テントの下で居眠りしている室井の周りに、サークルメンバーが集まっていた。キャッキャと楽しそうに騒いでいる。何か、いたずらでもしているのだろうか。
俺はバーベキューコンロの支度があり、持ち場を離れることができなかった。サークルメンバーが「最高っ!」と手を叩いて笑っていて、落ち着かない。
「加茂ー、そっちはできたかー?」
「もう少しですっ!」
火を起こし、「準備できましたっ!」とみんなを呼び寄せる。みんなと入れ替わるようにして、俺は室井の元へ向かった。
「室井先輩、準備……」
驚いて、言葉を失った。
化粧を施された室井は、信じられないほど可愛かった。
「すごくね? 中村がやったんだよ。旅行カバンの中に姉ちゃんの化粧ポーチが入ってたんだってさ」
田淵が言った。
「でもこれだけ上手いんじゃ、あいつ、こっそり化粧の練習してそうだよな。風呂入る時も妙に恥ずかしがってるし」
あ、そうそう、と言って、田淵は室井の髪を耳にかけた。
「お前、室井と仲いいだろ? これ知ってた?」
「っ……」
ブルーのピアスを見た瞬間、頭をガツンと殴られたような衝撃が落ちた。
俺は、このピアスを知っている。
佐久間蓮。美しい顔に、均整の取れたバランスのいい体をしているのに、いつも猫背で、まるでこの世の不幸を全て背負っているような暗い男だった。
サークルメンバーの中にはロボットがいる。
一度は忘れかけていた疑惑が再び頭を過ったが、室井には母親がいる。ピアスはきっと偶然だ。
「彼女とお揃いかな? 片耳だけなんて」
田淵が言った。
「彼女……」
「彼氏、だったりして」
と、他の4年生もやってきた。
「いやあ、あり得るねえ。俺も室井だったら全然イケる」
「俺も」
なんてサークルメンバーで盛り上がっていると、ふいに室井の瞼が開いた。
「おおっ! おはようっ、室井っ!」
「え……あ……おはようございます」
「可愛いなあ、お前っ!」
化粧を施された室井が、「え?」と怪訝に眉根を寄せる。そして自分の頬に手を当てた。次に唇。
唇が赤く塗られていると気づくなり、室井はキッと田淵を睨んだ。
「お、俺じゃねえよっ! やったのは加茂っ!」
田淵は俺の肩を後ろからガッチリと掴んで言った。
「えっ……」
なぜ俺のせいにする。田淵は小声で言った。
「いいじゃん。お前ら仲良いんだし。こいつ同級生には当たりキツいから、かぶってやってよ」
「顔、洗ってきます」
室井が怒った口調で言った。
「頼むよ〜、今日はそれで過ごしてくれよ〜」
田淵が甘えた声を出す。
「嫌です」
室井はキッパリと言い、立ち上がった。テントを出て、公衆トイレの方へと行ってしまう。
俺は後を追った。室井が男子トイレに入っていくと、中から出てきた男ふたり組がギョッと驚いた顔をした。
「室井先輩っ!」
室井は洗面所の前にいた。躊躇うことなくバシャバシャと顔を洗っている。
「化粧落とし使わないとダメだな」
顔を上げ、鏡を見ながら室井は言った。まだアイラインがくっきりと残っているのを、俺は鏡越しに見た。
「まあでも、ホテルに行けばあるか」
「室井先輩……その、すみません」
「ふふ、偉いな、お前」
「え?」
室井は鏡越しに言った。
「加茂じゃないんだろ? わかるさそれくらい。君はこんなに器用じゃない」
「……俺、不器用だと思われているんですか?」
「野菜の切り方を見れば分かる。指、切ってたろ」
「え?」
切った記憶はなかった。指を見る。左手の人差し指……アースの補装具の部分が裂けていた。
「あっ……」
室井は振り返って微笑んだ。
「お疲れ様。ありがとうな」
化粧をした室井は、やっぱり可愛い。まともに顔を見るのが恥ずかしくて、俺はサッと目をそらした。
「いえ……一年なんで……当たり前です」
室井は再び鏡を覗き込んだ。
「この顔、恥ずかしいけど仕方ないか」
「室井先輩って」
普段は下ろしている髪を、今は耳にかけている。
「ピアス……してたんですね」
「ああ……」
室井ははにかんだ。なんだかその表情が……まるで誰かを思っているようで、俺は冗談半分に聞いた。
「もしかして、恋人とお揃いですか?」
