今夜、カーテンの中で

東条祭まであと12日前(月曜日)

 放課後、集まったメンバーは思っていたより少なかった。
各自の進捗を確認してみると、準備は予想以上に進んでいない。本当に東条祭まで毎日残って作業することになるかもしれない。
 俺は焦りと不安でいっぱいだった。
 それなのに、残ったメンバーでさえ、おしゃべりをしたり、お菓子を食べたりしながらだらだらと作業をしている。
まあ、勉強漬けの彼らには、こういう時間も必要なのかもしれない。今日は大目にみよう。
 吉川はああでもない、こうでもないと周囲へ指図しながら大道具づくりに励んでいる。しかし、やはり順調に進んでいるようには見えなかった。
 黒板の前では、田中と那須がセリフ合わせをしている。
俺はその様子をぼんやり眺めていた。

 すると、後ろから男子生徒たちの会話が聞こえてくる。

「カーテンの幽霊って知ってる?」

「何それ? 学校の七不思議的な?」

「夜の校舎を見ると、ある教室のカーテン越しに人影が見えるんだって」

「怖っ。でもまあ、夜に学校に近寄らなきゃいいんだろ?」

「まあね……でもさ」

「今日なら見れるんじゃね?」

「見たくねーよ。怖いこと言うな」

 幽霊ね。
 でも、暗闇にそびえ立つこの校舎を見たら、確かに怖いかもしれない。

「ああ、ロミオ。あなたはどうしてロミオなの――」
 台本へ視線を落としたまま、田中が棒読みで言う。
「もっと聞いていようか。それとも声を掛けたものか――」
 那須が大袈裟な身振り手振りでセリフを叫ぶ。
「……ちょっと真面目にやって」
田中が台本を持った手を下ろしてため息をつく。
「真面目にやってるって!」
「ロミオは今物陰に隠れてるんだよ。それは違うって」
「でも、舞台なんだからこれぐらいしないと伝わんないだろ」
「なんか顔がふざけてるもん!」
「もともとこんな顔だって〜」
 俺は頭を抱える。
こんなことでは練習にならない。
「とりあえず、最後までやってみようよ」
 俺が言うと、那須が不満そうに田中を見た。
「だって田中、セリフ覚えてない上に棒読みなんだもん。こんなんじゃ雰囲気出ないわ」
「覚えてる!でも……緊張して忘れちゃうの!」
「こんなとこで緊張しててどうするんだよ!本番はもっとでかい舞台で、観客もいるんだぞ!?」
「わかってるって!もっと練習して自信ついたら大丈夫。っていうか、那須くんはセリフ覚えてるわけ?」
「俺は覚えてない!」
「はぁ⁉︎」
 胸を張る那須に、田中が呆然とする。
「いや、覚えてるよ?でもあの台本通り、一言一句そのままじゃないだけ。ほら、役者ってフィーリングじゃん?その場で思った言い回しにした方が、いい演技できると思うんだよね」
 本気のドヤ顔で言う那須に、田中は言葉を失っていた。
俺が代わりに「お前、役者じゃないだろ」と突っ込む。
 その後、我に返った田中から怒涛の口撃を受ける那須を見ないふりして、俺は教室を出た。
少し気分転換したかった。
 
