今夜、カーテンの中で

 病院から学校に戻った頃には空はすっかり茜色から群青へ変わりかけていて、校舎には灯りがついていた。
 1年A組の教室の辺りまで来ると騒がしい声が聞こえた。教室の外からこっそり聞き耳をたてる。
「ほんっとお疲れだよ、みんな!」
 那須の声をきっかけに、教室のあちこちで笑いが弾けた。
「お前それ言うの何回目だよ」
「ほら、みんな飲め飲め。食え食え」
 すでに飲食物を持ち込んで打ち上げが始まっているようだ。
 男子たちが騒げば、女子たちはその様子を見て笑っている。疲れているはずなのに、ほとんどの生徒が残っているようだった。
「ねぇ、写真撮っていい?入って入って。うん、この写真はクラスのグループチャットに送るから保存したい人は保存して」
 吉川の声がきこえた。彼女のごてごてしたピンクのスマホは今日だけでたくさんの写真で埋まるだろう。達成感と寂しさが入り混じった空気の中で、生徒たちは写真を撮り合い、くだらない話で盛り上がり、何度も「楽しかった」と繰り返していた。
 その騒がしさは、まるで終わりを先延ばしにしているみたいだった。
(もう俺のことをなんて誰も気にしてないか)
 そう思うと気が楽だった。俺にはまだやらないといけないことがある。

