「ねぇおかぁさん、アカちゃんはどこからくるの?」
母がキッチンで夕飯の支度をしている。
まだ5歳の愛斗は、大きな瞳でその背を見上げて問いかけた。
母は目を丸くしながら振り向いた。
キャベツを刻んでいた包丁をまな板の上に置き、しゃがみこんで目線を合わせてくる。
少し困ったように眉を下げてはいるが、微笑ましげな表情だった。
「そうねぇ。あなたにはまだちょっと早いけど……大好きなひと同士が一緒になって、たくさん仲良くしていると、赤ちゃんが来てくれるのよ」
その言葉に、愛斗は瞳をキラキラと輝かせた。
「じゃあ、キイチとなかよくしてたら、アカちゃんボクのところにもきてくれるの?」
喜逸というのは二つ歳上の、優しくて大好きな友達だ。
いつも一緒に遊んでくれて、帰りは家まで送ってくれる。ついさっきも、喜逸に送られて帰ってきたばかりだった。
ときどきそのまま家にあがってご飯を食べていくこともあるけれど、今日はそういう日ではなかったらしい。喜逸は「またね」と手を振って帰っていった。
「愛斗、あなた喜逸くんと結婚したいの?」
母はまた目を丸くした。けれどすぐに軽く握った右手を口元に当て、クスクスと楽しそうに笑いはじめる。
「ケッコン?」
「前に見たことがあるでしょ? 教会の前で」
愛斗の脳裏に、白いドレスを着た女の人の姿が浮かんだ。
少し前、母と一緒に通りかかった教会で、たくさんの人たちに囲まれて笑っている男女がいたのを思いだす。
あのとき母はドレス姿の女の人を見て、「綺麗なお嫁さんね」と目を細めていた。
「結婚はね、特別に大好きなひと同士がするものなの。ずっと一緒にいようねって、神様の前で約束するのよ」
「じゃあ、ケッコンしてもっともっとなかよくしてたら、いつかアカちゃんがきてくれるってこと?」
「そうね」
母が愛おしそうに微笑んで、愛斗の頭を優しく撫でた。
*
その日も愛斗は喜逸に遊んでもらっていた。
公園でブランコを揺らしてもらったり、野良猫と友達になろうとして逃げられたり、日が傾きはじめるまで楽しい時間を過ごしていた。
今は手を繋いで、カラスが鳴く夕暮れの道を歩いている。
喜逸はいつもこうして愛斗の手を引き、家まで送ってくれるのだ。
(キイチ、今日はごはん食べてってくれるかな……?)
家に帰ると必ず母が迎えに出てくる。そしていつも喜逸を食事に誘う。
だけど喜逸は断って帰ることが多かった。あんまり遅いと、家の人に叱られるらしい。
喜逸が叱られるのは嫌だけど、本当は帰ってほしくない。毎日でも一緒にご飯が食べられたらいいのにと、そう思う。
(キイチとバイバイするのイヤだなぁ)
だから愛斗は、家に帰るこの時間があまり好きではない。
だって家についたら、喜逸とバイバイしなくてはいけないから。毎日こうして遊んでいるのに、帰り道ではいつも寂しくなってしまう。
「ねぇキイチ」
愛斗がピタリと足を止めると、喜逸も立ち止まって「なに?」と首を傾げた。
「あのね、おねがいがあるの」
「いいよ。言ってみて」
「あのね、ボク、キイチとケッコンしたいの」
「け、けっこん?」
喜逸は大きな瞳をまん丸にして、とても驚いた顔をしている。
愛斗は「うん」と頷いた。
「ボクね、キイチとケッコンして、おヨメさんになりたいの」
「マナト、ケッコンなんて知ってるの?」
「しってるよ! ケッコンするとね、ずっといっしょにいられるんだって! おかぁさんにおしえてもらった!」
えっへんと得意げに言った愛斗に、喜逸はポカンとしたまま動かない。そのまま何も言ってくれないものだから、愛斗は急に不安になった。
喜逸は同じ気持ちじゃないのかもしれない。自分のことを、特別に好きだと思ってくれていないのかもしれない。
愛斗はこんなに喜逸のことが大好きで、ずっと一緒じゃなきゃ嫌なのに。
喜逸の手を両手でぎゅっと握りしめて、「ねぇ、ダメ?」と泣きそうな目を向けた。
