きみに会うためのデスゲーム

 僕の耳にはブルーのピアスがある。
 施設に預けられる前からあったもので、親からのただひとつのギフトとして、大切に耳につけている。普段は髪で隠れているから、みんなは知らない。
 佐久間蓮が僕のとよく似たピアスをつけていた。
 僕にとって、ブルーのピアスは大きな意味を持つもので、他人とは被りたくないものだった。
 ましてや、佐久間蓮のようなみっともない男とは。
 食べ終えた空の食器を持って、僕は佐久間蓮の元へ向かった。
「佐久間くんって、ピアスとかつけるんだ」
 向かいに座り、言った。佐久間が顔を上げ、暗い目で僕を見た。
 至近距離で見ると、ピアスは僕のと全く同じだった。
 お前がつけるな…………喉元まで言葉が出かかった。彼の食器の周りは汁が飛び散って汚れている。
「意外だと思ってさ。見た目に気を遣うようには見えないから」
 佐久間は自分のピアスに手を当てた。恥じらうような仕草に、僕は内心ほくそ笑む。
「似合ってないよ」
 追い討ちをかける。
「俺もそう思う」
 佐久間の声は凛と澄んでいた。顔も、声も、体型も恵まれているのに、彼はあまりに暗かった。まるでこの世の不幸を全て背負っているような。
 食事を終えた学生が次々と食堂を出ていき、今は数えるほどしか残っていない。
「でも、これを見た兄が、俺に話しかけてくるかもしれない」
「……?」
「兄も同じピアスをつけているはずだから」
「え?」
 口元の笑みがこわばった。
「兄は生まれてすぐに施設に預けられたんだ。母はシングルマザーで、ひとりで兄を育てる自信がなかったから」
「へえ……そうなんだ」
「まあ、あの女は男がいたって同じさ。子育てなんてできやしない。俺を見たらわかるだろ?」
 佐久間はうっすらと笑った。
「……さあ」
 僕はサッと目を伏せた。完全に佐久間のペースに変わっていた。僕は、ここから立ち去るタイミングばかり伺っている。
「さあって……」
 佐久間はククッと笑った。
「『ろくに躾もできない、途中で投げ出すような親に育てられるくらいなら、最初から施設に預けられた方がいい』んだろ? 聞こえていたよ」
「……ごめん」
 佐久間はゆるゆるとかぶりを振った。
「間違っちゃいない。保護された時、俺は心底ホッとしたんだ。これでやっと、あの女から離れられるってね」
「……そう」
「あの女は馬鹿だから、赤ん坊に平気でピアスをつける」
 耳に馴染んだピアスがチクチクと痛んだ。
 違う。僕の親は馬鹿じゃない。佐久間の母親とは違う。違う。絶対に……
 鼓動が速まった。喉が急速に乾いていく。早くここから立ち去りたい。タイミングを見計らう余裕は、もうなかった。腰を浮かせかけた時、
「兄さん」
 佐久間が、僕の耳に手を伸ばした。髪をかき分け、ソレに触れる。
「っ……」
 ゾワっと皮膚が粟立った。体が動かない。
「やっぱりね」
 佐久間は満足そうに笑った。
「室井くんは俺の兄だ」
「馬鹿げたこと……をっ……言わないでくれっ……」
「本当のことさ。あの女は言ったんだ。俺と一年違いの兄にも同じものをつけたって」
 僕はぶんぶんとかぶりを振った。
「い、一年違いならっ……同じ学年になるはずがないっ!」
「栄養状態が悪かったんで、一年遅れたんだろ」
「か、顔だって、似てない……」
「そうかな?」
 佐久間はグッと身を乗り出して、僕をまじまじと見つめた。
「顎先とか、鼻の形とか、似てない? まあでも、兄さんは母親似だね」
「僕はお前の兄じゃないっ! 気持ち悪いことを言うなっ……」
「ははっ……」
 佐久間は何が面白いのか、ツボに入ったように笑い出した。
 金縛りが解けて、僕は立ち上がった。おぼんも持たず、逃げるように出入り口へと向かう。
 あんな男と兄弟? 冗談じゃない。そんな馬鹿なことがあるものか。
