東条祭まであと3日(水曜日)
劇の完成に目処が見えてきたので、本日は休息日とした。
「黒崎も帰る?」
鞄を持って教室を出ようとする俺に、クラスメイトが声をかける。
「うん。さすがに今日は帰るよ。お先に」
数名の生徒に「お疲れー」と見送られながら校舎を出る。
スマホで時間を確認する。午後五時過ぎ。今からバスに乗れば、上映開始が五時三十分の「名作ホラーリバイバル上映会」に間に合う。俺は小走りでバス停へ急いだ。
俺には、よく通う映画館がある。そこでは一ヶ月に一回、「名作ホラーリバイバル上映会」という企画をしている。映画館のスタッフが過去の名作ホラー映画を一本選び、一週間上映するというものだ。ここは公開されている作品は少ない上にニッチなものばかり。建物は古いし、椅子も固いし、スクリーンも大きくないし、音響も特別いいとは言えないミニシアターだ。けれど、俺の大好きな映画館。
ここはシネコンではやってくれないB級ホラーから、評価は高いのに日本での劇場公開数が少ない海外ホラーまで、たくさんのホラー映画を上映してくれる。
バスから降りて、繁華街を脇道にそれる。ビルとビルの隙間の細い道を進むと、その映画館は現れる。
本来は真っ黒な建物だったと思われるが、今はところどころ塗装が剥がれてまだら模様になっている。窓には現在上映中の映画のポスターが貼られている。
扉を開けると、すぐ左にレジがあり、そこでチケットを買う。
「リバイバル、学生一人で」
俺は学生証を見せて、入場料千三百円きっかりを財布から出す。
レジには、いつもの店長の姿。年齢不詳の長髪で、ひょろりとした体型。いつも変な柄のTシャツを着ている。ホラー映画オタクにはクセの強い人が多いが、間違いなくこの人もその一人だ。しかし、俺のことを覚えていて、いつも声をかけてくれる優しい人でもある。
「もう上映時間になってるよ」
「急ぎます」
「今日は水曜だから、結構人多い」
「何よりです。ここ、潰れてほしくないんで」
店長はいつも自虐的に「ここが潰れたら、この映画館にあるもの何でも持って行っていいぞ」と俺に言ってくるが、俺としては絶対に潰れてほしくない。
映画館自体の経営が苦しいと言われる中、こんな小さな映画館が儲かっているわけがない。時代の波でいつかは無くなってしまうのだとしても、「しょうがない」で終わらせたくなかった。こういう時、自分の無力さを感じる。
店長は「早く行け」と言うように、上映中のシアターの方へ手をしっしっと振った。
「えっ! 黒崎!?」
歩き出した俺に、後ろから声がした。聞き覚えのある声。そして懐かしい声。
振り向くと、知った顔の大柄な男が一人。自販機と四、五人しか座れなさそうなソファが置いてあるだけの小さな待合室に立ち、こちらを見ている。
「えっ、永井!?」
彼が大股で近づいてくる。
中学時代の剣道部の仲間であり友人。高校生になってから一度も連絡を取っていなかったが、彼は見た目も声も何も変わっていなかった。
「うそだろ! びっくりした」
「こっちだってびっくりした」
そう言って、彼は俺の肩をがしっと掴み、大口を開けて笑った。
「映画?」
俺は驚きすぎて、当たり前のことを聞く。映画館に来て、それ以外あるわけないだろう。
「もちろん」
俺は上映作品一覧の貼り紙を見て、一つの作品を指差す。
「これ?」
「正解。やっぱ俺のことわかってんな」
香港で制作された、密かにSNSで話題を呼んでいるアクション映画だ。このあと数十分後に上映開始になる。永井は無類のアクション映画オタクなのだ。
「で、黒崎はこれだろ」
永井は「名作ホラーリバイバル上映会」の文字を指差す。
「正解」
俺と永井が友人になれた理由の一つに、「映画」がある。
俺はアクション映画を観ないし、永井はホラー映画を観ない。それでも、一般的に理解されにくい自分の「好き」に、同じ熱量を注いでいる人間というのは、それだけで波長が合うものだ。
「あっ、もう始まってるんだよな。早く行ってこい」
そうだ。早く行かないと。でも、永井と久しぶりに会ったので名残惜しい。
