ボニー・バタフライ・エフェクト

(あんなのただの八つ当たりじゃん……)

 家への道のりを、愛斗はカメのような足取りでノロノロと歩いていた。
 朝から降り続いていた雨はやみ、必要なくなってしまった傘がやけに重たく感じられる。

 夕日を背負っているせいで、道の先には一人分の影がひょろりと長く伸びていた。
 いつもならもうひとつ、愛斗のものよりも長い影が一緒に伸びているはずなのに。今は隣に、誰もいない。

 愛斗は今日こそ喜逸を待たずに、先に学校を飛び出してしまった。だってあんなことを言った手前、どんな顔をして会えばいいか分からなくて。

 あのときの愛斗には余裕がなかった。
 だけど今朝の出来事は、彼にはなんの関係もないことだ。どれだけ愛斗がショックを受けて、不安な気持ちでいたとしても、喜逸を拒んで傷つけていい理由にはならない。

(明日ちゃんと謝らなくちゃ……)

 重たく息を漏らした、そのときだ。

 家まであとほんの数メートルというところで、愛斗は自宅ポストの前に何者かが立ち尽くしていることに気がついた。ポストの蓋を開けて、中身を覗き込んでいる。

 それはいつも愛斗のことをジロジロと見ている、あのメガネの男子生徒だった。

「なにしてるの?」
「わっ!?」
「それ、ボクんちのポストだよ。なにか用?」

 訝しむ愛斗の視線に、顔をあげた男子生徒は怯えた表情を浮かべた。レンズ越しに忙しなく目を泳がせて、「あ」とか「う」などと低く唸っている。

「あ、ぁ、あの……ぁ、僕は、その……」
「ねぇ、なんなの? 用があるならはっきり言いなよ」
「ご、ご、ごめんなさいッ!!」

 メガネくんは勢いよく頭をさげて、その場から一目散に走り去ってしまった。

「あっ、ちょっと!? ……なんだったんだ?」

 彼はここで、一体なにをしていたのだろう?
 愛斗は不信感に表情を曇らせたまま、ポストに近づいて取手を摘まむと蓋を開いた。

「……手紙?」

 そこには茶色い封筒に包まれた、厚めの封書が入っている。
 手にとって見ると、宛名が書かれていない。送り主も不明だった。

「あのメガネくんが入れてったの? でもなんで?」

 不気味に思いながらも、封を開けて中身を引き出してみた。
 すると中から出てきたのは大量の写真で、それを見た愛斗はとっさに息を呑みながら、写真を地面に落としてしまう。

「な、なに、これ……?」

 散らばった十数枚にも及ぶ写真には、すべて愛斗が写っていた。
 喜逸と一緒に登下校している最中のもの、母と一緒にスーパーで買い物をしているときのもの、近所の公園で野良猫と遊んでいるときのもの──。

 それらは比較的最近のもので、明らかに隠し撮りされたアングルだった。
 そしてそれらの写真はすべて、愛斗の顔の部分だけがズタズタに傷つけられている。

「なんで……?」

 愛斗は毛が逆立つような戦慄を覚え、凍りついたまま動けなくなった。
 ドクン、ドクンという心臓の音が、耳のすぐ裏側に聞こえるくらい大きく高鳴っている。

「あら愛斗、帰ったの?」

 身動きひとつ取れずに立ち尽くしていると、母が玄関から姿を現した。真っ青になっている愛斗を見て、心配そうに眉根を寄せる。

「どうかしたの?」
「ッ、な、なんでもないよ!」

 愛斗はとっさに地面の写真をかき集めると、茶封筒ごとスラックスの尻ポケットに押し込んだ。そして何事もなかったかのように、無理やり笑顔を作ると「ただいま、母さん」と明るく言った。

 頭の中は今日一日で起こった出来事の数々に混乱している。
 今にもフリーズを起こしそうになりながらも、母を心配させるのだけは絶対に嫌だと思った。

「顔色が悪いわ。なにかあったの? そういえば、今日は喜逸くんと一緒じゃないのね」
「あ、うん。今日はボク一人で帰ってきた」
「珍しいわね。ケンカでもした?」
「別に……ねぇ、それよりお腹すいちゃったよ! なんか食べていい?」

 母は愛斗の空元気に気がついていたかもしれない。けれどあえて深くは追求してこず、「夕飯前のおやつはダメよ」と困り眉の笑顔を見せる。

 今はそんな母の優しい笑顔と声だけが、愛斗にとって唯一の救いだった。