東条祭まであと8日(金曜日)
今日は2回目の体育館の稽古。
ただ、昨日とはまるで別物だった。
「照明、一回落とすよー!」
「大道具、次の場面転換準備!」
「そこ、立ち位置違う!」
台詞読みの声。慌ただしい足音。誰かの笑い声。 それら全部が混ざり合って、体育館の中には独特の熱気が満ちていた。
黒崎は舞台袖で、その光景を見つめていた。
数日前までは最悪だった。なのに今は違う。ちゃんと全員が同じ方向を向いていて、良い劇を作りたいという気持ちに満ち溢れている。
特に、那須の昨日からの変わりようはすごかった。
終礼が終わってすぐ、俺は自宅から持ってきたポータブルDVDプレイヤーで、昨日見つけた『ロミオとジュリエット』のディスクを再生した。昨日部室に来なかった者も含め、周りにいたほとんどの生徒たちが、その小さな画面を見つめていた。
皆、口々に感想を言いながら見ていたのだが、その中に那須の声はない。那須の顔を探すと、彼は口を閉じたまま、じっと映像に見入っていた。
全て見終わった後、また体育館で通しの稽古をするために移動する。
「黒崎」
プレイヤーをしまっていた俺に、那須が声をかける。
「あのさ、ちょっと後でまた見せてもらっていい?」
「いいよ」
俺は、那須が異様に静かなことが引っかかる。
「どうしたんだよ」
俺の言葉に少し驚いたように「えっ?」という那須。
「静かじゃん」
「あー、うん……なんか」
「あっ、今さら役降りるとかなしだからな」
「そんなこと言わないよ。むしろなんか……俺、やる気出た。俺がダメだったら、みんなの努力も無駄になる。あの映像見ててさ、きっと一人でも手を抜いちゃだめなんだって、改めて感じた」
俺はじっと那須の顔を見る。正直、今までこんな顔の那須は見たことがなかった。真剣な目をしていた。
「今日の那須、アホ面じゃないよ」
「マジ!? やった!」
ということは、普段はアホ面だという悪口なのだが、素直に喜んでいる彼に水を差すのはやめておこう。
「みんなー、見て!」
舞台袖から吉川が出てくる。その大きな声に、皆が彼女に注目した。
「ちょっと見てもらいたいんだけど」
そう言って、彼女は先ほど出てきた舞台袖に向かって手招きした。しかし、呼び出したい人物はなかなか出てこないらしい。
「ほら、出てきて、出てきて!」
どうやら数人の女子が舞台袖にいるらしく、何やら話し声が聞こえる。その後、二人の女子生徒と共に、田中が押し出されるように出てきた。
その瞬間、見ていた生徒たちから歓声が上がった。拍手をする者もいた。
田中が身につけている薄いピンクのドレスは、昨日旧部室で見つけたものだ。中肉中背の彼女にそのドレスはよく似合っていて、まるで誂えたようだった。
そして、吉川がしたであろうヘアメイク。いつもひとつ結びにしている黒髪は縦に巻かれ、頭頂部にはティアラがついている。そして、彼女自身が地味だと言っていたその顔は、元の良さを残しながらも、確実に舞台映えする美しさへと磨き上げられていた。
「うわ、すっご……」
「え、田中!?」
「めっちゃお姫様じゃん!」
そう声をかけられるたび、田中は恥ずかしそうに俯いていたが、それでもどこか嬉しそうだった。数日前まで「自分は地味だから向いてない」と言っていた田中が、今は誰よりジュリエットに見えた。
「でも、私をこういう風にしてくれたのは吉川さんだから」
田中は照れくさそうに笑う。田中のその言葉で、吉川は得意げに腕を組む。吉川がよくやる調子乗りムーブだ。
「うんうん、もっと私を褒めなさい!」」
「今日だけじゃないんだ」
田中は微笑みながら、吉川の方を見る。
「この前、私がジュリエットに向いてないんじゃないかって悩んでた時、吉川さんがね、『向いてるか向いてないか悩んでるなら、はっきりさせればいい』って言ってくれて。自分のメイク道具いっぱい持ってきて、メイクしてくれて、ヘアセットもしてくれて。で、動画とかで、どういうのが私に合うメイクなのか一緒に研究して、それで今日の私があるんだ」
その言葉は、まっすぐだった。お世辞でも社交辞令でもない。本心からの感謝。
吉川の表情から笑みが消え、戸惑いに変わる。自信過剰な態度でツッコミ待ちをしていたのに真面目に褒められて、どうしていいかわからないという顔だ。いつも吉川にやりこめられている俺的にはおもしろい展開だった。
それでも田中は続ける。
「だからね、ヘアメイクとかだけじゃなくて、もちろんそれもなんだけど、吉川さんがずっと私に似合うものを考えてくれて、『絶対ジュリエットになれる』って言ってくれて。それで自信持てて、セリフもちゃんと覚えて、ちゃんと感情も込めて――私、ジュリエットになれるって思った!本当に吉川さん、ありがとう」
周りからは吉川への称賛の声が上がった。彼女は珍しく言葉に詰まり、ひたすら居心地が悪そうに目を泳がせていた。
「いや、別に……」
頬が少し赤い。周囲から「照れてる」「珍しー」と笑われ、吉川は「うるさい!」と叫ぶ。
そんな吉川を、田中はケラケラと笑いながら見ていた。こんなに楽しそうに笑う田中を、初めて見たかもしれない。
その後の通し稽古は、昨日の出来が嘘かと思うほど良かった。あと一週間もある。東条祭前日のリハーサルでは、もっと良くなるだろう。
俺はその日、理科準備室へは行かなかった。
