午前8時20分。今にも雨が降り出しそうな空だった。
女子寮と男子寮の間に停まった送迎バスに、5組の学生らが乗り込んでいく。
「昨日は眠れた?」
俺の隣に座るなり、三崎馨が言った。
「ぜんぜん」
と俺は正直に答えた。
「俺も。……ほんと、卒業試験って何やるんだろう。今更考えても仕方ないけどさ」
「やっぱデスゲームっしょ!」
前に座る梶本俊介が、座席越しにひょっこり顔を出して言った。
「まだ言ってんのかよ」
馨が苦笑した。
「たった5時間でデスゲームは無理あるだろ」
と馨は付け足す。
「たしかに。40人近いクラスの殺し合いが、そんなに早く終わるわけがないよな」
通路を挟んだ横から、芦屋裕樹が言った。
「どーかな、4組には凶悪犯がいたのかもしれないぜ?」
と梶本。
「だとしても、5時間で全員殺すことは不可能だ。人間技じゃない」
と芦屋。
「人間じゃないやつが紛れてたのかも」
馨がぽつりと言った。
心臓が、ドクンと跳ねた。
「おーこわっ……幽霊ってこと? このクラスにもいんのかな?」
芦屋は両手をクロスして二の腕をさすった。
佐久間蓮が乗り込んできて、皆の視線が自然と彼へ向かった。男らしく整った顔立ちに、均衡の取れた引き締まった体。
「1組は5日、2組は3日、3組は9日、4組は5時間……」
馨がぽつりと言った。
座席が埋まり、バスが自動運転で動き出す。
『加茂くん、覚えてる?』
俺は、見飽きた景色を眺めながら、昨日、大島美奈と交わした会話を思い出した。
『私が失敗したクッキーを、あなたはおいしいと言ってくれた』
出発直前、大島は俺を寮の裏手に呼び出した。
『本当においしかったんだよ』
大島は微笑みながら、ゆるゆるとかぶりを振った。
『あれ、わざとなの』
『えっ……』
『だから大丈夫。嘘か嘘じゃないかは、みんなの反応を見ればわかる。……ふふっ、加茂くんて嘘が下手だよね。あんなのバレバレだよ』
『どうして……そんなことをしたの?』
彼女は答える代わりに手紙を差し出してきた。
『これ、4組の試験が終わったら読んで。それで、すぐに処分して』
俺が手紙を受け取るなり、彼女は『じゃあね』と行ってしまった。
…………卒業試験で何をするか、なんとなくわかるの…………加茂くんの卒業試験がうまくいきますように…………人間じゃない…………私はパティシエにはなれない…………加茂くんのことが好き…………加茂くんは生きて
手紙の内容が、断片的に頭に過ぎる。
彼女らしくない、ひどく乱れた文字だった。
心臓がドクドクと波打つ。
そんなはずはない。ないとは言い切れない。
だって4組は5時間という速さで卒業試験を終わらせた。それは彼女が、卒業試験で何をするのか気づいていたからじゃないのか……
バスは山へと入っていく。
山の周囲をぐるりと回るように、緩やかな坂道を上がっていくと、途中で急勾配な直線道路に変わる。
車道は車一台分しか幅がなく、すぐ側に薄暗い森林が広がる。高い木々に空を遮られてはいるが、ところどころに光の射す場所がある。
「ん……?」
一瞬、光に照らされた木が赤く塗られているような気がしたが、バスが止まることはない。すぐに視界から消えてしまった。
「どうした?」
馨が聞いた。
「いや……」
学校まで、1キロを切っている。
また見つけた。赤く塗られた木。
頬が引き攣った。
加茂くんの卒業試験がうまくいきますように…………加茂くんは生きて
「あれ……血じゃないか?」
誰かが言った。
やめろ。口にするな。言葉にしたら現実になるような、そんな不安に襲われる。
「あそこも……血っぽくない?」
「血? どこ?」
「見ろよあれっ!」
誰かの声で、学生が右側の窓へごっそり移動し、バスが傾いた。
俺は動かなかった。こっちの、左側の窓から見えるものに釘付けになっていた。
車道スレスレに、筆で描いたような赤色の線がある。まるで、ずずっ、と死体を引きずったような……
「な、なあ……あれって血だよなっ!」
「どういうこと……?」
今にも雨の降りそうな空が、校舎が見えてくる。細い山道から、ひらけた前庭にバスが侵入する。
「いやあっ!」
金切り声が車内に響いた。
アスファルトには赤黒いシミがぽつぽつと散らばっていた。水たまりのようなもの、カラーボールを思いっきり投げつけたような躍動的なもの……色々と。