自分の恋愛対象が男だから、「彼女」とは言わなかった。
「恋人……そうだな。今度は恋人になれたらいいな」
室井の口から「恋人」という単語が出たことが、なんだか嬉しかった。
「室井先輩も恋とかするんですね」
「ふふ、するさ。僕だって……」
室井の頬が赤くなった。かと思えば、恥ずかしそうに下を向く。それが結構長い時間で、心配になった。
「室井先輩?」
「…………」
「大丈夫ですか?」
室井は頷いた。
「ごめん。みんなのところ、戻ろうか」
行こうとした室井の腕を、気づけば掴んでいた。
「どんな人ですか?」
彼の目が潤んでいた。
「室井先輩の好きな人って」
まさかそんなはずはないのに、佐久間蓮の顔が浮かんだ。
「純粋で、ひたむきな人かな」
「純粋で、ひたむき……」
「人気者だったよ」
室井はそう言ってトイレを出た。俺は急いで室井の隣を歩いた。
「女子にはモテモテで、クラスの中心人物だった」
佐久間蓮とは正反対なのに、彼の顔が脳裏にチラつく。
「その人は……今、どうしているんですか?」
「さあ……わからないんだ。SNSとかで、探してみてはいるんだけど」
「わからない?」
「どうしようもない事故が起きたんだ」
「おーい! 早くこいよーっ!」
バーベキューコンロの前で、田淵が大きく手招きした。
みんなの元へ戻ると、この話はこれで終わった。室井はサークルメンバーに「可愛い」と連呼されていた。
バーベキューをした後、海で夜まで遊んだ。化粧をした室井はみんなに写真を撮られて嫌そうだった。
「まったく、酷い目に遭った」
ホテルに戻り、シャワーを浴びた後、俺と室井は客室でダラダラと飲んでいた。みんなといるのも楽しいけれど、室井とふたりでいるのはもっと楽しい。
「写真、たくさん撮られてましたね」
「勘弁してほしい」
「SNSに乗せたら、好きな人に見てもらえるかもしれませんよ」
俺は酔った勢いで、スマホのカメラを室井に向けた。
「無駄だよ」
室井は頬杖をついた。普段の、姿勢の良い室井らしからぬ、どこか無防備でだらしのないポーズ。シャッター音が鳴っても、室井は怒らなかった。
「試してみましょうよ」
「彼は僕のことを忘れているんだ」
室井が「彼」と言ったことに、ドキッとした。
「お、男……なんですね……」
「あ……」
「あっ、心配しないでくださいっ! お、俺もそうなんでっ……!」
俺も男が好きだよ……もう、わかってると思うけど。
初めて、男が好きだと打ち明けた日のことを思い出した。
「え?」
「お、俺も……男が好きなんで……」
かあっと頬が熱くなった。
「そっか」
室井は優しく微笑んだ。
「ありがとう。教えてくれて」
もしかしたら、室井は俺とは違うのかもしれない。好きになった相手が男だったというだけで、それに悩んだ経験はないのかもしれない。
それでも、カミングアウトしたことに後悔はなかった。この人なら大丈夫という確信があった。
「加茂はどうなんだ? 好きな人はいるのか?」
室井が気さくに聞いた。この人になら話してもいいと思った。
「いるんですけど」
亡くなったんです。
言葉が続かず、俺は缶ビールを飲んだ。足りなかった。
「いいよ、もっと飲めよ。お前のそういう話、聞いてみたい」
室井に勧められるまま、ビールをあおる。
「しんだんです」
ふいに、するりと言葉が出た。
室井の目が見開かれる。
「ころされたんです」
闇の中、ロアの赤色のライトが、緑色に切り替わった瞬間、馨はみんなに銃撃された。
「ロボットだったから」
でも、その前に。
「人間の馨は……誰がころしたんですか?」
「馨……?」
「みさきかおる」
室井の顔がぼやけていた。
「俺の好きな人は、みさきかおる……」
ゴン、と鈍い音を立てて、ビールが床に落下した。
「みさき……かおる……」
室井の声が遠い。
臭う。この臭いは、桐谷の命を奪った臭いだ。
息を吸う。もしかして……と思った瞬間、酔いが覚めた。
ふらつく足でドアへと走る。ガチャリと開けると、廊下が煙に包まれていた。
「火事だっ……」
火災報知器が反応していない。こんなに煙臭いのに?