今日は2回目の体育館の稽古。
ただ、昨日とはまるで別物だった。
「照明、一回落とすよー!」
「大道具、次の場面転換準備!」
「そこ、立ち位置違う!」
台詞読みの声。慌ただしい足音。誰かの笑い声。 それら全部が混ざり合って、体育館の中には独特の熱気が満ちていた。
黒崎は舞台袖で、その光景を見つめていた。
数日前までは最悪だった。なのに今は違う。ちゃんと全員が同じ方向を向いていて、良い劇を作りたいという気持ちに満ち溢れている。
特に、那須の昨日からの変わりようはすごかった。
終礼が終わってすぐ、俺は自宅から持ってきたポータブルDVDプレイヤーで、昨日見つけた『ロミオとジュリエット』のディスクを再生した。昨日部室に来なかった者も含め、周りにいたほとんどの生徒たちが、その小さな画面を見つめていた。
皆、口々に感想を言いながら見ていたのだが、その中に那須の声はない。那須の顔を探すと、彼は口を閉じたまま、じっと映像に見入っていた。
全て見終わった後、また体育館で通しの稽古をするために移動する。
「黒崎」
プレイヤーをしまっていた俺に、那須が声をかける。
「あのさ、ちょっと後でまた見せてもらっていい?」
「いいよ」
俺は、那須が異様に静かなことが引っかかる。
「どうしたんだよ」
俺の言葉に少し驚いたように「えっ?」という那須。
「静かじゃん」
「あー、うん……なんか」
「あっ、今さら役降りるとかなしだからな」
「そんなこと言わないよ。むしろなんか……俺、やる気出た。俺がダメだったら、みんなの努力も無駄になる。あの映像見ててさ、きっと一人でも手を抜いちゃだめなんだって、改めて感じた」
俺はじっと那須の顔を見る。正直、今までこんな顔の那須は見たことがなかった。真剣な目をしていた。
「今日の那須、アホ面じゃないよ」
「マジ!? やった!」
ということは、普段はアホ面だという悪口なのだが、素直に喜んでいる彼に水を差すのはやめておこう。
「みんなー、見て!」
舞台袖から吉川が出てくる。その大きな声に、皆が彼女に注目した。
「ちょっと見てもらいたいんだけど」
そう言って、彼女は先ほど出てきた舞台袖に向かって手招きした。しかし、呼び出したい人物はなかなか出てこないらしい。
「ほら、出てきて、出てきて!」
どうやら数人の女子が舞台袖にいるらしく、何やら話し声が聞こえる。その後、二人の女子生徒と共に、田中が押し出されるように出てきた。
その瞬間、見ていた生徒たちから歓声が上がった。拍手をする者もいた。
田中が身につけている薄いピンクのドレスは、昨日旧部室で見つけたものだ。中肉中背の彼女にそのドレスはよく似合っていて、まるで誂えたようだった。
そして、吉川がしたであろうヘアメイク。いつもひとつ結びにしている黒髪は縦に巻かれ、頭頂部にはティアラがついている。そして、彼女自身が地味だと言っていたその顔は、元の良さを残しながらも、確実に舞台映えする美しさへと磨き上げられていた。
「うわ、すっご……」
「え、田中!?」
「めっちゃお姫様じゃん!」
そう声をかけられるたび、田中は恥ずかしそうに俯いていたが、それでもどこか嬉しそうだった。数日前まで「自分は地味だから向いてない」と言っていた田中が、今は誰よりジュリエットに見えた。
「でも、私をこういう風にしてくれたのは吉川さんだから」
田中は照れくさそうに笑う。田中のその言葉で、吉川は得意げに腕を組む。吉川がよくやる調子乗りムーブだ。
「うんうん、もっと私を褒めなさい!」」
「今日だけじゃないんだ」
田中は微笑みながら、吉川の方を見る。
「この前、私がジュリエットに向いてないんじゃないかって悩んでた時、吉川さんがね、『向いてるか向いてないか悩んでるなら、はっきりさせればいい』って言ってくれて。自分のメイク道具いっぱい持ってきて、メイクしてくれて、ヘアセットもしてくれて。で、動画とかで、どういうのが私に合うメイクなのか一緒に研究して、それで今日の私があるんだ」
その言葉は、まっすぐだった。お世辞でも社交辞令でもない。本心からの感謝。
吉川の表情から笑みが消え、戸惑いに変わる。自信過剰な態度でツッコミ待ちをしていたのに真面目に褒められて、どうしていいかわからないという顔だ。いつも吉川にやりこめられている俺的にはおもしろい展開だった。
それでも田中は続ける。
「だからね、ヘアメイクとかだけじゃなくて、もちろんそれもなんだけど、吉川さんがずっと私に似合うものを考えてくれて、『絶対ジュリエットになれる』って言ってくれて。それで自信持てて、セリフもちゃんと覚えて、ちゃんと感情も込めて――私、ジュリエットになれるって思った!本当に吉川さん、ありがとう」
周りからは吉川への称賛の声が上がった。彼女は珍しく言葉に詰まり、ひたすら居心地が悪そうに目を泳がせていた。
「いや、別に……」
頬が少し赤い。周囲から「照れてる」「珍しー」と笑われ、吉川は「うるさい!」と叫ぶ。
そんな吉川を、田中はケラケラと笑いながら見ていた。こんなに楽しそうに笑う田中を、初めて見たかもしれない。
その後の通し稽古は、昨日の出来が嘘かと思うほど良かった。あと一週間もある。東条祭前日のリハーサルでは、もっと良くなるだろう。
俺はその日、理科準備室へは行かなかった。
