入学して半年が過ぎた。箸の持ち方や姿勢が改善し、蓮は別人のように明るくなった。
彼を悪く言う者はもうない。むしろその逆で、この日も彼は女子生徒に呼び出されていた。
「あれ? 佐久間は?」
バスに一人で座っていると、三崎馨がやってきた。
学校と寮は10キロほど離れていて、移動には自動運転のバスを使う。
朝はクラスごとに出発時間が決まっていて、乗り遅れたら学校は欠席となる。
放課後は学校に残りたい学生も多いから、1時間毎にバスが出る。
このバスは寮行きの初便で、乗っているのは僕だけだった。
「女の子に呼び出されてた」
「ふーん。それでお前だけ寮に帰るんだ」
席はたくさん空いているのに、三崎は僕の隣に座った。
「三崎も早いね」
いつもは仲間とサッカーをして遊んでいるのに。
「告られた。他人の好意を受け取るのって疲れるんだよ。だからさっさと帰って寝る」
「へえ……きみがゲイだって知らない子もいるんだね」
「男にだよ」
「願ったり叶ったりだ」
「ばか……俺だって好みがあるんだよ。男なら誰でもいいわけじゃない。お前だってそうだろ」
「……何が言いたいの?」
「お前ら、できてんだろ」
「お前らって?」
「お前と佐久間だよ」
「できてるって?」
三崎はチッと舌打ちした。
「付き合ってんのかって聞いてんだよ」
「そう見える?」
「どうなんだよ」
「そう見えるなら、そう思えば良いんじゃない?」
恋人に見られようが、兄弟に見られようが、どうでもいい。僕たちの関係は他人が理解できるような単純なものじゃない。
「はぐらかすなよ。……別に誰にも言わないからさ」
「それを知って、どうしたいの?」
「どっちから告ったのかとか……その……元々そういう趣向なのかとか……いろいろ気になるんだよ。……俺はゲイだって公言してる。でも、好きな人とはどうしたって両思いになれないんだ。だからその…………いいなって」
怒ったような三崎の表情が、ふっと力なく翳った。
「お前……最初は佐久間のこと、バカにしてたろ……なのにどうして今はそんなに仲がいいんだよ。おかしいだろ……どんな手使って、お前ら恋人になれたんだよ……」
「僕たちは恋人じゃないよ」
「嘘だ…………お前ら、ただの友達には見えない」
「友達以上の関係だよ」
「やっぱり恋人じゃないか」
「恋人じゃない」
「やった?」
「なにを?」
「セックスだよ」
僕は失笑した。
「誤魔化すなよ。お前ら、距離感おかしいじゃん。セフレなんだろ?」
「セフレ……」
セフレって、あれか。体だけの関係か……
下品な単語を理解するのに時間がかかった。
体。
蓮の傷んだ体を思い出した。生々しい虐待の痕跡。彼は本来僕が受ける分もたった一人で受け止めた。
「そうなんだろ?」
セフレ? いや、違う。
「兄弟」
するりと口から出た。
兄弟。なんて美しい響きだろう。口にした瞬間、目の奥がじんわり熱くなった。
「兄弟?」
三崎が聞き返す。
「そうだよ。僕たちは兄弟」
僕は髪を耳に掛けて、蓮と同じピアスを隣の男に見せつけた。
「嘘つけよ」
三崎はうんざりした様子で言った。
「バカにすんじゃねえよ……」
三崎はフッと力なく笑った。その目が窓の外をチラと見た。
「じゃあ何? お前ら、キスもセックスもしてないわけ?」
外に誰かいるのだろうか。
「するわけ」
ない、という言葉が途切れた。窓を見ようとした僕の頭を無理矢理戻して、三崎は僕にキスをした。
「っ……」
身を引こうとしたら、グッと両手で肩を掴まれた。
「んっ……」
下唇を軽く噛まれ、背筋がゾクゾクと震えた。初めてのキスだった。三崎は観察するような目で僕を見ている。キスなんて初めてで、相手の舌の侵入の拒み方も、呼吸の仕方もわからない。
「はっ……」
唇が離れた。
「蓮っ!」
蓮によって引き剥がされたのだ。蓮が三崎に拳を振り上げた瞬間、
ピピピピッ
と、手首に巻かれたリストバンド……先生がけたたましく鳴った。
『校則、第、3章、2条、暴力行為、は、絶対に、しないこと。相手に、怪我を、負わせた者は、即刻退学、とする』
