ボニー・バタフライ・エフェクト

 目覚めると、愛斗はワイシャツとスラックス姿で自室のベッドに寝かされていた。
 ぼやけた視線を彷徨わせれば、窓の外から微かな夕焼けが差し込んでいるのが分かった。

「気がついた?」

 その視界を、覗き込んできた喜逸の顔が遮った。
 彼はベッドの側に置いた椅子に腰掛け、愛斗のことを心配そうに見下ろしていた。

「きい、ち?」
「よかった。顔色、だいぶ戻ったな」

 喜逸の手が愛斗の頬に触れた。体温を確かめるように優しくなぞり、彼は安堵の息を漏らした。

「ボク、どうしたんだっけ……?」
「覚えてない?」

 こくりとうなずく。下駄箱であれを見つけて、錯乱しているところに喜逸が来た。顔を見た途端に気が緩み、ふっと意識が遠のいて、そこから愛斗の記憶は途切れている。

「……喜逸が家まで運んでくれたの?」
「他に誰がいるんだよ」

 喜逸は少し怒っているような、難しい顔をしている。

「今朝、お母さんが心配してたよ。昨日から愛斗の様子がおかしいって」
「かあさんは……?」
「仕事。まだ戻ってないよ」
「……朝、来てくれたんだ」

 あんな酷いことを言って突っぱねても、喜逸がいつもと変わらず迎えに来ることは分かっていた。だから今朝は逃げるように家を出たのだ。

 その顔を見て、優しい声をかけられたら、きっと助けを求めてしまう。それが嫌だったから。

 喜逸は愛斗の問いに、当たり前のことを聞くなという顔をした。

「今日もずっと避けてたろ。昼も屋上来ないし。それに──」

 喜逸は愛斗に見えるように、手にしていたものを持ち上げる。
 それはくしゃくしゃになった二枚の手紙だった。一枚は最初にもらったもの。もう一枚は『消えてしまえ』と書かれた、血のついた手紙だ。

 愛斗は息をのみ、とっさに身を起こすとその手紙をひったくるようにして取り返す。

「み、見たの?」
「見たよ。悪いと思ったけど……写真もね」

 手紙をポケットに押し込んだままにしていたことを、今さら悔やんでも遅い。
 愛斗を担いでこの部屋を訪れた喜逸は、ブレザーを脱がす際にその存在に気がついた。そして中身を読んでしまったのだ。

 写真は机の上に置き去りにしていたから、おのずと目に入ったのだろう。

「どうしてなにも言わなかった?」
「……」
「お前が怪我をしていたのも、スリッパを履いていたことも、ぜんぶ関係あるんだろ? 上履きも、写真も……革靴も」

 愛斗は唇を噛み締める。隠していたってしょうがないし、もともと愛斗は喜逸とこの件について話をするつもりだったのだ。

 手の中で二枚の手紙をさらに握りしめ、愛斗は一連のことを喜逸に打ち明けた。

 最初の手紙のときに見た、白いリボンの女のこと。
 靴にガラス片と、二枚目の手紙を入れられていたこと。
 帰宅したら、家の郵便受けに写真が入っていたこと。

 そしてさっきの、下駄箱でのこと。

 だけど今朝、メガネくんから聞いた話についてだけは、どうしてか言いだせなかった。
 それこそが、もっとも聞きたいと思っていた部分であるはずなのに。

 喜逸は愛斗の話をただ黙って聞いていた。表情が険しい。
 その顔をまっすぐに見ることができずに、愛斗は話している間もずっとうつむくことしかできなかった。