部活の後、自主練をしているとなぜか神城がプールサイドで見学している。視線は無視して泳ぎに集中する。
「三十分過ぎた。そこまでにしとけ」
神城がプールに入り近づいてくる。
そんな経ってない気がするけど、時計を見やると本当に三十分が過ぎていた。
プールをコースごとに仕切っているコースロープの境界線を隔てて向かい合う。神城はポーカーフェイスでじっと俺を見てくる。
「なんだよ……」
神城の手が境界線を越えすっと伸びてきて、ぷくっと膨らむ喉仏にそっと触れてくる。慌てて喉仏を守るように手で隠す。
「ごめん。嫌だった?」
「喜んでるように見えるわけ?」
「……いや、見えないな」
いきなり急所を触られて驚かないわけないだろ。やられっぱなしで終われなくて、神城の肩を掴み耳元で息をふっと吹く。神城は息を呑んで肩を竦める。
「驚くだろ?」
「悪かったって」
疲れを取るべく風呂に入ってから部屋に戻る。ドアノブに手を掛けたとき、部屋のドアが勢いよく開きバランスを崩し前につんのめる。
「うわっ!?」
神城に抱き留められ衣服の上から神城の腹部に手が触れる。
「力入れろよ」
羨ましがるように神城の腹部に目を落としてそう呟く。服越しに腹筋の隆起をなぞる。俺とは全然違うな。
廊下から笑い声がして神城が開いたままだったドアを閉める。
「今日もお疲れ」
半乾きのままだった髪を肩に掛けたタオルで挟みポンポンと押さえてくる。優しく包まれて頭がふわふわする。瞼が鉛のように重い。
「目がとろんってなってる。眠い?」
「……眠い」
強烈な睡魔に襲われ足元をふらつかせてベッドへ向かう途中、神城に抱き上げられベッドにそっと降ろされる。
「おやすみ」
布団を掛けてもらった後、意識を手放す。
連日の雨が止み綺麗な青空が広がっている。水かさを増し濁った川は轟音を立て、いつもより速い速度で流れている。ボランティアの日で普段通り出かけると神城が追っかけてくる。
「ボランティア?」
「そう」
「一緒に行っていいか?」
「好きにしろ」
ちびっ子のひとりは神城にものすごく懐いている。連れて行かないと拗ねるから自ら行こうとしているのを拒む理由はない。
神城を気に入っているちびっ子は大はしゃぎだった。何を気に入ってるのか聞くと、「高い高いしてくれるから」ならしい。神城は俺より身長が高いし、ちびっ子の位置からとは違う見え方がいいんだろう。俺だってやってあげたのにちびっ子の感性はよくわからない。
スイミングスクールの営業後、ネットを用いて水面に浮遊しているゴミをすくって掃除する。
「明日のスポーツ中継、一緒に観ていいか?」
「それは無理だな。俺、実家に帰るんだ。妹が会いたがってるから」
「そっか。俺も実家に顔を出そうかな」
「真似すんな」
神城は事あるごとに俺と一緒に行動したがる。前までは鬱陶しかったのに、今では当たり前に隣には神城がいる日々に慣れていた。それなりに楽しいとは死んでも神城には言わない。
当たり付きの自販機で当たる滅多とない瞬間に遭遇する。見事に三ケタの数字が揃っている。神城は運がいい。
「何にする?」
初めて当たったわけじゃないからだろうけど感動が薄い。
「俺が当てたんじゃないからいいって。神城が選べよ」
俺の好きなミルクティーは売り切れていた。
「あーあ、白土が選ばないからリセットされただろ」
呆れた口調ではなく棒読みで、表情は変わらず無愛想なまま俺のせいにされる。
「は?」
点灯していた当たりランプは消えてしまっていた。通常モードに戻った自販機のボタンをいくら押しても無意味だった。
「制限時間内に選ばないとリセットされるんだ。悩んでる時間はないってわけ」
「おい、それを先に言えよ!」
他人事のような顔をしている神城のほうを勢いよく向き啖呵を切る。
時間制限付きなんて知るか!
