「あ、私も! 菊川くんのノート、よかったら見せてもらえない?」
「私も見たい! 菊川くんって字も綺麗なんだよねぇ」
積極的な女子グループが、あっという間に喜逸を取り囲む。ぼんやりとしていた愛斗は隅の方へと押しやられ、その拍子に身体がよろめいてしまった。
するとすかさず長い腕が伸びてきて、二の腕を掴むと強く引き寄せられる。
「愛斗、大丈夫か?」
喜逸だ。彼は女子ひとりひとりに受け答えをしながらも、愛斗のことをちゃんと見ていた。
「う、うん」
「ぼうっとしないで。お前はすぐに転ぶから」
「わかってるよ……」
「昼飯、いつものところでね」
喜逸が耳元でそっと囁く。愛斗の頭のてっぺんで、ピョコンと跳ねる薄茶色の寝癖をくしゃっと撫でると、女子の群れに引っ張られて先に行ってしまった。
残された愛斗は遠くなっていく喜逸の背を見送りながら、熱くなる頬を意識する。
(前は平気だったのに。最近なんか変だ……)
彼のちょっとした仕草や言動に、ドキッとしてしまうようになった。
そして同時に、喜逸があんなふうに女の子と一緒にいる光景を見ていると、なぜだかとても嫌な気持ちになってしまう。
もしかしたらあの中に、喜逸の『お嫁さん』になるひとがいるのかもしれない──そう考えると、胸が締めつけられたように苦しくなってしまうのだ。
そういえば子供の頃にも、似たようなことがあった気がする。喜逸が他の子と遊んでいると、まるで取られてしまったような気がしてヤキモチを焼いたことが。
自分のガキっぽさに、また溜息が漏れる。すると、ふいに肩を叩かれて驚いた。
「わっ」
「おはよ! なにぼーっと突っ立ってんの?」
声の主は同級生の橋本早苗だった。
喜逸と同様に、彼女も子供の頃からよく一緒に遊んでいた幼馴染の一人である。中学まではおさげ頭だったが、高校に入学したのと同時にバッサリと髪を切った。
彼女は学生鞄を肩にかけるような持ち方をして、ブレザーのポケットに手を入れている。
「ビックリしたぁ。おはよう、早苗」
「あんた一人でいるなんて珍しくない? 菊川先輩は一緒じゃないの?」
「喜逸なら先に行ったよ。女の子たちと一緒に」
「ははーん? それで捨て猫みたいな顔してるわけ」
意味を理解しかねて首を傾げる愛斗に、早苗はどこか呆れたような顔をしながら、片眉をひょいと持ち上げて見せた。
「だってあんたって、菊川先輩がいなきゃ一人じゃなーんもできなさそうじゃん」
さっき喜逸にも、似たようなことを言われた。母にも、もっとしっかりしろと。ここまでハッキリと言い切られたわけではないけれど、ニュアンスはだいたい同じだ。
愛斗はむぅっと眉間にシワを寄せ、うつむくと口をごにょごにょとさせる。
「そんなことないのに。なんだよ、みんなして……」
「基本ベッタリなんだからさ。ちょっとくらい貸してやんなさいよ」
「貸すってなに? 喜逸は物じゃないよ」
「そういう意味じゃないっつーの。あんた、男でよかったね。もし女だったら、今ごろ刺されて死んでるかもよ」
「なんで?」
「さぁね~」
早苗は興味を失くしたようにさっさと話を切り上げると、先に行ってしまった。
まるで喜逸といつも一緒にいることを咎められてしまったような、そんな気がして気持ちが沈む。
早苗にそこまでの意図はないにせよ、さっきからずっとモヤモヤとしている胸に、彼女の言葉はひどく重たく感じられたのだ。
──そのときだった。
ふと視線を感じて、愛斗はノロノロ歩きだった足を止めると、その方向へ視線をやった。
校門脇で葉を茂らせるケヤキの木の下に、同じ高校の男子生徒が立ち尽くしてこちらを見ている。
またかぁ、と愛斗は思った。
高校に入学して、すぐの頃からだ。
ふいに視線を感じて目をやると、そこには必ず彼の姿がある。
額を覆う、ワカメのようにモサモサとした艶のない黒髪。これといって特筆すべき点のない、地味な顔つき。縁無しのメガネくらいしか特徴がないので、愛斗は彼のことを心の中で『メガネくん』と呼んでいる。
安易なあだ名をつけられているとも知らず、メガネくんは愛斗と目が合うと、ビクンと肩を震わせた。顔を耳まで真っ赤にしながら、そそくさと去っていく。
いつもこうだ。彼は決まって、愛斗と目が合うと慌てて姿を隠してしまうのである。
(嫌だな、なんか。言いたいことがあるなら言えばいいのに)
「なにしてんのー? さっさと来ないと、遅れても知らないからねー!」
立ち尽くしたままの愛斗に、遠くから早苗が声をかける。気がつけば、そこらじゅうを行き交っていたはずの生徒たちの姿がほとんど見えなくなっていた。
愛斗は「いま行くよー!」と声を上げ、下駄箱がある玄関へと走りだした。
愛斗が心のモヤを処理しきれないでいるうちに、気づけば学校の正門前に到着していた。
喜逸を見つけた女子生徒が嬉しそうに声をかけてくると、その後に続けとばかりに数人の女子が同じように声をあげる。気安く声をかけられずにいる一年生や二年生の女子たちは、チラチラと遠目から頬を染めているだけだ。
校内屈指の色男は、朝から異性にモテモテである。