 オーダーメードでなければ、ピアスが被ることくらいあるはずだ。誕生石とか、健康祈願とか、理由なんていくらでもある。
 早足に進みながら、頭の中で佐久間の言葉を否定する。否定すればするほど、「その可能性」の存在感が増していくような気がした。


 佐久間が誰かと話しているのを見ただけで、僕の体は恐怖で震えた。
 まさか、僕たちが兄弟だなんてデマを、言いふらしているんじゃないか。
 一度不安に駆られたら、何も手につかなくなった。
 あいつと僕が兄弟なんてありえない。でも、みんなは信じるかもしれない。
 勘違いされては困る。あいつと僕は赤の他人だ。あいつを口止めしなければ。
 その日の夜、僕は佐久間の寮室を訪ねた。
「どうしたの? 兄さん」
 ドアを開け、僕を見るなり佐久間はうす気味悪く微笑んだ。
「その呼び方、やめてくれないか」
 両手を強く握りしめた。
「どうして?」
「どうしても何もっ、僕たちは兄弟じゃっ」
 突然だった。僕の体は佐久間によって、寮室の中へと引きずり込まれた。グッと腕を引かれ、ベッドに押し倒される。あまりの速さに、頭も体も追いつかない。
 気づいたら目の前に……僕の上に佐久間が乗っていた。
「っ……」
「じゃあ、抱いていい?」
 佐久間の言葉に、僕は大きく目を見開いた。
「兄弟じゃないんでしょ? だったら良いよね、こういうことしても」
 と言って、佐久間は僕のシャツに手をかけた。
「頭……おかしいんじゃないのか……っ」
「嫌なら拒めばいい。『兄弟でこんなことしちゃいけない』って」
 僕はブンブンとかぶりを振った。
「おかしいっ……こんなのっ……お、男同士でっ……」
「三崎くんだって男が好きって言ってたろ? 男同士は、こういうことを拒む理由にはならないんだよ。理由になるのは、血縁がある場合のみだ」
 僕は必死に首を横に振った。佐久間の手が、僕の肌を撫でる。
 ブワッと鳥肌が立った。
「やだっ……だっ、誰かっ……」
「嫌なら認めろっ……」
 それまでとは打って変わって、佐久間は怒りのこもった声で言った。
「俺とあんたは兄弟なんだよっ……あんたは良いよなっ……すぐに施設に預けられて、親の顔も知らないでっ……快適な環境で何不自由なくっ……親を恨むこともなければっ、当然殺したいと思ったこともないんだろっ!」
「っ……」
 その気迫に圧倒されて、僕の全身は硬直した。
「俺はずっと憎んでた。あの女のことも、生まれてすぐに施設に預けられたあんたのこともっ……どうして俺だけがこんな思いをしなきゃならないんだって……あんたのことをずっと憎んでたっ……」
 違う違うと頭の中で否定しても、佐久間の気迫で、「もしかしたら」が頭に過ぎる。
「ぼ、僕はっ……違う。僕たちは兄弟なんかじゃないっ……」 
 不安を払いのけるように、僕は大きな声で言った。
「そう。じゃあ良いよね」
 佐久間は僕のシャツに手を掛けたまま、言った。これが最後のチャンスだと思った。僕が兄弟だと認めさえすれば、佐久間は退く。佐久間の望みはそれだけだ。
 もしかしたら
 あまりに頻繁に「もしかしたら」が過ぎるから、頭の中でハエが飛び回っているような不快感に襲われる。
 もしかしたら、本当に僕たちは……
 彼の耳には、僕のと同じピアスがある。
 彼の、躾のなっていない、汚い食事風景を思い出す。
 嫌だ。嫌だ。嫌だっ……僕の親が、ろくに躾もできない人間なんて。
 もう、完成されつつあった僕の親のイメージが、崩壊するのは、嫌だ。
「抱いてもいいよね。兄弟じゃないなら」
 兄弟じゃないなら抱いてもいいなんて、佐久間の言い分は狂ってる。
 でも、それに応じさえすれば、彼はもう二度と僕と兄弟なんて言わないだろう。
 兄弟と思われるくらいなら、一回くらい、別に減るもんじゃないし……
 でも、本当に兄弟だったら? 