そもそも俺に聞いている暇があるならさっさと選べばよかったのに。こうなるんだとわかっていたら、何でもいいからボタンを押しとけばよかったと後悔が押し寄せる。
実家に行って寮に戻ってきたときには辺りが暗くなり始めていた。ドアを開けようとすると、部屋の中から話し声が聞こえてドアにもたれかかり通話が終わるのを待つ。話し声が途絶え、ドアをそっと押し開けて顔だけ覗かせる。
「終わった?」
神城は壁にもたれてベッドの上で足を伸ばして座っていた。
「ああ、早く入ってこいよ。もしかしてずっと外で待ってたのか?」
「だって、邪魔したら悪いだろ」
バッグを壁掛けラックに吊り下げ、自分のベッドに腰掛ける。
「別にいいのに。姉からでさ、一人暮らしするんだって」
「へぇー」
他人の身の上話なんてどうでもいい。一人暮らしがどうだっていうんだ……。聞き役になる俺の身にもなれ。お前なら聞きたいかと言ってやりたい。
「それでさ、俺の学校からも近いからそっから通わないかだって。どうせ家事を押し付けるのにちょうどいいんだろうな。俺は家政婦じゃないっての」
神城にしては珍しくぶつぶつと愚痴をこぼしている。誰でもいいから愚痴を聞いてほしいときってあるよな。
「なんて言ったんだ?」
前言撤回だ。どうでもよくない。寮を出ていくつもりなのか。出ていくなんて言うな。ちょっとずつ神城を知っていくうちに心境が変わった。ライバルでも仲良くなっても悪くないなって。それなのに離れていくのかよ。
「即決できないから保留中」
「断われよ!」
血相を変えてズカズカ歩き、座っている神城に跨がって胸ぐらを掴む。神城は驚いて目を見張り微動だにしない。
「ごめん。今のは忘れろ……」
俺は何言ってるんだ……。掴んだ手を緩めパッと離してベッドから降りる。
「もしかして俺がいなくなると寂しい?」
神城はさっと立ち上がり腕を掴んでくる。
「それは……まあ、そうだけど……」
神城のほうを向くと、にんまりと頬を持ち上げていつになく嬉々としている。
「そんな風に言われたら調子に乗っちゃうのにさ」
「何言って……」
口元を神城の骨ばった手で塞がれ、神城の顔が近づいてきて目をカッと開く。神城の手のひら越しにキスされる。
「嫌だったか?」
神城が俺の顔を覗き込む。
「ふざけてんのか!?」
「今はまだしない。そういうこと白土としたいって言ったらどうする? やっぱ追い出したくなる?」
「何しようとしたんだ、この野郎!?」
口元を手で隠してバタバタと大慌てで部屋を飛び出す。背後でドアが音を立てて閉まる。
今はまだって俺の唇を狙ってるのかよ!?