 俺は1年A組の教室の前を通らないルートで理科準備室まで行く。早く行きたくてどうしても小走りになってしまう。
 廊下にもれる月の光。開いた扉。カーテンとそこに人影。
「いるよな?」
 息が上がって、唾がうまく飲み込めない中、搾り出すようにきく。
 俺がきくと「いるよ」と返事が来るが、俺の声がいつもと違うせいか沢野が不思議そうな顔をしてカーテンから出てくる。
「沢野!」
 俺は勢いよく駆け寄る。その風でカーテンがふわりと揺れる。
 沢野は戸惑ったように目を瞬かせた。
「どうしたの」
「聞いてくれよ!」
 俺は息も整わないまま言葉を続ける。
「今日、先生に聞いたんだ!」
「先生?」
「沢野の担任の先生!」
 嬉しさが抑えきれない。声がどんどん弾む。
「沢野、生きてるんだって!」
 その瞬間。沢野の表情が止まったような気がした。普通の俺だったらその微妙な変化に気づいたかもしれない。でも、今の興奮状態の俺にはそんな余裕はなかった。
「事故で意識不明になってるだけで、ちゃんと病院にいる!俺会ってきたんだ、病院でベットに寝てる沢野に会ってきた!だから今の沢野は生き霊なんだ!」
 伝えたいことが多すぎて、考えるより先に言葉が出る。
「沢野の魂を病院へ戻そう」
 沢野はその言葉の意図がわからなかったのだろう。怪訝そうな顔で俺を見る。
「俺、沢野が入院してる病院に行った時に思ったことがあって。病院のカーテンと、この理科準備室のカーテンってすごく似てるんだよ。で、病院とか学校とか怪談によく使われる場所っていうのは色んなエネルギーが起きやすいんだ。だからさ、俺が思うに、あの病室のカーテンとこの理科準備室のカーテンが繋がっていて、それで沢野の生き霊がここまで移動できた。でもカーテンしか繋がってないから理科準備室のカーテンの外には移動できなかった。」
 オタク特有の早口で捲し立てる俺を困った顔で見つめる沢野。
「でも、なんでここなの?似たようなカーテンなんていっぱいあるでしょ?」
「うーん、ここから演劇部の旧部室が見えるからじゃない?って、そんなことはどうでもよくて、今はダメ元でもいいからそのカーテンから病院に帰ろう。病室に戻って体の中に入ればきっと意識も回復するはず」
「そんなことなんでわかんの?」
「わかんないけど、一回やってみようよ。俺、病院からここに来るまでに魂を元の体に戻す方法を探してきたから……」
「いいよ、僕はずっとここにいる」
 ここまできて、俺と沢野の温度感の違いに気づく。
 沢野は唇を噛んで目を伏せた。
「……沢野?」
「そっか」
 小さな声。感情の薄い声だった。
「生きてたんだ、僕」
「え……?」
 俺は沢野の反応に戸惑っていた。
「嬉しくないのか?」
「嬉しい、よ」
 沢野は答える。
 でも、その声はどこか遠かった。
「じゃあなんでそんな顔すんだよ」
 意味がわからない。だって、生きているんだ。ずっと一緒にいれるかもしれないのに。何が不満なんだ。
 沢野はぽつりと呟いた。
「……黒崎はさ」
「ん?」
「生きてる僕のこと、好きになってくれるのかな」
 沢野は笑おうとする。でも失敗していた。
「黒崎が好きになったのって、幽霊の僕でしょ。もし目が覚めても、黒崎が思ってるような人間じゃないかもしれない」
 沢野は怖がっている。自分が“現実”になってしまうことを。
「生きてようが幽霊だろうが関係ない!」
「関係あるよ!」
 沢野が声を上げた。沢野がこんなに感情的になるのは初めて見た。
「黒崎は知らないだけだよ!」
 沢野の目に涙が滲む。
「生きてる僕なんて、つまんないよ。学校じゃ全然目立たなかったし……友達だって少なかったし……今みたいに上手く話せないかもしれないし」
 俺はその言葉に混乱し、沢野の言葉を遮る。
「ちょっちょっと待って……生きてた時の記憶戻ったの?」
 こんな時に驚きすぎて裏声になってしまった俺は本当にカッコ悪かったが、ここは大事なところだ。俺は確認したかっただけだ。しかし、沢野には責められたように感じたらしい。親に隠し事を問い詰められている子供のような顔をしている。
「ごめん。ぼんやりだけどほとんどのこと覚えてる。」
 沢野は観念したようにゆっくりと喋り始めた、
「入学式のすぐ後くらいかな。新入生の黒崎を見て、一目惚れした。それからずっと黒崎のこと好きだった。でも俺は男だし、黒崎はすごい人で俺は全然目立たない普通のやつで。友達にすらなれないと思ってた。それなのに幽霊になったら黒崎の方から話しかけてくれて。もし、俺がつまんないやつだと思われたら興味なくすかもって思ってとっさに嘘ついた。記憶ないって。なんかミステリアスな方が惹かれるでしょ?
 幽霊になってよかったって思ってたのに。最後の最後でいい夢見られてよかったって思ってたのに、生きてたなんて……」
 俺はゆっくり息を吐く。
「……じゃあさ」
 一歩近づく。
「証明すればいいだろ。生きてる自分だって魅力的だって」
 項垂れたままの沢野に強い口調で言う。
「無理」
 だんだん腹が立ってきた。
「お前さ、俺に言ったよな。ちゃんと現実を生きろって。俺はそれを真に受けて、これまで嫌いだった自分を変えようって努力した。実際結構変わったと思う。それもあって沢野には感謝してる。それなのにさ、その本人が現実から逃げてるってどういうことだよ!」
 沢野はますます怯えたようにカーテンの中へ潜り込もうとする。
 違うだろ。そんなところに閉じこもるな。ちゃんとこっちへ来いよ。
「沢野!」
 俺はカーテンを掴む。そして、勢いよく引っ張る。古いカーテンレールがぎしぎしと音を立てる。何か策があってやったわけじゃない。ただ、カーテンに逃げた沢野をそこから追い出して、俺と同じ土俵に立たせたかった。物理攻撃は効かないとわかっていても今の俺に考えられる反撃はこれくらいしかなった。
「出てこい!」
「やだ!」
(もう逃がさない)
 そう思った瞬間、自分でも驚くくらい強い感情が胸に湧いた。
 
 そして、その直度だった。
 びり、と音がした。
 一瞬、何が起きたかわからなかった。
 俺が勢いよくカーテンを引っ張ったせいで、レールからランナーが外れ、カーテンが舞った。それと同時にバランスを崩した俺の体も床に叩きつけられた。尻もちをついて、そのまま滑るように背中を床に打ち、最後に後頭部に衝撃がはしる。目の前にふわっとカーテンが落ちてくる。その隙間から綺麗な月明かりが見えた。

その景色を最後に、気を失った。