学院の広大な錬成演習場。
その日の授業は、自身のスキル出力を極限まで引き出し、標的の魔導障壁を破壊するという単純なものだった。
「……ッ、これだ! この感覚なんだよ!」
ゼクスの叫びと共に、演習場の温度が跳ね上がった。
彼の【爆炎】スキルは、文字通り制御を失った太陽のように膨れ上がる。周囲の生徒たちが悲鳴を上げて退避し、教官が慌てて防護術式を展開しようとするが、その構築速度よりもゼクスの魔力暴走の方が遥かに速かった。
「熱い……あついあついあつい! 止まんねえんだよ、これ!」
ゼクスの右腕が、白熱する溶岩のように発光する。
このまま放っておけば、彼は自らの熱で灰になるか、演習場ごと自爆する。
私は、特等席からその光景を眺めていた。
ハルの視界は、逃げる生徒たちではなく、ゼクスの周囲で激しく振動するマナの「波形」を正確に捉えていた。
「ハル! 逃げろ!」
ゼクスの絶望的な叫び。
だが、ハルは一歩も引かなかった。
彼は無造作に、ゼクスの真っ赤に焼けた右腕へと手を伸ばす。
周囲が「死ぬぞ!」と叫ぶ中、ハルの指先がゼクスの肌に触れた。
「——熱振動、強制同期。全ベクトルを零へ」
ハルが呟いた瞬間。
地獄のような業火が、一瞬で「消滅」した。
吹き飛んだのではない。まるであらゆる熱エネルギーが、物理法則の壁に阻まれて凍りついたかのように、炎の揺らぎさえもがその場に固定され、霧散したのだ。
あまりの静寂に、誰もが言葉を失った。
ゼクスは膝をつき、自分の震える右腕を見つめていた。火傷一つ負っていない。
「……え、今の、何だ? 嘘だろ、俺の最高出力を、ただ触れただけで……?」
ハルは自分の掌をじっと見つめていた。
その表情は、勝利の喜びではなく、形容しがたい「違和感」に染まっていた。
彼は知っていた。今の術式は、本来なら自分の魔力残量では足りないはずだった。計算上、あとコンマ数秒、発動が遅れていなければ不可能なはずだった。
「……おかしい」
ハルの呟きを、私は聞き逃さなかった。
「いいぞ、ハル。気づき始めたか」
私は次元の膜を隔てて、微かに口角を上げた。
その日の夜。
寄宿舎の談話室で、ハルは二人に、これまで胸の奥に溜め込んできた毒を吐き出すように語り始めた。
「……今まで、ずっと『運が良かった』んだと思ってた。崖から落ちそうになった時、誰かに支えられたような気がしたのも。ありえない精度の魔法が成功したのも」
ハルの声は、冷たい雨のように低かった。
「でも、今日のあれは違う。僕の演算速度を超えて、世界の方が『僕の答え』に合わせたんだ。……まるで、誰かが僕に、都合の良い結末を押し付けているみたいだ」
ゼクスは無言でハルの言葉を聞いていたが、やがて気まずそうに視線を逸らした。
「……正直、助かったのは事実だけどよ。お前の強さは、なんていうか、不気味なくらい『完璧』だった」
その時、リィンが分厚い古書を閉じて顔を上げた。
彼女の眼鏡の奥、紫色の瞳が不自然に発光している。
「ハル、私が言ったことを覚えてる? あなたの後ろに、眩しすぎる『何か』がいるって」
リィンはハルの背後の空間——つまり、私がいる「視点」の方をじっと睨みつけた。
「あなたの人生、出来すぎているわ。まるで誰かが脚本を書いているみたいに。……私は、あなたの過去のログを全部洗ってみる。王立図書館の『禁記録』に潜り込んででもね」
ハルは、自分のすぐ後ろに広がる何もない空間を振り返った。
当然、そこには誰もいない。
だが、ハルは確かに感じていた。自分という「個」を、全方位から執拗に、愛おしげになぞり続ける、底知れないほど巨大な「視線」の存在を。
「……もし、本当に誰かが僕を見ているなら」
ハルの瞳に、これまでにない鋭い殺意が宿った。
「その脚本を、ずたずたに切り裂いてやりたい」
私は、その言葉に、思わず声を出して笑った。
素晴らしい。最高だ。
主人公が制作者に反旗を翻す。これほど古典的で、これほど胸を躍らせる展開があるだろうか。
「いいだろう、ハル。私を、もっと愉しませてくれ」
ハルの背後の影が、夜の闇に混じって、わずかに長く伸びていた。