隣の部屋のドアが開いて、田淵が現れた。
「うわっ! やべえっ!」
「みんなに伝えないとっ!」
室井が部屋を出ていく。俺も急いで部屋を出た。
「火事ですっ!」
向かいの部屋から、横から、サークルメンバーが出てきたが、他の客は眠っているらしく、なかなか出てこない。
「マジで、やべえぞ、この煙……」
ドンっ、と大きな爆発音がした。廊下に集まっていたサークルメンバーが一斉に身をすくめる。
「起きてくださいっ! 火事ですっ!」
室井は一部屋ずつ扉を叩いていく。
「室井っ! 俺たちも逃げねえとっ!」
田淵が急かす。部屋を出てきた客らは、廊下の煙を見るなり非常階段の方へと駆けていく。
「室井っ!」
室井は聞かず、さらに奥へ行こうとする。俺も室井の後を追った。
「あ、おいっ! 加茂っ!」
逃げてくる客に逆らって、俺と室井は火事であることを知らせて回った。
階段は下りずに上った。室井は俺に気づくと、「何してんだっ! 早く逃げろっ!」と怒鳴った。
「室井先輩だって……」
「僕は良いんだっ!」
「きみたちっ! 上はもう火の海だっ! 逃げなさいっ!」
階段を降りてきた男性が、俺たちに言ったが、室井は構わず階段を上がっていく。俺も後を追った。
廊下に出ると、ガラガラと怪しい音がした。
「室井先輩っ!」
俺は、すでに先へ行こうとしていた室井の腕を引っ張った。室井は床に腰をつく。その直後、彼の目前に天井が落ちてきた。
「っ……」
「室井先輩っ……引き返しましょうっ!」
炎の奥から、男児の泣き叫ぶ声が聞こえた。
「室井先輩!」
俺は、行こうとした室井の腕を掴んだ。
「俺が行きますっ!」
「はっ?」
「室井先輩は逃げてくださいっ!」
そうだ。俺は、こうなることを望んでいた。ずっと誰かのために、命を投げ出す覚悟で行動したかった。
「僕が行くっ!」
「いえ俺がっ」
と言った時、室井は俺の顔面に、手のひらを突き出した。
「っ……」
天井が落ちた時に、切れたのだろうか。室井が見せつけてきた手のひらは、さっくりと皮膚が裂けていた。その切れ目から見えるのは、精密機械を思わせる、銀色の内部……
「あ、あ……あ……」
声が、唇が震えた。信じられない気持ちで室井を見る。
「佐久間蓮を知ってるか?」
「っ……」
室井と同じピアスをつけた、暗い目をした、端正な顔の男。
「同じ……クラスでした……」
室井の目が見開かれ、次の瞬間、ぐしゃっと泣き顔に歪んだ。
「蓮……僕に……会うために……」
室井は俺に掴み掛かると、勢いよく言った。
「蓮に伝えてくれっ……信じられないかもしれないけど、君は僕を愛していたと。僕を生かすために君は死んだんだとっ……」
ざわざわと胸が騒いだ。あの試験で勝ったのは人間だ。佐久間蓮は死んだ。
なのに室井は、佐久間が生きているものだと信じて、言葉を重ねた。
ハッと、ある可能性が頭を過った。左手の人差し指……そこは切りつけても血が出ない。指を切った俺を見て、室井は、俺をロボットだと勘違いしたんじゃないか。
「会いたかった……蓮っ……今度はっ……君と恋人になりたかった……」
室井は子供の泣き声に我に返ると、
「僕も愛していたと、伝えてくれ……っ」
それだけ言って、炎の中に飛び込んで行った。
俺はバーベキューコンロの支度があり、持ち場を離れることができなかった。サークルメンバーが「最高っ!」と手を叩いて笑っていて、落ち着かない。
「加茂ー、そっちはできたかー?」
「もう少しですっ!」
火を起こし、「準備できましたっ!」とみんなを呼び寄せる。みんなと入れ替わるようにして、俺は室井の元へ向かった。
「室井先輩、準備……」
驚いて、言葉を失った。
化粧を施された室井は、信じられないほど可愛かった。
