「少しは興味が湧いたか?」
耳元で囁かれると妙にくすぐったい。獲物を狙うような鋭い目つきで見つめられ罠にハマってしまったみたい。
笛がピーッと鳴りプールに飛び込む。タイムを縮めるべく一心不乱に手で交互に水を掻き泳ぐ。
今日こそは俺が勝つ。
自信満々だったが、またしてもライバルにたった数秒の差で負けてしまう。
「クソッ……」
悔しげに拳で水面を叩き水しぶきがバシャッと飛ぶ。プールから勢いよく上がりライバルに向かって突進する。
「今日は体調が悪かっただけだ! 今日は勝てたからって調子に乗るな! 明日こそは勝つ!」
「それ昨日も言ってなかったか……。本調子じゃないなら勝てなさそうだけど、まあせいぜい頑張れば?」
目線を合わせようともせず冷たくあしらい、さっさとその場から離れて行く。
マジでムカつく野郎だ。
俺こと、白土沙夜と神城璃糸は同級生でライバルだ。それも小学校からの同級生。かといって、あまりよく知らない。だって、見事に今まで一度も同じクラスにならなかったから。逆に一度も同じクラスにならないなんてすごい。とにかく俺らに接点はなかった。話したのは高校になってからで、それまでは顔と名前を知ってるだけ。
神城が高校になってから水泳部に入部したことで俺らに共通点が出来てしまう。神城の友達で俺の友達でもある皇夏馬の話だと、神城は小学校からずっと書道部で小学生ながら書道八段を取得したらしい。書道はよく知らないけど小学生で八段は珍しいんだそうだ。そんなすごい奴がなんで水泳部に入部したのか不思議でならない。悔しいが県大会やインターハイで数々入賞した俺でも認めざるを得ない。神城は水泳の才能があってこれからタイムを伸ばしてくるだろう。
絶対に負けられねえ。
三歳から今までずっと水泳に打ち込んできた。ぽっと出の奴に追い抜かれるのは気分が悪い。調子を放いていられるのは今のうちだけだ。
感情に任せてロッカーの扉をバンッと乱暴に閉める。
「そう目くじらを立てるなよ。白土もすごかったって」
「そうだぞ」
同じ水泳部の飯篠柾忠と小黒藤生が宥めるように落ち着いたトーンで話しかけてくる。すごいと言われるのは素直に嬉しい。だけどまだ自己記録を更新できる。
飯篠と小黒とは校門で別れ学生寮に向かう。実家から通学するには距離が遠いから入寮したのはいいけど、同部屋の奴がどうしても気に食わない。
「遅かったな」
部屋に入るとルームメイトになった神城が勉強机に向かって課題をしていたが顔を上げる。神城が途中で入寮してくるまでは二人部屋を自由に使っていた。狭くたっていい。ひとりの空間が欲しい。ライバルと四六時中一緒とかストレスでしかない。
「話しかけてくるな。ライバルとは仲良くしたくねえ」
ベッドに身を投げ出して制服のポケットからスマホを取り出す。
「友達にはなれないのか?」
皇から聞いたけど神城は俺と仲良くなりたいらしい。なんで俺だよ。こっちは一ミリも仲良くなりたくない。
「ならねえよ」
神城のほうは見ず、マネージャーに撮影してもらっていた動画でフォームチェックをする。動画で確認するのは昔からの日課で一秒でも速く泳げるように改善している。
「……らと。起きろ。夕飯を食べ損ねるのは嫌だろ?」
神城の声で目が覚めむくりと起きる。いつの間にか寝ていたらしい。まだ制服のままでルームウェアに急いで着替えて部屋を出ていくとき、頼んでもいないのに神城がベッドの上に脱ぎ散らかした制服をハンガーに掛けていた。
朝練にはまだ早い時間に目が覚め、神城を起こさないように部屋から出ていく。大会に向けて誰もいないプールで自主練に励む。
いってぇ。
泳いでいる最中に足がつり、顔を水中から上げ深く息を吸い込みまた顔を水に伏せる。至って冷静で前屈みになって足の筋肉を伸ばしていると切羽詰まった声がする。
「白土!」
静かな水中に水音がやけに大きく反響し水面が揺れる。思い詰めた顔の神城が俺に向かって真っ直ぐ泳いできて抱き抱えられてしまう。神城は俺をプールサイドにそっと下ろす。
「怪我したのか?」
「……」
なんでライバルの心配をするんだ……。放っておけばいいのに。それよりいつからいたんだ。起こしちまったのか?