「この後って時間ある?」
「あるよ」
「えっと、永井のはいつ終わる?」
俺は『シアター1』と書かれた扉に手をかけながら聞く。
「七時五分かな」
「大体同じくらいに終わる。俺の方が先に出るから待ってるよ」
そう言って中へ入る。閉まる扉の隙間から、永井の声がうっすら聞こえる。
「オッケー! じゃあまた!」
俺が入ると、ちょうど上映前の注意喚起が終わり、映画が始まるところだった。
店長は「結構人が多い」と言っていたが、百席ある中、客は十人程度だった。しかし以前は俺一人だったこともあるので、多い方なのかもしれない。
俺はいつものお気に入りの席――中央の少し後ろの席に座った。
今日の作品は、三十年以上前に流行った、人形に悪霊が乗り移って大暴れする映画だ。何作も続編が作られたが、俺はこの一作目が一番好きだった。
人形に悪霊が宿るというストーリーはたくさんあるが、それでも、こんなに人間のように悪態をつきながら喋り、動き、悪役なのにどこか憎めない人形はこいつしかいない。
もちろんジャンプスケアも多いし怖いストーリーではあるのだが、ラストはいつも笑ってしまう。
そして、今月の作品がこれでよかったな、と思った。
これが恋人の幽霊と会う話とかだったら絶対観に来なかった。
今は、何も考えずに楽しめるホラーを観ながら、映画館の暗闇に沈みたかった。
エンドロールの最後まで観終わると、外の待合室に座って永井を待った。数分後、シアター2から足早に彼が出てきて、俺は立ち上がる。
「おまたせ。どこ行く?」
即決でアーケードの大手ハンバーガーチェーン店に決まった。中学時代永井と一緒に映画を観て、ここに来るのが定番だった。
映画館を出ると、夜の冷たい風が頬をなでる。映画館の中のこもった空気から解き放たれた今はそれが心地よく感じる。
「そっちの映画はどうだった?」
俺は社交辞令で永井に感想を聞く。
「最高だったよ!」
永井はそう言ってカンフーの型を作る。いくつかポーズを決めるが、俺が無反応なので「そっちはどうだった?」と聞いてくる。
「最高だった」
俺は人形の醜い顔を再現するように顔を歪め、包丁を振り上げる真似をする。
それに無反応の永井。
そして、お互いに吹き出した。
俺たちの共通認識は、「映画は一人で観るもの」「無理な感想共有はいらない」だ。
お互いが面白いものを見て満足なら、それでいい。無理に理解する必要はない。
その考え方があるから、永井といると楽なのかもしれない。
そのまま店まで歩き、注文して品物を受け取ると二階席に上がった。
二階のカウンター席は前面がガラス張りになっており、アーケード内が見下ろせる。仕事や塾から帰宅する人、買い物をする人、飲み屋に向かう人。様々な人が行き交っていた。
「黒崎は最近ここ来る?」
永井がハンバーガーにかぶりつきながら聞いてくる。
「いや、全然」
「まあ、学校も家もそんな近くないもんな」
「あー、それもあるけど、なんか毎日が学校と家と塾の往復って感じで。その隙間を縫って映画館とかにも行くけど。それ以外の時間は、あんまないかな」
「そっか」
「永井は最近どうしてる?」
俺はポテトを摘まみながら言う。
「うん? 普通。あんまり中学と変わらないかな。ああ、剣道続けてるよ。剣道はかっこいいからな!」
そう言って、永井は姿勢を正し、竹刀を持つふりをしてそれを振り下ろす。
部活中、彼はアクションシーンが好きなだけあって、「この体の動きをすればどう敵を倒せるか」「どこから見ればカッコよく見えるか」という解説をしていた。彼と剣道はとても相性がいい。
「黒崎は高校で部活入ってないんだっけ?」
「うん、入ってない」
「剣道もやめたの?」
「うん」
「そっか」
永井は口の中のハンバーガーをコーラで流し込んだ。
「まあ、お前、剣道より別のこと考えてる時の方が楽しそうだったしな」
「……そうだったか?」
「ホラー映画とか、変な怪談とか都市伝説のこと考えてる時」
「ああ、まあね」
