トイレを出た俺たちは、体育館を目指して階段を下りていた。
下から足音が駆け上がってきて、桐谷が「こっちだ!」と俺の手を引く。
2階廊下に出た。
「準備室に逃げ込むぞっ! あそこなら中から鍵がかけられるっ!」
「ああっ!」
桐谷がドアに飛びつき、俺を先に中へと促した。
入った瞬間、強烈な薬品の臭いが鼻腔をついて、俺は思わず鼻を覆った。
「っ……」
桐谷はドアを背に廊下の様子を気にしていたが、追っ手が来ないとわかると小さく息をついた。
「大丈夫だ」
そう言って、反対側の窓へ行く。ガラッと勢いよく開け、外を見た。
「こいつはいい。いざとなりゃ、ベランダから木に飛び移ることもできる」
窓から雨が吹き込んできた。
「あまり長居しない方が良いんじゃないか……? ここ、すごい臭いだ……十分もいたら気分が悪くなる」
「臭い?」
桐谷が眉根を寄せた。
「臭わないのか?」
言った直後、大島の手紙を思い出した。
ロボットには味覚がない。……まさか嗅覚も……
「なんの臭いだ?」
「薬品の……刺激臭かな? ツンとした臭いだよ……」
部屋を見回すと、薬品棚が散乱していた。床に瓶が落ちて割れている。
「触らないほうが良いんじゃないか……?」
と俺が言っても、桐谷は構わず床に膝をついた。小瓶を手に取り、ラベルを見る
「塩化水素……」
「やっぱここ、危険だって……」
「俺はこの部屋に入っても、全く臭いを感じなかった」
「……」
「でも、ラベルを見たら、臭いを感じた。加茂、お前は違うんだな?」
桐谷が、疑うような目で俺を見たその時、窓にヌッと人影が現れた。
「桐谷後ろっ!」
言うなり俺は、桐谷に覆い被さった。
カン
「っ……」
銃弾が頬をかすめた。じわっと熱いものが頬を伝った。
「加茂っ!」
「加茂っ……な、なんでっ……」
ベランダから俺を狙った佐藤秀樹が、困惑の声を発した。
その反応が、無性に腹立たしかった。俺が血を流さなかったら、彼はこんな反応しなかった。きっと彼にとって、ロボットの命は人間よりも軽い。
「くそっ!」
殺せ。この勢いに任せて。ロボットを勝利に導く覚悟を決めろ。
そうすれば桐谷にも分かってもらえる。俺に裏切る気がないことを。
「やめろ加茂っ!」
引き金を引こうとしたのを、桐谷の強い口調が止めた。
ベランダにいる彼も、俺も、まるで走った後のように大きく肩を喘がせている。
「やめろ加茂……何考えてんだ……」
「先に殺そうとしたのはあいつだろ」
まだあいつのロアは、90秒経っていない。
「ガキの喧嘩じゃねえんだよ。人を殺したら、お前は一生その罪を背負わなきゃいけねえんだ」
行くぞ、と言って、桐谷は俺を引っ張って廊下に出た。
「あいつ、桐谷を撃とうとしたんだぞ」
桐谷に腕を引かれながら、廊下を足早に進む。まだ怒りが収まらなかった。許せなかった。
「これはそういう試験だ。あいつは悪くない」
「だったら俺にも撃たせろよっ!」
「俺が止めたんじゃない。お前が止めたんだ」
「っ……」
その通りだった。桐谷の言葉を無視して撃つこともできたのに、俺はそれをしなかった。 自分の意志の弱さが憎らしかった。桐谷にも馨にも死んでほしくないのに、俺には、人間を殺す勇気がない。
「俺は……桐谷にも、馨にも、死んでほしくない」
「俺はもう死んでるんだ。AI転生の話でしっくりきた。今の俺は、生前の体を与えられた幽霊みたいなもんだ」
「違うっ……」
「俺たちは死を受け入れなきゃいけない」
「2組と4組はロボットが勝った」
「だったらどうした」
「俺たちもロボットを勝たせることができる。2組と4組ができたんだ。俺たちにやれないはずがない」
突然、ドンっと壁際に押し付けられた。こめかみにロアを押し当てられ、心臓が跳ねた。真正面に怒った桐谷の顔がある。
