きみに会うためのデスゲーム

 4限目は英語の授業だった。
 教室全体を見渡すように、教卓に銀色の人型ロボット、マージが立っている。見た目はSF映画に出てくるような典型的なそれで、人間に似せるための皮膚もなければ、服も着用していない。
 マージは1クラスにつき1体。24時間、遠隔でスタッフが操作しながら、掃除などの雑用をこなす。
 マージは、俺がそれまで抱いていたロボットの常識を覆した。
 俺の知るロボットは、飲食店の配膳係や、ショッピングモールの受付ができる程度のものでしかなかった。動画サイトでは、中国のイベントでダンスを軽やかに披露するロボットがバズっていたが、それでもロボットの範疇だった。
 でもマージは違う。マージは滑らかな動作で階段を上がったり、しゃがんだり、ドアを開閉することができる。見た目さえ人間に寄せたら、人間そのものだ。
「では、次のページを、三崎馨さん、読み上げてください」
 マージが言った。マージは教師役も担っている。音声は人間だ。どこかでこの様子を見ているスタッフが、ロボットを通して話しているのだ。
 指名された三崎馨が立ち上がった。
 三崎が教科書を読み始めると、あちこちで驚きの声が上がった。海外生活でもしていたのか、三崎の英語は流暢だった。
 英語を話せる学生は少数だ。施設では習い事に通うことはできないし、途中から施設に入居した者は家庭環境が悪く、基礎英語すらままならない者がほとんどだ。
 教室中の視線が三崎に集まっている。
 尊敬の眼差しで見つめる者や、うっとりと熱のこもった眼差しで見つめる者。
 クラスのみんなは三崎がゲイだと知っている。『俺、男が好きなんだ』……あの日の三崎の告白は一晩で学校中に広まった。
 でも彼は嫌われるどころか、「勇気がある」と称賛され、みんなに受け入れられた。
 スラスラと英文を読み上げる彼を眺めながら、生まれ持ったものが違う、と俺は思った。
「男が好き」を理由にいじめられたと思っていた。でも、彼の存在を知って、思い知った。
 俺がいじめられたのは、「男が好き」だからじゃない。俺だから、いじめられたのだ。
 彼と俺の共通点は、「男が好き」という一点だけ。他は何もかも違う。何もかも俺は劣っている。比べるな。意識するなと自分に言い聞かせようとしても、「男が好き」という一点だけで、強烈に彼の存在を意識してしまう。
 授業終了のチャイムが鳴った。学生はそれぞれ仲のいい相手の元へいく。
「三崎くんっ、海外で生活していたの?」
 三崎の周りにはたくさんの学生が集まっていた。
「うん。小4までアメリカで暮らしてたんだ」
「そうなんだっ! すごーい!」
「なんで施設に入所したの?」
 誰かがデリカシーのないことを聞いた。でも、きっとみんなが気になっていたことで、俺もつい聞き耳を立ててしまった。
「あー」
 と、三崎は困ったように頭をかいた。
「しょーもねえこと聞くんじゃねえよ」
 桐谷嵐士が言った。三崎の元へ駆け寄り、「答えなくていいからな」と言って肩を抱く。そのまま、ドアへと誘う。
 男同士なのに、まるでカップルのようだった。
 羨ましいなんて思いたくないけれど、羨ましくて仕方がなかった。
 桐谷はどうか知らないが、三崎は絶対に桐谷に惚れている。俺にはわかる。入学式で、彼は真っ先に桐谷のクラスを確認していた。
「別に俺は良いんだけど?」
 三崎が言った。
「良くねえだろ。わざわざ辛い話する必要ねえよ」
「俺の心配してくれるわけ。やさしーねー」
 三崎は嬉しそうだ。
「あと、興味本位にそういうことを聞く奴が気に入らねえ」
「ごめんね。こいつ頭硬いんだ。許してやってね」
 三崎が振り返ってフォローする。
 三崎が俺に気づいた。目が合って、俺はドキッと身構えた。
 三崎はスッと目を細めた。たったそれだけなのに、挑発されたような心地になった。
 これ以上ふたりを視界に入れたくなかった。気づいたら足が勝手に動いていた。教室を飛び出して、俺はトイレへ向かった。
 駆け込むように個室に入ると、待ってましたとばかりに涙が溢れた。情けなくて、惨めったらしくて笑えた。
 三崎の勝ち誇ったような笑みを思い出す。悔しいけれど美形だった。男らしい骨格なのに丁寧で繊細な顔立ち。自分には到底出せない色気が三崎にはあった。
「くそっ……くそっ」
 物に当たりたくなるのを堪えて、制服をギュッと掴んだ。力を入れるだけ涙が溢れてくる気がした。ズズッと鼻水をすする音が響く。何やってるんだ、俺……
「加茂? 大丈夫?」
 三崎の声が聞こえて背筋がヒヤリとした。両手で口を抑えて、気配を消す。返事をする気にはなれなかった。
「具合、悪い? 大丈夫か?」
 返事をしないと。俺は唇を動かした。けれど、
「なあ……」
 三崎の声色が変わって、唇の動きが、止まった。
「お前、ゲイだろ」
「っ……」
 全身で呼吸するように、俺は肩を上下させた。見えない相手に向かって首を横に振る。声は出ない。指先や唇、細胞までもが震えているのに、血液だけが運動をやめたような寒気に襲われる。
「そうだよな?」
「違うっ」
 否定した。
「お前と一緒にすんなっ! 気持ち悪いんだよっ!」
 もう戻れない。これでいい。三崎が受け入れられたからって、俺も受け入れられるとは限らない。