「忘れもしねぇわ。合宿の夜にさ、俺と二人でトイレ行った時、俺は怖くてもう早く部屋に帰りたいのに、お前は妙にゆっくり歩いて、窓の外見ながら『この辺いそうじゃない?』とか言って。そしたらタイミングよく外の木がザワって揺れて。大声で叫びまくって逃げ帰った。ホントあの時はお前に殺意がわいたね」
「そんなことあったっけ?」
「あった! あれ、俺はマジでムカついたから覚えてる」
俺は本気で嫌そうな顔をする永井がおかしくて笑ったが、その頭の片隅でまた沢野のことが掠める。
(その数年後に、本当に幽霊を見るなんて思わないよな)
やっと忘れかけていたのに。
そう思って、すっと笑いが消えてしまった俺を、怪訝そうに永井が覗き込む。
「黒崎、なんか痩せた?」
「え」
「いや、映画館で会った時から思ってた」
永井は妙に勘が鋭い。
「ただ運動しなくなって痩せたんならいいけどさ。なんか悩んでんなら言えよ。チャットも全然参加しねぇし」
「別に。何もないよ」
俺は目を逸らす。永井であったとしても沢野のことを説明できるわけがない。
永井は、しばらく俺を見たあと、ふっと笑った。
「まあ、人に言えない悩みくらいあるか」
「……」
「でもお前さ、昔から“好きなもの”隠そうとするとわかりやすいよな」
思わず喉がひゅっと鳴った。心臓が一拍、変な跳ね方をした。俺は咄嗟にポテトへ手を伸ばしたが、指先が空振りして、紙箱の縁を掴んだだけだった。動揺しすぎだろ。
「中学の時も、ホラー好きなくせに周りに引かれるの気にして隠してたし」
彼は俺のホラー趣味のことを言っているが、「好きなものを隠す」という部分が俺の別の部分に刺さっていた。まるで沢野のことを見透かされたみたいで胸の奥がざわついた。俺は気持ちを落ち着かせるようにコーラを一口飲んだ。
永井が人が行き交うアーケード内をぼんやりと見ながら呟く。
「人間ってさ、好きなもののことを『なんで好きなんだろう』とか『どこが好きなんだろう』とか理屈で考えようとするけど、結局、好きなもんは好きってことしかわかんないんだよなぁ」
好きなものは好き。
そんな単純なことを、最近ずっと忘れていた気がする。
好きだからずっと一緒にいたい。でも一緒にいられない。それならこれ以上好きになる前に忘れてしまいたい。沢野とのことを無かったことにしてしまいたい。
俺は今までの人生で色んなものから逃げ続け、今度は沢野から逃げようとしている。
脳裏に、月明かりの中で笑う沢野の姿が浮かぶ。
『東条祭までの時間を大事にしたい』
あの声。あの顔。全部、まだ鮮明に覚えている。
沢野は現実的に一番いい方法を提案してくれていたんだ。
どうせ会えなくなるなら、それまでにたくさんの思い出をつくりたい、と。
「……なぁ、永井」
「ん?」
「もしさ、絶対無理ってわかってる相手を好きになったらどうする?」
永井は目を丸くした。
「えっ? ちょっと待って、お前もしかして……」
俺は永井の考えがわかって、慌てて首を振る。
「違う違う!友達が、学校の友達がそれで悩んでるんだけど、俺あんまり恋愛のこととかわかんないからさ。永井だったらどうするかなと思って」
それでも永井は疑わしい顔をしていたが、数秒考えてから、あっさり言う。
「言う」
「は?」
「好きなら言うだろ」
「いや、でも絶対無理なんだぞ」
「だから?」
永井は不思議そうに眉を寄せた。
「だから言わないって、余計後悔しそうじゃね?」
「……なんの捻りもない答え」
「直球勝負は男子高校生の特権だ!」
あまりにも単純な言葉だった。
でも、その単純さが、今の俺には眩しかった。
好きなら言う。ただそれだけのこと。
「……永井らしいな」
俺が笑ったのを見て、永井が「バカにしてんのか」と不機嫌そうな顔をした。
「全然。むしろ、すごいなって思ってる」
「もう一つ言っていい?」
永井が真剣な顔で俺を見つめる。
「お前、彼女ができたからって『やっぱ映画ってカップルで観るべき』とか言い出すなよ」
「だから俺の話じゃないって」
それから永井と他愛もない話をして盛り上がった。最後にはまた会う約束をした。
ずっと会っていなかったのに、まるで中学時代に戻ったようだった。