「すごくね? 中村がやったんだよ。旅行カバンの中に姉ちゃんの化粧ポーチが入ってたんだってさ」
田淵が言った。
「でもこれだけ上手いんじゃ、あいつ、こっそり化粧の練習してそうだよな。風呂入る時も妙に恥ずかしがってるし」
あ、そうそう、と言って、田淵は室井の髪を耳にかけた。
「お前、室井と仲いいだろ? これ知ってた?」
「っ……」
ブルーのピアスを見た瞬間、頭をガツンと殴られたような衝撃が落ちた。
俺は、このピアスを知っている。
佐久間蓮。美しい顔に、均整の取れたバランスのいい体をしているのに、いつも猫背で、まるでこの世の不幸を全て背負っているような暗い男だった。
サークルメンバーの中にはロボットがいる。
一度は忘れかけていた疑惑が再び頭を過ったが、室井には母親がいる。ピアスはきっと偶然だ。
「彼女とお揃いかな? 片耳だけなんて」
田淵が言った。
「彼女……」
「彼氏、だったりして」
と、他の4年生もやってきた。
「いやあ、あり得るねえ。俺も室井だったら全然イケる」
「俺も」
なんてサークルメンバーで盛り上がっていると、ふいに室井の瞼が開いた。
「おおっ! おはようっ、室井っ!」
「え……あ……おはようございます」
「可愛いなあ、お前っ!」
化粧を施された室井が、「え?」と怪訝に眉根を寄せる。そして自分の頬に手を当てた。次に唇。
唇が赤く塗られていると気づくなり、室井はキッと田淵を睨んだ。
「お、俺じゃねえよっ! やったのは加茂っ!」
田淵は俺の肩を後ろからガッチリと掴んで言った。
「えっ……」
なぜ俺のせいにする。田淵は小声で言った。
「いいじゃん。お前ら仲良いんだし。こいつ同級生には当たりキツいから、かぶってやってよ」
「顔、洗ってきます」
室井が怒った口調で言った。
「頼むよ〜、今日はそれで過ごしてくれよ〜」
田淵が甘えた声を出す。
「嫌です」
室井はキッパリと言い、立ち上がった。テントを出て、公衆トイレの方へと行ってしまう。
俺は後を追った。室井が男子トイレに入っていくと、中から出てきた男ふたり組がギョッと驚いた顔をした。
「室井先輩っ!」
室井は洗面所の前にいた。躊躇うことなくバシャバシャと顔を洗っている。
「化粧落とし使わないとダメだな」
顔を上げ、鏡を見ながら室井は言った。まだアイラインがくっきりと残っているのを、俺は鏡越しに見た。
「まあでも、ホテルに行けばあるか」
「室井先輩……その、すみません」
「ふふ、偉いな、お前」
「え?」
室井は鏡越しに言った。
「加茂じゃないんだろ? わかるさそれくらい。君はこんなに器用じゃない」
「……俺、不器用だと思われているんですか?」
「野菜の切り方を見れば分かる。指、切ってたろ」
「え?」
切った記憶はなかった。指を見る。左手の人差し指……アースの補装具の部分が裂けていた。
「あっ……」
室井は振り返って微笑んだ。
「お疲れ様。ありがとうな」
化粧をした室井は、やっぱり可愛い。まともに顔を見るのが恥ずかしくて、俺はサッと目をそらした。
「いえ……一年なんで……当たり前です」
室井は再び鏡を覗き込んだ。
「この顔、恥ずかしいけど仕方ないか」
「室井先輩って」
普段は下ろしている髪を、今は耳にかけている。
「ピアス……してたんですね」
「ああ……」
室井ははにかんだ。なんだかその表情が……まるで誰かを思っているようで、俺は冗談半分に聞いた。
「もしかして、恋人とお揃いですか?」
自分の恋愛対象が男だから、「彼女」とは言わなかった。
「恋人……そうだな。今度は恋人になれたらいいな」
室井の口から「恋人」という単語が出たことが、なんだか嬉しかった。
「室井先輩も恋とかするんですね」
「ふふ、するさ。僕だって……」