俺とキスしたいって、俺のことが好きなのか。信じられねえ。仲良くしたいって下心があったのかよ……。
気まずくて部屋には戻れず寮のラウンジで時間を潰していると、神城が無言で向かいの席に腰掛ける。二人の間に重苦しい沈黙が流れる。
「さっきのは冗談。揶揄いたくなってさ、本気にした?」
神城が口火を切って重苦しい雰囲気が打ち破られる。
「おい、それは違うだろ。本当の気持ちをうやむやにして誤魔化すな。俺が好きなんだろ?」
俺の知る神城はあんな冗談を言わない。
「やっぱいいな」
「あ?」
「違うことはちゃんと正してくれるだろ。そこがいいなって話」
褒められると耳がこそばゆい。
「褒めたって何も出ないからな?」
「はいはい、そうだよな。でもさ、本気出していいか?」
「落とせるもんなら落としてみろよ」
挑むような鋭い光を放ち挑発的に言う。簡単に落ちたりするものか。
「負けず嫌いのとこはいいけど、恋愛は勝負じゃないんだから張り合うな。あとで後悔しても知らないからな?」
神城が手を伸ばし俺の眉間を指でグリグリする。
「自信がないんだろ? 望むところだっての」
「ったく……」
言葉では文句を言いながらも、顔はニヤけていた。
インターハイの日は天気に恵まれる。去年のバタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、自由形の順に泳ぐ個人メドレーでは三位という悔しい結果だった。今年こそは優勝を狙っていた。俺は200m個人メドレーで予選を二位通過して決勝に進む。決勝では前半で逃げ切る作戦だったけど、ハイレベルな選手に囲まれ前半は三位に留まり、後半は追い抜き一位でフィニィッシュする。400m個人メドレーでは自己ベストを更新し二冠を達成して最高の気分だけど、まだもう少しスピードを上げられたのにと悔しさが込み上げる。
予選で大会新記録を樹立した神城は1500m自由形決勝に進出する。前半から攻め後半まで持ち味の並外れた持久力で、二位と圧倒的な大差をつけて優勝する。決勝では日本新記録を叩き出す。言うまでもなく、神城は400m自由形でも優勝している。
ライバルが誇らしかった。自己ベストを更新できたのは神城のおかげかもな。今まで張り合えるライバルが隣にはいなかった。いつも良い刺激をもらっている。俺にとって神城の存在は大きい。男子は俺と神城が大きく貢献し、総合優勝をして閉幕した。
バスで学生寮に戻ってきたときには、辺りは真っ暗でくたくたに疲れて部屋に戻る。神城は俺の後ろにぴったりとくっついてきて部屋に入った途端、俺の腰を引き寄せてそっと額にキスをする。
「優勝おめでとう。白土なら優勝すると思った。ほんとお疲れ」
「……?? キスはまだしないんじゃなかったのか!?」
キスをされた額に触れる。神城のせいで疲れが吹き飛んでしまう。
「ごめん。我慢できなくなった。まだ口にはしてないだろ。おでこくらいよしとしろよ」
よくないだろ!
「油断も隙もない奴だな」
口元を両手で完全に隠し自己防衛してもごもご喋る。
「そんな警戒するなって。本気で落とすって言ったろ。興奮冷めやらずキスして悪かった。だから手をどけろ」
興奮した状態なら尚更だめじゃないか。信用できなくてマスクをする。
「おやすみ」
そう言いさっさとベッドに入り布団をすっぽり頭まで被る。
「息苦しいだろ。外して寝ろ」
神城は俺のベッドに腰掛ける。布団を被ったまま足で神城の背中を押すと、足首を掴まれ体が硬直する。
「放せ」
布団から頭だけ出して言い放つ。
「休みの日、デートしないか? してくれるなら放す」
「脅してるのか?」
「脅しじゃなくて必死なんだよ。力は入れてないだろ。嫌なら振り払えよ」
神城の言う通りで振り払おうと思えばそうできる。なのに、なんで迷うんだよ。毎日労ってくれる神城に絆されてる自覚はある。このままだと神城の思惑通りになる。絶対に違う。
「わーったよ。行く」
「楽しみにしてろ。おやすみ」
神城は掴んでいた俺の足をベッドの上に下ろし布団を掛ける。俺のマスクを外し枕元に置いてから神城もベッドに入り、二人して数分で寝落ちする。