劇の完成に目処が見えてきたので、本日は休息日とした。
「黒崎も帰る?」
鞄を持って教室を出ようとする俺に、クラスメイトが声をかける。
「うん。さすがに今日は帰るよ。お先に」
数名の生徒に「お疲れー」と見送られながら校舎を出る。
スマホで時間を確認する。午後五時過ぎ。今からバスに乗れば、上映開始が五時三十分の「名作ホラーリバイバル上映会」に間に合う。俺は小走りでバス停へ急いだ。
俺には、よく通う映画館がある。そこでは一ヶ月に一回、「名作ホラーリバイバル上映会」という企画をしている。映画館のスタッフが過去の名作ホラー映画を一本選び、一週間上映するというものだ。ここは公開されている作品は少ない上にニッチなものばかり。建物は古いし、椅子も固いし、スクリーンも大きくないし、音響も特別いいとは言えないミニシアターだ。けれど、俺の大好きな映画館。
ここはシネコンではやってくれないB級ホラーから、評価は高いのに日本での劇場公開数が少ない海外ホラーまで、たくさんのホラー映画を上映してくれる。
バスから降りて、繁華街を脇道にそれる。ビルとビルの隙間の細い道を進むと、その映画館は現れる。
本来は真っ黒な建物だったと思われるが、今はところどころ塗装が剥がれてまだら模様になっている。窓には現在上映中の映画のポスターが貼られている。
扉を開けると、すぐ左にレジがあり、そこでチケットを買う。
「リバイバル、学生一人で」
俺は学生証を見せて、入場料千三百円きっかりを財布から出す。
レジには、いつもの店長の姿。年齢不詳の長髪で、ひょろりとした体型。いつも変な柄のTシャツを着ている。ホラー映画オタクにはクセの強い人が多いが、間違いなくこの人もその一人だ。しかし、俺のことを覚えていて、いつも声をかけてくれる優しい人でもある。
「もう上映時間になってるよ」
「急ぎます」
「今日は水曜だから、結構人多い」
「何よりです。ここ、潰れてほしくないんで」
店長はいつも自虐的に「ここが潰れたら、この映画館にあるもの何でも持って行っていいぞ」と俺に言ってくるが、俺としては絶対に潰れてほしくない。
映画館自体の経営が苦しいと言われる中、こんな小さな映画館が儲かっているわけがない。時代の波でいつかは無くなってしまうのだとしても、「しょうがない」で終わらせたくなかった。こういう時、自分の無力さを感じる。
店長は「早く行け」と言うように、上映中のシアターの方へ手をしっしっと振った。
「えっ! 黒崎!?」
歩き出した俺に、後ろから声がした。聞き覚えのある声。そして懐かしい声。
振り向くと、知った顔の大柄な男が一人。自販機と四、五人しか座れなさそうなソファが置いてあるだけの小さな待合室に立ち、こちらを見ている。
「えっ、永井!?」
彼が大股で近づいてくる。
中学時代の剣道部の仲間であり友人。高校生になってから一度も連絡を取っていなかったが、彼は見た目も声も何も変わっていなかった。
「うそだろ! びっくりした」
「こっちだってびっくりした」
そう言って、彼は俺の肩をがしっと掴み、大口を開けて笑った。
「映画?」
俺は驚きすぎて、当たり前のことを聞く。映画館に来て、それ以外あるわけないだろう。
「もちろん」
俺は上映作品一覧の貼り紙を見て、一つの作品を指差す。
「これ?」
「正解。やっぱ俺のことわかってんな」
香港で制作された、密かにSNSで話題を呼んでいるアクション映画だ。このあと数十分後に上映開始になる。永井は無類のアクション映画オタクなのだ。
「で、黒崎はこれだろ」
永井は「名作ホラーリバイバル上映会」の文字を指差す。
「正解」
俺と永井が友人になれた理由の一つに、「映画」がある。
俺はアクション映画を観ないし、永井はホラー映画を観ない。それでも、一般的に理解されにくい自分の「好き」に、同じ熱量を注いでいる人間というのは、それだけで波長が合うものだ。
「あっ、もう始まってるんだよな。早く行ってこい」
そうだ。早く行かないと。でも、永井と久しぶりに会ったので名残惜しい。
