今夜、カーテンの中で

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 夏休みの補習最終日。
八月も後半に入り、エアコンはきいているものの、教室には気だるい空気が漂っていた。
補習が終わった瞬間、みんな一斉に帰り支度を始める。我先にと教室を出ると、廊下を怒られない程度の速度で走り、一番先に出た生徒の姿はもう見えない。僕と佐々木は、その集団の一番後ろからゆっくりと歩いていく。
「おい、沢野!佐々木!」
 僕たちは足を止めて声の方を振り返った。呼んだのは担任の先生だった。白髪頭の短髪で、いつもジャージを着ている。にこにこしている、ただのおじいちゃんといった風貌。
「ちょっとゴミ捨てを手伝ってくれないか?今、腰を痛めていてね」
 僕と佐々木は顔を見合わせ、結局手伝うことにした。やっぱり走って教室を出るべきだった。
 昇降口から外に出るガラス戸を開けると、一気に夏の蒸し暑さが流れ込んできた。外に出るとさらに強い日差しが皮膚を刺す。
「あっつー」
 佐々木が眉を顰める。明らかにテンションの下がっている僕たちを見て、先生は「あとでジュース奢るから」と笑う。
 校舎裏にたまった段ボールを、リサイクル業者が取りに来る古紙置き場まで運んでほしいらしい。ざっと見て三往復ほどすれば終わるだろう。先生は軽めの段ボールを一つ、僕と佐々木が紐で縛った重い段ボールを二つ抱えて、先生の後をついて古紙置き場まで向かう。
 その途中だった。見たことのない建物が現れる。壁は苔が生えて黒ずんでおり、赤いトタン屋根は錆びている。ずっと使われていないように見える。
「うへー、こんな建物あったんだ」
 佐々木の目線の先を確認した先生が「あぁ」とため息に近い声を出した。
「前に使っていた部室だよ。もうみんな新しい部室に移動しちゃったけど、建物だけ残ってる」
 僕はふと引き寄せられるように一つの部室のネームプレートを見た。
「演劇部?うちの学校、演劇部ってありましたっけ?」
「今は廃部になったけど、数年前まであったんだよ」
「演劇部」という響きに胸がざわついた。ずいぶん前にしまい込んでいた気持ちが動き出すような気がした。
 持っていた段ボールを一度地面に置いて、薄汚れた窓から中を覗く。空っぽな部屋でないことはわかる。全てのものが大きな布で覆われていて、はっきりと何があるかはわからないが、中は活動していた時そのままの物で溢れているようだ。
「先生、ここって中に入れますか?」
「うーん、まあ鍵がどこかに保管されているだろうから、入れるんじゃないか?」
「僕、入ってみたいです。ゴミ捨て終わったら鍵探してもらっていいですか?ジュースいらないんで!」
 僕があまりにも勢いよく先生に迫ったので、先生は少しのけぞって「別にいいけど」と困惑しながら答えた。
「俺はジュースいるぞ」
 眉間に皺を寄せた佐々木がつぶやいた。

 その後、先生が鍵を開けてくれて中に入った。文句を言いながらも佐々木もついてきてくれた。
 扉に手をかける。ぎぃ、と古い音。埃っぽい空気。薄暗い室内。曇った窓から夏の日差しがかろうじて灯りをくれる。
 埃を被った布を剥がす。その下から出てきたのは、舞台セット、古い照明、衣装、おそらく演技確認のためのブラウン管テレビとDVDデッキ。
 一気に脳内に幼い頃に訪れた舞台裏の景色が広がった。忘れたと思っていた。もう終わったと思っていた。だけど、チャンスがあるならもう一度やってみたい。
「……先生」