喜逸は真っ赤な顔をして、目をパチクリとさせている。口もぽっかりと開けっ放しだし、なんだかちょっと様子が変だ。
そんな喜逸に、愛斗は小さく首を傾げた。
「どうしてなにもいってくれないの? キイチ、ボクとケッコンするのヤなの?」
「ち、ちがうよ! ヤじゃないよ!」
「ほんと!?」
「うん、ほんと……だけど……」
喜逸はどこか寂しそうに視線を下にうつむけていた。何かを必死で考えているような顔だった。夕日のオレンジに照らされて、その頬はさらに真っ赤に染まって見える。
だけど──の先を、喜逸はなかなか言おうとしなかった。
愛斗は待ちきれず、握っている手をブンブンと振った。
「ねぇ、じゃあやくそくしよ! おっきくなったら、ぜったいボクとケッコンしてね!」
喜逸の手をいったん離すと、指切りの形をした右手をズイっと差し出した。
その小指を見つめて、喜逸は瞳をゆらゆらと揺らしている。やがて込み上げてきたように笑顔を浮かべ、「いいよ」と言った。
二人の小指がしっかりと絡みつく。指切りげんまんの歌を歌いながら、あたたかさとくすぐったさで胸がいっぱいだった。
「ずっといっしょ。やくそくだよ、マナト」
喜逸の言葉にもっともっと嬉しくなって、愛斗は「うん!」と元気に頷いた。
ずっと一緒。大人になってからもずっと。そしたら毎日一緒にご飯を食べたり、お風呂に入ったり、同じ布団で寝たりしたい。もうバイバイなんかしなくてもよくなるのだ。
(はやくおっきくなりたいな! そしたら、アカちゃんにもあえるかな?)
愛斗は喜逸との未来を思って、生えかけの白い前歯を見せながら笑顔を浮かべた。
母がキッチンで夕飯の支度をしている。
まだ5歳の愛斗は、大きな瞳でその背を見上げて問いかけた。
母は目を丸くしながら振り向いた。
キャベツを刻んでいた包丁をまな板の上に置き、しゃがみこんで目線を合わせてくる。
少し困ったように眉を下げてはいるが、微笑ましげな表情だった。
「そうねぇ。あなたにはまだちょっと早いけど……大好きなひと同士が一緒になって、たくさん仲良くしていると、赤ちゃんが来てくれるのよ」
その言葉に、愛斗は瞳をキラキラと輝かせた。
「じゃあ、キイチとなかよくしてたら、アカちゃんボクのところにもきてくれるの?」
喜逸というのは二つ歳上の、優しくて大好きな友達だ。
いつも一緒に遊んでくれて、帰りは家まで送ってくれる。ついさっきも、喜逸に送られて帰ってきたばかりだった。
ときどきそのまま家にあがってご飯を食べていくこともあるけれど、今日はそういう日ではなかったらしい。喜逸は「またね」と手を振って帰っていった。
「愛斗、あなた喜逸くんと結婚したいの?」
母はまた目を丸くした。けれどすぐに軽く握った右手を口元に当て、クスクスと楽しそうに笑いはじめる。
「ケッコン?」
「前に見たことがあるでしょ? 教会の前で」
愛斗の脳裏に、白いドレスを着た女の人の姿が浮かんだ。
少し前、母と一緒に通りかかった教会で、たくさんの人たちに囲まれて笑っている男女がいたのを思いだす。
あのとき母はドレス姿の女の人を見て、「綺麗なお嫁さんね」と目を細めていた。
「結婚はね、特別に大好きなひと同士がするものなの。ずっと一緒にいようねって、神様の前で約束するのよ」
「じゃあ、ケッコンしてもっともっとなかよくしてたら、いつかアカちゃんがきてくれるってこと?」
「そうね」
母が愛おしそうに微笑んで、愛斗の頭を優しく撫でた。
*
その日も愛斗は喜逸に遊んでもらっていた。
公園でブランコを揺らしてもらったり、野良猫と友達になろうとして逃げられたり、日が傾きはじめるまで楽しい時間を過ごしていた。
今は手を繋いで、カラスが鳴く夕暮れの道を歩いている。
喜逸はいつもこうして愛斗の手を引き、家まで送ってくれるのだ。
(キイチ、今日はごはん食べてってくれるかな……?)