「何とか言えよ」
神城に両肩をがっしりと掴まれる。窓から差し込む朝の光が照らし出す神城の真剣な眼差し。
「足がつっただけだって。慌てすぎだろ。そんなに心配するとか変な奴」
やけに心配してくる神城が面白くてククッと笑う。神城は耳を赤らめて視線を落とす。
「そっか。溺れたんじゃないかってヤキモキした」
「俺が溺れるわけないだろ!」
水泳に人生を捧げてきたってのに溺死とか笑えない。
断ったのに神城は丁寧にマッサージをしてくれ筋肉の緊張がほぐれる。掴めない奴。優しいのか冷たいのか本当のお前はどっちなんだ。
「今日の練習は休め」
「は? 休むわけないだろ!」
「悪化したらどうするつもりだ。大会に出場できなくなって困るのは白土だけじゃない。俺だって困る。白土と大会に出たいし今日だけ大事を取れ。な?」
「……わーったよ」
俺がいないと困るのか。そう言われると気分がいい。一緒に大会を出場できたら神城の存在は心強いだろうな。メドレーリレーに出場できたなら、バトンパスをすれば確実に一位を獲ってくれるだろう。
朝練はプールサイドで練習している仲間の泳ぎを目で追う。泳ぎたくて体がうずうずするけど、見学している間だからこそとライバルの動向を視界に捉えて観察する。神城は自己記録を更新し負けていられないと血が滾る。神城はプールから上がり水泳帽を外して濡れた髪をかき上げている。硬く隆起した腹筋に目が釘付けになる。
やっぱいいな、神城の肩幅が広くて鍛えられた筋肉質の体。
普段はわからないけどいい体をしてる。着やせするタイプなんだろう。こっそり触るチャンスがあったのに勿体ないことをした。そう、筋肉がつきにくい体質の俺は神城の体に惚れ込んでいる。これは絶対に神城には知られてはいけない。ライバルに弱みを握らせるわけにはいかないからひた隠しにしている。
休憩時間にトイレから戻ってくると机の上に買った覚えのないジュースが置かれていた。飲み物の中で一番好きなミルクティーだった。
「これ、誰が置いた?」
「知らないな」
飯篠と小黒ではないなら誰が置いていった……。好きな飲み物を把握されてるだなんて、もしかしなくとも女子からなのか。近いうちに告白とかされちゃったりしてな。
「ねえ、ちょっといい?」
学年で一番可愛い女子と噂されている古西静代が俺の肩を叩いて話しかけてくる。
「いいけど……」
飯篠と小黒がニヤニヤしていて腹が立ち、二人を睨みつけて教室を出ていく。
日射しを避けて人けのない体育館裏に移動する。
「白土って神城と仲良いんだよね?」
古西は後ろ手でもじもじして話を切り出す。
「……は? 仲良くないし」
なんで神城が出てくる……。告白じゃないのかよ……。少しは期待した俺が馬鹿だった。可愛い女子に告白されて嬉しくない奴なんているか。かといって、付き合うのかと言われると違うかも。ほとんど話したこともないし好意を抱いてるわけじゃない。
「そうなの? ルームメイトだって聞いたから仲がいいのかなって……。ほら、ミルクティーを差し入れしてたでしょ」
何だと!?
神城だったのか。あいつがなんで俺の好みを把握してるんだ……。いちいち観察でもしてるっていうのか。賄賂を渡して仲良くしろという魂胆なら望み通りにはさせない。どうして俺と仲良くなることに執着するんだろう。
「それでね、神城の好きなものって何か知りたいんだけど聞いてくれないかな?」
「なんで俺?」
そんなの聞けるわけない。神城に興味があるみたいに勘違いされちまう。
「お願い」
縋りつくように両手を取られつぶらな瞳で見上げてくる。本気で好きなんだろうな。神城のどこがいいんだろう。顔とスタイルは悪くない。ほかにいいところなんてなさそうだけどな……。
「……わーったよ。今回だけだからな?」
「うん、ありがとね」
部活の練習を終えて更衣室で俺と神城だけになるのを見計らう。
「行かないのか?」
「先に行ってろ」
「りょーかい」
飯篠と小黒が更衣室から出ていくとシャツを着ている最中の神城に近づく。
「神城の好きなものって何?」
神城は目を見開いて俺を見る。しくった。単刀直入に聞いてしまった。それでも無駄話はしたくないしな。
神城はロッカーの扉を閉めロッカーに足をドンッとつけ、俺は逃げ場をなくされる。
「少しは興味が湧いたか?」
耳元で囁かれると妙にくすぐったい。獲物を狙うような鋭い目つきで見つめられ罠にハマってしまったみたい。興味っていうか好きなのは俺じゃない。頼まれたなんて言えないしな。
「そうだな。さっさと質問に答えろよ」
「好きな食べ物か? 色? 趣味? 何が知りたい?」
「全部だよ!」
ひとつでも多いほうがいいだろ。
「ははっ、貪欲だな」
目を細め片方の口角が少し上がり悪戯っぽく笑っている。今すぐ白状してやりたい。知りたいのは俺じゃないって。拳をぎゅっと握り、喉まで出かかった言葉を飲み込む。
「一日にひとつだけ答えてやる」
「なんでだよ?」
「どういう風の吹き回しか知らないけどさ、仲良くなろうとしてくれてるなら嬉しいなって。少しずつ俺のことを知ってよ。白土の好きなものも教えてくれ」
なんでこうなった……。さっさと好きなものを聞き出して終わりなはずだったのに。
「てかなんで、ミルクティーが好きって知ってんだ?」
「卒業文集に書いてただろ」
「卒業文集? そんなん書いてた?」
「プロフィールに書いてた。今でも好きなんだな」
中学校では書いた覚えがないから小学校か。よくそんな昔のことを覚えてるな。
全員帰ったはずなのに更衣室のドアがガチャッと開く。
「あれ? まだ帰って……、って俺、邪魔したよな? 失礼しましたー」
スマホを忘れたのを取りに戻ってきた小黒が何をどう解釈したのかそそくさと出ていく。
「何勘違いしてやがる! 待てコラ!」
小黒を追いかけようと走り出したら神城に腕を掴まれる。
「放っといたらいいだろ。一緒に帰ろう」
そういや同室なんだよな……。逃げようにもどこまでもついて回ってくる。