「おいっ! デスゲームはないんだよなっ?」
吉田が叫ぶように言った。
「少なくとも、最後のひとりになるまで殺し合うことはないだろ……」
芦屋が答えた。
「違うって言えよおっ!」
吉田は頭を抱えた。
「卒業試験って何すんだよっ!?」
バスの前方で誰かが言った。
「狩猟だろ、ハンティング! 山に放たれたイノシシとか……シカを捕まえるのが試験なんだよ、たぶん……いや絶対、絶対そうっ!」
これらの血痕が人間の、ましてや同級生のものだなんて、信じたくないのだろう。お調子者の増田陸が震える声で言った。
でもその可能性は、すぐさま否定された。
「じゃあ、あれは……あれは、なんなのよ……」
女子生徒が、正面玄関のガラス扉を指差した。
開け放たれたガラス扉には、赤い、手のひらの痕がベッタリと付着していた。
「先生、先生っ」
チタンのリストバンドに呼びかける声は、最後尾にいる桐谷嵐士のものだ。
「大島さんは……4組の、大島美奈は……無事か?」
『答え、られ、ません』
無機質な声が答えた。
「くそっ!」
バスが停車し、『教室、へ、移動、してください』と一斉に先生が言った。
「モタモタしてんじゃねえっ! さっさと行けっ!」
桐谷が怒鳴ったことで、通路に留まっていた学生が急いでバスを降りた。他の学生も、置いてけぼりにされまいとバスを降りる。
「マジで……デスゲームやらされんのかよ……俺たち……」
馨が呆然と言った。
「仁……大丈夫か?」
俺は首を横に振った。
「仁、バスを降りよう」
俺は窓を見た。5組の学生が校舎へと走っていく。
「とりあえず教室に行こう」
車内には他にも学生が残っていて、すすり泣く声が聞こえる。
『教室、へ、移動、してください』
先生が言う。抑揚のない、いつもの調子の声が、胸をザワザワとさせてくる。急かされている、と思った。教室に行かないと。きっとそれ以外に道はない。俺たちは逃げられない。
女子学生らが、泣きながらバスを降りていった。これでバスに残るのは俺と馨だけだ。
「仁、俺たちも……」
俺は馨を見た。馨の強張った顔を見たら、たまらない気持ちになった。何が商品開発だ。ふざけやがって。
女子寮と男子寮の間に停まった送迎バスに、5組の学生らが乗り込んでいく。
「昨日は眠れた?」
俺の隣に座るなり、三崎馨が言った。
「ぜんぜん」
と俺は正直に答えた。
「俺も。……ほんと、卒業試験って何やるんだろう。今更考えても仕方ないけどさ」
「やっぱデスゲームっしょ!」
前に座る梶本俊介が、座席越しにひょっこり顔を出して言った。
「まだ言ってんのかよ」
馨が苦笑した。
「たった5時間でデスゲームは無理あるだろ」
と馨は付け足す。
「たしかに。40人近いクラスの殺し合いが、そんなに早く終わるわけがないよな」
通路を挟んだ横から、芦屋裕樹が言った。
「どーかな、4組には凶悪犯がいたのかもしれないぜ?」
と梶本。
「だとしても、5時間で全員殺すことは不可能だ。人間技じゃない」
と芦屋。
「人間じゃないやつが紛れてたのかも」
馨がぽつりと言った。
心臓が、ドクンと跳ねた。
「おーこわっ……幽霊ってこと? このクラスにもいんのかな?」
芦屋は両手をクロスして二の腕をさすった。
佐久間蓮が乗り込んできて、皆の視線が自然と彼へ向かった。男らしく整った顔立ちに、均衡の取れた引き締まった体。
「1組は5日、2組は3日、3組は9日、4組は5時間……」
馨がぽつりと言った。
座席が埋まり、バスが自動運転で動き出す。
『加茂くん、覚えてる?』
俺は、見飽きた景色を眺めながら、昨日、大島美奈と交わした会話を思い出した。
『私が失敗したクッキーを、あなたはおいしいと言ってくれた』
出発直前、大島は俺を寮の裏手に呼び出した。
『本当においしかったんだよ』
大島は微笑みながら、ゆるゆるとかぶりを振った。
『あれ、わざとなの』
『えっ……』
『だから大丈夫。嘘か嘘じゃないかは、みんなの反応を見ればわかる。……ふふっ、加茂くんて嘘が下手だよね。あんなのバレバレだよ』
『どうして……そんなことをしたの?』
彼女は答える代わりに手紙を差し出してきた。
『これ、4組の試験が終わったら読んで。それで、すぐに処分して』
俺が手紙を受け取るなり、彼女は『じゃあね』と行ってしまった。
