四月の風は、まだ少し冷たかった。桜はもう満開を過ぎていて、校庭の木々からは花びらが絶えず舞い落ちていた。
グラウンドでは新入生向けの部活紹介が行われていた。紹介の仕方はそれぞれ。パフォーマンスをしたり、展示をしたり、チラシを配ったり。
昇降口から新しい制服に身を包んだ一年生たちがグラウンドへ出てくる。
その光景をぼんやり眺めていた。ついこの前まで東条祭で騒いでいたはずなのに、俺ももう二年生だ。
あれから、色々と大変だった。 理科準備室で倒れている俺を発見したのは学校警備員だった。急いで救急車が呼ばれ、俺は検査入院した。 意識が戻り、軽い脳震盪を起こしていたようだが、他は異常がないことを医師から告げられる。まあ、それはよかったのだが、理科準備室に侵入し、カーテンを引きちぎったことに関しては何かしらの罰が下されると思っていた。入院中に一度担任が来て、いつになく神妙な顔で「お前はなんであそこで気絶してたんだ?」と聞かれた。俺はとっさに「あんまり覚えてなくて……」と同じくらい神妙な顔で答えた。すると彼は「そうか……」と言って、その顔のまま病室を出ていった。もう少し根掘り葉掘り質問されると思っていたので拍子抜けだった。
その後、学校から何の連絡もなく、とりあえず退院したので登校したところ、クラスのみんなが俺を取り囲み、心配そうな顔をする。 「大丈夫か?」 あの那須までもが真剣な顔で俺の顔を覗き込む。
「なんだよ」
「だってお前、カーテンの幽霊に取り殺されそうになったんだろ?」
俺を取り囲んだクラスメイトの顔を見渡すと、皆、一様に頷く。
その後ゆっくり話を聞いてみると、どうやら事態は俺が思ってもみなかった方向に進んでいたようだ。
俺が理科準備室から運ばれた後、職員たちで話し合いが行われたらしい。 なぜ黒崎はあそこで気絶していたのか。理科準備室の鍵は職員室で保管しているのになぜ鍵が開いていたのか。誰か閉め忘れたのか?しかし、それに警備員が反論する。昼間に確認した時には閉まっていた。それ以降に鍵を開けたという職員はいるのか?誰もいない。あの優等生の黒崎が意味もなく鍵を盗んで理科準備室に入るとも思えない。そして、うちの担任が「黒崎は当時のことをよく覚えていない」と言う。
そういう情報が生徒に漏れ始めると、さらに話がややこしくなる。
「カーテンが引きちぎられてたんでしょ?これってカーテンの幽霊の仕業じゃね?」
「そうかも。そういえば劇が終わった後に黒崎くん見た人いる?」
「私見た!で、声をかけたけどなんか変な感じだった……もしかしてあの時にはもう取り憑かれてたのかな?」
そして東条高校に新たな怪談ができた。 『黒崎悠馬は理科準備室のカーテンの幽霊に取り憑かれて殺されそうになったが、命からがら逃げ延びた』
あながち間違いでもないし、面白いのでそういうことにしておく。
それに、とホラー映画オタクの俺が顔をだす。
俺たちが出会った時、その後理科準備室で逢瀬を重ねた時、理科準備室の鍵を開けたり閉めたり、扉を閉めたり開けたり、そんな現象が起きたが、沢野は自分ではないと言っていた。その後、俺が調べたところによると、カーテンの幽霊の噂話が広まったのは去年から。ということは沢野の事故が起きる前だ。だから
ーーやっぱりあそこには何かがいるのだ
そしてその後、沢野の担任から沢野が意識を取り戻したことを知らされた。東条祭が終わった夜だったらしい。今のところ後遺症もなく、数ヶ月したら学校に登校できるようになるだろうとのことだった。俺は本当は病室まで行って祝福したかったが、沢野が俺を覚えているかが気がかりだった。覚えてもない男から「幽霊の時会いました!両思いでした!」と伝えられたら、たとえ好意を持っていた男だったとしても引く。百年の恋も冷める。だから沢野からのコンタクトを待った。しかし、何もなかった。やはり、沢野は俺のことを覚えていなかったのだ。