「お前、それどういう意味かわかって言ってんのか?」
こめかみを、銃口でカツカツと突かれ、涙が出た。
「ほら、怖いんじゃねえか。死にたくねえんじゃねえかっ! 簡単にロボットを勝たせるなんて言うんじゃねえよ。俺がどういう気持ちでっ……」
桐谷は言葉に詰まった。震える息を吐いて、絞り出す。
「どういう……人間を勝たせようって……これは、人間が勝たなきゃいけない試験だって……自分に言い聞かせて……受け入れようとしてると思ってんだ……っ!」
「……でも俺は……」
「じゅ、銃を……下せっ」
声にハッと横を見る。廊下の真ん中に大倉司がいた。ロアを桐谷に向けている。
大倉司のやや後ろには村本桃子が、同じく桐谷にロアを向けている。ふたりとも、真面目な学生という印象で、俺はほとんど関わりがない。
桐谷の判断は早かった。俺の腕をグイッと引っ張って、素早く俺の後ろに隠れると、銃口をこめかみから俺の背中に押し当てた。
「は、早く撃ちなさいよっ!」
村本桃子が、大倉司を急かした。
「うるさいっ! 今撃ったら加茂くんに当たるだろっ!」
大倉が怒鳴った。
桐谷は後退りながら階段へ行く。うまいこと俺を盾にしている。
「桐谷くんを逃したらまずいでしょっ……早く撃ってよっ!」
「でもっ……加茂くんがっ……」
「意気地なしっ!」
村本が叫んだ。
「加茂」
と桐谷が小声で言った。
「俺たちはここまでだ。お前はあいつらと一緒に行動しろ。その方がいい」
桐谷の姿を見ただけで、銃口を向けてきたあいつらと……?
できることなら、もっと桐谷と一緒にいたい。でも桐谷を逃すためなら、受け入れるしかない。
桐谷はゆっくりと後退る。
「う、撃ってよっ!」
「ダメだっ! 加茂くんに当たるっ……!」
「桐谷くんをここで仕留めないとっ!」
カッと頭に血が上った。なんだ、「仕留めないと」って。
カン
こいつ、撃った。怒りと驚きで、俺は両目を見開いた。
銃弾は当たらなかった。
俺を盾にしていた桐谷が、一瞬のうちに俺を後ろに突き飛ばしたのだ。
桐谷の右腕から、パララッと銀色のパーツが落下した。
カン
今度は村本が発砲したが、それは大きく外れて、壁に当たった。
桐谷が背を向け、階段へと急ぐ。大倉はロアをふたつ持っていた。
俺は大倉に飛び掛かり、桐谷に向けていたロアの銃口を天井に向けた。
カン
銃弾が蛍光灯に当たって、ガラス片が落ちてきた。
「桐谷っ! 逃げろっ!」
桐谷の背中が遠ざかっていく。大きな、頼り甲斐のある背中だった。
あれが馨の初恋…………こんな時なのに、桐谷がかっこよくて、本当にかっこよくて、馨は俺でよかったのかなんて、くだらない不安に駆られた。
「何してくれてるんだよっ! 桐谷くんを倒さなきゃっ、僕たち勝てなぐぁっ」
「きゃああっ!」
頬に、生温かいものが降り掛かった。
隣を見る。視界に飛び込んできたのは、胸から銀色の棒を生やした大倉だった。
10センチほど突き出したその棒は、勢いよく後ろに引き抜かれ、大倉の胸から、プシャっと噴水のように血が噴き出した。
「っ……」
大倉が血溜まりに倒れ、彼の握っていたロアを、佐久間が拾い上げた。
「いやあああああっ! いやああああああっ!」
村本が腰を抜かし、絶叫した。ロアを構える余裕もない。
恐怖で、俺は声も出せなかった。
「加茂っ!」
背後から桐谷の声が聞こえたかと思うと、次の瞬間、俺の体は引き上げられ、階段に向かって背中を押された。
カン
銃声の後、村本の悲鳴が止んだ。
俺は振り返らなかった。惨状と分かっていて、見ることなんてできなかった。
それでも脳裏には、胸から銀色の棒を生やした大倉の姿が、鮮明に蘇った。
あの武器はきっと…………ロボットの部品だ。