「ん?」

「ここ、使えたりしますか」
 先生が目を丸くする。言った瞬間、自分でも驚いた。
「使うって?」

「演劇、やりたいです」
「はあ?」
 佐々木があきれたように声を出す。
「同好会でもいいから、作れませんか」
「別に二人以上を確保して学校に申請すれば同好会を作れるけど……でもお前、来年は三年だぞ?受験だろ」
 先生のその言葉に佐々木も続く。
「そうだよ。同好会っていっても、今から人を集めなきゃいけないし、そんな時間ないだろ」
「別に大きなコンクールに出たいとかじゃなくて、演劇ってものをやりたいんだよ。東条祭とかでもいいし、普通にこの部室でやるだけでもいい。人だって一年生が入ってくれたら部に昇格できるだろうし。もう頭数としては僕と佐々木がいるわけだから……」
「おい、勝手に俺を頭数に入れんな」
「いいじゃん。だって佐々木、部活入ってないだろ」
 それは冗談半分で言ったのだが、結局佐々木は「まあ俺は演劇のことよくわかんないけど、それでよければ」と同好会申請書の欄に名前を書くことを約束してくれた。

 次の日、部室を開け放って換気し、窓と畳を拭いた。掃除をして、片付けをしているだけなのに、不思議と楽しかった。ずっとぼんやりしていた未来が少しずつはっきりしてくるような爽快感があった。

 それなのに。事故は突然だった。
 夏休みがあと数日で終わろうとしていた。夏休み明けには同好会の申請を出したかったので、あの部室を発見してから毎日部室の整理に学校へ来ていた。夏の夕方にしては外が暗かった。夕立が来そうだ。そう感じた僕は部室の鍵を職員室に返すと、急いで正門を出た。雨がぽつりぽつりと降り出す。ヤバい。傘を持ってきていなかった僕は鞄を頭にかぶせて走る。ぽつりぽつりだった雨は、いつしかざあざあと音を立てるまでの雨量になっていた。薄暗く、視界も悪い。
(少し雨宿りしようかな)
 そう思っていた時だった。目の前を眩しい光が覆った。キュルキュルという甲高い音がした。僕は驚いて身動きができなかった。次の瞬間、鈍い痛みが襲ってきて、僕は宙に浮いた。

 次に意識が戻ったのは、学校の中だった。
 自分の体が透けていた。動こうとしてもカーテンのような布が自分にまとわりついて、この周辺から動くことができなかった。ぼんやりと、ああ、自分は死んでしまったんだと思った。この部屋は物置みたいに寂しい部屋だ。多分、理科準備室かな。ほとんど人は来ない。
 だから窓の外ばかりを見ていた。僕の夢が詰まったあの部室。佐々木は同好会を引き継いではくれないだろうな。東条祭の準備も始まってるんだな。みんな楽しそう。
 そんな学校の人たちを眺めながら、ぼんやりとした日常が過ぎていた。時間の感覚もなく、今自分が死んでからどれくらい経ったのかもわからない。
 いつになったら自分は成仏できるんだろうか。
 そう思っていた時だった。
 理科準備室の前に人が立っていた。あれ?扉が開いている。あの扉って、いつもは鍵がかかってるんじゃないんだっけ?
「ーー誰かいる?」
 顔は暗くてよく見えないが、胸から下は月明かりに照らされて、うちの高校の男子生徒であることはわかる。こんな時間に学生が?ああそうか、今は東条祭の準備で九時まで残れるんだ。
 その彼がだんだんと近づいてくる。どうしよう。見られたら怖がらせてしまうかもしれない。僕は目を伏せてじっとする。しかし、彼はさらに近づいてきて、僕の目の前まで来ると、カーテンの端をめくった。僕は下を向いたままじっと耐える。そのまま無言の状態が続いたため、観念して僕は顔を上げてみる。そして目の前の彼から目が離せなくなった。

 黒崎だ。

 僕と黒崎の目線が交わる。黒崎は月の光を浴びていつもとは違う雰囲気に見えた。美しくて、でもどこか儚い、幽霊みたいだった。
 僕は思い切って話しかけてみる。ずっと声を出す必要がなかったので喋り方を忘れていた。そもそも幽霊が喋った声って生きている人に届くのだろうか?それでも必死に喉の奥から声を出してみた。
「僕が……見える?」
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