 十月の空気は、昼と夜でまるで別物だった。
 ざわめく教室にはまだ昼間の熱気が残っているのに、廊下はひどく冷たい空気で満たされている。ところどころ明かりのついた教室はあるものの、廊下の蛍光灯は消えていて、ほとんど真っ暗と言っていい。
 夜の校舎といえば怪談はつきものだ。この状況だけで、色んな怪異を想像してぞくぞくする。俺の足は自然と前へ進んでいた。
 他のクラスが使っている教室を過ぎると、その先はほぼ真っ暗だ。
細長い校舎の先は暗闇に飲み込まれていて、じっと見ていると、自分まで吸い込まれそうになる。
 異界に吸い込まれて、二度と戻れない。
 そんな想像をしてしまい、身震いした。好奇心から少し歩いてみたが、やっぱり教室へ戻ろう。頭ではそう思っているのに、足は自然と暗闇へ向かって動いていく。
 頭がぼおっとする。足だけが勝手に動く。ずんずんと廊下を進み、ふと足を止めた。
 ある教室から、一筋の明かりが漏れている。いつのまに?さっき遠くから見たときは真っ暗だと思ったのに。
 ここはどの教室だろう。どれだけ歩いたのか、自分が今どこにいるのかもよくわからない。教室のネームプレートを見ようにも、暗くて読めなかった。開け放たれたドアから、まっすぐ光が伸びている。
 俺はそっと中を覗いた。廊下へ漏れていた光は月の明かりで、部屋の中を煌々と照らしている。暗い廊下とはまるで別世界のようだ。
 そこは理科準備室だった。理科の授業で使うものが置かれている。しかし、古いキャビネットには埃が積もり、床には段ボールが乱雑につみあがり、よく見れば、理科とは関係なさそうなものまでたくさんある。整理整頓も掃除もされていない部屋、もはや物置だ。だが不思議と今は、その埃さえも月の光に照らされて幻想的に見えた。

 その時だった。

 揺れた。

 部屋の隅――今、俺が立っているドアの真正面にまとめられたカーテン。

 そのカーテンが、かすかに揺れた。
 窓は閉まっている。風なんてないはずだ。
「……は?」
 鼓動が急激に速くなる。
 ひらひらした薄い布が幾重にも重なった白いカーテンその中に、人の形をした影があった。
 そして、カーテンの下へ目を向ける。
(足だ……)
 月明かりがかろうじて届く部屋の隅。
カーテンの丈は天井から床下数十センチのところまである。そのカーテンの下から、黒いスラックスと白い靴下が見えている。
 たぶん、うちの制服だ。
 ――いる。
 さっき聞いたばかりの「カーテンの幽霊」の話が脳裏をよぎった。
「……誰かいる?」
 思ったよりも小さく、震えた声が出た。なぜ声を掛けたのか。もしかしたら、「ただの人間だ」と確認したかったのかもしれない。「驚かせるなよ」と笑って安心したかったのかもしれない。
 しかし、返事はない。ただ、影がわずかに動いた気がした。つま先はこちらを向いている。頭の中に、おどろおどろしい“何か”がこちらへ近づいてくる光景が浮かんだ。そんなシーンを、映画で何度も観た。逃げるべきだと頭ではわかっている。なのに、体が動かない。
 むしろ引き寄せられるように、一歩、また一歩と近づいてしまう。
 カーテンの向こうの“何か”は、じっと動かない。カーテンの前まで来て、俺は手を伸ばした。
 指先が布へ触れる。
 冷たい。
 違う。
 冷たいのは、自分の手だ。
 意を決して、カーテンを開く。

 そこにいたのは、想像していた“何か”とはまるで違っていた。

――綺麗だ、と思った。
 そんな感想が浮かんだことに、自分でも戸惑う。
 そこにいたのはうちの制服を着た男子学生だった。
 身長は俺より数センチ低いくらい。ストレートの長い前髪が瞳へ影を落とし、表情がよく見えない。青白い肌は透けるようで、月の光が彼の輪郭をぼんやりと滲ませていた。
 まるで、絵画みたいだ。
 そう思った瞬間、彼がふと顔を上げる。
 二人の目が合った。
 その瞬間、息をするのを忘れた。
 綺麗な目だった。そして、その目は強い眼差しを俺に向けているように思えた。そのせいか俺の目もそちらへ吸い寄せられてしまう。掴まれて逃げられない。