トイレでロボットを分解していたのは、佐久間蓮だ。
下から足音が駆け上がってきて、桐谷が「こっちだ!」と俺の手を引く。
2階廊下に出た。
「準備室に逃げ込むぞっ! あそこなら中から鍵がかけられるっ!」
「ああっ!」
桐谷がドアに飛びつき、俺を先に中へと促した。
入った瞬間、強烈な薬品の臭いが鼻腔をついて、俺は思わず鼻を覆った。
「っ……」
桐谷はドアを背に廊下の様子を気にしていたが、追っ手が来ないとわかると小さく息をついた。
「大丈夫だ」
そう言って、反対側の窓へ行く。ガラッと勢いよく開け、外を見た。
「こいつはいい。いざとなりゃ、ベランダから木に飛び移ることもできる」
窓から雨が吹き込んできた。
「あまり長居しない方が良いんじゃないか……? ここ、すごい臭いだ……十分もいたら気分が悪くなる」
「臭い?」
桐谷が眉根を寄せた。
「臭わないのか?」
言った直後、大島の手紙を思い出した。
ロボットには味覚がない。……まさか嗅覚も……
「なんの臭いだ?」
「薬品の……刺激臭かな? ツンとした臭いだよ……」
部屋を見回すと、薬品棚が散乱していた。床に瓶が落ちて割れている。
「触らないほうが良いんじゃないか……?」
と俺が言っても、桐谷は構わず床に膝をついた。小瓶を手に取り、ラベルを見る
「塩化水素……」
「やっぱここ、危険だって……」
「俺はこの部屋に入っても、全く臭いを感じなかった」
「……」
「でも、ラベルを見たら、臭いを感じた。加茂、お前は違うんだな?」
桐谷が、疑うような目で俺を見たその時、窓にヌッと人影が現れた。
「桐谷後ろっ!」
言うなり俺は、桐谷に覆い被さった。
カン
「っ……」
銃弾が頬をかすめた。じわっと熱いものが頬を伝った。
「加茂っ!」
「加茂っ……な、なんでっ……」
ベランダから俺を狙った佐藤秀樹が、困惑の声を発した。
その反応が、無性に腹立たしかった。俺が血を流さなかったら、彼はこんな反応しなかった。きっと彼にとって、ロボットの命は人間よりも軽い。
「くそっ!」
殺せ。この勢いに任せて。ロボットを勝利に導く覚悟を決めろ。
そうすれば桐谷にも分かってもらえる。俺に裏切る気がないことを。
「やめろ加茂っ!」
引き金を引こうとしたのを、桐谷の強い口調が止めた。
ベランダにいる彼も、俺も、まるで走った後のように大きく肩を喘がせている。
「やめろ加茂……何考えてんだ……」
「先に殺そうとしたのはあいつだろ」
まだあいつのロアは、90秒経っていない。
「ガキの喧嘩じゃねえんだよ。人を殺したら、お前は一生その罪を背負わなきゃいけねえんだ」
行くぞ、と言って、桐谷は俺を引っ張って廊下に出た。
「あいつ、桐谷を撃とうとしたんだぞ」
桐谷に腕を引かれながら、廊下を足早に進む。まだ怒りが収まらなかった。許せなかった。
「これはそういう試験だ。あいつは悪くない」
「だったら俺にも撃たせろよっ!」
「俺が止めたんじゃない。お前が止めたんだ」
「っ……」
その通りだった。桐谷の言葉を無視して撃つこともできたのに、俺はそれをしなかった。 自分の意志の弱さが憎らしかった。桐谷にも馨にも死んでほしくないのに、俺には、人間を殺す勇気がない。
「俺は……桐谷にも、馨にも、死んでほしくない」
「俺はもう死んでるんだ。AI転生の話でしっくりきた。今の俺は、生前の体を与えられた幽霊みたいなもんだ」
「違うっ……」
「俺たちは死を受け入れなきゃいけない」
「2組と4組はロボットが勝った」
「だったらどうした」
「俺たちもロボットを勝たせることができる。2組と4組ができたんだ。俺たちにやれないはずがない」
突然、ドンっと壁際に押し付けられた。こめかみにロアを押し当てられ、心臓が跳ねた。真正面に怒った桐谷の顔がある。