その日の授業は、自身のスキル出力を極限まで引き出し、標的の魔導障壁を破壊するという単純なものだった。
「……ッ、これだ! この感覚なんだよ!」
ゼクスの叫びと共に、演習場の温度が跳ね上がった。
彼の【爆炎】スキルは、文字通り制御を失った太陽のように膨れ上がる。周囲の生徒たちが悲鳴を上げて退避し、教官が慌てて防護術式を展開しようとするが、その構築速度よりもゼクスの魔力暴走の方が遥かに速かった。
「熱い……あついあついあつい! 止まんねえんだよ、これ!」
ゼクスの右腕が、白熱する溶岩のように発光する。
このまま放っておけば、彼は自らの熱で灰になるか、演習場ごと自爆する。
私は、特等席からその光景を眺めていた。
ハルの視界は、逃げる生徒たちではなく、ゼクスの周囲で激しく振動するマナの「波形」を正確に捉えていた。
「ハル! 逃げろ!」
ゼクスの絶望的な叫び。
だが、ハルは一歩も引かなかった。
彼は無造作に、ゼクスの真っ赤に焼けた右腕へと手を伸ばす。
周囲が「死ぬぞ!」と叫ぶ中、ハルの指先がゼクスの肌に触れた。
「——熱振動、強制同期。全ベクトルを零へ」
ハルが呟いた瞬間。
地獄のような業火が、一瞬で「消滅」した。
吹き飛んだのではない。まるであらゆる熱エネルギーが、物理法則の壁に阻まれて凍りついたかのように、炎の揺らぎさえもがその場に固定され、霧散したのだ。
あまりの静寂に、誰もが言葉を失った。
ゼクスは膝をつき、自分の震える右腕を見つめていた。火傷一つ負っていない。
「……え、今の、何だ? 嘘だろ、俺の最高出力を、ただ触れただけで……?」
ハルは自分の掌をじっと見つめていた。
その表情は、勝利の喜びではなく、形容しがたい「違和感」に染まっていた。
彼は知っていた。今の術式は、本来なら自分の魔力残量では足りないはずだった。計算上、あとコンマ数秒、発動が遅れていなければ不可能なはずだった。
「……おかしい」
ハルの呟きを、私は聞き逃さなかった。
「いいぞ、ハル。気づき始めたか」
私は次元の膜を隔てて、微かに口角を上げた。
その日の夜。
寄宿舎の談話室で、ハルは二人に、これまで胸の奥に溜め込んできた毒を吐き出すように語り始めた。
「……今まで、ずっと『運が良かった』んだと思ってた。崖から落ちそうになった時、誰かに支えられたような気がしたのも。ありえない精度の魔法が成功したのも」
ハルの声は、冷たい雨のように低かった。
「でも、今日のあれは違う。僕の演算速度を超えて、世界の方が『僕の答え』に合わせたんだ。……まるで、誰かが僕に、都合の良い結末を押し付けているみたいだ」
ゼクスは無言でハルの言葉を聞いていたが、やがて気まずそうに視線を逸らした。
「……正直、助かったのは事実だけどよ。お前の強さは、なんていうか、不気味なくらい『完璧』だった」
その時、リィンが分厚い古書を閉じて顔を上げた。
彼女の眼鏡の奥、紫色の瞳が不自然に発光している。
「ハル、私が言ったことを覚えてる? あなたの後ろに、眩しすぎる『何か』がいるって」
リィンはハルの背後の空間——つまり、私がいる「視点」の方をじっと睨みつけた。
「あなたの人生、出来すぎているわ。まるで誰かが脚本を書いているみたいに。……私は、あなたの過去のログを全部洗ってみる。王立図書館の『禁記録』に潜り込んででもね」
ハルは、自分のすぐ後ろに広がる何もない空間を振り返った。
当然、そこには誰もいない。
だが、ハルは確かに感じていた。自分という「個」を、全方位から執拗に、愛おしげになぞり続ける、底知れないほど巨大な「視線」の存在を。
「……もし、本当に誰かが僕を見ているなら」
ハルの瞳に、これまでにない鋭い殺意が宿った。
「その脚本を、ずたずたに切り裂いてやりたい」
私は、その言葉に、思わず声を出して笑った。
素晴らしい。最高だ。
主人公が制作者に反旗を翻す。これほど古典的で、これほど胸を躍らせる展開があるだろうか。
「いいだろう、ハル。私を、もっと愉しませてくれ」
ハルの背後の影が、夜の闇に混じって、わずかに長く伸びていた。