あっという間に休日がやってきてデート当日になる。「お気に入りの場所があるんだ」と言う神城に連れられるまま、立ち漕ぎしながら坂道を登り切った先には絶景が広がっていた。
「すげえ」
小高い丘から見下ろすと、波穏やかな海がどこまでも広がり白い帆をなびかせたヨットが水平線に向かって走っていた。
「ここいいだろ? 静かだしひとりになりたいときはよく来るんだ」
「俺を連れてきてよかったのか?」
「当たり前だろ。白土だから教えたんだ」
自転車を押して入り組んだ道を歩いていると、バスケットゴールがある寂れた公園に出る。誰かが置いていったボールは雑草が生い茂る草むらに転がっていた。
「バスケでもするか?」
「する!」
一対一のハンデをつけたラスト勝負は、俺がオフェンスで神城がディフェンスだった。俺のフェイクに引っ掛かり、神城のすぐ横を抜きそのままシュートする。
「俺の勝ちだな」
俺の圧勝でドリブルしながら得意満面の笑みを浮かべる。
「そうだな。ラストでシュートできたら逆転できるハンデは意味なかったな」
神城はバスケコートに座り込む。
「もう一試合するか?」
「いや、しない」
俺はひとりでひたすらシュートを打つ。神城は黙って見ているだけだった。だんだんひとりで遊ぶのに飽きてきて、後ろに手をついて座り込む神城の正面に座る。
「インタビューで言ってた憧れの選手って誰?」
「ん?」
神城は閉じていた目を開ける。
「俺の知ってる選手かもだろ。誰だよ?」
「小さい頃から水泳をしててスポーツなら何でもできる。ミルクティーとか甘いものが好き。それに声がいい」
「それって、もしかしなくても俺じゃないか……」
座ったまま神城にボールをパスする。神城がパスをキャッチする。
「そうだよ。白土がいなかったら水泳をしてなかった。すごい感謝してる。ありがとう」
神城は俺にしか向けない表情をしていた。ほかの誰かに向けるときより柔らかい表情だった。
「だから褒めたところで何も出ないって」
神城からボールを奪い、熱を持って紅潮した頬を隠すように体の向きを変え、神城に背を向けてボールを膝に乗せる。
「正直、学業と水泳を両立するのは大変だったんだ。けどさ、白土みたいな選手になりたくて何度も大会の動画を見返して練習してたんだ」
「へぇー」
ずっと誰かにとって憧れの選手になりたかった。俺にだって尊敬している選手がいる。まさかライバルの神城が俺に憧れてるとは知らなかったけど、ライバルからの言葉だからこそ余計に嬉しい。いつかオリンピックで金メダルを獲って、引退したらコーチになって世界の一流選手と渡り合える後輩を育てたい。それが俺の小さい頃からの夢。
「そろそろ帰るか。デートは楽しかった?」
「まあ、それなりにはな」
斜め後ろを向いてそう言ってから正面に向き直り指先でボールを回す。
「そっか。白土は体を動かすのが好きだろ。楽しんでくれたならよかった。口にはしないからキスさせて」
神城が俺の肩に顎を乗せる。
「どこにする気だよ……」
「逃げないとするからな?」
神城に顎を掴まれるのに振り払えない。
「……」
逃げるべきだ。なのに神城ならいいやと思ってしまうなんて、これだと本当に惹かれていると認めるようなものだ。
「随分と大人しいな……」
神城は俺の頭を引き寄せて、愛おしそうに髪へキスを落とす。心臓が誤作動を起こしたように早鐘を打つ。高鳴る鼓動を聞かれそうな距離ですっくと立ち上がる。ボールをバスケコートに置き、自転車のスタンドを足で蹴り上げてロックを解除する。自転車に跨がりペダルを漕ぎ出すと、神城は慌てて後を追ってくる。
「またデートできたらいいのにな」
神城はペダルを漕ぎながら夕空を仰ぐ。
「すればいいだろ」
「いいのか!?」
「いいけど」
茜色に染まる空は今にも町全体を飲み込み焼き尽くさんとしている。目に飛び込んだ景色にブレーキを握ってゆっくりと減速する。
「勝負しよう。早く寮に着いたほうが勝ちな」
「別にいいけどさ、近道はしていいのか?」
「来た道を戻れ。近道はルール違反。あと信号無視もするな」
「はいはい、わかった」
急な下り坂をペダルから両足を離して風を切って走る。
同着で勝負は引き分けだった。