「この後って時間ある?」
「あるよ」
「えっと、永井のはいつ終わる?」
俺は『シアター1』と書かれた扉に手をかけながら聞く。
「七時五分かな」
「大体同じくらいに終わる。俺の方が先に出るから待ってるよ」
そう言って中へ入る。閉まる扉の隙間から、永井の声がうっすら聞こえる。
「オッケー! じゃあまた!」
俺が入ると、ちょうど上映前の注意喚起が終わり、映画が始まるところだった。
店長は「結構人が多い」と言っていたが、百席ある中、客は十人程度だった。しかし以前は俺一人だったこともあるので、多い方なのかもしれない。
俺はいつものお気に入りの席――中央の少し後ろの席に座った。
今日の作品は、三十年以上前に流行った、人形に悪霊が乗り移って大暴れする映画だ。何作も続編が作られたが、俺はこの一作目が一番好きだった。
人形に悪霊が宿るというストーリーはたくさんあるが、それでも、こんなに人間のように悪態をつきながら喋り、動き、悪役なのにどこか憎めない人形はこいつしかいない。
もちろんジャンプスケアも多いし怖いストーリーではあるのだが、ラストはいつも笑ってしまう。
そして、今月の作品がこれでよかったな、と思った。
これが恋人の幽霊と会う話とかだったら絶対観に来なかった。
今は、何も考えずに楽しめるホラーを観ながら、映画館の暗闇に沈みたかった。
エンドロールの最後まで観終わると、外の待合室に座って永井を待った。数分後、シアター2から足早に彼が出てきて、俺は立ち上がる。
「おまたせ。どこ行く?」
即決でアーケードの大手ハンバーガーチェーン店に決まった。中学時代永井と一緒に映画を観て、ここに来るのが定番だった。
映画館を出ると、夜の冷たい風が頬をなでる。映画館の中のこもった空気から解き放たれた今はそれが心地よく感じる。
「そっちの映画はどうだった?」
俺は社交辞令で永井に感想を聞く。
「最高だったよ!」
永井はそう言ってカンフーの型を作る。いくつかポーズを決めるが、俺が無反応なので「そっちはどうだった?」と聞いてくる。
「最高だった」
俺は人形の醜い顔を再現するように顔を歪め、包丁を振り上げる真似をする。
それに無反応の永井。
そして、お互いに吹き出した。
俺たちの共通認識は、「映画は一人で観るもの」「無理な感想共有はいらない」だ。
お互いが面白いものを見て満足なら、それでいい。無理に理解する必要はない。
その考え方があるから、永井といると楽なのかもしれない。
そのまま店まで歩き、注文して品物を受け取ると二階席に上がった。
二階のカウンター席は前面がガラス張りになっており、アーケード内が見下ろせる。仕事や塾から帰宅する人、買い物をする人、飲み屋に向かう人。様々な人が行き交っていた。
「黒崎は最近ここ来る?」
永井がハンバーガーにかぶりつきながら聞いてくる。
「いや、全然」
「まあ、学校も家もそんな近くないもんな」
「あー、それもあるけど、なんか毎日が学校と家と塾の往復って感じで。その隙間を縫って映画館とかにも行くけど。それ以外の時間は、あんまないかな」
「そっか」
「永井は最近どうしてる?」
俺はポテトを摘まみながら言う。
「うん? 普通。あんまり中学と変わらないかな。ああ、剣道続けてるよ。剣道はかっこいいからな!」
そう言って、永井は姿勢を正し、竹刀を持つふりをしてそれを振り下ろす。
部活中、彼はアクションシーンが好きなだけあって、「この体の動きをすればどう敵を倒せるか」「どこから見ればカッコよく見えるか」という解説をしていた。彼と剣道はとても相性がいい。
「黒崎は高校で部活入ってないんだっけ?」
「うん、入ってない」
「剣道もやめたの?」
「うん」
「そっか」
永井は口の中のハンバーガーをコーラで流し込んだ。
「まあ、お前、剣道より別のこと考えてる時の方が楽しそうだったしな」
「……そうだったか?」
「ホラー映画とか、変な怪談とか都市伝説のこと考えてる時」
「ああ、まあね」