室井の頬が赤くなった。かと思えば、恥ずかしそうに下を向く。それが結構長い時間で、心配になった。
「室井先輩?」
「…………」
「大丈夫ですか?」
室井は頷いた。
「ごめん。みんなのところ、戻ろうか」
行こうとした室井の腕を、気づけば掴んでいた。
「どんな人ですか?」
彼の目が潤んでいた。
「室井先輩の好きな人って」
まさかそんなはずはないのに、佐久間蓮の顔が浮かんだ。
「純粋で、ひたむきな人かな」
「純粋で、ひたむき……」
「人気者だったよ」
室井はそう言ってトイレを出た。俺は急いで室井の隣を歩いた。
「女子にはモテモテで、クラスの中心人物だった」
佐久間蓮とは正反対なのに、彼の顔が脳裏にチラつく。
「その人は……今、どうしているんですか?」
「さあ……わからないんだ。SNSとかで、探してみてはいるんだけど」
「わからない?」
「どうしようもない事故が起きたんだ」
「おーい! 早くこいよーっ!」
バーベキューコンロの前で、田淵が大きく手招きした。
みんなの元へ戻ると、この話はこれで終わった。室井はサークルメンバーに「可愛い」と連呼されていた。
バーベキューをした後、海で夜まで遊んだ。化粧をした室井はみんなに写真を撮られて嫌そうだった。
「まったく、酷い目に遭った」
ホテルに戻り、シャワーを浴びた後、俺と室井は客室でダラダラと飲んでいた。みんなといるのも楽しいけれど、室井とふたりでいるのはもっと楽しい。
「写真、たくさん撮られてましたね」
「勘弁してほしい」
「SNSに乗せたら、好きな人に見てもらえるかもしれませんよ」
俺は酔った勢いで、スマホのカメラを室井に向けた。
「無駄だよ」
室井は頬杖をついた。普段の、姿勢の良い室井らしからぬ、どこか無防備でだらしのないポーズ。シャッター音が鳴っても、室井は怒らなかった。
「試してみましょうよ」
「彼は僕のことを忘れているんだ」
室井が「彼」と言ったことに、ドキッとした。
「お、男……なんですね……」
「あ……」
「あっ、心配しないでくださいっ! お、俺もそうなんでっ……!」
俺も男が好きだよ……もう、わかってると思うけど。
初めて、男が好きだと打ち明けた日のことを思い出した。
「え?」
「お、俺も……男が好きなんで……」
かあっと頬が熱くなった。
「そっか」
室井は優しく微笑んだ。
「ありがとう。教えてくれて」
もしかしたら、室井は俺とは違うのかもしれない。好きになった相手が男だったというだけで、それに悩んだ経験はないのかもしれない。
それでも、カミングアウトしたことに後悔はなかった。この人なら大丈夫という確信があった。
「加茂はどうなんだ? 好きな人はいるのか?」
室井が気さくに聞いた。この人になら話してもいいと思った。
「いるんですけど」
亡くなったんです。
言葉が続かず、俺は缶ビールを飲んだ。足りなかった。
「いいよ、もっと飲めよ。お前のそういう話、聞いてみたい」
室井に勧められるまま、ビールをあおる。
「しんだんです」
ふいに、するりと言葉が出た。
室井の目が見開かれる。
「ころされたんです」
闇の中、ロアの赤色のライトが、緑色に切り替わった瞬間、馨はみんなに銃撃された。
「ロボットだったから」
でも、その前に。
「人間の馨は……誰がころしたんですか?」
「馨……?」
「みさきかおる」
室井の顔がぼやけていた。
「俺の好きな人は、みさきかおる……」
ゴン、と鈍い音を立てて、ビールが床に落下した。
「みさき……かおる……」
室井の声が遠い。
臭う。この臭いは、桐谷の命を奪った臭いだ。
息を吸う。もしかして……と思った瞬間、酔いが覚めた。
ふらつく足でドアへと走る。ガチャリと開けると、廊下が煙に包まれていた。
「火事だっ……」
火災報知器が反応していない。こんなに煙臭いのに?