…………卒業試験で何をするか、なんとなくわかるの…………加茂くんの卒業試験がうまくいきますように…………人間じゃない…………私はパティシエにはなれない…………加茂くんのことが好き…………加茂くんは生きて
手紙の内容が、断片的に頭に過ぎる。
彼女らしくない、ひどく乱れた文字だった。
心臓がドクドクと波打つ。
そんなはずはない。ないとは言い切れない。
だって4組は5時間という速さで卒業試験を終わらせた。それは彼女が、卒業試験で何をするのか気づいていたからじゃないのか……
バスは山へと入っていく。
山の周囲をぐるりと回るように、緩やかな坂道を上がっていくと、途中で急勾配な直線道路に変わる。
車道は車一台分しか幅がなく、すぐ側に薄暗い森林が広がる。高い木々に空を遮られてはいるが、ところどころに光の射す場所がある。
「ん……?」
一瞬、光に照らされた木が赤く塗られているような気がしたが、バスが止まることはない。すぐに視界から消えてしまった。
「どうした?」
馨が聞いた。
「いや……」
学校まで、1キロを切っている。
また見つけた。赤く塗られた木。
頬が引き攣った。
加茂くんの卒業試験がうまくいきますように…………加茂くんは生きて
「あれ……血じゃないか?」
誰かが言った。
やめろ。口にするな。言葉にしたら現実になるような、そんな不安に襲われる。
「あそこも……血っぽくない?」
「血? どこ?」
「見ろよあれっ!」
誰かの声で、学生が右側の窓へごっそり移動し、バスが傾いた。
俺は動かなかった。こっちの、左側の窓から見えるものに釘付けになっていた。
車道スレスレに、筆で描いたような赤色の線がある。まるで、ずずっ、と死体を引きずったような……
「な、なあ……あれって血だよなっ!」
「どういうこと……?」
今にも雨の降りそうな空が、校舎が見えてくる。細い山道から、ひらけた前庭にバスが侵入する。
「いやあっ!」
金切り声が車内に響いた。
アスファルトには赤黒いシミがぽつぽつと散らばっていた。水たまりのようなもの、カラーボールを思いっきり投げつけたような躍動的なもの……色々と。
「おいっ! デスゲームはないんだよなっ?」
吉田が叫ぶように言った。
「少なくとも、最後のひとりになるまで殺し合うことはないだろ……」
芦屋が答えた。
「違うって言えよおっ!」
吉田は頭を抱えた。
「卒業試験って何すんだよっ!?」
バスの前方で誰かが言った。
「狩猟だろ、ハンティング! 山に放たれたイノシシとか……シカを捕まえるのが試験なんだよ、たぶん……いや絶対、絶対そうっ!」
これらの血痕が人間の、ましてや同級生のものだなんて、信じたくないのだろう。お調子者の増田陸が震える声で言った。
でもその可能性は、すぐさま否定された。
「じゃあ、あれは……あれは、なんなのよ……」
女子生徒が、正面玄関のガラス扉を指差した。
開け放たれたガラス扉には、赤い、手のひらの痕がベッタリと付着していた。
「先生、先生っ」
チタンのリストバンドに呼びかける声は、最後尾にいる桐谷嵐士のものだ。
「大島さんは……4組の、大島美奈は……無事か?」
『答え、られ、ません』
無機質な声が答えた。
「くそっ!」
バスが停車し、『教室、へ、移動、してください』と一斉に先生が言った。
「モタモタしてんじゃねえっ! さっさと行けっ!」
桐谷が怒鳴ったことで、通路に留まっていた学生が急いでバスを降りた。他の学生も、置いてけぼりにされまいとバスを降りる。
「マジで……デスゲームやらされんのかよ……俺たち……」
馨が呆然と言った。
「仁……大丈夫か?」
俺は首を横に振った。
「仁、バスを降りよう」
俺は窓を見た。5組の学生が校舎へと走っていく。
「とりあえず教室に行こう」
車内には他にも学生が残っていて、すすり泣く声が聞こえる。
『教室、へ、移動、してください』
先生が言う。抑揚のない、いつもの調子の声が、胸をザワザワとさせてくる。急かされている、と思った。教室に行かないと。きっとそれ以外に道はない。俺たちは逃げられない。
女子学生らが、泣きながらバスを降りていった。これでバスに残るのは俺と馨だけだ。
「仁、俺たちも……」
俺は馨を見た。馨の強張った顔を見たら、たまらない気持ちになった。何が商品開発だ。ふざけやがって。