 それこそ取り返しがつかないんじゃないか……
 馬鹿な。兄弟なんてことがあるものか。何を恐れているんだ。「もしかしたら」なんてことは、絶対にないっ!
 自分を信じろ。兄弟じゃないなら、男ともできるはずだ。
 いつの間にか僕は、佐久間の狂った二択こそが、ここを切り抜ける唯一の手段だと錯覚していた。
 佐久間に抱かれるか、兄弟と認めて回避するか。
 ダメだ。認めたら終わる。僕の人生が否定される。
 あの汚い食べ方を思い出せ。そうさせたのは誰だ? 
 僕の親なわけがない。僕の親はまともな大人で、僕を施設に預けたのは、どうしようもない理由があったから。
 この事実を守らないと。
「ああ……」
 僕の口から出たのはひどく弱々しい声だった。佐久間が首を傾げる。
「しよう」
 口にした瞬間、全身から力が抜けた。これから行われるのは、異性が恋愛対象の僕にとって最悪の行為に違いないのに、不思議と恐怖はなかった。
 それよりも、この男とは兄弟じゃない、とハッキリできたことが嬉しい。
「そ………………か」
 佐久間は小声で何か呟くと、僕の服を脱がし始めた。
 僕はされるがままだった。心を無にして、人形になろうと思った。
 佐久間が自分のシャツに手をかけ、ボタンを一つずつ外していく。露わになった彼の肌を見て、僕は息をのんだ。
 彼の体は痣だらけだった。赤黒い痣が体いっぱいに広がっている。もしかしたら火傷かもしれない。丸いものは根性焼きだ。施設には虐待を受けてきた子供もいたけれど、こんなにひどい体を見たのは初めてだった。
 もしかしたら
 完全に払拭したはずのその言葉が、頭の中にポンと落ちてきた。
 もしかしたら、兄弟かもしれない。これは僕が受けるはずだった暴力かもしれない。僕の分も彼が引き受けたのかもしれない。
 いや、そんな馬鹿な。絶対に違う。絶対に……
「綺麗だ……」
 痣のない僕の体を見て、触れて、佐久間は言った。
「っ……」
 同性に「綺麗」なんて言われたら、普通は気持ち悪いと思うはずなのに、込み上げてきたのは途方もない切なさだった。
 僕の……魅力的とは言い難い、男にしては華奢で貧相な体を「綺麗」と言った佐久間が、あまりに不憫で、やるせなかった。
 兄弟じゃないと否定して、突き放して、僕は何を守ろうとしていたんだろう。
 自分のプライドか、理想か……
「やめよう」
 僕が言うと、佐久間は「はっ」と投げやりに笑った。目の下の皮膚が怒りで痙攣している。
「俺の体があまりに醜いんで怯んだか」
 佐久間は卑屈に笑った。
 僕は小さく首を横に振った。
「やめよう」
「やめるもんか。あんたがしようと言ったんだ……俺との血縁を否定するためにっ……」
「ダメだよ」
 僕が兄弟だと認めたら、佐久間は救われるんだろうか。
 壮絶な暴力を受けた彼の体を見たら、自分のプライドなんてどうでも良くなった。
「僕たちは兄弟だ」
 言った瞬間、彼の目が驚きに見開かれた。
「兄弟で、こんなことするのは間違ってる」
 一言一句、ハッキリと言った。彼の驚きに見開かれた目に涙の膜が張った。呆然としたように口を開け、何か言おうと唇を振るわせる。でも彼の口から言葉が出ることはなかった。
「さっきは嘘ついて、ごめん」
 僕が言うと、彼は大きく息を吸って天井を見上げた。
 その目から涙が落ちた。
 生まれて初めて、言葉では説明できない感情が芽生えた。
 これが血縁…………胸の奥がじわじわと熱くなっていくのを感じ、僕たちは兄弟だと確信した。