心臓が嫌なほど大きく鳴る。恐怖なのか、それ以外なのか、自分でもわからなかった。
「僕が……見える?」
 薄い唇からこぼれた声は、掠れて震えていた。それでも、やはり俺が想像する幽霊の禍々しい声ではなかった。むしろ、懇願するような切ない声。
「冗談だよな?」
 笑おうとしたが、無理やり上げた口角は引きつっていたかもしれない。
「幽霊のふりして、驚かせようって」
 そうだ、どこの誰だか知らないがきっと俺をどっきりにかけようと思っているのだ。そう思うと少し体が軽くなった。そんなものにひっかかるか。彼の腕を掴もうと腕を伸ばす。
 その瞬間、俺の手は空を切った。
「……っ、うそだろ」
 何が起きたのかわからず、自分の手をまじまじと見る。
彼の体はそこにあるのに触れられない。

 ふと視線を足元へ落とした。
 ――ない。
 俺の足元には影が伸びている。
でも、彼の足元には影がない。
 もう一度、彼を見る。
 彼は俺と会ってから一度も表情を変えていない。
ずっと絵画みたいに、微動だにせずそこへ佇んでいる。
 
 背筋にぞくりと冷たいものが走った。
 口から声にならない叫びがでた。震える足で後ずさり、そのまま勢いよく踵を返した。もつれる足で上手く走れない。一刻も早くここから離れたい。壁や扉へぶつかりながら前へ進み、転がるように部屋を飛び出す。
 そして、ようやく明かりのある場所まで戻ってきた。
 他のクラスの話し声が聞こえる。教室を覗くと、俺たちと同じように東条祭の準備へ追われている生徒たちがいた。その光景に、少しだけ安心する。暑くもないのに汗でびしょ濡れになり、喉はからからだった。

「あれ?黒崎?」
 少し先から、那須の間延びした声が聞こえる。教室の窓から顔を出していた。
 ――あそこが俺の教室だ。
 那須のアホ面に今は安心感を覚える。俺は思わず後ろを振り返った。さっきまで廊下を照らしていた月明かりは、もう消えている。そんなばかな。さっきまであった月明かりがこんなにすぐに消えることなんてあるだろうか?俺は確かに、あの月の光に導かれて“アレ”に出会ったのだ。
(アレって、本当に幽霊なのか? 俺、幽霊に会ったのか?)
 ふと笑いが込み上げてきた。ついに念願の幽霊に会えたというのに、俺は情けなく震えて逃げ帰ってきた。笑える。
「えっ、怖。黒崎、何笑ってんの?」
 教室へ入ってこない俺を不審に思ったのか、那須が隣から顔を覗き込んできた。
 一瞬、さっきの「カーテンの幽霊」の話をしようかと思った。でも、やめた。こんな話をしたら、黒崎は頭がおかしくなったと思われるに違いない。
 それに――これは、俺だけの秘密にしたかった。

 その日は九時まで残る予定だったが、「急に気分が悪くなったから」と言って、早めに帰らせてもらった。
幽霊らしきものを見た直後の俺は、よほどひどい顔をしていたのだろう。クラスメイトも「その方がいい」と、心配そうに見送ってくれた。
 帰宅中も、ずっとあの幽霊のことを考えていた。
(あの幽霊、なんであそこにいたんだろう……。死因は? 事故か病気か……自殺とか? きっと何か未練があるんだよな)
 あいつは、まだ生きたかったんだろうか。
 それとも、死にたいと思って死んだけど、後悔しているんだろうか。
(あいつ、俺に喋りかけてたな。ってことは、意識のはっきりした幽霊なのか?)
 ホラー映画に出てくる幽霊のほとんどは、異形で意思疎通のできない存在だ。
人間を恐怖に陥れるためだけに現れるものも多い。中には、善良そうな顔をしていたり、主人公の親しい人間に化けたりして、油断したところを襲ってくるものもいる。逆に、恋人や友達、家族や守護霊のように、人間の味方をする幽霊もいる。
 あいつは、どっちなんだろうか。