「どっかいけよ……」
「どうして認めないんだよ」
 うるさい。これ以上俺に構わないでくれ。俺はお前とは違う。はやく帰ってほしくてドアを蹴った。加減したつもりなのに不穏な感触。やばいかも……
「おい」
 三崎の責めるような声が言う。一歩離れてそこを見ると、白く塗られたドアのペンキが剥がれていた。
 ピピピピッ
 と、手首に巻かれたリストバンド……先生がけたたましく鳴った。
「なんだこの音……」
 三崎が言った。
『校則、第、3章、3条、暴力行為、は、絶対に、しないこと。校舎や、備品を、傷つけた者は、即刻退学、とする』
 無機質な女の音声で、先生が言った。
 でも、俺の意識はそれよりも、ペンキが剥がれ落ちたドアへと向かった。
 この学校は廃校を利用しているが、壁や床、天井は新築のように新しい。
 トイレもそうだった。便器は清潔で新しく、ドアのペンキも塗りたてのように美しい。
 その、ペンキの下……茶色のドアに、黒いシミがあった。
「退学って……大袈裟な……ちょっと八つ当たりしただけだろ……」
 ドア越しに三崎の声が聞こえた。
「なあ先生……本当に退学なのか? 警告だよな?」
『破損状態を、確認後、マージと、面談が、あります』
 俺はしゃがんで、目を凝らした。斑点……いや、文字のようにも見える。
 もう少しペンキを剥がせば……
「おい、ドアはどうなってる?」
 三崎がドアを叩いた。ペンキを剥がそうとした手が止まる。
「破損状態を確認するってさ。ドアの状態はどうなってる? 大したことないよな?」
 手を引っ込めた。これ以上傷を大きくしたら、俺は退学……
「……退学?」
 呟いた。
 退学を怖がる理由なんてないじゃないか。ここでも俺はうまくやれそうにないんだから。
 この程度の傷で退学はないだろう。でも逆を言えば、この傷を大きくすれば、俺は退学になる。
 思ったら、体の力が抜けた。
「傷が大したことなければ大丈夫だ。俺も説明するし……」
「俺も同じだよ」
 今なら言える。退学できるなら、素直になれる。
「俺も男が好きなんだ……もう、わかってると思うけど」
「…………」
「なんでわかったの?」
 怖くて聞けなかったことも、すんなり聞けた。
「俺がゲイって告白した時の反応。……普通の奴はな、驚きの中に、安堵とか、同情みたいなものが混ざってるんだよ」
「安堵?」
「ああ、こいつゲイなんだ……じゃあ、俺よりマシかな……みたいなさ。結局、みんなゲイをハンデだと思ってるってことさ。……でもお前の反応は違った。お前はムカついてたよな。その話題を出すなって感じ」
「…………」
「ゲイを嫌う人間とは違う。全然違うよ、お前の反応は。こいつは俺とおんなじだって確信した。……ごめんな。意地悪言って」
 俺は首を横に振った。
「ひどいこと言ったのは、俺だから……」
「いや、あれは自分に疑いの目が向くのが嫌だったんだろ。『お前はどうなの?』みたいな流れになるのが。だから無理だって拒絶した。そのくらい言わなきゃ、隠し通せないと思ったんだろ?」
 そこまで考えて発言したわけではなかった。
 でも言われてみれば、そうかもしれない。あの時、全身が硬く強張った。ひどいことを言いながら、秘密が暴かれることを、ひどく恐れている自分がいた。
 あの時点で三崎は俺をゲイだと見抜いていた。だとしたら……
「ありがとう。俺が……男を好きだって……黙っててくれて……」
 あの時、三崎はみんなの前で俺を追及することもできた。でもそれをしなかった。
 俺を責める言葉は全て、俺の過去を肯定した。
「三崎の言葉、全部嬉しかったよ。別に恥ずかしいことじゃないんだって自信が持てた。本当にありがとう」
 俺は足を振り上げた。
「何改ってんだよ…………傷、そんなに大きいのか? ちょっと見せてみろよ」
 三崎の声が優しくて、振り上げた足が止まった。
「なあ、そんなにひどくないんだろ? ……まあ、ひどくてもさ、悪いのは俺だし、俺の責任だって説明するよ」
「…………優しいんだね」
 三崎は「ははっ」と笑った。
「お人好しだな」
「……そんなことないよ」
「いや、お人よしだよ。そんで不器用。……なあ、俺、お前と仲良くしたいよ。傲慢かもしれないけどさ、その方がお前にとってもいいと思う」
「っ……」
 三崎がゲイとカミングアウトした時、俺は、彼が拒絶された経験がないから、堂々とカミングアウトできるのだと思った。
 そうではない。三崎は強いんだ。俺には「仲良くしたい」と言う勇気もない。
「お、俺も……仲良くしたい」
 彼と同じ言葉を言っただけで、顔が熱くなった。
「じゃあまずドア開けろよ」
 ドアを開けるなり、三崎は傷の部分を見た。
「なんだよ。全然大したことないじゃん」
 拍子抜けしたように言って、俺を見た。
「これから一年よろしくな。仁」
「よろしく…………馨」
 三崎……馨は俺の肩をぽんぽんと肩を叩くと、耳元で言った。
「お前が俺と同じだってこと、絶対誰にも言わないから」
 ありがとう、と言う声が震えた。

 馨が庇ってくれたおかげで、俺の暴力行為は厳重注意で終わった。
「そんでこいつ、俺のこと庇ってくれてさ、ほんと、こいつがいなかったら俺、退学になってたわ」
 馨は、事実とは逆の説明をみんなにしてくれた。
 単純な俺は、好きになるのに十分だった。