「忘れもしねぇわ。合宿の夜にさ、俺と二人でトイレ行った時、俺は怖くてもう早く部屋に帰りたいのに、お前は妙にゆっくり歩いて、窓の外見ながら『この辺いそうじゃない?』とか言って。そしたらタイミングよく外の木がザワって揺れて。大声で叫びまくって逃げ帰った。ホントあの時はお前に殺意がわいたね」
「そんなことあったっけ?」
「あった! あれ、俺はマジでムカついたから覚えてる」
俺は本気で嫌そうな顔をする永井がおかしくて笑ったが、その頭の片隅でまた沢野のことが掠める。
(その数年後に、本当に幽霊を見るなんて思わないよな)
やっと忘れかけていたのに。
そう思って、すっと笑いが消えてしまった俺を、怪訝そうに永井が覗き込む。
「黒崎、なんか痩せた?」
「え」
「いや、映画館で会った時から思ってた」
永井は妙に勘が鋭い。
「ただ運動しなくなって痩せたんならいいけどさ。なんか悩んでんなら言えよ。チャットも全然参加しねぇし」
「別に。何もないよ」
俺は目を逸らす。永井であったとしても沢野のことを説明できるわけがない。
永井は、しばらく俺を見たあと、ふっと笑った。
「まあ、人に言えない悩みくらいあるか」
「……」
「でもお前さ、昔から“好きなもの”隠そうとするとわかりやすいよな」
思わず喉がひゅっと鳴った。心臓が一拍、変な跳ね方をした。俺は咄嗟にポテトへ手を伸ばしたが、指先が空振りして、紙箱の縁を掴んだだけだった。動揺しすぎだろ。
「中学の時も、ホラー好きなくせに周りに引かれるの気にして隠してたし」
彼は俺のホラー趣味のことを言っているが、「好きなものを隠す」という部分が俺の別の部分に刺さっていた。まるで沢野のことを見透かされたみたいで胸の奥がざわついた。俺は気持ちを落ち着かせるようにコーラを一口飲んだ。
永井が人が行き交うアーケード内をぼんやりと見ながら呟く。
「人間ってさ、好きなもののことを『なんで好きなんだろう』とか『どこが好きなんだろう』とか理屈で考えようとするけど、結局、好きなもんは好きってことしかわかんないんだよなぁ」
好きなものは好き。
そんな単純なことを、最近ずっと忘れていた気がする。
好きだからずっと一緒にいたい。でも一緒にいられない。それならこれ以上好きになる前に忘れてしまいたい。沢野とのことを無かったことにしてしまいたい。
俺は今までの人生で色んなものから逃げ続け、今度は沢野から逃げようとしている。
脳裏に、月明かりの中で笑う沢野の姿が浮かぶ。
『東条祭までの時間を大事にしたい』
あの声。あの顔。全部、まだ鮮明に覚えている。
沢野は現実的に一番いい方法を提案してくれていたんだ。
どうせ会えなくなるなら、それまでにたくさんの思い出をつくりたい、と。
「……なぁ、永井」
「ん?」
「もしさ、絶対無理ってわかってる相手を好きになったらどうする?」
永井は目を丸くした。
「えっ? ちょっと待って、お前もしかして……」
俺は永井の考えがわかって、慌てて首を振る。
「違う違う!友達が、学校の友達がそれで悩んでるんだけど、俺あんまり恋愛のこととかわかんないからさ。永井だったらどうするかなと思って」
それでも永井は疑わしい顔をしていたが、数秒考えてから、あっさり言う。
「言う」
「は?」
「好きなら言うだろ」
「いや、でも絶対無理なんだぞ」
「だから?」
永井は不思議そうに眉を寄せた。
「だから言わないって、余計後悔しそうじゃね?」
「……なんの捻りもない答え」
「直球勝負は男子高校生の特権だ!」
あまりにも単純な言葉だった。
でも、その単純さが、今の俺には眩しかった。
好きなら言う。ただそれだけのこと。
「……永井らしいな」
俺が笑ったのを見て、永井が「バカにしてんのか」と不機嫌そうな顔をした。
「全然。むしろ、すごいなって思ってる」
「もう一つ言っていい?」
永井が真剣な顔で俺を見つめる。
「お前、彼女ができたからって『やっぱ映画ってカップルで観るべき』とか言い出すなよ」
「だから俺の話じゃないって」
それから永井と他愛もない話をして盛り上がった。最後にはまた会う約束をした。
ずっと会っていなかったのに、まるで中学時代に戻ったようだった。