隣の部屋のドアが開いて、田淵が現れた。
「うわっ! やべえっ!」
「みんなに伝えないとっ!」
室井が部屋を出ていく。俺も急いで部屋を出た。
「火事ですっ!」
向かいの部屋から、横から、サークルメンバーが出てきたが、他の客は眠っているらしく、なかなか出てこない。
「マジで、やべえぞ、この煙……」
ドンっ、と大きな爆発音がした。廊下に集まっていたサークルメンバーが一斉に身をすくめる。
「起きてくださいっ! 火事ですっ!」
室井は一部屋ずつ扉を叩いていく。
「室井っ! 俺たちも逃げねえとっ!」
田淵が急かす。部屋を出てきた客らは、廊下の煙を見るなり非常階段の方へと駆けていく。
「室井っ!」
室井は聞かず、さらに奥へ行こうとする。俺も室井の後を追った。
「あ、おいっ! 加茂っ!」
逃げてくる客に逆らって、俺と室井は火事であることを知らせて回った。
階段は下りずに上った。室井は俺に気づくと、「何してんだっ! 早く逃げろっ!」と怒鳴った。
「室井先輩だって……」
「僕は良いんだっ!」
「きみたちっ! 上はもう火の海だっ! 逃げなさいっ!」
階段を降りてきた男性が、俺たちに言ったが、室井は構わず階段を上がっていく。俺も後を追った。
廊下に出ると、ガラガラと怪しい音がした。
「室井先輩っ!」
俺は、すでに先へ行こうとしていた室井の腕を引っ張った。室井は床に腰をつく。その直後、彼の目前に天井が落ちてきた。
「っ……」
「室井先輩っ……引き返しましょうっ!」
炎の奥から、男児の泣き叫ぶ声が聞こえた。
「室井先輩!」
俺は、行こうとした室井の腕を掴んだ。
「俺が行きますっ!」
「はっ?」
「室井先輩は逃げてくださいっ!」
そうだ。俺は、こうなることを望んでいた。ずっと誰かのために、命を投げ出す覚悟で行動したかった。
「僕が行くっ!」
「いえ俺がっ」
と言った時、室井は俺の顔面に、手のひらを突き出した。
「っ……」
天井が落ちた時に、切れたのだろうか。室井が見せつけてきた手のひらは、さっくりと皮膚が裂けていた。その切れ目から見えるのは、精密機械を思わせる、銀色の内部……
「あ、あ……あ……」
声が、唇が震えた。信じられない気持ちで室井を見る。
「佐久間蓮を知ってるか?」
「っ……」
室井と同じピアスをつけた、暗い目をした、端正な顔の男。
「同じ……クラスでした……」
室井の目が見開かれ、次の瞬間、ぐしゃっと泣き顔に歪んだ。
「蓮……僕に……会うために……」
室井は俺に掴み掛かると、勢いよく言った。
「蓮に伝えてくれっ……信じられないかもしれないけど、君は僕を愛していたと。僕を生かすために君は死んだんだとっ……」
ざわざわと胸が騒いだ。あの試験で勝ったのは人間だ。佐久間蓮は死んだ。
なのに室井は、佐久間が生きているものだと信じて、言葉を重ねた。
ハッと、ある可能性が頭を過った。左手の人差し指……そこは切りつけても血が出ない。指を切った俺を見て、室井は、俺をロボットだと勘違いしたんじゃないか。
「会いたかった……蓮っ……今度はっ……君と恋人になりたかった……」
室井は子供の泣き声に我に返ると、
「僕も愛していたと、伝えてくれ……っ」
それだけ言って、炎の中に飛び込んで行った。