無機質な女の声で、先生が言った。
蓮は苛立たしげに拳を下ろすと、僕の元へ駆け寄った。そして言った。
「綾人っ……同意じゃないよな?」
僕は、頭がうまく働かない。唇には三崎の温度が残っているのに、目の前には青い顔をした蓮がいる。
「同意じゃないよなっ!?」
「う、うん……」
答えると、蓮は安堵したように表情を緩ませ、けれどすぐさま目尻を吊り上げ、背後を振り返った。
「どういうつもりだっ!」
三崎は冷ややかな笑みを浮かべていた。
「兄弟ねえ」
と、聞こえよがしに三崎は言うと、バスの後ろの方へと去っていった。
「綾人……」
蓮は僕の頬を両手で抱え込んだ。キスされるのかと身構えたけれど、蓮は苦しそうに目を細めただけで、その手を解いた。
「帰ったら、口ゆすいで」
蓮はそう言ってシートに座り直した。
「……うん」
「聞かないの」
怒った口調で蓮は言った。
「え?」
「俺、告白されたんだよ」
「ああ……どうなったの?」
「断ったよ」
「そう」
「綾人は俺に興味がないんだな」
「だって……断ったって聞いたら、それ以上聞くことないでしょ」
「どうして断ったのかとか、他に好きな子がいるのかとか、色々あるだろ」
バスが自動運転で発進した。結局、このバスに乗っているのは3人だけだ。
「どうして断ったの?」
「今は恋人とかいらないから」
「そう……」
そんなことを、わざわざ言いたかったのだろうか。隣の蓮は不機嫌で、だから僕は窓を見た。
バスは廃村となった江場村をゆっくりと進んでいく。もう誰も住んでいない。ここで生活しているのは僕たちだけだ。
江場村には取り壊されずに残ったままの民家がちらほらとある。どれもトタン造りの安普請で、今にも倒壊しそうなものばかりだ。
畑は荒れたまま放置され、道幅の狭いアスファルトにはいくつも亀裂が入っている。豊かな自然は美しいが、村のあちこちには人間が生活していた痕跡があり、それが景観を台無しにしている。
「やっぱり付き合おうかな」
蓮は言った。
「……いいんじゃない?」
僕が言うと、蓮の眉間に、不機嫌なシワが刻まれた。
彼を悪く言う者はもうない。むしろその逆で、この日も彼は女子生徒に呼び出されていた。
「あれ? 佐久間は?」
バスに一人で座っていると、三崎馨がやってきた。
学校と寮は10キロほど離れていて、移動には自動運転のバスを使う。
朝はクラスごとに出発時間が決まっていて、乗り遅れたら学校は欠席となる。
放課後は学校に残りたい学生も多いから、1時間毎にバスが出る。
このバスは寮行きの初便で、乗っているのは僕だけだった。
「女の子に呼び出されてた」
「ふーん。それでお前だけ寮に帰るんだ」
席はたくさん空いているのに、三崎は僕の隣に座った。
「三崎も早いね」
いつもは仲間とサッカーをして遊んでいるのに。
「告られた。他人の好意を受け取るのって疲れるんだよ。だからさっさと帰って寝る」
「へえ……きみがゲイだって知らない子もいるんだね」
「男にだよ」
「願ったり叶ったりだ」
「ばか……俺だって好みがあるんだよ。男なら誰でもいいわけじゃない。お前だってそうだろ」
「……何が言いたいの?」
「お前ら、できてんだろ」
「お前らって?」
「お前と佐久間だよ」
「できてるって?」
三崎はチッと舌打ちした。
「付き合ってんのかって聞いてんだよ」
「そう見える?」
「どうなんだよ」
「そう見えるなら、そう思えば良いんじゃない?」
恋人に見られようが、兄弟に見られようが、どうでもいい。僕たちの関係は他人が理解できるような単純なものじゃない。
「はぐらかすなよ。……別に誰にも言わないからさ」
「それを知って、どうしたいの?」
「どっちから告ったのかとか……その……元々そういう趣向なのかとか……いろいろ気になるんだよ。……俺はゲイだって公言してる。でも、好きな人とはどうしたって両思いになれないんだ。だからその…………いいなって」
怒ったような三崎の表情が、ふっと力なく翳った。
「お前……最初は佐久間のこと、バカにしてたろ……なのにどうして今はそんなに仲がいいんだよ。おかしいだろ……どんな手使って、お前ら恋人になれたんだよ……」