家に帰ると必ず母が迎えに出てくる。そしていつも喜逸を食事に誘う。
だけど喜逸は断って帰ることが多かった。あんまり遅いと、家の人に叱られるらしい。
喜逸が叱られるのは嫌だけど、本当は帰ってほしくない。毎日でも一緒にご飯が食べられたらいいのにと、そう思う。
(キイチとバイバイするのイヤだなぁ)
だから愛斗は、家に帰るこの時間があまり好きではない。
だって家についたら、喜逸とバイバイしなくてはいけないから。毎日こうして遊んでいるのに、帰り道ではいつも寂しくなってしまう。
「ねぇキイチ」
愛斗がピタリと足を止めると、喜逸も立ち止まって「なに?」と首を傾げた。
「あのね、おねがいがあるの」
「いいよ。言ってみて」
「あのね、ボク、キイチとケッコンしたいの」
「け、けっこん?」
喜逸は大きな瞳をまん丸にして、とても驚いた顔をしている。
愛斗は「うん」と頷いた。
「ボクね、キイチとケッコンして、おヨメさんになりたいの」
「マナト、ケッコンなんて知ってるの?」
「しってるよ! ケッコンするとね、ずっといっしょにいられるんだって! おかぁさんにおしえてもらった!」
えっへんと得意げに言った愛斗に、喜逸はポカンとしたまま動かない。そのまま何も言ってくれないものだから、愛斗は急に不安になった。
喜逸は同じ気持ちじゃないのかもしれない。自分のことを、特別に好きだと思ってくれていないのかもしれない。
愛斗はこんなに喜逸のことが大好きで、ずっと一緒じゃなきゃ嫌なのに。
喜逸の手を両手でぎゅっと握りしめて、「ねぇ、ダメ?」と泣きそうな目を向けた。
喜逸は真っ赤な顔をして、目をパチクリとさせている。口もぽっかりと開けっ放しだし、なんだかちょっと様子が変だ。
そんな喜逸に、愛斗は小さく首を傾げた。
「どうしてなにもいってくれないの? キイチ、ボクとケッコンするのヤなの?」
「ち、ちがうよ! ヤじゃないよ!」
「ほんと!?」
「うん、ほんと……だけど……」
喜逸はどこか寂しそうに視線を下にうつむけていた。何かを必死で考えているような顔だった。夕日のオレンジに照らされて、その頬はさらに真っ赤に染まって見える。
だけど──の先を、喜逸はなかなか言おうとしなかった。
愛斗は待ちきれず、握っている手をブンブンと振った。
「ねぇ、じゃあやくそくしよ! おっきくなったら、ぜったいボクとケッコンしてね!」
喜逸の手をいったん離すと、指切りの形をした右手をズイっと差し出した。
その小指を見つめて、喜逸は瞳をゆらゆらと揺らしている。やがて込み上げてきたように笑顔を浮かべ、「いいよ」と言った。
二人の小指がしっかりと絡みつく。指切りげんまんの歌を歌いながら、あたたかさとくすぐったさで胸がいっぱいだった。
「ずっといっしょ。やくそくだよ、マナト」
喜逸の言葉にもっともっと嬉しくなって、愛斗は「うん!」と元気に頷いた。
ずっと一緒。大人になってからもずっと。そしたら毎日一緒にご飯を食べたり、お風呂に入ったり、同じ布団で寝たりしたい。もうバイバイなんかしなくてもよくなるのだ。
(はやくおっきくなりたいな! そしたら、アカちゃんにもあえるかな?)
愛斗は喜逸との未来を思って、生えかけの白い前歯を見せながら笑顔を浮かべた。