しょっちゅうラブレターをもらっているし、聞くところによるとファンクラブまで存在しているらしい。
(この子たちもみんな、喜逸のお嫁さんになりたいのかな)
どうしてか、心の中でモヤモヤとした渦が大きくなった。
消化不良のようなやり場のない感情が、愛斗に沈んだ青い息をつかせる。
「ねぇ菊川くん、昨日の授業でちょっと分からないところがあるんだけど……」
「あ、私も! 菊川くんのノート、よかったら見せてもらえない?」
「私も見たい! 菊川くんって字も綺麗なんだよねぇ」
積極的な女子グループが、あっという間に喜逸を取り囲む。ぼんやりとしていた愛斗は隅の方へと押しやられ、その拍子に身体がよろめいてしまった。
するとすかさず長い腕が伸びてきて、二の腕を掴むと強く引き寄せられる。
「愛斗、大丈夫か?」
喜逸だ。彼は女子ひとりひとりに受け答えをしながらも、愛斗のことをちゃんと見ていた。
「う、うん」
「ぼうっとしないで。お前はすぐに転ぶから」
「わかってるよ……」
「昼飯、いつものところでね」
喜逸が耳元でそっと囁く。愛斗の頭のてっぺんで、ピョコンと跳ねる薄茶色の寝癖をくしゃっと撫でると、女子の群れに引っ張られて先に行ってしまった。
残された愛斗は遠くなっていく喜逸の背を見送りながら、熱くなる頬を意識する。
(前は平気だったのに。最近なんか変だ……)
彼のちょっとした仕草や言動に、ドキッとしてしまうようになった。
そして同時に、喜逸があんなふうに女の子と一緒にいる光景を見ていると、なぜだかとても嫌な気持ちになってしまう。
もしかしたらあの中に、喜逸の『お嫁さん』になるひとがいるのかもしれない──そう考えると、胸が締めつけられたように苦しくなってしまうのだ。
そういえば子供の頃にも、似たようなことがあった気がする。喜逸が他の子と遊んでいると、まるで取られてしまったような気がしてヤキモチを焼いたことが。
自分のガキっぽさに、また溜息が漏れる。すると、ふいに肩を叩かれて驚いた。
「わっ」
「おはよ! なにぼーっと突っ立ってんの?」
声の主は同級生の橋本早苗だった。
喜逸と同様に、彼女も子供の頃からよく一緒に遊んでいた幼馴染の一人である。中学まではおさげ頭だったが、高校に入学したのと同時にバッサリと髪を切った。
彼女は学生鞄を肩にかけるような持ち方をして、ブレザーのポケットに手を入れている。
「ビックリしたぁ。おはよう、早苗」
「あんた一人でいるなんて珍しくない? 菊川先輩は一緒じゃないの?」
「喜逸なら先に行ったよ。女の子たちと一緒に」
「ははーん? それで捨て猫みたいな顔してるわけ」
意味を理解しかねて首を傾げる愛斗に、早苗はどこか呆れたような顔をしながら、片眉をひょいと持ち上げて見せた。
「だってあんたって、菊川先輩がいなきゃ一人じゃなーんもできなさそうじゃん」
さっき喜逸にも、似たようなことを言われた。母にも、もっとしっかりしろと。ここまでハッキリと言い切られたわけではないけれど、ニュアンスはだいたい同じだ。
愛斗はむぅっと眉間にシワを寄せ、うつむくと口をごにょごにょとさせる。
「そんなことないのに。なんだよ、みんなして……」
「基本ベッタリなんだからさ。ちょっとくらい貸してやんなさいよ」
「貸すってなに? 喜逸は物じゃないよ」
「そういう意味じゃないっつーの。あんた、男でよかったね。もし女だったら、今ごろ刺されて死んでるかもよ」
「なんで?」
「さぁね~」
早苗は興味を失くしたようにさっさと話を切り上げると、先に行ってしまった。
まるで喜逸といつも一緒にいることを咎められてしまったような、そんな気がして気持ちが沈む。
早苗にそこまでの意図はないにせよ、さっきからずっとモヤモヤとしている胸に、彼女の言葉はひどく重たく感じられたのだ。
──そのときだった。
ふと視線を感じて、愛斗はノロノロ歩きだった足を止めると、その方向へ視線をやった。
校門脇で葉を茂らせるケヤキの木の下に、同じ高校の男子生徒が立ち尽くしてこちらを見ている。
またかぁ、と愛斗は思った。
高校に入学して、すぐの頃からだ。
ふいに視線を感じて目をやると、そこには必ず彼の姿がある。
額を覆う、ワカメのようにモサモサとした艶のない黒髪。これといって特筆すべき点のない、地味な顔つき。縁無しのメガネくらいしか特徴がないので、愛斗は彼のことを心の中で『メガネくん』と呼んでいる。
安易なあだ名をつけられているとも知らず、メガネくんは愛斗と目が合うと、ビクンと肩を震わせた。顔を耳まで真っ赤にしながら、そそくさと去っていく。
いつもこうだ。彼は決まって、愛斗と目が合うと慌てて姿を隠してしまうのである。
(嫌だな、なんか。言いたいことがあるなら言えばいいのに)
「なにしてんのー? さっさと来ないと、遅れても知らないからねー!」
立ち尽くしたままの愛斗に、遠くから早苗が声をかける。気がつけば、そこらじゅうを行き交っていたはずの生徒たちの姿がほとんど見えなくなっていた。
愛斗は「いま行くよー!」と声を上げ、下駄箱がある玄関へと走りだした。