「僕たちは恋人じゃないよ」
「嘘だ…………お前ら、ただの友達には見えない」
「友達以上の関係だよ」
「やっぱり恋人じゃないか」
「恋人じゃない」
「やった?」
「なにを?」
「セックスだよ」
僕は失笑した。
「誤魔化すなよ。お前ら、距離感おかしいじゃん。セフレなんだろ?」
「セフレ……」
セフレって、あれか。体だけの関係か……
下品な単語を理解するのに時間がかかった。
体。
蓮の傷んだ体を思い出した。生々しい虐待の痕跡。彼は本来僕が受ける分もたった一人で受け止めた。
「そうなんだろ?」
セフレ? いや、違う。
「兄弟」
するりと口から出た。
兄弟。なんて美しい響きだろう。口にした瞬間、目の奥がじんわり熱くなった。
「兄弟?」
三崎が聞き返す。
「そうだよ。僕たちは兄弟」
僕は髪を耳に掛けて、蓮と同じピアスを隣の男に見せつけた。
「嘘つけよ」
三崎はうんざりした様子で言った。
「バカにすんじゃねえよ……」
三崎はフッと力なく笑った。その目が窓の外をチラと見た。
「じゃあ何? お前ら、キスもセックスもしてないわけ?」
外に誰かいるのだろうか。
「するわけ」
ない、という言葉が途切れた。窓を見ようとした僕の頭を無理矢理戻して、三崎は僕にキスをした。
「っ……」
身を引こうとしたら、グッと両手で肩を掴まれた。
「んっ……」
下唇を軽く噛まれ、背筋がゾクゾクと震えた。初めてのキスだった。三崎は観察するような目で僕を見ている。キスなんて初めてで、相手の舌の侵入の拒み方も、呼吸の仕方もわからない。
「はっ……」
唇が離れた。
「蓮っ!」
蓮によって引き剥がされたのだ。蓮が三崎に拳を振り上げた瞬間、
ピピピピッ
と、手首に巻かれたリストバンド……先生がけたたましく鳴った。
『校則、第、3章、2条、暴力行為、は、絶対に、しないこと。相手に、怪我を、負わせた者は、即刻退学、とする』
無機質な女の声で、先生が言った。
蓮は苛立たしげに拳を下ろすと、僕の元へ駆け寄った。そして言った。
「綾人っ……同意じゃないよな?」
僕は、頭がうまく働かない。唇には三崎の温度が残っているのに、目の前には青い顔をした蓮がいる。
「同意じゃないよなっ!?」
「う、うん……」
答えると、蓮は安堵したように表情を緩ませ、けれどすぐさま目尻を吊り上げ、背後を振り返った。
「どういうつもりだっ!」
三崎は冷ややかな笑みを浮かべていた。
「兄弟ねえ」
と、聞こえよがしに三崎は言うと、バスの後ろの方へと去っていった。
「綾人……」
蓮は僕の頬を両手で抱え込んだ。キスされるのかと身構えたけれど、蓮は苦しそうに目を細めただけで、その手を解いた。
「帰ったら、口ゆすいで」
蓮はそう言ってシートに座り直した。
「……うん」
「聞かないの」
怒った口調で蓮は言った。
「え?」
「俺、告白されたんだよ」
「ああ……どうなったの?」
「断ったよ」
「そう」
「綾人は俺に興味がないんだな」
「だって……断ったって聞いたら、それ以上聞くことないでしょ」
「どうして断ったのかとか、他に好きな子がいるのかとか、色々あるだろ」
バスが自動運転で発進した。結局、このバスに乗っているのは3人だけだ。
「どうして断ったの?」
「今は恋人とかいらないから」
「そう……」
そんなことを、わざわざ言いたかったのだろうか。隣の蓮は不機嫌で、だから僕は窓を見た。
バスは廃村となった江場村をゆっくりと進んでいく。もう誰も住んでいない。ここで生活しているのは僕たちだけだ。
江場村には取り壊されずに残ったままの民家がちらほらとある。どれもトタン造りの安普請で、今にも倒壊しそうなものばかりだ。
畑は荒れたまま放置され、道幅の狭いアスファルトにはいくつも亀裂が入っている。豊かな自然は美しいが、村のあちこちには人間が生活していた痕跡があり、それが景観を台無しにしている。
「やっぱり付き合おうかな」
蓮は言った。
「……いいんじゃない?」
僕が言うと、蓮の眉間に、不機嫌なシワが刻まれた。