「お前、それどういう意味かわかって言ってんのか?」
こめかみを、銃口でカツカツと突かれ、涙が出た。
「ほら、怖いんじゃねえか。死にたくねえんじゃねえかっ! 簡単にロボットを勝たせるなんて言うんじゃねえよ。俺がどういう気持ちでっ……」
桐谷は言葉に詰まった。震える息を吐いて、絞り出す。
「どういう……人間を勝たせようって……これは、人間が勝たなきゃいけない試験だって……自分に言い聞かせて……受け入れようとしてると思ってんだ……っ!」
「……でも俺は……」
「じゅ、銃を……下せっ」
声にハッと横を見る。廊下の真ん中に大倉司がいた。ロアを桐谷に向けている。
大倉司のやや後ろには村本桃子が、同じく桐谷にロアを向けている。ふたりとも、真面目な学生という印象で、俺はほとんど関わりがない。
桐谷の判断は早かった。俺の腕をグイッと引っ張って、素早く俺の後ろに隠れると、銃口をこめかみから俺の背中に押し当てた。
「は、早く撃ちなさいよっ!」
村本桃子が、大倉司を急かした。
「うるさいっ! 今撃ったら加茂くんに当たるだろっ!」
大倉が怒鳴った。
桐谷は後退りながら階段へ行く。うまいこと俺を盾にしている。
「桐谷くんを逃したらまずいでしょっ……早く撃ってよっ!」
「でもっ……加茂くんがっ……」
「意気地なしっ!」
村本が叫んだ。
「加茂」
と桐谷が小声で言った。
「俺たちはここまでだ。お前はあいつらと一緒に行動しろ。その方がいい」
桐谷の姿を見ただけで、銃口を向けてきたあいつらと……?
できることなら、もっと桐谷と一緒にいたい。でも桐谷を逃すためなら、受け入れるしかない。
桐谷はゆっくりと後退る。
「う、撃ってよっ!」
「ダメだっ! 加茂くんに当たるっ……!」
「桐谷くんをここで仕留めないとっ!」
カッと頭に血が上った。なんだ、「仕留めないと」って。
カン
こいつ、撃った。怒りと驚きで、俺は両目を見開いた。
銃弾は当たらなかった。
俺を盾にしていた桐谷が、一瞬のうちに俺を後ろに突き飛ばしたのだ。
桐谷の右腕から、パララッと銀色のパーツが落下した。
カン
今度は村本が発砲したが、それは大きく外れて、壁に当たった。
桐谷が背を向け、階段へと急ぐ。大倉はロアをふたつ持っていた。
俺は大倉に飛び掛かり、桐谷に向けていたロアの銃口を天井に向けた。
カン
銃弾が蛍光灯に当たって、ガラス片が落ちてきた。
「桐谷っ! 逃げろっ!」
桐谷の背中が遠ざかっていく。大きな、頼り甲斐のある背中だった。
あれが馨の初恋…………こんな時なのに、桐谷がかっこよくて、本当にかっこよくて、馨は俺でよかったのかなんて、くだらない不安に駆られた。
「何してくれてるんだよっ! 桐谷くんを倒さなきゃっ、僕たち勝てなぐぁっ」
「きゃああっ!」
頬に、生温かいものが降り掛かった。
隣を見る。視界に飛び込んできたのは、胸から銀色の棒を生やした大倉だった。
10センチほど突き出したその棒は、勢いよく後ろに引き抜かれ、大倉の胸から、プシャっと噴水のように血が噴き出した。
「っ……」
大倉が血溜まりに倒れ、彼の握っていたロアを、佐久間が拾い上げた。
「いやあああああっ! いやああああああっ!」
村本が腰を抜かし、絶叫した。ロアを構える余裕もない。
恐怖で、俺は声も出せなかった。
「加茂っ!」
背後から桐谷の声が聞こえたかと思うと、次の瞬間、俺の体は引き上げられ、階段に向かって背中を押された。
カン
銃声の後、村本の悲鳴が止んだ。
俺は振り返らなかった。惨状と分かっていて、見ることなんてできなかった。
それでも脳裏には、胸から銀色の棒を生やした大倉の姿が、鮮明に蘇った。
あの武器はきっと…………ロボットの部品だ。
トイレでロボットを分解していたのは、佐久間蓮だ。