俺は部活勧誘で沸く人混みの中、人を探していた。 見つけた。人混みを縫いながらようやく辿り着く。
「演劇同好会でーす」
白い紙束を抱えている沢野がいた。少し長めの前髪。柔らかい目元。 その横顔を見た瞬間、黒崎の心臓が強く鳴った。春の光の中にいる沢野は、あまりにも普通だった。友達と話しながら、少し困ったみたいに笑って、ただそこに立っている。 その当たり前の光景が、黒崎には信じられないほど眩しかった。
「沢野ー、もっと前で配ったほうがよくない?」
隣にいた男子が言う。
「えー、なんか押し売りっぽくなるじゃん」
沢野が苦笑する。その声、その笑い方、全部が本物だった。生きてるんだ、本当に。
俺はゆっくり近づく。一歩近づくたび、胸がうるさくなる。
沢野がこちらへ気づく。その瞬間、 少しだけ目を見開いた。
「……あ」
沢野は戸惑ったように笑った。
「えっと……」
沢野はおずおずとチラシを差し出した。
「演劇同好会です」
どこかぎこちない営業スマイル。
俺は無言でチラシを受け取る。
「黒崎くんだよね?……東条祭の劇、見たよ」
沢野は続ける。
「ほら、去年の1年A組の劇。担任の先生がビデオ撮ってたから見せてもらった。すごかった。よくあの部室見つけたね。自分で見つけたんだよね」
俺は小さく「はい」と答えた。本当に何も覚えてないんだ。
「えっと……興味ある?……演劇。人足りなくて困ってるんだよね。役者じゃなくてもさ、大道具とか裏方でもいいし」
俺は必死に勧誘の言葉を並べる沢野を見ながら、彼が前に言った言葉を思い出していた。
『僕もずっと黒崎と一緒にいれたらいいと思う』
あの言葉はもう沢野の記憶にはない。でも俺は忘れられなかったし、沢野だって今後そう思ってくれると信じたかった。 今度はちゃんと現実で、同じ時間を過ごしたいと思った。
「……入ります」
気づけば口に出していた。本当は「実はホラー映画が好きでそういう意味では演劇に興味があるとも言えるしなんたらかんたら」と言いたいところだったが初対面でこれを言うのはやめておいた。
そして、黙ったままの目の前の沢野に目をやると、本当に俺が入ると思っていなかったらしく目を丸くしたまま固まっている。
「え、ほんとに?」
それから嬉しそうに目を細めた。それを見て、俺は軽く頷く。
「佐々木!黒崎くん入るって!」
隣で同じようにビラを配っていた佐々木と呼ばれた男が「マジかよ!」と声を上げる。「黒崎がいるって言えば女子がじゃんじゃん入るぞ!よっしゃ!」彼はどうやら別の理由で俺を歓迎してくれるらしい。その様子を見て沢野は笑った。そして、ふと俺の方へ向き直る。
「じゃあよろしく」
沢野が手を差し出す。俺はゆっくりと手を伸ばし、握手する。 沢野が微笑む。
やっぱり好きだなと思う。 今ここにいる、ここで生きている沢野が好きだ。
最初に理科準備室で握手をした時、その手はすり抜けた。二回目、病室で手を握った時、すり抜けはしなかったが、その手に力はなく、ひんやりとしていた。 そして今、俺が手を握ると握り返してくれる。俺の体温が沢野に移り、沢野の体温が俺に移り、肌寒い中、繋いだ手と手だけは確かに温かった。
沢野は手を握ったまま離さない俺を不思議そうに見た。
「……黒崎くん?」
「あ、すいません」
「いや」
沢野は首を傾げる。 そして繋いだままの手を見下ろした。
「変なこと言って申し訳ないんだけど……」
「?」
「前もこうやって握手した気がする」
さっきより強く春風が吹き、俺たちの間を桜の花びらが通り抜けた。沈んだ色をしていたコンクリートの校舎が、今日は太陽の光を受けて銀色に輝いて見えた。窓の開いていない教室の白いカーテンがゆれた。
その光景をぼんやり眺めていた。ついこの前まで東条祭で騒いでいたはずなのに、俺ももう二年生だ。
あれから、色々と大変だった。 理科準備室で倒れている俺を発見したのは学校警備員だった。急いで救急車が呼ばれ、俺は検査入院した。 意識が戻り、軽い脳震盪を起こしていたようだが、他は異常がないことを医師から告げられる。まあ、それはよかったのだが、理科準備室に侵入し、カーテンを引きちぎったことに関しては何かしらの罰が下されると思っていた。入院中に一度担任が来て、いつになく神妙な顔で「お前はなんであそこで気絶してたんだ?」と聞かれた。俺はとっさに「あんまり覚えてなくて……」と同じくらい神妙な顔で答えた。すると彼は「そうか……」と言って、その顔のまま病室を出ていった。もう少し根掘り葉掘り質問されると思っていたので拍子抜けだった。
その後、学校から何の連絡もなく、とりあえず退院したので登校したところ、クラスのみんなが俺を取り囲み、心配そうな顔をする。 「大丈夫か?」 あの那須までもが真剣な顔で俺の顔を覗き込む。
「なんだよ」
「だってお前、カーテンの幽霊に取り殺されそうになったんだろ?」
俺を取り囲んだクラスメイトの顔を見渡すと、皆、一様に頷く。
その後ゆっくり話を聞いてみると、どうやら事態は俺が思ってもみなかった方向に進んでいたようだ。
俺が理科準備室から運ばれた後、職員たちで話し合いが行われたらしい。 なぜ黒崎はあそこで気絶していたのか。理科準備室の鍵は職員室で保管しているのになぜ鍵が開いていたのか。誰か閉め忘れたのか?しかし、それに警備員が反論する。昼間に確認した時には閉まっていた。それ以降に鍵を開けたという職員はいるのか?誰もいない。あの優等生の黒崎が意味もなく鍵を盗んで理科準備室に入るとも思えない。そして、うちの担任が「黒崎は当時のことをよく覚えていない」と言う。
そういう情報が生徒に漏れ始めると、さらに話がややこしくなる。
「カーテンが引きちぎられてたんでしょ?これってカーテンの幽霊の仕業じゃね?」
「そうかも。そういえば劇が終わった後に黒崎くん見た人いる?」
「私見た!で、声をかけたけどなんか変な感じだった……もしかしてあの時にはもう取り憑かれてたのかな?」
そして東条高校に新たな怪談ができた。 『黒崎悠馬は理科準備室のカーテンの幽霊に取り憑かれて殺されそうになったが、命からがら逃げ延びた』
あながち間違いでもないし、面白いのでそういうことにしておく。
それに、とホラー映画オタクの俺が顔をだす。
俺たちが出会った時、その後理科準備室で逢瀬を重ねた時、理科準備室の鍵を開けたり閉めたり、扉を閉めたり開けたり、そんな現象が起きたが、沢野は自分ではないと言っていた。その後、俺が調べたところによると、カーテンの幽霊の噂話が広まったのは去年から。ということは沢野の事故が起きる前だ。だから
ーーやっぱりあそこには何かがいるのだ
そしてその後、沢野の担任から沢野が意識を取り戻したことを知らされた。東条祭が終わった夜だったらしい。今のところ後遺症もなく、数ヶ月したら学校に登校できるようになるだろうとのことだった。俺は本当は病室まで行って祝福したかったが、沢野が俺を覚えているかが気がかりだった。覚えてもない男から「幽霊の時会いました!両思いでした!」と伝えられたら、たとえ好意を持っていた男だったとしても引く。百年の恋も冷める。だから沢野からのコンタクトを待った。しかし、何もなかった。やはり、沢野は俺のことを覚えていなかったのだ。
俺は部活勧誘で沸く人混みの中、人を探していた。 見つけた。人混みを縫いながらようやく辿り着く。
「演劇同好会でーす」
白い紙束を抱えている沢野がいた。少し長めの前髪。柔らかい目元。 その横顔を見た瞬間、黒崎の心臓が強く鳴った。春の光の中にいる沢野は、あまりにも普通だった。友達と話しながら、少し困ったみたいに笑って、ただそこに立っている。 その当たり前の光景が、黒崎には信じられないほど眩しかった。
「沢野ー、もっと前で配ったほうがよくない?」
隣にいた男子が言う。
「えー、なんか押し売りっぽくなるじゃん」
沢野が苦笑する。その声、その笑い方、全部が本物だった。生きてるんだ、本当に。
俺はゆっくり近づく。一歩近づくたび、胸がうるさくなる。
沢野がこちらへ気づく。その瞬間、 少しだけ目を見開いた。
「……あ」
沢野は戸惑ったように笑った。
「えっと……」
沢野はおずおずとチラシを差し出した。
「演劇同好会です」
どこかぎこちない営業スマイル。
俺は無言でチラシを受け取る。
「黒崎くんだよね?……東条祭の劇、見たよ」
沢野は続ける。
「ほら、去年の1年A組の劇。担任の先生がビデオ撮ってたから見せてもらった。すごかった。よくあの部室見つけたね。自分で見つけたんだよね」
俺は小さく「はい」と答えた。本当に何も覚えてないんだ。
「えっと……興味ある?……演劇。人足りなくて困ってるんだよね。役者じゃなくてもさ、大道具とか裏方でもいいし」
俺は必死に勧誘の言葉を並べる沢野を見ながら、彼が前に言った言葉を思い出していた。
『僕もずっと黒崎と一緒にいれたらいいと思う』
あの言葉はもう沢野の記憶にはない。でも俺は忘れられなかったし、沢野だって今後そう思ってくれると信じたかった。 今度はちゃんと現実で、同じ時間を過ごしたいと思った。
「……入ります」
気づけば口に出していた。本当は「実はホラー映画が好きでそういう意味では演劇に興味があるとも言えるしなんたらかんたら」と言いたいところだったが初対面でこれを言うのはやめておいた。
そして、黙ったままの目の前の沢野に目をやると、本当に俺が入ると思っていなかったらしく目を丸くしたまま固まっている。
「え、ほんとに?」
それから嬉しそうに目を細めた。それを見て、俺は軽く頷く。
「佐々木!黒崎くん入るって!」
隣で同じようにビラを配っていた佐々木と呼ばれた男が「マジかよ!」と声を上げる。「黒崎がいるって言えば女子がじゃんじゃん入るぞ!よっしゃ!」彼はどうやら別の理由で俺を歓迎してくれるらしい。その様子を見て沢野は笑った。そして、ふと俺の方へ向き直る。
「じゃあよろしく」
沢野が手を差し出す。俺はゆっくりと手を伸ばし、握手する。 沢野が微笑む。
やっぱり好きだなと思う。 今ここにいる、ここで生きている沢野が好きだ。
最初に理科準備室で握手をした時、その手はすり抜けた。二回目、病室で手を握った時、すり抜けはしなかったが、その手に力はなく、ひんやりとしていた。 そして今、俺が手を握ると握り返してくれる。俺の体温が沢野に移り、沢野の体温が俺に移り、肌寒い中、繋いだ手と手だけは確かに温かった。
沢野は手を握ったまま離さない俺を不思議そうに見た。
「……黒崎くん?」
「あ、すいません」
「いや」
沢野は首を傾げる。 そして繋いだままの手を見下ろした。
「変なこと言って申し訳ないんだけど……」
「?」
「前もこうやって握手した気がする」
さっきより強く春風が吹き、俺たちの間を桜の花びらが通り抜けた。沈んだ色をしていたコンクリートの校舎が、今日は太陽の光を受けて銀色に輝いて見えた。窓の開いていない教室の白いカーテンがゆれた。
